ノート:チェス/過去ログ3

最新のコメント:11 年前 | トピック:冒頭文および「概要」について | 投稿者:Kanohara
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「通信チェス」分割の提案

本稿の「通信チェス」のボリュームが大幅に増加しました。今後さらに発展する可能性が高いので、何らかの措置が必要かと思います。記事の分割の是非や方法について、とりあえず次の選択肢を考えてみました。

A案:単純分割
現在のチェスの記事から、完全に切り離して独立させる。
(具体例) チェスの世界チャンピオン一覧チェス・プロブレムチェスボクシングなど
B案:「親記事」+「子記事」分割
現在のチェスの項目に「通信チェス(概略)」を新設し、分割したページとリンクさせる。
(具体例) チェスのルールチェスの歴史など
C案:分割しない
分割については現段階では時期尚早。もう少し様子を見る。

上記以外の方法もあるかもしれません。皆さんの御意見・御質問をお待ちしています。なお、本日より10日を過ぎても特に御要望がない場合は、上記B案で行こうかと考えております。--Compatible Access 2008年7月11日 (金) 07:22 (UTC)

  • (分割に賛成)十分独自の記事として分割できるだけの質と量あります。A案で完全に分割してほしい。--ザイル 2008年7月23日 (水) 14:09 (UTC)
    • コメントありがとうございました。御意見が少ないようなので、もうしばらく時間を取りたいと思います。一行または一言のコメントでも構いません。他の方々も、ぜひ御意見をお聞かせ下さい。「通信チェス」の結論を出すのは、今月末日まで延期致します。--Compatible Access 2008年7月24日 (木) 11:54 (UTC)

チェスを扱った作品・ゲーム

いろいろ調べたのですが、この2作品については本稿のローカルルールに該当するような事例が見当たりません。掲載を希望される方は、その根拠となる事例を御提示下さい。

ローカルルールを協議して作品を整理した際に、私も見落としておりました。そもそもチェス自体が一つのゲームです。それなのに、「チェスが主題となるゲーム」「チェスが主題に近いゲーム」なんて存在するのでしょうか?
この項目の消去を提案致します。本日より1週間経過しても特に反対意見がない場合は、御了承頂けたものとみなし消去を実行します。皆さんの御意見・御質問をお寄せ下さい。--Compatible Access 2008年8月26日 (火) 10:02 (UTC)

1週間が経過しました。異論ないようなので、お伝えした通り消去します。--Compatible Access 2008年9月3日 (水) 12:58 (UTC)

チェスを扱った作品:美術:チェス盤かチェス・ボードか

Compatible Accessさん。編集する事で応答しようとも思いましたが、「要約」に書ききれないのでこちらへ書かせて頂きます。「アテネの学堂/最後の審判」が決して「アテネの学校/最終判断」と訳されないのと同じで、特に近代までの絵画の題名はちょっと勿体ぶった訳をする習慣があると感じます。追加したボージャンの静物画も、「チェス盤のある静物」という訳が一般化しています。題は作品を指示する一繋がりの固有名詞なので、チェス盤の所だけにリンクが入るというのはチョット変に感じますし、読者がそれをクリックして「チェス・ボード」に飛んで行くというシチュエーションも思い浮かびません。また、「チェス盤のある静物」は将来的に記事が作られる可能性も十分ある作品だとも思いますので、その場合は全体にリンクが貼られる事になりますね。私はチェスの熱烈なファンでは無いので、チェス・ボードという呼び名がどれほど一般的で正式なのかは分かりませんが、もし、チェス・ボードに統一するべきだという前提に立っても、以下のような処置で問題ないと考えますが如何でしょうか。

  1. 説明文の部分の表記は「チェスボード」に統一
  2. 作品名『 』内は、既に「チェス盤」を含む邦題があるものについてはリンク無しでそのまま、いまだに邦題がついていないものについては「チェスボード」と表記(リンク無し)。邦題が一般化された時点(例えば、日本での展覧会で公開されるなど)でどちらかに修正。

なお、「いまだに邦題がついていないような作品がこの記事内にあるべきかどうか?」は別の議論になると思います。私自身は、作家に十分に知名度があれば、問題ないと考えておりますが。--ぷくぷく 2008年8月28日 (木) 18:15 (UTC)

コメントありがとうございました。ごもっともな御意見です。私が結論を急ぎ過ぎたようですね。
JCAでは「チェス盤」と定義していますが、「チェスボード」「チェス・ボード」「ボード」「チェス盤」と様々な表記があります。現在ウィキペディアの記事では「チェスボード」となっているので、本稿を整備した際には そちらに準拠しました。(この記事名に異論がある方は、「チェスボード」のノートで話し合って下さい。)
前回リンク付けした理由は、あまりチェス用語に馴染みがない閲覧者のためでした。このリンクを外す点については同意します。同じ項目内に「チェス盤」と「チェスボード」が混在する事はあまりよくないと思いますが、これも柔軟に考えましょう。ぷくぷくさんの案に、一つ追加させて下さい。
  1. 本稿の「用具」の定義を一部変更。(下記の改定案の太字部分参照。この太字部分は、本文では標準に戻します。)
  2. 説明文の部分の表記は「チェスボード」に統一
  3. 作品名『 』内は、既に「チェス盤」を含む邦題があるものについてはリンク無しでそのまま、いまだに邦題がついていないものについては「チェスボード」と表記(リンク無し)。邦題が一般化された時点(例えば、日本での展覧会で公開されるなど)でどちらかに修正。

用具(改定案)

 
チェスセットとチェスクロック 
チェス
  キング  
  クイーン  
  ルーク  
  ビショップ  
  ナイト  
  ポーン  

最低限必要な物

  • チェスボード : 縦横8マスずつに区切られた、 市松模様の正方形の盤。
              「チェス盤」とも呼ばれている。
  • : 6種類の動き方が異なる駒。全体の駒の数は、白黒あわせて32個。

公式戦などで必要になる物

御賛同頂けたら、もう構いませんので本文を直接修正して下さい。現在お忙しいという事であれば、私の方で修正致します。何か問題がある場合は、引き続き話し合いましょう。もちろん、ぷくぷくさん以外の方々の御意見もお待ちしています。--Compatible Access 2008年8月29日 (金) 09:27 (UTC)

とりあえず修正しました。英語版のen:Chess in the arts and literatureをベースとして、美術におけるチェスの話を語る上で欠かせないと思われたボージャンの静物画と、マルセル・デュシャンジョン・ケージの情報を追加しました。さしあたって私から追加したいと思う項目はありません。今回は、勉強になりました。有り難うございます。--ぷくぷく 2008年8月30日 (土) 09:14 (UTC)

アレクサンドル・ピチュシキン

このロシアの連続殺人鬼を、チェスの関連記事に加える事に異論があります。特筆性、つまり どうしても記事に加えなければならない理由について説明して下さい。
この殺人事件は、確かにチェスと多少の関係はあるようです。しかし話題になっているのは被害者の数であり、それがチェスボードのマスの数を目指していたというだけの話です。しかも64で終わりというわけではなく、「後になって止められることがなければ無限に人を殺していただろう。」だそうですね。本来のゲームとしてのチェスとの関連は、希薄または皆無といえるでしょう。
念のためウィキペディアの「チェス」の、英語版・フランス語版・スペイン語版を確認しました。しかしいずれも、彼についての記載は一切ありませんでした。
蛇足ながら最後に付け加えを。ロシアは世界一チェスが盛んな国であり、日本とは到底比較にならないくらいほど普及しています。チェスボード自体も、ロシアでは特に珍しいものでも何でもありません。--Compatible Access 2008年9月12日 (金) 20:24 (UTC)

(賛成)「チェスボード」は「チェス」そのものではありません。「チェッカーボード」とも言うくらいです。「チェスが主題となっている」とは全く言えないので、即時削除でもよいでしょう。 --Kazov 2008年9月13日 (土) 10:10 (UTC)
>Kazovさん
御賛同頂けるのはありがたいのですが、少し誤解されているようですね。問題になっているのは「関連記事」であり、「チェスを扱った作品」ではありません。また記事の部分的な修正は、「削除」ではなく「編集消去」になるそうです。
>六田清二さん
非常に残念ですが、結局呼びかけには応じて頂けませんでした。5日目になりましたので、お伝えした通り問題の箇所を差し戻します。--Compatible Access 2008年9月17日 (水) 01:45 (UTC)

チェスを扱った作品・アニメーション

※下記の作品(ダーティペア)はゲームではなくTVアニメなので、こちらに新しい節を設けて移動させました。また、本文中でコメントアウトされていた部分についても、こちらに移動させて整理しました。文章自体は原文のままです。--Compatible Access 2008年9月29日 (月) 08:02 (UTC)

ダーティペア(TVアニメ)

  • ダーティペア 24話 「かなりマジ?マンションは危険なアドレス」
    ダーティペアに殺人現場と被害者の額でムーブを記し通信チェスをする2人の連続殺人鬼の話

書き込んでみましたが(念のためコメントアウト)基本ルールに照らし合わせてみます(ネタばれになって申し訳ありませんが)

2-1:×対局していたのが主人公でない。(背景にたびたび対局している図があるが視聴者に対するヒント程度)
2-2:×手番の詳細が省略され、終局図が数秒出てきただけ
2-3:○殺人現場で盤上の位置。被害者の額に駒の種類を記入して通信チェスをする2人の連続殺人鬼(を捕らえる主人公)

これだけで認めていいのか自信が無いので、よかったらご意見をお聞かせください。 --222.150.108.146 2008年9月28日 (日) 12:39 (UTC)

ダーティペアについては少しだけ知っていましたが、作中に通信チェスが登場するのは初耳でした。問題のシーンを見た事がないので、現段階では私には何とも言えません。今後機会があれば確認しましょう。他の方々も、本件についての御意見や御質問をお寄せ下さい。--Compatible Access 2008年9月29日 (月) 08:02 (UTC)
いろいろとお手数かけてすみません。記述法、記述位置ともに私の不注意です。移動ありがとうございます。--118.19.61.141 2008年9月30日 (火) 11:53 (UTC)
その後8ヶ月が経過したのですが、どなたからもコメントがありませんでした。私もあちこち探してみたのですが、古い作品のせいか内容の確認はできませんでした。本文中のテンプレートを外して、コメント依頼を一旦打ち切りたいと思います。今後なにか御意見や御質問をお持ちの方が現れた場合は、このノートの新しい節に書くようお願い致します。--Compatible Access 2009年5月31日 (日) 03:59 (UTC)

「対局時計」参加のお願い

現在「対局時計」の定義をめぐり、話し合いが行われています。皆様も御存知の通り、チェスにとって対局時計はなくてはならない物です。こちらの分野にお詳しい方は、ぜひノート:対局時計にて御意見をお聞かせ下さい。--Compatible Access 2009年8月21日 (金) 15:34 (UTC)

本件なんとか解決しつつありますので、ここに御報告致します。お騒がせ致しました。--Compatible Access 2009年10月18日 (日) 23:54 (UTC)

冒頭文について

現状の冒頭文に、『その文化的背景などから、ゲームであると同時に「スポーツ」でも「芸術」でも「科学」でもあると言われている』という文章があるが、多分に主観的な文章であり冒頭文としては不適切ではないでしょうか? 英語版の冒頭文にもそのような文章はありませんし。 この文章を残すなら、「概要」などに移動させるべきだと思います --Xyzgata 2009年9月14日 (月) 00:37 (UTC)

とりあえず、概要に移動させます。--Xyzgata 2009年9月14日 (月) 19:14 (UTC)

(1)主観的か否か
「この一文が主観的」とおっしゃるのでしたら、Xyzgataさんはチェス関連の公式サイトや文献をほとんど御覧になった事がない方だとお察しします。多くのチェスの入門書(洋書)には記載されていますし、ロシアの元世界チャンピオンであるKarpovも同様の名言を残しています ([1])。
「チェスとは何か」を端的に表現した一文であり、これはチェスの基本中の基本である概念なのです。日本チェス協会の公式サイト([2])に記載されている、項目「チェス」の太字の一文についても併せて御参照下さい。
現在提示している出典(リヨネの『チェスの本』)は、あくまで一例です。なお「スポーツ(sport)」と「芸術(art)」という用語は、英語版の記事の冒頭でも使用されています。
(2)英語版と日本語版の記事
このチェスの記事に限りませんが、ウィキペディアの日本語版の記事を英語版にあわせる必要はありません。欧米のチェス事情と日本のチェス事情は、まったく異なるからです。現在の英語版の記事のように長々と冒頭で解説する方法も、私はどうかと思います。また英語版の記事に限りませんが、ウィキペディアは三次情報源です。ウィキペディア自身の記事を出典として引用することは、自己参照となるため、できません 。「英語版の冒頭文にはないから」と編集消去の根拠にするのも、同様の行為にあたると思います。
(3)合意を伴わない編集
本稿に「概要」に文章を概要に移動させるのは、確かに一つの方法だと思います。しかしそれについてまったく意見を募らずに、独断で「とりあえず移動」されたのはなぜでしょうか。移動を提案されるのは御自由です。しかし、その提案から実行まで一日も経っていませんね。更にいえば、なぜ「概要」の2番目に移動されたのでしょうか。「概要」の中の他の文章との整合性については、いかがお考えなのでしょうか。
(4)今回のまとめ
本稿「チェス」のような大きな記事では、その定義付けについて様々な意見あると思います。もちろん私も自分の書いた表現が、「この上ないほど素晴らしい」とは思っていません。だからこそ、ある程度の時間をかけて多くの方々と議論しなければならないと感じています。
今回Xyzgataさんが、冒頭文の問題提起を行なわれた部分については感謝します。しかし結論を急ぎ、コミュニティの合意を得ずに記事を編集された点については首をかしげました。いろいろ考えたのですが、やはり9月14日の編集は差し戻させて頂きます。入念な下調べをした上で、また改めて御意見をお聞かせ下さい。適切な出典の提示があれば、納得する人は多くなるでしょう。

Xyzgataさん以外の方々からも、広く御意見を募集致します。議題は「冒頭文」および「概要」のあり方についてです。今回は本稿に、「編集前の注意」テンプレートを貼付けました。また、あわせてコメント依頼も提出しました。--Compatible Access 2009年9月15日 (火) 06:08 (UTC)

  コメントチェスに関しては全くの素人ですが、記事として読んだ感想を書きます。
冒頭の文章は主観的というよりも、定義にしては叙情的な表現が過ぎるように思えます。冒頭文よりも概要がより適切という見解についてはXyzgataさんと同じ意見です。
また、議題への移動を考えた場合、#概要が項目の羅列となっている点が気になりました。文章にまとめることで、百科事典の記事としてより良いものになるのではないでしょうか。
例えば「16世紀より現在に至るまで、そのルールを変えないまま世界的にプレイされている伝統的なボードゲームである。多くの詩人に謳われている芸術であり[要出典]、IOCに認められた頭脳スポーツであり、世界で最も多くの人がプレイする娯楽ゲームでもある[要出典]。直接対峙しての対局だけではなく、郵便やインターネットを介した通信チェスなど様々な対局の形態が発展している他、二人零和有限確定完全情報ゲームとしてコンピュータによる解析が盛んに行われているなど、社会・科学の発展とも繋がりが深い[要出典]」とか。-ウロボース 2009年9月15日 (火) 10:21 (UTC)
  コメント合意を待たないで移動させたことは急ぎすぎました。すみません。
(1)主観的か否か
チェス連盟や書籍は、チェスの普及・本の販売という意図がある利害関係者だから、公平とはいえないでしょう。
仮に、サッカー連盟がサッカーを「世界最高のスポーツ」と言い、サッカー選手が「サッカーはもはや芸術だ」と言ったり、パチンコ協会や書籍が「パチンコは最高の娯楽で、最高のスポーツ」と広報していたとしても、それらをwikipediaの、サッカー、パチンコの冒頭文に取り上げるには、適切ではないでしょう。
意地の悪い見方をすれば、「チェスは、コンピュータが人間を上回ってしまい、ゲームとしては価値が半減した」なんて意見があるかもしれません。
冒頭文としては、賛否一方の意見を載せるよりは、例えば、「世界で一番競技人口が多いゲーム」であるとか、「将棋と同じくインドのチャトランガを起源とするゲーム」とかの客観的な事実を載せる方が公平で、読者にも有用だと思います。
また、wikipediaの囲碁・将棋・ブリッジ・ポーカーなどの冒頭文と比較しても、現状のチェスの冒頭文は公平性に欠けるような気がします。囲碁に比べてチェスの方が、スポーツ性や科学性が高いとも思えません。数学的な難易度は、囲碁>将棋>チェス ですし。
(2)英語版と日本語版の記事
当然、日本語版を英語版に一致させる必要はありません。英語圏の方がチェスになじみが深いから参考までにあげたのみです。
(3)合意を伴わない編集
概要の2番目に移動させたのは、情報としての価値や前後との流れから、2番目が適切かなと思ったからです。深い意味はありません。
ここまで書いて、失礼ながら、そんなにもめることなのかなーと言うのが正直な感想です。 --Xyzgata 2009年9月15日 (火) 10:43 (UTC)

Xyzgataさんが何と思われようと、あなたの出典なき感想、個人的主観には価値がありません。読者の利益を考えるのであればそれなりの権威ある著名人、著作からの引用の方が遥かに有用です。逆に言えば、あなたの個人的感想を披瀝するのは有害以外の何者でもありません。門外漢の方が確たる根拠無くここまで意見主張なさるというのはどういうことでしょう???首を傾げざるを得ません。--125.203.135.25 2009年9月15日 (火) 16:07 (UTC)

125.203.135.25さんは、Compatible Accessさんですか?
この場合、門外漢かどうかは、全く関係のない話だと思いますが
とにかく、少し冷静になられるべきでしょう。--Xyzgata 2009年9月15日 (火) 16:35 (UTC)
125.203.135.25氏は私ではありません。また、別に私は冷静さも失っていません。この部分については、こちらにコメントしました。--Compatible Access 2009年9月17日 (木) 21:31 (UTC)

冒頭文および「概要」について

差し戻しの報告

仕切り直しのため、項目を新設します。
本文を9月15日版に再度リバートさせて頂きました。その経緯と理由は次の通りです。
本稿の冒頭部分について、本年9月14日にXyzgataさんから修正提案がありました。それまでは議論を介さない個々の編集が行われていたのですが、この9月14日の時点から本稿チェスのコミュニティは合意に向けた作業のプロセスに移行したわけです。
しかしXyzgataさんは、提案した直後(当日)に記事を編集されました。現段階ではコミュニティの合意が得られたとはいえず、提案者のXyzgataさんであろうが誰であろうが本文を編集する事はできません。それで私は翌9月15日にこのノートで私自身の意見を述べ、本文を9月14日版にリバートを行いました。それと同時に、注意喚起のため本文に下記のテンプレートを貼り付けた次第です。

繰り返しになりますが、ノートでの議論を介さない限り本文を編集することは誰にも許されません。編集を強行してしまうと、無用な編集合戦に陥る可能性が高くなるからです。ところが9月15日から9月17日の間に、荒らし(ページの白紙化)などを含めて様々な編集が入ってしまいました。悪意はなかったのかもしれませんが、上記のテンプレートまで無くなってしまった点については少々驚いております。
そこで今回、本文を再度9月15日版にリバートする事に致しました。異議がある方は、必ず(本文を編集するのではなく)このノートに御意見をお書き下さい。今後も議論を無視して本文の編集が強行される場合は、本稿チェスの全保護を申請します(参照:Wikipedia:保護の方針)。また悪質な場合は、その投稿者自身のコメント依頼投稿ブロックを提出する可能性もあります。くれぐれも御注意下さい。--Compatible Access 2009年9月17日 (木) 21:31 (UTC)

内容についてのコメント

ここからは内容についてのコメントに移ります。
125.203.135.25氏は、私(Compatible Access)ではありません。IPを調査して頂ければ、すぐに判明すると思います。私はノートページでの議論で匿名を使用した事は一度もありませんし、また今後も使用する気はありません。
ただ、125.203.135.25氏の御意見には少なからず賛同しています。ウロボースさんやXyzgataさんがおっしゃりたい事は、大体わかりました。チェスの事だけでなく、ウィキペディアのルールや記事の執筆にもあまり慣れていない方々の御意見、というのが私の正直な感想です。各文章の矛盾点を一つ一つ指摘しようかとも思いましたが、あまりに長くなりそうなので今回はやめておきます。他の執筆者・閲覧者の方々もいらっしゃいますので、どうしてもお伝えしたい点だけコメントする事にしましょう。

(1)三大方針の理解と遵守
Wikipedia:中立的な観点」、「Wikipedia:検証可能性」、「Wikipedia:独自研究は載せない」には必ず目を通して下さい。これらの基本ルールを無視または軽視したコメントや御提案については、今後は対応しない事にします。
(2)多くの人の意見を聞く
まだ議論は始まったばかりなのです。過去ログを御覧になるとおわかり頂けますが、長期化する可能性も十分考えられます。できるだけ多くの方の御意見に耳を傾けて、結論を急がないようにお願いします。
(3)出典への理解
少し長くなりますが、日本チェス協会が出している文献から抜粋します。前回もお伝えしましたが、「スポーツ・芸術・科学」は日本チェス協会ではなく国際チェス連盟がその憲章で定めているチェスの定義です。これを「利害関係者」だとか「宣伝」だとか解釈する事は、言いがかり以外の何物でもありません。これを否定されたいのであれば、Xyzgataさん自身の個人的な御意見など書かないで下さい。そんな物より、チェスの定義としてこの憲章よりも適切だと考えられる出典を御提示願います。

『最新 図解チェス』  松本康司・監修 渡井美代子・著 日東書院 ISBN 4-528-00853-X
(※p22より抜粋。改行・句読点等を含め、以下すべて原文のまま。)


国際チェス連盟はその憲章の中でチェスを次のように規定しています。
 「チェスは最も古くから存在する知的で文化的なゲームの一つである。それはスポーツと科学的思考と芸術的要素の組み合わせである」。
 「その故、国際チェス連盟(および加盟する各国協会)の役目は上記の定義に従ったチェスの普及に務めることである。」
 国際チェス連盟は世界のチェスのルールや制度を制定し、諸タイトルを授与するただ一つの国際的組織です。ルールや制度を制定するに当たっては、絶えずそれがこの定義に矛盾しないよう厳重なチェックを行って、憲章に対し矛盾のないよう運営されています。
 だから、世界中のまじめにチェスを愛好する人にとっては、「チェスは芸術でも科学でもない、ただの勝負だ」という考えは、「チェスはただの暇つぶしの遊びだ」という考えと同様、まちがっています。

箇条書きの「概要」について

箇条書きについて御指摘があったので、それについて付記しておきます。誤解されている方もいらっしゃるようですが、過去に概要の各文章を書いたのは私ではありません。
私がはじめて本稿チェスの編集に着手したのは、この版([3])からでした。本稿の過去ログを開くとその詳細が御理解頂けると思いますが、当時はページの構成やらデザインやらで問題が噴出した状態でした。
特に項目「チェスのルール」がほとんど体を成していなかったため、私はそちらの方の改訂にかかりきりになりました。その作業の際に、冒頭にあった文章を新規項目「概要」に移動させた次第です。その理由については、こちらを参照して下さい。この冒頭文は当時から気になっていましたが、それ以上に他の項目や関連記事の問題があって余裕がありませんでした。その後「西洋将棋」など明らかに出典が疑わしい部分については除去が行われましたが、大部分は今後の課題となって保留されました。私としても、決して現状に満足していたわけではありません。箇条書きの形を取ったのも、後日整理しやすくするのが目的でした。執筆の目処がついたら、この部分の賛同者を募ろうと考えていたところでした。
そういった意味で、今回の一件は良い機会だと思っています。百科辞典の冒頭文や「概要」の項目は、記事の中核ともいえる部分です。その執筆にあたっては、より厳格でより慎重な作業が要求されています。
私は別に箇条書きなどには固執していませんし、「概要」の文章のボリューム等についても特にこだわりはありません。ただ、各執筆者が当て推量でチェスを定義する行為に対しては絶対に反対します。

一例をあげれば、「16世紀より現在に至るまで、そのルールを変えないまま世界的にプレイされている」なんてのは不適切です。最も基本的とされるキャスリングの方法さえも、1972年に国際チェス連盟は新しいルールを採用しました。また「チェスのルール」という表現を考えてみても、その解釈は人によって分かれるでしょう。棋譜対局時計などの決まりは、チェスのルールに含まれるのでしょうか?含まれないのでしょうか?検証を伴わない執筆は、こういった間違いや矛盾点が実に生じやすいのです。

またゲーム理論自体を疑っているわけではありませんが、これをチェスの定義として記載する事に私は少々疑問を感じています。いずれ修正案を御提示するつもりですが、まずは引き続き多くの方々の御意見を募集します。--Compatible Access 2009年9月17日 (木) 21:31 (UTC)

  コメント
私は(多分ウロボースさんも)、『国際チェス連盟が「チェスは最も古くから存在する知的で文化的なゲームの一つである。それはスポーツと科学的思考と芸術的要素の組み合わせである」と言っている。』という事実については否定していませんし、wikipediaの記事に載せることも否定していませんよ。 むしろ、チェスに関連する最大の団体の主張として、重要な情報であり記事に載せるべきだと思っています。 ただ、冒頭文に記述するよりは、概要に記述する方が適切な情報でしょう、と言っているだけです。
あと、概要にゲーム理論に関して記述することと、チェスの定義とは全く関係のない話しですよ。--Xyzgata 2009年9月17日 (木) 23:38 (UTC)
  コメント
今回のコメント依頼では「~芸術である」という表現を冒頭文に書くべきか、あるいは概要に書くべきかについての判断に端を発した「冒頭文はどうあるべきか」という議論だと読めましたので、内容の真偽には触れず「件の表現は冒頭よりも概容に書くべき内容」とコメントしました。
さらに現状の概容が、それぞれの重要性を考慮せずに併記した箇条書きという、チェスという大項目にしてはあんまりな書き方だったので、「素人目に読みづらい。こんな感じにまとめてくれないものか」と現状の羅列を編集して(足りないところは記事の本文から拾って)提案しました。これも「冒頭文のあり方」についてコメントを求められていたから、現状からの改善を提案しました。
なぜそこで「wikipediaへの理解が足りないコメント」という結論になるのでしょうか?
私の文章が稚拙なため、「表現の否定、記載の拒否」「この文を書いたcomplete accessさんへの苦情」とお読みになられてしまったのでしたらお詫びします。前述のような読み方で今一度、私の前回のコメントをお読みいただけないでしょうか。--ウロボース 2009年9月21日 (月) 16:24 (UTC)
  コメント適当な節が分からなかったので、こちらで導入部(冒頭部)と概要に関してコメントします。導入部と概要に関しては、ガイドラインならびにその草案があります。
Wikipedia:レイアウトの指針Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)Wikipedia:定義と記述です。また、Wikipedia:素晴らしい記事を書くには#冒頭の段落は明確で簡潔にという指針もあります。
導入部ですが、「ゲームであると同時に・・・」という文は、スタイルマニュアルで示す「簡潔な概要」とは言えないため、導入部からは削除し、必要であれば解説本文などの節に移動するべきと考えます。なぜならば、complete accessさんが引用された『最新 図解チェス』の終わりの文で、「ゲームであると同時に・・・」という文が「チェスを愛好する人にとっては」そうであると、中立的な観点ではなく、チェス愛好者に限定した見方である事を認めている為です。なお、『最新 図解チェス』の監修である松本 康司は元日本チェス協会会長で国際チェス連盟役員を歴任しており、この本は権威づけられた専門家による信頼できる情報源であると言えます。
概要の節は、読みやすければ箇条書きでも、それ以外のスタイルでも構わないと考えます。例えば、ある項目には文を割いて説明し、ある項目は一文でまとめる等すれば、箇条書きだからそれぞれの項目の重要性を考慮していない、という形にはならないと思います-- 2009年9月22日 (火) 04:42 (UTC) 下線部を追記。-- 2009年9月22日 (火) 23:52 (UTC)
Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)を参照しますと、第一文には記事の主題の定義を記し、続いて記事の簡潔な概要を記します。となっております。現状、第一文はチェスの簡単な定義、続く第二文は簡単にチェスの文化的側面をあらわしていて全く問題ないと考えます。これが第一文のみとなりますと簡潔な概要が省かれた形となり却ってスタイルマニュアルに反するのではないでしょうか。チェスはボードゲームであるのみならず西洋社会における一つの格式ある文化にまで高められていることを端的に著しているのが第二文ではないでしょうか。--219.165.240.105 2009年9月22日 (火) 09:07 (UTC)
現在、議論参加者よりコメントを集めている段階ですので、参加者のコメントに異議を唱えるのではなく、ご自身で思うところをコメントの形で意思表示して下さい。また記述レベルを合わせて意思表示するため、Compatible Accessさんもコメントをお書きになってもよろしいかと思います。
なお、Wikipedia:説明責任#ログインの勧めにもある通り、今後の議論に関しては、ログインした上でご参加いただけないでしょうか。現在議論中の内容は、雑草取りレベルではありませんので、継続した議論ができるアカウントの状態でご参加いただく方が望ましいです。-- 2009年9月22日 (火) 10:27 (UTC)
異議に留まらず私の思うところを書いたつもりですが、繰り返しますと現状の第二文はチェスの文化的側面の定義とも取れるもので導入部へ記述するに全く問題ないものである、更にWikipedia:スタイルマニュアル (導入部)にも準拠したものでルール的にも問題ないものであり、むしろ記述があった方がルールに良く適合し、好ましいものであると明確に意見表明させていただきます。--Arstriker 2009年9月22日 (火) 12:20 (UTC)
ログインしての議論ご参加、ありがとうございます。
インデントして私のコメントの下にぶら下がっていると、どうしても私のコメントに対する異議・反論になってしまいます(文脈的に)。そのため、Xyzgataさん、ウロボースさん、私のコメントと同じインデントで  コメントを表明していただくと、Arstrikerさんが意見表明している事が分かりやすいと思い、先のように述べさせていただきました。-- 2009年9月22日 (火) 15:50 (UTC)
  コメント参考までに、yahoo百科事典のチェス[4]
2人で行う盤上競技の一種。西洋将棋ともいう。古代インドに発祥したチャチュランガがヨーロッパに伝えられ、徐々に変形し、15世紀に現行国際ルールが確立された。チェスの語源はペルシア語のシャー(王の意)。(以下略)--Xyzgata 2009年9月22日 (火) 13:13 (UTC)
  コメント上にも書いたのですが、だいぶ離れてしまったので再度書いておきます。
導入部に概要的な第二文を書くなら、「~芸術である」というチェス連盟などの主張を記載するよりは、「古代インドのチャトランガが起源」や「チェスの語源」や「世界一競技人口が多いゲーム」など、より客観性の強い事象を記載した方が、適切だと思います。--Xyzgata 2009年9月22日 (火) 13:41 (UTC)
  コメントWikipediaでは、「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」が執筆の基準となります。これは個々人の感性、主観ではなく、広く信頼されている発行元から公開されている情報に依拠して執筆してください、ということです。国際チェス連盟はCompatible Accessさんが引用されているように、世界で唯一のチェスルールの制定、タイトルの授与を行う組織であり、世界158ヶ国が加盟している組織です。その憲章にチェスの何たるかが「チェスは最も古くから存在する知的で文化的なゲームの一つである。それはスポーツと科学的思考と芸術的要素の組み合わせである」というように端的に規定されているのですから、これ以上、導入部に相応しい文言もないと思います。正直、私見としては、何故スポーツなのか、何故芸術なのか、とも思いますが、チェスに造詣の深い運営者やプレイヤーから観たチェスの文化的側面、歴史をも包含した含蓄のある言葉なのでしょうから尊重する他ありません。ただ、評価ある他の刊行物や媒体などでこの規定文は間違っている、もっと信用できる媒体ではこう書いてある、などの出典があるのであればそちらの出典も検討する必要があるかと思います。--Arstriker 2009年9月22日 (火) 21:13 (UTC)
  コメントさまざまなコメントありがとうございました。私事で大変申し訳ないのですが、現在自宅のパソコンが原因不明の通信障害を起こしております。復旧次第あらためて御回答致しますので、私のコメントはもうしばらくお待ち下さい。ご迷惑をお掛けします。--Compatible Access 2009年9月23日 (水) 07:09 (UTC)

検証可能性の再確認

大変失礼致しました。おかげ様でなんとか復旧しましたので、早速私もコメントしたいと思います。
本稿の冒頭部分や概要をより相応しい物にするため、私は御意見をお聞かせ下さいと申し上げました。9月15日辺りで多少誤解があったようですが、私はチェスに詳しくない方々の御意見を受け付けないわけではありません。百科事典は様々な立場の人が閲覧する物なので、むしろチェスの事を全然知らない方の御意見も大いに参考にしたいと考えております。
ただ百科事典の記事に、個人の主観的な定義を掲載するわけにはいきません。例えばXyzgataさんは9月22日に、こうコメントされていました。
「古代インドのチャトランが起源」や「チェスの語源」や「世界一競技人口が多いゲーム」など、より客観性の強い事象を記載した方が、適切だと思います。
私はこれが完全に間違っているとは思っていません。ですが、「より客観性の強い」とか「...の方が適切だと思います」なども一種の主観なのです。実際、そう思わない方だっているのではないでしょうか。Arstrikerさんも指摘されていますが、Wikipediaでは「真実かどうか」ではなく「検証可能かどうか」が執筆の基準となります。例えば次のようなコメントであれば、(虚偽の出典でない限り)検証可能性の問題はクリアできていたと思います。
「古代インドのチャトランガが起源」や「チェスの語源」や「世界一競技人口が多いゲーム」などを、チェスの定義としている文献があります。『×××××』(△△著・○○出版)のp123で、こちらの定義の方が適切だと思います。

もう一つ、別の例をあげておきましょう。本稿チェスとは直接関係ありませんが、現在「対局時計」の方でも定義が問題になっています。審議が停滞している要因は、ある投稿者が適切な出典を提示しないにも関わらず自説を主張し続けている事です。客観的なデータを伴わない定義の編集は、結局無益な編集合戦しか生み出しません。そろそろ対局時計の方もなんとかしたいと考えているのですが、余力がある方はぜひこちらの方の審議にも御参加下さい。公正なコメントをお寄せ頂ければ幸甚です。--Compatible Access 2009年9月26日 (土) 10:48 (UTC)

修正案(1)

9月22日にArstrikerさんから、次の御意見を頂きました。
その憲章にチェスの何たるかが「チェスは最も古くから存在する知的で文化的なゲームの一つである。それはスポーツと科学的思考と芸術的要素の組み合わせである」というように端的に規定されているのですから、これ以上、導入部に相応しい文言もないと思います。
御賛同頂いて恐縮なのですが、私としても「スポーツ・芸術・科学」が絶対に冒頭に記載されていなければならないとまでは感じていません。どちらかと言えばあった方が良いかな、と思っただけです。この部分に関しては、Xyzgataさんやウロボースさんの御意見を尊重したいと思います。
それよりも、「チェスの定義部分にルールや歴史についての簡単な解説を記載すべき」というコメントが気になりました。本稿チェスには、「チェスのルール(概略)」と「チェスの歴史(概略)」という項目がすぐ下に存在します。本稿はタダでさえ情報量が多いので、極力重複する情報は避けた方が良いのではと私は考えております。

修正案(1) (2009年9月26日)
【冒頭文】
チェスChess)は、2人で行うボードゲームの一種である。先手・後手それぞれ6種類16個の駒を使って、敵のキングを追いつめるゲームを指す。
【概要】
1.国際チェス連盟の定義
国際チェス連盟は、その憲章の中でチェスを次のように規定している。
「チェスは最も古くから存在する知的で文化的なゲームの一つである。それはスポーツと科学的思考と芸術的要素の組み合わせである。」
2.一般的なチェスの定義

  • 欧米圏のみならず、全世界150か国以上で楽しまれている。
  • 非常に古い歴史を持つが、インターネット対局などを含め現在でも盛んである。
  • カードゲームなども含めたゲーム全般においても、ブリッジと並んで最も多くプレイされている。[要出典]
  • 競技としてのチェスは、頭脳によるスポーツの代表格でもある。[要出典]
  • 遊戯としての側面のほかに、ARISF加盟IOC承認スポーツであるなど、スポーツとしての側面も持つ。
  • ゲーム理論では、二人零和有限確定完全情報ゲームに分類される。
    (※本稿「チェス」の定義からは除去。掲載希望者は適切な出典を添えた上で、「コンピュータとチェス」あたりに項目を新設。本稿の英語版の記事も参照のこと。)

この修正案(1)は、現段階ではあくまで「たたき台」だと思って下さい。「一般的なチェスの定義」については、箇条書きではなく通常の連文形式も検討しています。しかし、まずは情報源の確認を最優先にすべきでしょう。適切な出典情報を御存知の方は、ぜひ教えて下さい。またこれ以外の、「一般的なチェスの定義」として記載すべき情報があればお聞かせ下さい。もちろん出典元の情報もお願いします。--Compatible Access 2009年9月26日 (土) 10:48 (UTC)

  コメント修正案(1)を読んで感じたことは、
  • 冒頭文には、『西洋将棋とも呼ばれる。』を追加するべき。
  • 『概要』に書かれている内容は『定義』ではない。『国際チェス連盟の定義』、『一般的なチェスの定義』のタイトルもおかしい。
  • 『二人零和有限確定完全情報ゲーム』に関する記述を削除しない方が良い。
  • 『将棋と同じく古代インドのチャトランガが起源』など、歴史の概要も記載するべき。
  • 『97年にチェス専用マシン「ディープ・ブルー」が世界チャンピオンのガルリ・カスパロフを破って話題となった。』[5]などを記載するべき。(チェスに関連した、人類の科学技術上のエポック的な出来事だから)
と書きましたが、ここで個人的な考えを主張するより百科事典などの記載内容を集め公約数的な概要にするのが良いかもしれません。--Xyzgata 2009年10月3日 (土) 09:04 (UTC)

修正案(2)

  コメント御意見ありがとうございました。個人的な主張より、客観的なデータを重視するというお考えには賛同します。以下、今回の私のコメントです。
  • Yahoo百科事典[6]
この記事の執筆者である東公平氏は、過去に何冊かチェスの書籍を出版した方ですね。長年将棋の観戦記者として活躍された方で、その文章にも確かに信憑性はあると思います。しかしXyzgataさんはこれまでの議論で、このYahoo百科事典しか出典として提示されていません。記事内容が間違っているとまでは申し上げませんが、これを盲信してそのままウィキペディアに反映(あるいは転載)するのは危険だと思います。
例えばこのサイト内では、「枡」や「入城」といった用語が使用されています。しかし日本チェス協会では、それぞれ「マス」 「キャスリング」と定義しています(日本チェス規約・PDF文書)。「枡」や「入城」といった用語は、公式の規約でも各種出版物でもまったく使用されていません。また「千日手」なども本来は将棋用語であり、将棋とチェスではルールが微妙に異なっています(チェスにおける千日手)。
もちろん私も、何でもかんでも日本チェス協会に従わなければならないとは思っていません。ただ基本的な用語に関しては、やはり日本唯一の公式組織のルールに準拠すべきだと思います。ウィキペディアの他のチェスの記事の用語も、そのほとんどは日本チェス協会のルールを尊重し、それに準拠しています。
  • 『西洋将棋』
前項でコメントした事と、少し重複します。日本チェス協会では、公式サイト・各種出版物ともに『西洋将棋』という用語を一切使用していません。いえ、この用語「西洋将棋」に関しては、日本チェス協会関連の書籍だけではないのです。(初版が30年以上前の書籍はともかく)最近出版されたチェス関連の書籍で、この用語を使用している文献は皆無だったと思います。もし一冊でも用例を御存知でしたら、ぜひ教えて下さい。
確かに以前(今から30〜40年ほど前まで)は、チェスの知名度は現在より遥かに低かったそうです。そのため「西洋将棋」という用語が、一部の古い辞書や西洋文学の作品等に記載されました。しかしチェス将棋は共通点も多いとはいえ、基本的には異なるゲームです。昨今出版されている書籍が「チェス」でほぼ統一されている理由は、その辺りに事情があるのではないでしょうか。
「以前は日本では西洋将棋と呼ばれていた。」こういった過去形の文章の記載についても、私は反対します。「以前」とは具体的にいつ頃なのか?一体誰がそう呼んでいたのか?その特定は、間違いなく困難を極めるでしょう。
  • 『概要』に書かれている内容は『定義』ではない。
なるほど、おっしゃる通りかもしれません。下記の通り、修正案(2)を考えてみました。
(※「古くから存在」「古い歴史」などの表現が重複しているので、該当部分の消去を今回提案します。)
(※※『二人零和有限確定完全情報ゲーム』の部分については、次項でコメントしました。)
修正案(2) (2009年10月5日)
【冒頭文】
チェスChess)は、2人で行うボードゲームの一種である。先手・後手それぞれ6種類16個の駒を使って、敵のキングを追いつめるゲームを指す。
【概要】
  • 「チェスは最も古くから存在する知的で文化的なゲームの一つである。それはスポーツと科学的思考と芸術的要素の組み合わせである。」(国際チェス連盟の憲章より)
  • 欧米圏のみならず、全世界150か国以上で楽しまれている。
  • 非常に古い歴史を持つが、インターネット対局などを含め現在でも盛んである。
  • 遊戯としての側面のほかに、ARISF加盟IOC承認スポーツであるなど、スポーツとしての側面も持つ。
  • カードゲームなども含めたゲーム全般においても、ブリッジと並んで最も多くプレイされている。[要出典]
  • 競技としてのチェスは、頭脳によるスポーツの代表格でもある。[要出典]


この「ゲーム理論」に関しては、私自身は特筆性が低いと感じています。少なくとも本稿の中心部分とも呼ぶべき「概要」の項目に、あえて記載すべき内容ではないと思います。なぜなら、この理論は数学の一分野だからです。「チェスとは何か」を解説している文献で、このゲーム理論が引用されている例を私は一度も見た事がありません。
Xyzgataさんと、Xyzgata さん以外で記載を希望されている方々に、改めてお願いします。この『二人零和有限確定完全情報ゲーム』を、チェスの概要として紹介している文献を御提示下さい。私は「ゲーム理論」の存在そのものを疑っているわけではないのです。適切な出典が存在するのであれば、私は本稿への記載に反対しません。
  • 『将棋と同じく古代インドのチャトランガが起源』
前回書いたコメントの繰り返しになりますが、本稿には「チェスの歴史(概略)」という項目が存在します。その一行目に、こう明記されています。「チェスの起源は紀元前、古代インドのチャトランガだと言われている。」この項目がなければ確かに必要かもしれませんが、現状では重複した解説は避けるべきでしょう。なお「チェスの歴史(概略)」とは別に、「チェスの歴史」という独立した記事も存在します。
「将棋と同じく」といった表現も、やや日本中心的な観点かもしれません(WP:NPOV)。本稿チェスの閲覧者の全員が、共通して将棋の知識を持っているわけではないと思います。
細かい点になりますが、もう一つだけ。「Yahoo百科事典」の記事では、「チャチュランガchaturangaがヨーロッパに伝えられ、徐々に変形し、15世紀に現行国際ルールが確立された」と断定されていました。確かにチャトランガはチェスや将棋のルーツだとされていますが、(いかに有力とはいえ)あくまでこれは推測通説です。学術的に確固たる証拠が、インドやその周辺国で発見されたわけではありません。現に「チェスの発祥国はイラン」と主張している人々もいるそうです(日本チェス協会の公開質問室[7] Q.質問50)。だから本稿の「チェスの歴史(概略)」の一行目は、「チェスの起源は紀元前、古代インドのチャトランガだと言われている。」となっています。
  • 『ディープ・ブルー』
不要でしょう。本稿には「コンピュータとチェス」という項目があり、『ディープ・ブルー』の一件はそちらに顔写真付きで記載されています。確かに当時話題にはなっていましたが、百科事典の「概要」に重複して記載しなければならないほどの事ではないと思います。ちなみにウィキペディアのチェスの英語版とフランス語版では、記事の冒頭で取り上げられていました。しかしドイツ語版・スペイン語版・ロシア語版では、冒頭部分から外されています。
前回Xyzgataさんから頂いたコメントには、「人類の科学技術上のエポック的な出来事」という耳慣れない用語が使用されていました。この用語をXyzgataさんがどちらで御覧になったのか、ぜひ情報源を御提示願います。
この問題については、今回もう少しだけ言わせて下さい。『ディープ・ブルー』の一件をもってして、「チェスはゲームとして終わった」だとか「だからチェスなんかより、囲碁や将棋の方が優れている」といった主張をたまに耳にします。これはチェスの事をほとんど何も知らない一部の日本人の偏見であり、私は正直ウンザリしています。
『ディープ・ブルー』がガルリ・カスパロフを打ち負かすことだけを目標にプログラムされた事を、皆さんは御存知ないのでしょうか?『ディープ・ブルー』が世界選手権に出場すれば、簡単に優勝できるとでも思っているのでしょうか?長くなるのでこれ以上の言及は避けますが、最後に日本チェス協会の公開質問室[8]のQ.質問7を紹介しておきます。
  • 今回のまとめ
重要な点なので、あえて繰り返します。Xyzgataさんはこれまでの議論において、出典として「Yahoo百科事典」しか提示されていません。この記事を参考にする事に対して、私は異を唱えているわけではないのです。これだけを絶対の情報とみなし、内容をそのままウィキペディアに転載する事が危険だと申し上げているのです。
同様にウィキペディアの他の記事の情報についても、参考にはなりますが「信頼できる情報源」にはなりません。本当に本稿を改善されたいのであれば、「冒頭文」や「概要」に相応しいと思われる適切な出典の調査に御協力下さい。チェス関連の文献以外にも、例えば国際チェス連盟やUFCF(米国チェス連盟)などのサイトの調査だって可能だと思います。
もちろんこの事は、Xyzgataさん以外の方々にもお願いします。私の方も日々の仕事に追われているのですが、その合間をぬって現在さまざまな文献を調査しています。--Compatible Access 2009年10月4日 (日) 21:15 (UTC) 
一箇所だけ修正しました。(『チャトランガが起源』 「推測」→「通説」)--Compatible Access 2009年10月9日 (金) 18:01 (UTC)
  • 議論の進め方について
Compatible Accessさんは、概要に出典のない文を残しながら、一方で他者の提案を出典が明確でないことを理由に却下しています。これは、Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない#ルールの悪用に該当するおそれがあります。一旦意見を集約してその後削っていくなど、もうすこし公正で冷静な議論の進め方をお願いします。
  • 国際チェス連盟・日本チェス協会について
wikipediaの『チェス』の記事は、日本チェス協会や国際チェス連盟が主催・管理・主張するチェスのみを説明しているのではありません。子供から老人まで、初心者からチャンピオンまで、古代から現代まで、さまざまチェスを包括的に説明しているはずです。国際チェス連盟はチェスにとって最も重要な団体の一つですが、同時にチェスにとっては一部でしかありません。国際チェス連盟・日本チェス協会関連の書籍・主張を根拠に、それに反対する主張を排除する行為は、Wikipedia:中立的な観点に反します。両論ある場合は両論併記がwikipediaのルールです。
  • 概要文の基本的考え方
Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#概要文には、『概要は記事全体の簡略版であると考えられ』とあります。
つまり、『ディープ・ブルーの件は「コンピュータとチェス」に記載されているから概要に記載する必要はない。』というのは理由にはなりません。あくまで概要に記載する特筆性があるのかが論点になります。
個人的には、世界的なニュースになった事項であり、概要に記載されるだけの特筆性があると思います。『チャトランガ起源』も含め、他の方の意見を待ちたいと思います。
  • 『西洋将棋とも呼ばれる』
広辞苑、大辞泉大辞林にも西洋将棋と書かれています。なお、『日本チェス協会関連の出版物では西洋将棋という言葉が使われていない』は、『西洋将棋とも呼ばれる』を否定する根拠にはなりません。--Xyzgata 2009年10月5日 (月) 05:10 (UTC)
議論を一読したところ、チェスが二人零和有限確定完全情報ゲームに分類されるとしている文献の有無について揉めている様子でしたので、手元の書籍を出典として追加しておきました。手元の書籍では「完全情報・有限・2人・ゼロ和ゲーム」となっていますが、これは「二人零和有限確定完全情報ゲーム」とは多少語順が違うだけの同じ意味です。
ゲームの理論家の眼から見れば、チェス・ゲームの例には四つの本質的要素がある。(1)二人のプレイヤーが存在する。(2)彼らはゲームの結果に対して相反する利害を有する。(3)ゲームは有限である。(4)不意打ちはない。すなわち、ゲームのあらゆる時点で両プレイヤーは完全な情報を持っている。これら四つの特性を持つゲームは「完全情報・有限・2人・ゼロ和ゲーム」といわれる。 — モートン・D・デービス(桐谷維、森克美訳)、『ゲームの理論入門 チェスから核戦略まで』講談社、31-32頁頁。 
ゲーム理論はコンピュータや原子爆弾の開発といった様々な分野に影響を与えた著名な学者ジョン・フォン・ノイマンによって提唱され、ゲームのみならず(ゲームよりは)経済学などに応用されている学問であり、特筆性のないものとは感じません。むしろ、別にチェスに人生を捧げている愛好家ではない、普通の人に向けた記事としては、自身がその道に入れ込んでいる専門家の言葉を借りてスポーツだ芸術だと抽象的な説明をするよりも、「敵味方の状況が完全な形で互いの相手に開示されており、限られた手の内で、全か無かの真剣勝負二人で競うゲームである」と説明した方が具体的で、中立的かつ客観的ではないかと感じます。もちろん「チェスの愛好家にとってはスポーツであり芸術であるとも言わていれる」という趣旨の説明を付け加えることに自体には反対しませんが、私には「CLANNADは人生」と同程度の抽象的な説明に思え(例え私の内心ではそれが明確な真実と同等であっても、他者に説明する言葉としては不適切でしょう)、定義文としては不適当に感じます。--Kanohara 2009年10月6日 (火) 07:42 (UTC)
「スポーツ」という定義について少し追記します。ウィキペディア上のスポーツの記事には、日本におけるスポーツと英語のsportsにはニュアンスの違いがあり、チェスは英語ではスポーツの一種と定義されるが日本では違和感のある表現である、という趣旨の説明があります。この説明文には出典が示されていませんが、少なくとも日本語における定義に限っては、この程度のことは分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説であり、仮に出典の提示が必要としても頭脳スポーツ理事長の挨拶文一行目を出典として検証が可能だと思います。まあいずれにせよ、多くの日本語の国語辞典では「スポーツ」は身体運動であると定義されており(大辞泉大辞林)、ウィキペディア日本語版の記事の一行目に記載する表現としては、あまり適切な日本語表現ではないように感じます。「英語圏では、チェスのような頭脳競技もスポーツの一種に分類される」という出典が示されるのであれば、その文化背景に言及する但し書きをつけた上で付け加えることは有意義だと考えます。ですが、やはり最初の段落の説明に持ってくるには読者に誤解を与える、あるいは間違った記事を開いてしまったのではないかという不安を与える可能性がある、日本語の語彙にない表現を使った説明であり、適当ではないと考えます。--Kanohara 2009年10月7日 (水) 08:19 (UTC) ニュアンスが逆の意味に捉えられてしまう可能性がある一文を修正しました--Kanohara 2009年10月7日 (水) 17:17 (UTC)

修正案(3)

修正案(2)の概要だと、実質、『多くの人がチェスを楽しんでいる』、『チェスは、スポーツであり、芸術である』 のふたつの情報だけなので、もうちょっと情報を追加すべきでしょう。

修正案(3) (2009年10月8日)
【冒頭文】
チェスChess)は、2人で行うボードゲームの一種である。
先手・後手それぞれ6種類16個の駒を使って、敵のキングを追いつめるゲームを指す。
チェスの語源はペルシア語の「シャー」(王)。
西洋将棋とも呼ばれる。
【概要】
  1. 将棋やシャンチー(中国将棋)などと同じく、古代インドのチャトランガが起源と言われている。
  2. 15世紀には、ほぼ現状のルールが確立された。
  3. 欧米圏のみならず、全世界150か国以上で楽しまれている。
  4. カードゲームなども含めたゲーム全般においても、ブリッジと並んで最も多くプレイされている。[要出典]
  5. インターネット対局などを含め現在でも盛んである。
  6. かつては、旧ソ連圏・東欧のレベルが圧倒的であったが、近年、西欧・北南米のレベルも高い。
  7. 「チェスは最も古くから存在する知的で文化的なゲームの一つである。それはスポーツと科学的思考と芸術的要素の組み合わせである。」(国際チェス連盟の憲章より)
  8. 遊戯としての側面のほかに、ARISF加盟IOC承認スポーツであるなど、スポーツとしての側面も持つ。
  9. 競技としてのチェスは、頭脳によるスポーツの代表格でもある。[要出典]
  10. ゲーム理論では、二人零和有限確定完全情報ゲームに分類される。
  11. 97年にチェス専用マシン「ディープ・ブルー」が世界チャンピオンのガルリ・カスパロフを破って話題となった。


概要に載せる情報の募集 ⇒ 情報の取捨選択 ⇒ 箇条書きを文章化
で進めるのがいいんじゃないですか?
なお、上記概要のうち、(5)は殆ど意味のない情報、(7)(8)(9)は重複した情報ですね。--Xyzgata 2009年10月7日 (水) 16:05 (UTC)
  賛成 冒頭文に情報の追加が必要であることについては賛成です。なおチェスが頭脳によるスポーツの「代表格」なのか否かは不明ですが、「頭脳によるスポーツの一種である」ことについては、日本頭脳スポーツ協会の公式サイトの記述[9][10]を出典として示せると考えます。日本頭脳スポーツ協会は頭脳スポーツのことを「Brain Sports」と称していますが、これはまあマインドスポーツの同意語と見なして問題ないと考えます。ただし「頭脳スポーツ」ないし「マインドスポーツ」なる概念がどの程度浸透しており、それを掲げる「日本頭脳スポーツ協会」なる団体がどの程度の権威として見なされているのかは、不勉強な私には分かりかねます。
(7)(8)(9)は一続きの情報としてまとめた方がよい気がしますが、前述のように(少なくとも)日本語においてはボードゲームをスポーツと定義する文化は浸透していない現状、「頭脳スポーツ」なる概念ないしボードゲームをスポーツと定義する文化圏への簡単な言及がなければ、定義としては片手落ちだと考えます。もっとも説明は、
「日本においては頭脳競技をスポーツと称するのは馴染みのない表現だが[11]、欧米ではチェスのような頭脳競技もスポーツの一種として広く認識されており[要出典]頭脳スポーツの一種に分類されている[12]。詳細はスポーツ#日本における「スポーツ」を参照。」
のような説明でも十分かも知れません。
(5)は(3)と統合して「現在でも欧米圏のみならず、全世界150か国以上で楽しまれており、インターネット対局なども盛んである。」のように纏めた方がよいように思えます。--Kanohara 2009年10月7日 (水) 17:17 (UTC)
  コメントこれまで何度も何度も申し上げましたが、私は出典に基かない個々の執筆者の主観による編集に反対します。出典が存在するのであれば反対しません。それは現在議論されている、「概要」においても同様だと考えております。
なるほど。確かに「西洋将棋」「ゲーム理論」「ディープ・ブルー」には、それぞれ個別の文献は存在します。しかし「チェス」の定義やアウトラインについて書かれた文献で、これらの用語が登場するのでしょうか?
「チェス」というゲームは、非常に広く大きな世界を有しています。それは個々の執筆者が勝手な裁量で、簡単に「定義」や「概要」を決められるものではありません。「皆で話し合って概要を決める」といっても、誰がどう話したって意見は別れるでしょう。また仮にまとまったとしても、結局「特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成」を行う事になりかねません。
ここで具体例をあげます。修正案(3)の「概要」の追加条項として、ある執筆者が次の(12)〜(20)を提案しました。全て本稿から抜粋したもので、それぞれきちんとした出典も存在します。一体どれを選択して、どれを割愛すべきなのでしょうか?
(12)チェスをプレイするには、駒とチェスボードが必要になる。
(13)チェスでは白が先手、黒が後手となる。
(14)チェスの戦い方には、「戦略」と「戦術」がある。
(15)チェスの局面は、「序盤」「中盤」「終盤」に分けられる。
(16)チェスの研究は盛んにおこなわれていて、特に「序盤戦」にはさまざまな定跡がある。
(17)チェスには「グランドマスター」「国際マスター」など、さまざまな称号がある。
(18)郵便や通信サーバを利用した、「通信チェス」も盛んに行われている。
(19)統一世界チャンピオンとなったクラムニクとディープ・フリッツとの6ゲームマッチが、2006年ボンで行なわれた。この時はディープ・フリッツが2勝4引き分けでマッチに勝った。
(20)チェスは文学・絵画・音楽・映画などでも数多く扱われている。
<要出典>
(A)西洋将棋
これに関しては前回も触れましたので、今回はシャンチーの例をあげておきます。以前シャンチーのノートページでも、その呼称をめぐって「シャンチー」「象棋」「中国将棋」等が議論されました。
この時の「中国将棋」側の主張は、一言でいうと「日本チャンチー協会の定義だけが正しいのではない」というものでした。10月5日のXyzgataさんの、次のコメントによく似ています。「国際チェス連盟・日本チェス協会関連の書籍・主張を根拠に、それに反対する主張を排除する行為は、Wikipedia:中立的な観点に反します。」また、いくつかの辞書に「中国将棋」が記載されている点を論拠としていることも、本稿の「西洋将棋」と共通しています。
このシャンチーでは編集合戦まで行われて、一時期本文が全保護されました。その議論も膨大な量に及んでいるため、詳細については過去ログを御覧下さい。しかし結局「日本チャンチー協会」のルールが認められて、現在「中国将棋」の表現は「冒頭文」や「概要」からは除去されています
どうしても本稿に「西洋将棋」を記載するのであれば、まず先に「日本におけるチェスの歴史」といった項目を新設すべきでしょう。そして「一部の辞書や西洋文学の作品(翻訳)には、チェスを西洋将棋と呼んでいる例もある。」程度の解説で十分だと思います。
(B) 15世紀には、ほぼ現状のルールが確立された。
チェスの入門者・初心者にとって、誤解を招きかねない表現です。「現状のルール」や、「確立された」の意味を教えて下さい。以下、参考情報です。(最新図解チェス p24 渡井美代子 日東書院 ISBN 4-528-00853-X
『1929年、FIDEはチェスの統一ルールを制定しました。それまでは、チェスのルールは国や地方で少しずつ違っていたために、競技会を開催するに当たっては、その都度、主催者が参加者にそのとき採用するルールを説明することにたいへんな労力を割きました。今「チェスのルールは世界共通」と一口にいわれますが、それは天地自然のものではなく、FIDEメンバーの共同作業によって築かれた人口のものなのです。』
(C)「かつては、旧ソ連圏・東欧のレベルが圧倒的であったが、近年、西欧・北南米のレベルも高い。」
「かつて」というのは、いつ頃なのでしょうか?「レベル」についても詳細が知りたいので、出典情報をお願いします。
<「チェスの概要」としての要出典>
前述の(12)〜(20)と少し重なります。Kanoharaさんは誤解されているようですが、次の(D) (E)についての個々の出典は必要ありません。そうではなく、「チェスとは何か」「チェスの概要」といった解説で次の(D) (E)が引用されている情報源を御提示下さい。
(D)「ゲーム理論では、二人零和有限確定完全情報ゲームに分類される。」
(E)「97年にチェス専用マシン「ディープ・ブルー」が世界チャンピオンのガルリ・カスパロフを破って話題となった。」
そういった情報源を提示する必要はないという事であれば、前述の(12)〜(20)は全て記載の対象になります。おそらく本稿の「概要」は膨れ上がるでしょう。
--Compatible Access 2009年10月9日 (金) 18:01 (UTC)
  コメント
個別の文の是非より、Compatible Accessさんが、冒頭文・概要に記載すべきと考える情報があれば追加してください。記載する情報の取捨選択は、その後にやりましょう。
なお、英語版のwikipediaを見ると、修正案3の内容がそんなに突飛であるとも思えませんが。。。
【参考】英語版wikipediaのチェスの冒頭文
チェスは、2人のプレーヤーの間でされるボードゲームです。ゲームの現在の形は、インドの起源の類似した、非常に以前のゲームから進化した後に、15世紀の後半の間、南ヨーロッパで出てきました。今日、手紙で、そして、トーナメントで、オンラインで、チェスはクラブの世界で最も人気があるゲーム(自宅で世界中で何百万人もされる)のうちの1つです。
ゲームはチェス盤の上でされます。そして、それは64の広場を8による8つのグリッドに配置する正方形を格子縞模様にされた板です。初めは、各々のプレーヤー(白い部分(黒い部分をコントロールしている他)をコントロールしている1つ)は、16の部分をコントロールします:1人の王、1人の女王、2つのルーク、2人の騎士、2人の司教と8つの駒。ゲームの対象は、王が即時の攻撃(「チェック」において)中でいる、そして、次の動きへの攻撃からそれを取り除く方法がないそれによって敵の王を行き詰まらせることです。
組織化された競争チェスの伝統は、16世紀に始まりました。チェスは、今日、国際オリンピック委員会の認められたスポーツです。最初の公式World Chess Champion(ウィルヘルムスタイニッツ)は、1886年に彼のタイトルを勝ちとりました;現在のWorld Championは、ヴィスワナタンアナンドです。理論家は、ゲームの初めから広範囲なチェス戦略と戦術を開発しました。芸術の面は、チェス構成で見つかります。
初期のコンピューターサイエンスの専門家のゴールのうちの1つは、チェスをしている機械を作製することになっていました。今日のチェスは、チェスプログラムの能力とオンライン遊びの機会によってひどく影響されます。それがギャリーカスパロフを破ったとき、1997年に、ディープブルーは試合で現在のWorld Championを打つ最初のコンピュータになりました。

--Xyzgata 2009年10月9日 (金) 20:01 (UTC)

  コメントウィキペディアが真実よりも検証可能性を重視し、一次情報源よりも二次情報源を重視するのは、当事者よりも第三者による中立的な観点を求めている姿勢の表れであると解釈しています。私は「国際チェス連盟」なる団体は、この記事における主題の当事者でもあり、その主張は「Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源」のルールに従って記述すべきものだと考えますし、Compatible Accessさんも加筆に参加している「棋譜#棋譜と著作権」によれば、囲碁や将棋の棋譜著作物と見なせるか否かについては論争があるそうですから、チェスを芸術であると定義することは、この論争における一方の主張に加担する結果になる可能性もあります。チェスを芸術であると定義するなら、チェスの棋譜が慣習上パブリックドメインとなっている点や「棋譜#棋譜と著作権」にあるような論争についても併記する必要があると考えますし、そのような厳密な定義や解釈を必要としない比喩表現であると解釈するなら、定義文としては不適当に思えます。
Wikipedia:信頼できる情報源#自己公表された情報源」のガイドラインでは、過度に自己を美化するような表現の自粛や、第三者による検証を求めています。この検証に必要な出典は「チェスの定義やアウトラインについて書かれた文献」ではなく、チェスとは異なる分野の権威による「芸術でありスポーツであり科学である」ことを客観的に保障する出典であると考えます。それに、いくら検証が可能な真実であっても「分かり易い定義」と言いがたいものは、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)が求める「その記事で何が取り扱われているのかを、読者に対して明確にする」「記事の扱う主題についてまったく知識の無い読者であっても理解できるよう、また続く詳細項目へ興味を持てるように書く」といったガイドラインに反すると考えますが、世界チェス協会の定義はあまり「チェスのことを全く知らない読者にも分かり易い、うまい定義」とは感じられません。もちろん、チェスに関する一つの主張として、他の主張と同等に扱う限り、そのような主張を掲載すること自体には賛成です。
また、「西洋将棋」という異名についてですが、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)では、よく知られている別名は導入部に書くことを求めており、チェスの権威がその異称を認めているか認めていないかに関わらず、ポピュラーな国語辞典に載っているような異名は導入部に書くべきかと考えます。Compatible Accessさんはシャンチーの記事の例を挙げましたが、複数の別名が存在するような記事ではよく起こることで、例えば「ヤマト王権」の記事では、多重アカウント疑惑による投稿ブロックも飛び出す激しい議論の末、併記する案が採用されました。個人的には、国語辞典の編集者は日本語に関して信頼できる権威でると考えられ、そのような別名が特記に値することを保証する出典としては十分だと考えます。--Kanohara 2009年10月10日 (土) 07:51 (UTC)

チェス関連の文献の調査報告

◆全ての方々へ。
  コメント 10月4日にお伝えした私のコメントを御参照下さい。まず「二人零和有限確定完全情報ゲーム」と「西洋将棋」について、これまで調査した内容を御報告致します。
次にあげる20冊の文献は、近年日本で出版された主なチェス関連の書籍です。これが全部でない事は私も承知していますが、チェスの書籍は日本ではさほど多く出版されていません。比較的入手しやすい文献は、一応カバーできていると思います。
チェスの専門家ではない、一般の評論家が書いた文献も含めておきました。また初心者向けのマンガ[18]もありますが、これは「監修者:ジャック・ピノー」という事なので加えています。なお日本チェス協会(JCA)が直接関与しているものは、最初の[01] [02] [03]の三冊のみです。
調査にあたっては、20冊の全ページを私一人で確認しました。入念にチェックしたつもりですが、万一見落としがあった場合は遠慮なく御指摘下さい。

[01] 『図解 早わかりチェス』 松本康司・監修 渡井美代子・著 日東書院 ISBN 4-528-00494-1
[02] 『最新 図解チェス 必勝の手筋』 松本康司・監修 渡井美代子・著 日東書院 ISBN 4-528-00853-x
[03] 『はじめてのチェス』 渡井美代子・著 成美堂出版 ISBN 4-415-02549-8
[04] 『チェス 入門から上達まで』 小野田博一・著 有紀書房 ISBN 4-638-00732-5
[05] 『挑戦するチェス』 権田源太郎・著 中央公論事業出版 ISBN 4-89514-159-4
[06] 『チェス戦略大全Ⅰ』 ルディック・パッハマン・著 小笠誠一・訳 ISBN 978-4-8282-0534-2
[07] 『チェス・マスター・ブックス(1) 定跡と戦い方』 有田謙二・著 河出書房新社 ISBN 4-309-72171-0
[08] 『チェス・マスター・ブックス(2) 勝ち方の基本戦術』 中川笑子・著 河出書房新社 ISBN 4-309-72172-9
[09] 『チェス・マスター・ブックス(3) チェックメイトの手筋』 Fred Reinfeld・著 有田謙二・訳 河出書房新社 ISBN 4-309-72173-7
[10] 『チェス・マスター・ブックス(4) チェス次の一手』 東公平・著 河出書房新社 ISBN 4-309-72174-5
[11] 『チェス・マスター・ブックス(5) やさしい実戦集』 有田謙二・著 河出書房新社 ISBN 4-309-72175-3
[12] 『チェス・マスター・ブックス(6) チェス小百科』 有田謙二・著 河出書房新社 ISBN 4-309-72176-1
[13] 『ボビー・フィッシャーのチェス入門』 ボビー・フィッシャー・著 東公平・訳 河出書房新社 ISBN 4-309-26034-9
[14] 『ヒガシ コウヘイのチェス入門 定跡編』 東公平・著 河出書房新社 ISBN 4-309-26001-2
[15] 『ボビー・フィッシャーの究極のチェス』 ブルース・パンドルフィーニ・著 東公平・訳 河出書房新社 ISBN 4-309-26257-0
[16] 『ダイナミック チェス入門』 ジャック・ピノー・著 山海堂 ISBN 4-381-10216-9
[17] 『初めてのチェス 1手2手詰集』 若島正・監修 湯川博士・著 ISBN 4-381-10482-x
[18] 『マンガでおぼえるチェス入門』 ジャック・ピノー・監修 藤井ひろし・著 ISBN 4-381-10422-6
[19] 『チェスの本』 フランソワ・ル・リヨネ・著 成相恭二・著 白水社 ISBN 4-560-05603-x
[20] 『白夜のチェス戦争』 ジョージ・スタイナー 諸岡敏行・訳 晶文社 0098-5575-3091

「二人零和有限確定完全情報ゲーム」の用語については、まったく確認できませんでした。いえ、定義や概要の話ではありません。この20冊からは、その使用例さえ一つも確認できませんでした。これまで再三申し上げておりますが、私はゲーム理論自体を疑っているのではないのです。しかしこれだけの文献で一つも言及されていないとなると、やはり本稿の冒頭文や概要には適切ではないということになるでしょう。
次に「西洋将棋」です。これについては、上記[14]のp13に記載されていました。しかしそれはチェスのルール説明の表題ページに、「30分でわかる”西洋将棋指南”」と小さく一行書かれているだけです。「チェスは西洋将棋とも呼ばれる。」などという文言は、この本のどこにもありませんでした。p13以外では、ゲーム名はすべて「チェス」で統一されています。まあ百歩譲って、「西洋将棋」という用語の使用例にはなるかもしれません。しかしこの本をもってして「チェスは西洋将棋とも呼ばれる。」と主張するのは、いくら何でも無理があると思います。
これも再三申し上げておりますが、私は本稿チェスへ「西洋将棋」を記載することに反対しているわけではありません。そうではなく、記事の中核となる「冒頭文」や「概要」への記載に反対しているのです。上記[01]から[20]の本の著者(翻訳者)のほぼ全員が、なぜ「西洋将棋」の表現を避けたかを考えて下さい。
Xyzgataさんに御提示頂いた情報大辞泉大辞林についても、これ自体に異議を唱える気はありません。ただ こういった辞書の類は、(百科事典とは異なり)図や十分な解説がほとんど許されていない事情や背景も御考慮頂きたいと思います。前回も申し上げましたが、こういった辞書の用例だけを「冒頭文」や「概要」の掲載根拠にする事は、私は間違っていると思います。
Kanoharaさんへ。

【修正案への追加】
もちろん私自身、修正案に冒頭文・概要に記載すべきと考える情報があれば追加したいと考えております。しかしそれは、最低限検証可能性を満たす物でなくてはなりません。出典を伴わなくても構わない情報であれば、それこそ1,000でも10,000でも集まるでしょう。
前回10月9日のコメントでも触れましたが、たとえ出典が存在していても、「概要」のあり方については しばしば意見が別れるのです。出典自体が不確かな情報は、最初から修正案の対象にすべきではないと思います。
具体例をあげましょう。修正案(3)の冒頭文『チェスの語源はペルシア語の「シャー」(王)』には、出典が提示されていませんね。前述の[19] 『チェスの本』(p32)によると、『チェックの語源はペルシア語の「シャー」(王)』と書かれていました。一体どちらが正しいのでしょうか?どちらも正しいのでしょうか?こういった場合、あらかじめ出典元(情報源)が判明していれば確認作業が迅速になります。
もう一つ。概要の6番目、『旧ソ連圏・東欧のレベルが圧倒的であったが、近年、西欧・北南米のレベルも高い。』についても、私は少し首をかしげました。「西欧・北米・南米」を一緒くたにした用語は、日常生活では聞いた事がありません。「レベル」に関しても「近年」に関しても、あまりに漠然とし過ぎています。おそらくチェスの初学者は、多かれ少なかれ困惑するでしょう。特別な理由がないのに曖昧な情報は、たとえそれが真実であっても百科事典の記事として不適格です。実際に「概要」へ書くのであれば、例えば次のような表現の方がわかりやすいと思います。
『チェスの歴代世界チャンピオンが一番多い国は、ロシア(旧ソ連)である。』
(前述[12] 『チェス小百科』 p26より)
ただ、本稿の「概要」に最新の世界情勢を記載すべきか否かは、また別問題になります。これについては、今後他の方の御意見も参考にしたいと思っています。
【分かり易い定義_1】
(前回のKanoharaさんのコメントより抜粋)
いくら検証が可能な真実であっても「分かり易い定義」と言いがたいものは、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)が求める「その記事で何が取り扱われているのかを、読者に対して明確にする」「記事の扱う主題についてまったく知識の無い読者であっても理解できるよう、また続く詳細項目へ興味を持てるように書く」といったガイドラインに反すると考えますが、世界チェス協会の定義はあまり「チェスのことを全く知らない読者にも分かり易い、うまい定義」とは感じられません。
御指摘の通り、「概要」の部分は検証可能な真実であっても論議を呼ぶと思います。私も「スポーツ・芸術・科学」を、どうしても冒頭文や概要に記載させなければならないとまでは考えていません。それほどまで日本では受け入れられにくい概念であるのなら、項目を一つ新設して詳しく解説した方がベターかとも感じるようになりました。
ただ一つ言わせて頂ければ、これは決して「過度に自己を美化するような表現」などではありません。いわばチェスの「いろは」であり、基本中の基本ともいうべき概念です。これだけは絶対に譲る事ができない、チェスがチェスであるための最後の牙城なのです。もちろんチェス・プレイヤーではない一般の閲覧者の方々に、こういった概念の理解を強要する気など私にはありません。しかし、この表現が国際チェス連盟の憲章(全15章)の第1章に記載されている点を今回は強調しておきます。
【分かり易い定義_2】
「分かり易い定義」という事であれば、なおさら「二人零和有限確定完全情報ゲーム」は奇妙だと思います。閲覧者のほとんどが数学やゲーム理論に精通しているとは、私には到底思えません。「冒頭文」や「概要」の中の こういった(直接チェスとは関係ない)専門用語の存在こそ、Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)のガイドラインに反するのではないでしょうか? → 「まったく知識の無い読者であっても理解できるよう、また続く詳細項目へ興味を持てるように書く
この「二人零和有限〜」の用語を目にした途端、もうチェスに対する興味を失ってしまった。そういった閲覧者が多数出現する事態を、私は非常に恐れています。
【英語版のチェスの冒頭文】
おそらくKanoharaさんXyzgataさんは機械翻訳を使用されたのだと思いますが、ちょっとわかりにくい日本語ですね。幸い私は英語もスペイン語も理解できます。英語に不慣れな方もいらっしゃると思いますので、私なりに手直ししておきました。
英語版wikipediaの冒頭文(修正)
チェスは2名のプレイヤーで行われるボードゲームです。現代のゲームの形は、(チェスに似ているが更に古い)インド起源のゲームが進化したもので、15世紀後半の南ヨーロッパで誕生しました。今日ではチェスは、世界中で最も人気のあるゲームの一つとなっています。何百万の人々が、自宅・チェスクラブ・インターネットのオンライン対局などで、通信チェスやトーナメント戦をプレイしています。
ゲームは8×8の格子が並んだ、64個の正方形のチェック模様の正方形のチェスボード上で行われます。ゲーム開始当初、各プレイヤー(片方は白駒、もう片方は黒駒)には16個の駒が与えられています。キング:1個、クイーン:1個、ルーク:2個、ナイト:2個、ビショップ:2個、ポーン:8個です。このゲームの目的は、敵のキングをチェックメイトする事です。チェックメイトとは、キングがチェック(直接攻撃)された状態で、しかも次の手番でそれから逃れる手段がまったくない状態を指します。
本格的なチェスの競技会は、16世紀に端を発します。今日ではチェスは、IOC(国際オリンピック委員会)から承認されたスポーツの一つとなっています。最初のチェスの世界チャンピオンであるヴィルヘルム・シュタイニッツは、1886年にそのタイトルを勝ち取りました。現在の世界チャンピオンはヴィスワナータン・アーナンドです。
理論家たちの手により、ゲーム開始からの広大なストラテジー(戦略)とタクティクス(戦術)について研究が行われてきました。芸術的な側面は、チェス・プロブレム(※日本の詰将棋等に相当)などに見受けられます。
初期のコンピュータ関連の科学者は、チェスがプレイできる機械の創造を目標の一つにしていました。チェス・コンピュータの能力やオンライン戦の増加は、今日のチェスに強い影響を与えています。1997年「ディープ・ブルー」がガリー・カスパロフを打ち破り、世界チャンピオンを倒す最初のコンピュータになりました。

私の訳も完璧な物ではありません。日本語らしくするため、あえて直訳を避けた部分もあります。あしからず御了承下さい。
それと、もう一つ。英語版の記事とはいえど、これらは三次情報源です。また日本語版と同様にノートページで様々な議論が行われており、今後大幅な変更が入っても不思議ではありません。あくまで参考情報であることを、最後に念を押しておきます。
--Compatible Access 2009年10月11日 (日) 23:32 (UTC)
ご指摘に基づき一箇所修正(削除線)--Compatible Access 2009年10月15日 (木) 08:12 (UTC)


  コメント Compatible Accessさんが膨大な文献を当たっていること自体には頭が下がる思いです。検証可能な情報のみを掲載するという主張にも、大いに頷きます。ですがCompatible Accessさんの主張する「記事冒頭や概要文にある文章は、チェス関連の文献に基づいた内容でなければならない」といった言説については、ウィキペディアのルールに基づいた根拠が存在しない(むしろ中立性に反する)主張のように思え、個人的には少々奇異にも感じます。それに国際チェス連盟憲章[13]は、一歩譲って過度に自己を美化するような表現ではないとしても、これは「国際チェス連盟が取り扱うチェスやその競技者は、このような理想に基づいたものでなければならない」といった理想について表明しているものであって、その直後に続く「FIDEの目的および目標は……」という文章は、そのような定義に基づくチェスがいまだ普及や発展、水準の向上の途上にあるものであることを示しているように思います。これは例えるなら日本国憲法の前文における、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚する」といった一文と同程度の重みで扱うべきだと考えます(例えば、日本国憲法を出典として日本国民の定義を書く場合に「全ての日本国民は恒久平和を願っており、戦争を賛美する思想を持つような者は日本国民とは言えない」などと記述するのは不適切でしょう)。
また、Compatible Accessさんが挙げた文献はどれも、書名を拝見する限り、主にチェスに興味のある人向けの入門書や、チェスのルールを熟知している愛好家に向けた書籍のように見えますが、ウィキペディアはガイドブックや教科書ではないので、記事の要約として位置づけられる冒頭・概要文には、チェスの入門書などとは異なる書き出しが必要なのではないかとも考えます。なお、私が出典として挙げた『ゲームの理論入門 チェスから核戦略まで』(ISBN 4-06-117817-2)は、確かにまあ二人零和有限確定完全情報ゲームに関する記述は合計13ページに過ぎず、またこの章の内容も、チェスを例に挙げつつもその内容は「二人零和有限確定完全情報ゲーム」の普遍的な特徴についての解説に過ぎないのですが、この書籍は一応、副題に「チェス」の文字が入っており、十分に「チェス関連の書籍」と言えるのではないかと考えます。
「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という言い回しが専門的過ぎて分かりにくいという指摘については、この記述を、
  • チェスは囲碁や将棋と同様、敵味方に分かれた二人が、互いのこれまでの行動やこれから取り得る手段とその結果が完全な形で開示された状況の元、もう一方を打ち負かすことを目標として勝敗を競うゲームである。ゲーム理論の見地からは、このようなゲームは二人零和有限確定完全情報ゲームに分類される。
といった噛み砕いた表現に書き改めることで、分かりやすく意味のある記述のなるのではないかと考えます。
なお、en:Chessの冒頭文を訳したのは私ではなくてXyzgataさんです。--Kanohara 2009年10月12日 (月) 18:07 (UTC)

(インデント戻し)コメントありがとうございました。en:Chessの冒頭文については、寝不足で勘違いしておりました。確かにXyzgataさんが行われたようです。また個人的な事情ですが、今週は仕事で出張が入り御対応が少々遅れてしまいました。お詫び致します。
私もKanoharaさんの御意見には、大まかな部分で賛成しております。ただ誤解して頂きたくない点は、次の部分なのです。

× 「記事冒頭や概要文にある文章は、チェス関連の文献に基づいた内容でなければならない」
○ 「記事冒頭や概要文にある文章は、信頼できる情報をもとに投稿者が独自に定義・要約してはならない。」
○ 「記事冒頭や概要文にある文章は、既に定義・要約されている物を出典とする必要がある。」
(参照 : Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成

私があげた20冊以外の文献でも、信頼できる情報であればまったく問題ないと思います。御紹介頂いた『ゲームの理論入門 チェスから核戦略まで』に、著者自身のチェスに対する定義や概要が記載されているのであればOKです。逆にそういった物が記載されていないのであれば、本稿の冒頭文や概要に書くべきではありません。その場合でも、冒頭文や概要以外の別の項目に反映させる事は可能です。
ここで、もう一度別の記事である「対局時計」の例をあげておきます。以前もコメントしましたが、本稿チェス同様この記事でも冒頭文や概要をめぐり長い議論が行われました。私は再三にわたり、「投稿者が独自に定義・要約するのではなく、既に定義・要約されている物を出典に!」とお伝えしました。しかし私の説明が拙かったせいもあるのでしょうが、なかなか御理解頂けなかったようです。
二人零和有限確定完全情報ゲームを本稿の概要に記載するのであれば、次の定義が実際に記載されている文献を御提示下さい。
チェスは、ゲーム理論では二人零和有限確定完全情報ゲームに分類されるものである。
--Compatible Access 2009年10月15日 (木) 08:12 (UTC)

  コメント 確かにウィキペディアの編集者の中には、発表済みの情報の合成を禁じるルールを拡大解釈して、記事の内容は出典に一字一句即した、引用句集のような内容でなければならないという主張を行う方もいますが、私はその解釈には反対です。ウィキペディアの公正な方針である「Wikipedia:独自研究は載せない」には、「発表済みの情報の合成」を禁じるルールについて述べた節のすぐ真上に、
> なお、現存する一次資料や二次資料から情報を集めて整理する調査は、もちろん強く奨励されています。そうした記述は「独自の研究」には当たりません—それは「情報源に基づいた調査」であり、百科事典の執筆の基本です。
> なお、(1)専門知識がなくとも分別のある大人であれば誰でもその正確性を簡単に検証できる解説、(2)分析、総合、解釈、評価にあたる主張を全く行わない記事、のような場合には、ウィキペディアの記事がもっぱら一次資料に基づいていてもかまいません。
という説明が書かれています(Wikipedia:独自研究は載せない#一次資料と二次資料)。草案段階のWikipedia:引用のガイドライン#執筆は自分の言葉でもご覧下さい。「発表済みの情報の合成」を禁じるルールは、複数の出典に独自の分析を加え、出典にない定義を書き加えたり、そのような定義へと読者をミスリードさせるような内容を禁じるルールであり、今回の議論に関しては(注意を払う必要はあるにせよ)あまり関係ないものと理解します。「投稿者が独自に定義」することはともかく、Compatible Accessさんが問題視しておられるような、分析、総合、解釈、評価を行わずに「投稿者が独自に要約」する行為は、上記ガイドラインで定義されている「百科事典の執筆の基本」の範疇ではないでしょうか。なお、「チェスは、ゲーム理論では二人零和有限確定完全情報ゲームに分類されるものである。」という定義の根拠としては、私がこのノートで2009年10月6日 (火) 07:42 (UTC) に示した引用が根拠になると考え、「発表済みの情報の合成」にはならないと思いますが、もしも問題を感じるようであれば語順などを少し変えて、
とでも言い換えれば問題ないと思いますが、どうでしょうか。--Kanohara 2009年10月15日 (木) 09:58 (UTC)
  コメントウィキペディアが「引用句集のような内容でなければならない」とは、私も考えておりません。またKanoharaさんがコメントされている「分析、総合、解釈、評価を行わずに投稿者が独自に要約する行為」も、基本的には同意しています。では何が問題なのか?二つに分けて御説明致します。
(1)二人零和有限確定完全情報ゲーム
チェス」と「ゲーム理論」の関係は、例えるなら「数学」と「ピタゴラスの定理」と同じといって良いでしょう。ピタゴラスの定理は間違いなく数学です。古くから存在し広く知られた理論であり、ウィキペディアの記事としてもまったく問題ありません。
ですが、いかに完成された理論とはいえ、これは数百・数千ある数学の情報のほんの一つなのです。数学を使ってピタゴラスの定理を解説する事は可能ですが、逆にピタゴラスの定理を使って数学を解説する事はできません。あるいは数学の記事の「概要」として、「数学はピタゴラスの定理などを扱う学問である。」と解説する事も無理があると思います。
再三お伝えしていますが、私は「二人零和有限確定完全情報ゲーム」自体を疑っているわけではないのです。ピタゴラスの定理と同様に、この理論が本稿チェスの「概要」に相応しいかどうかが疑問なのです。本稿の「冒頭文」や「概要」以外の項目に記載するのであれば、私は反対致しません
この概念が本当にチェスというゲームの骨子であるのなら、チェスの入門書や評論書には必ず記載されているはずです。10月11日に私が提示した20冊の文献のうち、少なくとも3〜4冊くらいは何らかの形で解説されていて当然でしょう。それが解説どころか、関連コラムや用例すら見当りませんでした。やはり「二人零和有限確定完全情報ゲーム」は、数多く存在するチェスの情報の一つなのです。「概要」としての優先順位は、高くないと判断せざるを得ません。
(2)「概要」の「概要」
本稿チェスのおおまかな構成は、次のようになっています。以下「概略」「概要」「概説」は、ほぼ同じ意味を指す用語として話を進めます。
1.概要
2.用具  → チェスの駒チェスボード対局時計棋譜
3.チェスのルール(概略)  → チェスのルール
4.チェスの歴史(概略)  → チェスの歴史
5.戦い方  → オープニング (チェス)
6.称号
7.通信チェス(概略)  → 通信チェス
8.コンピュータとチェス  → コンピュータチェス
9.チェスを扱った作品
上記1・6・9以外の項目には、独立した別の記事が存在します。つまり本稿のほとんどの項目は、現時点で既に「概要」なのです。これらの「概要」をさらに「概要」へ要約する事は、ウィキペディアの執筆の基本の範疇なのでしょうか?
しかも本稿は、現時点で記事として完成しているわけではありません。「ブリッツ(電撃戦)」「同時対局」「人間チェス」など、これまでなかった項目の追加も十分予想できます。本稿の「概要」へ、どの情報を選んでどの情報を切り捨てるのでしょうか?今後おそらく誰が何を選んでも、異論を唱える方は出てくるでしょう。
そういった事をするより適切な出典を引用した方が、遥かに楽であり同時にウィキペディア的でもあると私は思います。チェスの入門書や評論書には、大抵「チェスとは何か」についての解説があります。もちろん著者一人一人の考え方は異なりますので、文献によっては表現が抜け落ちていたり、少し違っている場合もあるでしょう。しかし、真っ向から対立するようなケースは通常考えられません。このノートページで9月15日から私が議論を呼びかけているのも、そういった部分での御協力をお願いしたかったからです。
この議論も長期化しつつありますが、参加者が限定的となっています。もちろんこれまで発言頂いた方々には感謝していますし、私も自分の意見が絶対であるなどとは思っていません。今後も御意見や御質問がある方は、ぜひコメントをお寄せ下さい。(※ただし御自分の修正案を新規に提案される方は、必ず出典情報を付記願います。)--Compatible Access 2009年10月18日 (日) 23:54 (UTC)
  コメント Compatible Accessさんは「それが解説どころか、関連コラムや用例すら見当りませんでした」と仰りますが、そんなことは有り得ないでしょう。チェスのルールについて記した書籍なら、必ず何らかの形で書かれているはずです。「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という言葉は、私の手元の書籍では「完全情報・有限・2人・ゼロ和ゲーム」という訳語が当てられているのですが、この言葉は何度も言うように「二人のプレイヤーが存在し、二人は互いに勝敗を決するために戦い、駒の動かし方はルール決まっていて、また交互に行うため運の要素はなく不意打ちを行うことはできない」といった概念を短くまとめた言葉に過ぎず、実のところ訳語の選択は些細なことに過ぎません。既に現在の記事には「ゲームは2人のプレイヤーにより、チェスボードの上で行われる」「双方のプレイヤーは、相手のキングをチェックメイトすることを目指す」「縦横8マスずつに区切られた」「6種類の動き方が異なる駒」「双方のプレイヤーは、交互に盤上にある自分の駒を1回ずつ動かす」といった特徴が書かれていますが、これらの言葉は「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という概念で言い換えることが可能です。チェスの愛好家から見ればどれも重要である無数のルールや礼節、その他様々な事柄のうち、これらの特徴が「ゲーム理論」という外部の視点を持った文献から「チェスゲームの本質」であると保障されているのですから、チェスのルールの「概要」としてこれほど相応しい記述もないように思えます。もちろん「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という定義に関する簡単な説明は必要でしょうし、他の二人零和有限確定完全情報ゲームとの違いについての説明は必要でしょうけれど、この概念を提示することによって、将棋や囲碁といった「読みの深さを競う」ゲームとの類似性や共通するゲーム性も、主観に頼らず説明することができます。なお、ゲーム理論#歴史によれば、ゲーム理論という概念はチェスから着想を得ているとありますが、この記述に関して出典が得られるなら、チェスが数学や科学、経済学に与えた影響力を示すものとして、重要な記述になるのではないかと考えますし、記述次第では「コンピュータとチェス」節の概要も兼ねることができると考えます。--Kanohara 2009年10月19日 (月) 09:23 (UTC)
  コメント チェスが二人零和有限確定完全情報ゲームであることは明らかです。従ってそれと明記されている出典の提示は不要なはずです。(ガイドラインにあったと思います。)ただ、サイコロに頼らないボードゲームは全て二人零和有限確定完全情報ゲームであるので殊更大書すべき事柄であるかは疑問です。概要末尾に「二人零和有限確定完全情報ゲームに分類される。」などと軽く触れるぐらいがいいんじゃないですか。--Arstriker 2009年10月19日 (月) 14:04 (UTC)
もちろん、「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という概念はそれなりに幅広いものですが、二人零和有限確定完全情報ゲーム「ではない」ボードゲームに偶然の要素を持ち込むための道具は、サイコロに限らずカードや麻雀牌、果ては野球盤のパチンコ玉とバットまで様々なものがありますし、その他の要因もあります。二人零和有限確定完全情報ゲームであるチェスには、例えば「10m先から持ち駒を投げつけて当たった駒を取れる」といった運の要素はありませんし、海戦ゲームなどと違って「キングを盤の裏に潜伏させて位置情報を隠す」といった作戦を取ることもできず、またトレーディングカードゲームのように「密かに持ち駒からポーンを廃してルークを10個入れておき、それを気取られないうちに電撃作戦で攻め込む」といった作戦も使えません。ゼロ和であるため、両者の利害が一致して賞金を公平に分け合うような結果は有り得ず、チキンゲームのように相手の度胸を試すような要素もありません。このように「二人零和有限確定完全情報ゲーム」は、チェスが何ではないかを説明し、チェスのゲーム性を限定する上でそれなりに都合がよい概念であると、私は考えます。
私は、百科事典の項目の書き出しとしては、概要文から「チェス」「将棋」という単語や専門用語を伏字にしたものを、チェスにあまり明るくない人に読ませても、それがチェスの説明だと当ててもらえるような内容が理想的であると考えます。そのような観点からチェスのルールを定義する場合、
  1. ボードゲームである。
  2. 二人零和有限確定完全情報ゲームである。運の要素はなく相手の情報は開示されており、限られた行動の中で読みの深さを競う。その点ではブリッジポーカー、すごろくとは異なるゲーム性を持つ。
  3. 盤上の駒を動かして戦い、敵のキングを追いつめることがゲームの目的である。その点で囲碁や三目並べとは異なる。
  4. 8×8に区切られた盤の中で、白黒32個6種類の駒を使う。この点は将棋やシャンチーと異なる点である。
といった順序で説明するのがよいのではないかと考えますが、どうでしょうか。--Kanohara 2009年10月19日 (月) 18:03 (UTC)
私の見解としましては二人零和有限確定完全情報ゲームというのはそれほど重要視すべしとは思いません。「チェス」を知らなくて「二人零和有限確定完全情報ゲーム」を知っているという人がいるというのは考え辛いからです。「二人零和有限確定完全情報ゲーム」は将棋、囲碁、オセロ等々と同じ特徴です、チェスの概要としてはチェスに固有のもっと一般に判りやすいものを上位に記述すべきでしょう、あくまでも記述すべきはチェスの概要なのですから。「二人零和有限確定完全情報ゲーム」を記述するのを妨げることはできないとは思いますが、同時に記述の優先順位を上位に持っていくにはそれなりの出典がやはり必要になってくると思います。やはり末尾で軽く触れる程度が妥当だと思います。--Arstriker 2009年10月20日 (火) 13:52 (UTC)
では一歩譲って「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という単語やその学術的な背景に触れるのは後回しにするとしても、「チェスではサイコロなどの運の要素を用いず、駒の動きが決まっていて各手番にプレイヤーが取ることができる選択肢が限られており、また互いの取った行動は全て相手に公開されるため、純粋な読みの深さを競う種類のゲームである」といったゲーム性の解説は、概要節の早い段階で解説すべきだと考えます。個人的にはその解説の後に「詳細は二人零和有限確定完全情報ゲームを参照」と続けるべきだと思いますが、どうしてもこの単語が難解であり、記載することによって読者の理解を妨げる可能性が高いと仰るのであれば、概要の末尾で補足的に触れるということでも構わないと思います。--Kanohara 2009年10月21日 (水) 12:37 (UTC)
Kanoharaさんは「二人零和有限確定完全情報ゲーム」に固執しすぎていませんか。上でおっしゃっているようなことは「二人零和有限確定完全情報ゲーム」に記述されているのですからチェスのページでは必要以上にしゃちほこばって硬い表現でやるよりも例えば英語版にあるような「ゲームは8×8の格子が並んだ、64個の正方形のチェック模様の~」とやった方がエレガントだし優れていると感じます。どう言ったらいいか表現に困りますが、例えば子供がチェスに興味を持ってこのページを覗いたときにゲンナリさせちゃ可哀想でしょう。--Arstriker 2009年10月21日 (水) 14:53 (UTC)
「子供がチェスに興味を持ってこのページを覗いたとき」に一番可哀想なのは、どれだけ記事を熱心に読んでも、肝心のチェスが一体どんなゲームであるのか想像できるような情報が書いていなかった、というような状況であると考えます。仮に現在の概要文が十分に分かりやすく、「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という概念を引き合いに出さなくてもチェスのゲーム性を説明できているのであれば、この概念に固執する必要はないでしょう。しかし残念ながら現状はそうではなく、個人的には、現在の記事はチェスの素晴らしさがどれだけ世界中から絶賛されているかという情報に偏りすぎているように思えます。
チェス(やチェッカー)で用いられるチェスボードが8×8で区切られていることは、例えばチェスと将棋の違いを区別する上では重要な違いですが、将棋のルールを知らない、あるいはチェスが将棋と似たゲームであることを把握していない読者にとっては、単なる数字の羅列でしかないと考えます。チェスボードが市松模様で区切られていることも、オセロボードとの違いを説明する上では重要な違いですが、チェスはその気になれば、エンピツで引いた升目と紙に書いた駒でもプレイすることが可能なゲームであり、「これを欠かしたらゲームが成立しない」というチェスの本質やゲームの特徴を言い表しているとは言えないと考えます。
以前の発言でCompatible Accessさんが、チェスを「スポーツ・芸術・科学」と定義することはチェスがチェスであるための最後の牙城である、と仰っていましたが、個人的にはそれは二人零和有限確定完全情報ゲームとしての完成度の高さあっての読み合いの奥深さや、長い歴史の中で人々を熱中させた面白さから生じるものであって、例えばチェス盤の市松模様の幾何学的造形や駒の造形の美しさといったものから発したものではないと考えます。チェスの競技性(sportに「スポーツ性」という訳語を当てるのが適当なのか否かは悩みます)や芸術性、科学性を説明するのに、チェスがなぜ面白く奥深いのかというゲーム性を語ることは、百科事典としては避けて通れない説明であると考えますが、そのような記述を行うに際して執筆者の独自研究や主観に立脚した個人の評論に頼るのではなく、現にこうして学問として研究されている分野(ゲーム理論)を引き合いに出すことができるのですから、これを用いない手はないと思うのですが。--Kanohara 2009年10月21日 (水) 16:48 (UTC)
「ゲーム理論」の観点から観ると確かにチェスは「二人零和有限確定完全情報ゲーム」以外の何者でもないでしょう、しかし、ここは「ゲーム理論」の記事ではないのです。「二人零和有限確定完全情報ゲーム」を知らなくともチェスは楽しめますし、実際、チェスの長い歴史の中で「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という特徴が加わったのは極最近のことです。ここ、チェスのページでは「二人零和有限確定完全情報ゲーム」であるというのはチェスの数多くある特徴の一つに過ぎないのです。「二人零和有限確定完全情報ゲーム」であるという記述自体は有益だと思いますがそれ以上は必要だと感じません。ここでそれ以上記述するのであれば整合性からいって将棋、囲碁、オセロ、五目並べ等々へも同等の記述をしなければならないことになります。Kanoharaさんはそれをお望みですか?--Arstriker 2009年10月21日 (水) 17:22 (UTC)
将棋囲碁五目並べの記事には、現時点で概要内に「二人零和有限確定完全情報ゲーム」への言及があり、オセロ (ボードゲーム)でも記事末尾で詳しい言及がありますね。五目並べやオセロの場合、比較的ルールが簡単であることもあり「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という言葉を用いなくても本質を言い表せていると思われ、また囲碁の記事の場合は概要の一行目で「アブストラクトゲーム」「二人零和有限確定完全情報ゲーム」への内部リンクを張ることで説明に代えていると考えます。将棋の場合は冒頭文で「チャトランガが起源」であるとする説を冒頭文で紹介することによって、チェスやシャンチーと類似したゲーム性を持つことを解説し、概要の最後で「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という言葉に触れることで補足的な説明としています。これらの記事は、現状で十分に各ゲームのゲーム性が説明できていると思われますが、それでも説明が不足しており「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という表現が分かりにくいと考える方がいれば、そう思う方が修正を行えばよいと考えます。もちろん、記事がより豊かで詳細になることは歓迎すべきことだと考えます。
チェスはオセロや五目並べと比べると、キングを追い詰めるための手順が比較的複雑であり、また本記事の場合は「西洋将棋」という語や「チャトランガが起源」という記述に対して出典や正確性の保障が求められている状況でもあるため、将棋の記事などとは事情が異なると考えます。将棋と比べると幾分、日本人には馴染みの薄いゲームであることも考慮する必要があると考えます。--Kanohara 2009年10月21日 (水) 18:05 (UTC)


  報告 少々暇だったので、Compatible Accessさんの報告では「一部の古い辞書や西洋文学の作品等に記載されるのみ」であるとされる「西洋将棋」という表現について、実家にあるものやネットから閲覧可能な辞書・事典を総動員して少々調べてみました。

こちらで閲覧した日本語の国語辞典、小型百科事典に属する文献には、すべて「西洋将棋」という語が使われていました。対して英和辞典では、古い辞書には載っていても新しい辞典に載っていないので、Compatible Accessさんの報告にも一理あるのかも知れません。ただ、言及のなかったうちリーダーズ英和辞典では、「将棋に似たゲーム」という趣旨の説明があり、また他の英和辞典についてはリンク先をご覧のように「chess=チェス」という定義が載っているのみというものでした。
手元の辞書がどれも古いこともあるのですが、印象としては、少なくとも日本語を扱う辞書・事典では「西洋将棋」という表現は浸透しているように感じられ、少なくとも国語辞典に限っては「最近の国語辞典には西洋将棋という語は使われない」根拠は見出せませんでした。「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」では、主題の別名や、間違いやすい範囲外の内容なども、導入部に記すことを求めています。個人的には、チェスのルールの説明を「将棋に似たゲーム」という表現で済ましてしまうこと自体には反対ですし、恐らくチェス・ファンにとっても「将棋の一ジャンル」扱いされることは不満なのではないかとも思うのですが(Compatible Accessさんの報告からは、そのようにも読み取れます)、正確・不正確であるかはともかく、こうも普及している表現となると、やはり導入部に上記の出典を添えて「国語辞典や百科事典などではしばしば西洋将棋という訳語が当てられる」といった言及が必要なのではないかと感じました。--Kanohara 2009年10月29日 (木) 20:57 (UTC)

概要に「二人零和有限確定完全情報ゲーム」を記載すべきか否か

私もArstrikerさんの意見に賛成します。Kanoharaさんのコメントは正しい部分もあり、まったく見当違いの御発言をされているとは思っていません。しかし一方あまりにゲーム理論に偏り過ぎていて、検証可能性ついても拡大解釈されている部分が少なくないのです。Kanoharaさん御自身は、故意ではなく無意識に主張されているのかもしれません。しかしたとえ記事の冒頭文や概要のセクションといえど、記事の投稿者自身の主張や考えを記載すべきではないと思います(参考1参考2)。ここでの「主張」や「考え」とは、「ゲーム理論」や「二人零和有限確定完全情報ゲーム」の事ではありません。「これらの用語や概念はチェスにとって大きな存在であり、記事の概要に記載しなければならない。」という主張や考えを指しています。
ただ私自身も、これまで議論の進め方を含め反省すべき点が多々あったと思います。またKanoharaさんの主張を裏付ける、適切な出典が今後判明する可能性も考えられます。
いずれにしてもこのままでは平行線なので、本日「合意形成のためのコメント依頼」を出しました。これまで何度か発言された方は、しばらくの間コメントを控え議論を静観して下さい。もちろん、私もしばらくコメントを控えます。
新規にコメントされる方は、「二人零和有限確定完全情報ゲーム」の記載に「賛成」「反対」「その理由」をお願いします。一行だけのコメントでも構いませんが、その理由となる裏付け情報があれば説得力が増すと思います。これは投票ではなく、あくまでコメント依頼の一環とお考え下さい。ただしここでも意見がこじれるようであれば、次の段階に移行する予定です。--Compatible Access 2009年10月22日 (木) 06:55 (UTC)

  • (反対寄りコメント)ゲーム理論の分野において二人零和有限確定情報ゲームの研究は重要なものですが、チェスは多数ある二人零和有限確定情報ゲームの一つに過ぎず、「ゲーム理論の分類ではここに入る」というだけで終わってしまうのでは極めて些細なトリビアに過ぎないと思います。しかしながらゲーム理論の視点からチェスという具体的なゲームが研究されている有名な例を複数挙げ、一つの節として立ち上げられるならばその中に記載するのは有益であると考えます。よって現状のままならいったん除去し、後にしかるべき分量の有意な記述がなされるならば内容精査の上で記述復帰が妥当と考えます。--HANSON 2009年10月26日 (月) 23:35 (UTC)
  • 『二人零和有限確定完全情報ゲーム』を概要に記載すべきかどうかと言う話をしていても、永遠に話はまとまらないでしょう。概要に載せる文章・情報を並べて、優先順位をつけて、適当な分量に絞ったとき、『二人零和有限確定完全情報ゲーム』が入るかどうかで判断すべきでしょう。--219.61.181.197 2009年10月28日 (水) 11:27 (UTC)
  •   コメント コメント依頼から一週間が経過しましたし、そろそろ私も発言して宜しいでしょうか? 私も、もし本稿の導入部が、チェスとはいったいどのようなゲームであるのかが必要十分に定義できている内容であったのなら、ここまで「二人零和有限確定完全情報ゲーム」の記載にはこだわらなかったと思います。しかし本記事の導入部からは、「二人零和~」だけでなく、「チェスは将棋に似たルールのゲームである」「西洋将棋とも呼ばれる」「将棋と同じくチャトランガがルーツであると言われる」といった将棋との比較記述も、「チェスの専門書には載っていない定義である」という理由で既に概要文から排除されています。「記事全体の前置きであると同時に、それ自体で完結したひとつの記事であるべき」とされている導入部において、チェスがどのようなゲームであるのかを、「チェスとはスポーツでも芸術でも科学でもある」というなぞなぞのような定義文だけで説明できると、本気で考えておられるのでしょうか? その点を示さず意見を募り、採決を行っても、アンフェアな採決にしかならないと苦言申し上げます。--Kanohara 2009年10月29日 (木) 19:59 (UTC)
    • 「これまで何度か発言された方は、しばらくの間コメントを控え議論を静観して下さい。」今回のコメント依頼を提出する際に、私はこうお伝えしました。現在は「二人零和有限確定完全情報ゲーム」の是非について議論しているのです。Kanoharaさんが暇だったのかどうかは知りませんが、「西洋将棋」についての報告などはこちらが解決してからにして下さい。
      「概要」のセクションの在るべき形や議論の方法については、私も正直土台からやり直さなければならないかと感じています。提案された全ての用語の是非について、毎回毎回コメント依頼を出すわけにはいきません。それでも現時点では、「二人零和有限確定完全情報ゲーム」にポイントをしぼって議論しているのです。審議の途中で別のテーマを持ち出したり審議そのものに異議を唱える行為は、一種の審議妨害と判断されても仕方ないでしょう。コミュニティの合意を待たず、勝手に本稿を編集する行為も同様です([14] [15] [16])。影響が少ない箇所でもあり悪意があったとまでは考えておりませんが、こういった事はお止め頂くようこちらでもお伝えしています。
      HANSONさんと219.61.181.197さん、御意見ありがとうございました。ただ2名だけだとコメントが少ないので、もう一週間ほど様子を見たいと思います。今回は本稿の冒頭部にも、コメント依頼のテンプレートを貼りつけました。引き続き新規の方々のコメントを募集致しますので、御意見をお聞かせ下さい。既に御意見を述べられている方は、審議を静観願います。
      仮にコメントがゼロだったとしても、一週間後の11月7日には何らかの結論を出したいと思っております。ただ、それはあくまで「二人零和有限確定完全情報ゲーム」についての話です。それ以外の情報や、「概要」のセクション全体の在り方については、セクションを改めて今後議論して行きたいと考えております。--Compatible Access 2009年10月30日 (金) 09:13 (UTC)
裁定

期限日になりましたので、お伝えした通り本件の結論を出したいと思います。消極的な反対や賛否保留のコメントもありましたが、結局Kanoharaさんに賛成するコメントは一つもありませんでした。また『二人零和有限確定完全情報ゲーム』そのものの出典については、Kanoharaさんに確かに御提示頂きました。しかし、「これは本稿チェスの概要節に記載すべき情報である」という主張を裏付ける出典は、今回の審議では提示されませんでした。
「二人零和有限確定完全情報ゲームの用語は概要から除去」ということで、本件の議論を終了します。これは私の意見ではなく、コミュニティの合意とお考え下さい。本文を編集し、コメント依頼のテンプレートを解除致します。
なお今回の裁定はあくまで概要節に関する物であり、「本稿から除去」という意味ではありません。また今後適切な出典が判明した場合、改めて概要節への記載を提案されるのも御自由です。
続いて「西洋将棋」の審議に入りたいと思います。こちらについては今日明日じゅうに私のコメントを出しますので、今しばらくお待ち下さい。--Compatible Access 2009年11月7日 (土) 00:52 (UTC)

  反対 ちょっと待ってください。その結論はどこから出てきたのでしょうか? そもそもこのコメント依頼は投票だったのですか? そもそもこのコメント依頼は、私が苦言を申したように、「なぜ二人零和有限確定完全情報ゲームという用語が必要なのか」という争点自体が、曖昧にされており、もしこれが投票だとすれば、投票の性質について一週間程度の合意プロセスを経なければならないとする投票の指針に反し、不当な投票であると考えます。
Compatible Accessさんは提案を行う以前からある記述に対して、「概要から除去すべき」という提案を行いました。それに対する反論も、私から述べたつもりです。HANSONさんから記述の除去に対する賛成寄りのコメントもありましたが、ここまでの議論で記述を除去すべきと積極的に主張しているのはCompatible Accessさん一人であったと認識しています。
概要から除去すべき
  • Compatible Accessさん -- 2009年10月4日 (日) 21:15 (UTC) などの発言などによる。
  • HANSONさん -- 2009年10月26日 (月) 23:35 (UTC) の賛成寄りコメントによる。
概要末尾で軽く触れる形で記載すべき
  • Arstrikerさん -- 2009年10月19日 (月) 14:04 (UTC) 、2009年10月20日 (火) 13:52 (UTC) の発言による。
概要からの除去に反対
  • Xyzgataさん -- 2009年10月3日 (土) 09:04 (UTC) の発言による
  • Kanohara -- 2009年10月19日 (月) 09:23 (UTC) などの発言による
もっと他のことから議論すべき
  • 219.61.181.197さん -- 2009年10月28日 (水) 11:27 (UTC) のコメントによる。
百歩譲って有効な投票だったとしても、「概要から積極的に除去すべき」という主張に積極的に賛同する意見はなく、この議論の結果は「元々あった『二人零和有限確定完全情報ゲーム』という記述は除去しない」という結論になるのではないかと思うのですが。
個人的には、今回のコメント依頼では、219.61.181.197さんのコメントに深く賛同しています。この言葉は我々一同が深く受け止めるべきだと考えます。--Kanohara 2009年11月7日 (土) 06:04 (UTC)

「チェス関連の文献に載っているか否か」を概要に乗せるか否かの基準とすることについて

地元の図書館を利用して、Compatible Access さんが、概要に記述するか否かの基準として挙げた以下の書籍を含む、いくつかのチェスの専門書を当たってみました。しかし、これらはチェスの特徴や定義、他のゲームと比較してどのような特徴があるのかといった研究書ではなく、多くはチェスの指し方に関する実践的な内容であったり、チェスにある程度詳しい人向けに名対局・名選手に関するエピソードを集めた内容でしかないもので、「チェスとは何か」という定義に関しては無頓着な内容に感じました。このような「定義について何も書かれていない文献」を基準に「これらの文献に載っていない定義は書かない」というルールを決めれば、概要文には何も定義を書けないことになってしまうでしょう。

  • [03] 『はじめてのチェス』 渡井美代子・著 成美堂出版 ISBN 4-415-02549-8
  • [06] 『チェス戦略大全Ⅰ』 ルディック・パッハマン・著 小笠誠一・訳 ISBN 978-4-8282-0534-2
  • [12] 『チェス・マスター・ブックス(6) チェス小百科』 有田謙二・著 河出書房新社 ISBN 4-309-72176-1
  • [15] 『ボビー・フィッシャーの究極のチェス』 ブルース・パンドルフィーニ・著 東公平・訳 河出書房新社 ISBN 4-309-26257-0

ここまでの議論は「チェスの専門家が言及していない事柄は、チェスの定義としては取るに足りない」という前提の元で進められてきましたが、私はその前提自体に疑念を感じています。確かに優れたチェス・プレイヤーは、チェスのルールや戦略・戦術に関しては精通しており、そのような分野に関しては専門的な知識を持っていると言えるでしょう。ですが、「チェスが何であるか」という定義に関しては、果たして同様に専門家と言えるのでしょうか? 辞書によれば、定義とは「ある概念の内容やある言葉の意味を他の概念や言葉と区別できるように明確に限定すること」大辞林より)であるとされます。私は、チェスに限定した事柄に深く狭く精通した専門家ではあるが、ひょっとしたら他のゲームについてはあまり詳しくなく、チェスの定義や位置づけに関しては素人であるかも知れない者の意見よりも、チェスだけではなく他のゲームにも精通し、比較研究という広い視点からチェス独自の特性や歴史を語ることができるような、遊戯史の専門家やゲーム理論家の方が、チェスの定義を説明する上で「信頼できて権威のある情報源」の度合いが上ではないかと考えます。

我々はチェスの指南書ではなく、百科事典を作ろうとしているのです。確かに以前の議論で私がゲーム理論の文献として挙げた書籍でも、はっきりとこう書かれています。「理論を持つにもかかわらず、ゲームの理論家はチェス・ゲームで負けるのである。白い駒でプレーしても黒い駒でプレーしても負ける」と(『ゲームの理論入門 チェスから核戦略まで』p37、ISBN 4-06-117817-2)。また、ディープ・ブルーとの対局を経験したカスパロフも自著の中で、「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という用語こそ触れないものの、科学的・数学的な手法で着手の全てを網羅するような手法はコンピュータにとっても有益でないことに繰り返し言及しています(『決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣』、ISBN 978-4-14-081262-4)。確かに「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という分類は、チェスの内側にいるプレイヤーにとっては勝敗に寄与しないトリビアでしかなく、この用語がチェスの専門書でほとんど省みられないのもある意味当然と言えます。ですが、百科事典を作る上でチェスという言葉を定義し、チェスという概念が他の概念との比較の上でどのように位置付けられるのかを場合は、「二人零和有限確定完全情報ゲーム」のような、チェスと他のゲームがどのように違うのかという分類は、むしろ重要なものであると私は考えます。--Kanohara 2009年11月7日 (土) 07:08 (UTC)

「チャトランガが起源」「西洋将棋」を記載すべきか否かについて

  解決済み提案内容を記事に反映しました。--Kanohara 2009年12月5日 (土) 17:00 (UTC)

チャトランガについてですが、このノートでは重要な資料であると位置付けられている「チェスの専門書」の幾つかでも、(チャトランガという固有名詞を出していないものを含めれば)「チェスの起源は古代インドだと言われている」ことに言及している書籍を何冊か見かけました。また、遊戯史の観点からチェスや将棋に触れている書籍では、チャトランガという固有名詞にも触れられているようです。

古代インドに発祥し、ヨーロッパ文明の発達とともにみがき上げられてきたチェスは、いまや世界100ヶ国のひとびとに愛好されている国際人必須のゲームとなった。 — 松本康司「あとがき」『チェスの名人になってみないか 図解チェス入門』青年書館、1980年3月、278頁頁。全国書誌番号:80023310 
形の違う6種類の駒を使って四角な盤の上で2人の競技者が知的なゲームを競うのがチェスですが,その正確な起源は現在でもはっきりわかってはいません。歴史家の間では,精神文化の発達していた古代インドが発祥の地だとされていますヒンドスタン地方に伝わるチャトランガというゲームが,チェスの原型であろうというのが一般的な説となっています。 — Рохлин, Яков Герасимович 著、日本チェス協会 訳「第I部 チェスの歴史 (1)古代のチェスとロシアの名人」『楽しいチェス読本(原題 Книга о шахматах)』(第1版)ベースボール・マガジン社、1977年10月25日(原著1975年)、2頁頁。全国書誌番号:77028261 
チャトランガが西方にむかって最初に伝えられたのはペルシア(現在のイラン)である。イランの古文書には、チャトランガがインドから伝えられたという伝説が記されている。(中略)なお、われわれはチェス=西洋将棋といい慣れているが、それぞれの国々や地方によって異なった名称がある。ただ、いずれも古代インドの原始的な四人制さいころ将棋に付けられた、〈チャトランガ〉が語源になっている。 — 増川宏一「チェス」『盤上遊戯』(初版)法政大学出版局〈ものと人間の文化史(29)〉、1978年7月10日、137頁頁。ISBN 978-4588202919 

松本康司氏は日本チェス協会の会長であった人物で、Я.Г.ロフリン氏はロシア語版ウィキペディアに項目もある専門家です。増川宏一氏についてはウィキペディアの記事が詳しいのですが、チェスの歴史に関しては海外の遊戯史研究家からも一目置かれる遊戯史研究家でもあるとのことで[17]、これは専門家の意見であると見なしてよいと私は考えます。これらはチャトランガ四人制起源説が主流であった頃の著書であるものの(増川宏一#世界における将棋の起源も参照)、チャトランガがどのようなゲームであったのかについてはまた別の話であり、「チャトランガ起源説はチェスの定義としては紹介するに取るに足りないか否か」という今回の議論のうえで些細なことであると考えます。

また、チェスがかつて「西洋将棋」と呼ばれていたことの文献としては、幾つか記述があります。前述の「ものと人間の文化史(29) 盤上遊戯」(増川宏一著)もそうですし、日本オリンピック委員会(JOC)のサイトにおけるチェス紹介記事でも言及されています。

日本へは8世紀頃に伝わったと言われていますが、かつては「西洋将棋」と呼ばれていた時代がありました。 — チェス”. 競技情報. 日本オリンピック委員会 (2006年). 2009年11月7日閲覧。

上記の引用では「かつては」という表現を用いていますが、この表現はまったくの死語ではないと考えます。以前の議論で出されたYahoo百科事典の記事の著者でもある東公平氏が、朝日新聞の記事上でこの表現を用いている例があり、広く用いられている訳ではないにしろ言及する必要のない表現であるとは思えません。

チェスには飛び駒が多いので横歩取り△8五飛戦術に「西洋将棋風味」を感じることがあるし、最近の短手数の詰め将棋はチェスの問題に似てきた。 — 東公平 (2004月5月21日). “第22回朝日オープン将棋選手権 五番勝負第3局”. asahi.com (朝日新聞社): p. 第4譜. http://www.asahi.com/shougi/open22/5ban03/04.html 2009年11月7日閲覧。 

多くの辞書や百科事典で「西洋将棋」という語について触れているのは以前に述べた通りです。

「西洋将棋」という語が使われたのは数十年も昔のことであり、近年はあまり使われないのだから書く必要がない、という主張に対しては明確に反論しておきます。ウィキペディアは老人から子供まで読まれることを想定する必要がありますが、「西洋将棋と言い慣れていた」時代はせいぜい30年前であり、その世代を生きた方々がまだ存命しインターネットを利用していること、そして現在においてもまったくの死語ではなく、チェスの解説として用いられる表現であることを考えると、「西洋将棋」という異名に触れることは「Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)」で求められている「主題の別名や、間違いやすい範囲外の内容なども、導入部に記してください」「よく知られている別名があれば、導入部に太字で書く」といったガイドラインに沿ったものであると考えます。また、チェスを同じチャトランガ系統のゲームである将棋がよく知られている日本においては、やはりチェスと将棋との比較は避けられないことであり、「将棋と似たゲーム」というだけで解説を済ませてしまうことは避けるとしても、何らかの言及は必要ではないかと考えます。

チェスの起源には諸説があるが、一般的には古代インドのゲーム、チャトランガが起源であると言われている[1]。日本では同じチャトランガ系統のゲームである将棋がより古くから知られており、チェスは西洋将棋とも呼ばれた[2]。一方で盤の広さや駒の強さ、取った駒の扱いに関するルールの違いから「将棋とは似て非なるゲーム」であるとも言われる[3]

出典(一部)
1. 『楽しいチェス読本(原題 Книга о шахматах)』ベースボール・マガジン社、1977年10月25日(原著1975年)、2頁頁。全国書誌番号:77028261 
2. チェス”. 競技情報. 日本オリンピック委員会 (2006年). 2009年11月7日閲覧。
3. “第22回朝日オープン将棋選手権 五番勝負第2局”. asahi.com (朝日新聞社): p. 第7譜. (2004月5月8日). http://www.asahi.com/shougi/open22/5ban02/07.html 2009年11月7日閲覧。 

このような記述ではどうでしょうか。少なくとも「チャトランガが起源であるとか、西洋将棋という定義に言及したチェスの専門書は存在せず、概要文に掲載する文章として不適切」といった、以前出された問題点については、解消されているのではないかと思いますが、別の観点から「やはり不適切であり記載すべきではない」と考えておられる方がいるのでしたら、その根拠を添えて意見など頂ければと思います。--Kanohara 2009年11月7日 (土) 11:53 (UTC)

まず「チャトランガが起源」について。こちらの方については、私は強く反対していません。ただ本稿には「チェスの歴史(概略)」という、すでにアウトライン(概略)をまとめた項目が存在しています。それでなくても本稿はボリュームが大きいので、あまり重複した記述は避けるべきではとコメントしただけです。検証可能性にも問題ありませんし、上記(11月7日付)で御提案して頂いた程度なら大丈夫ではないでしょうか。
ただ、「日本では同じチャトランガ系統のゲームである将棋がより古くから知られており」は不要だと思います。このフレーズと次の「チェスは西洋将棋と呼ばれた」は、意味的につながりません。おそらく一部の(チェスに疎い)閲覧者は、「西洋将棋は古くから知られている」といった妙な誤解を抱くでしょう。
「西洋将棋」の方は、やはり賛成できませんでした。本稿の「概要」の節への記載に反対します。以下、その理由になります。
(1)辞書・辞典について
こちら」にもありますが、ウィキペディアは辞書ではありません。もちろん参考にするのは構わないと思います。しかし古い辞書の内容をひっぱり出してきて、百科事典の「概要」の典拠にする案はどうかと思います。
Kanoharaさん自身も触れられていますが、辞書によって「西洋将棋」の表現はあったりなかったりしています。またチェスが「西洋将棋」として解説されている辞書についても、「西洋将棋」が見出し語として登録されていない物もあります。(例:『岩波国語辞典 第5版』 『小学館BookShelf Basic』 etc)それらは「チェス→西洋将棋」という参照はできても、「西洋将棋→チェス」という参照は不可能なのです。とても「西洋将棋が浸透している」とは感じられません。「西洋将棋」は正式な用語でななく、単なる「語釈」なのです。
同じような例としては、バックギャモンがあげられるでしょう。「西洋すごろく」などの訳語も一部の辞書にありますが、現在ウィキペディアのバックギャモンの記事には採用されていません。
異なる二つの用語が広く浸透している例としては、「囲碁」と「」があげられます。これらの用語は二つとも古くから存在しており、ともに同じゲームを指しています。どの辞書・辞典・百科事典でも同格に扱われていて、「囲碁→碁」の参照も「碁→囲碁」の参照もまったく問題ありません。この点でチェスと西洋将棋の関係とは、大きく異なると言って良いでしょう。
(2)公式団体
前にもお伝えした事ですが、チェスの公式団体は「日本チェス協会」と「日本通信チェス協会」です。この二つの団体は、現在・過去いずれにおいても「西洋将棋」という訳語を認めていません。「特定の団体に加担すべきではない」と反論されるかもしれませんが、近年発行されたほぼ全ての新聞・雑誌・書籍は、それに準拠しているのです。実際東公平氏ですら、その著書の中ではほとんど「チェス」という用語を使用しています。「西洋将棋」の用例については、調査すること自体非常に苦労するありさまです。
Kanoharaさんが御指摘されている通り、「西洋将棋」という用語は以前使用されていました。しかしそれは一部であり、詳細についてもはっきりしていません。過去に山ほど使用されていたのであれば、「チェスは西洋将棋と呼ばれた」の表現もうなずけます。しかし実情は、「チェスは一部で西洋将棋と呼ばれていた」あるいは「チェスは西洋将棋と呼ばれた事もある」です。本稿の概要の節に記載しなければならない必要性は、私にはまったく感じられません。
(3)チェス=将棋
Kanoharaさんは一部の古い文学作品で、チェスを「将棋」と訳している例を御存知でしょうか。古い文献には適切ではない出典も存在する事を知って頂くため、あえてここで引用しておきます。
「というわけで、ルイ13世とリシュリューとは、夕方、将棋を指しながら、召しかかえた銃士の自慢話から口論を始めるのがお決まりになっていた。」
『ダルタニャン物語 第01巻 友を選ばば三銃士』 p37〜p38 
 原作:アレキサンドル・デュマ 訳:鈴木力衛 講談社文庫 ISBN 4-06-133071-3
今この文章を読めば、まあ御愛嬌というか笑い話ですね。日本で現在より遥かにチェスが普及していなかった時代に、翻訳家が苦労して残した足跡とも言えるでしょう。しかしこの本の初版は昭和50年で、それほど古い物ではありません。こういった本を論拠に「チェスは将棋とも呼ばれていた。」などと主張する人が出てきたら、一体どう対応したら良いのでしょうか。
(4)シャンチー
これも以前お伝えした事ですが、重要なので付記しておきます。以前このシャンチーの記事でも、ゲームの表記をめぐり「シャンチー」か「象棋」か「中国将棋」かで論争が起こりました。その際に議論の参加者の一人であったNihonjin氏は、「中国将棋」を主張しガンとして自説を曲げませんでした。さまざまな辞書・辞典などを論拠とした点が、今回の「西洋将棋」のケースと少し似ています。
ただこのNihonjin氏はほとんど他者の意見に耳を貸さず、ノートページに自論を書きまくりました。強引な編集を繰り返し、「中国将棋」のリダイレクトを強行しました。その挙句、無期限の投稿ブロックを受けてしまいました。私はKanoharaさんが、このようなタイプの人間だとは思っていません。意見こそ対立してしまいましたが、かなりの見識を備えたウィキペディアの標準的な投稿者の一人だと認識しています。だからこそ、これまで長々と御忠告申し上げた次第です。
(読み返すのがウンザリするほど)長く続いた議論の結果、「中国将棋」の表現はシャンチーの定義部分(冒頭部)から外されました。しかし記事から除去されたわけではなく、この表現はシャンチー#名称に残っています。
「西洋将棋」についても、本稿の「概要」以外の記載であれば私は反対しません。「日本におけるチェスの歴史」等の項目を新設してそこに(参考情報として)記載するのが、あるべき姿だと思います。
--Compatible Access 2009年11月7日 (土) 22:23 (UTC)
シャンチーの議論は記事名に関する議論であり、Nihonjin氏の主張は概ね記事名を「中国将棋」に改名すべきとする主張であったと把握しています。概要内で「中国将棋」に触れないことになったのは、シャンチーには数多くの異称や名称に関しての議論があり、よく知られた異称を絞り込んだ結果、節を分けることになったということであると考えます(Wikipedia:スタイルマニュアル (導入部)#別名も参照)。またNihonjin氏がブロックとなったのは検証不可能な個人的体験に基づく感情的な主張を繰り返したからであって、今回の議論にはあまり関係ないと考えています。何も私は、記事名を「西洋将棋」にすることを提案している訳ではありません。
チェスの訳語に「将棋」が使われる例は、どの辺りが笑い話なのかは分かりかねますが、日本ではチェスが将棋の一種と理解されている(されていた)ことは、Compatible Accessさん例示の「ダルタニャン物語」を引き合いに出すまでもなく事実でしょうし、ウィキペディアの読者には、チェスのことを調べるために最初に国語辞典で「西洋将棋」という解説に行き当たり、それ以上の情報を求めてやって来たような方もいることでしょう。だからこそなおさら、記事内できちんと説明すべきだと考えます。もちろんチェスは将棋の亜流などではなく(源流は同じでも)異なるルールと文化的背景を持つゲームですから、チェスに慣れ親しんだ人やチェスの公式団体にとっては「西洋将棋」という表現は使いたくないことでしょう。しかし百科事典は、あらゆる情報を網羅し説明することがその使命であって、例えば「西洋将棋」なる不適切な表現をこの世から根絶するため読者の目に触れないよう目立たなくするようなことは、本分から外れると考えます。「西洋将棋」という表現がチェスに相応しいか相応しくないかの判断は、判断材料となる情報を示した上で読者に委ねるべきだと考えます。
私は、チャトランガを引き合いに出すことで、チェスと将棋が共通のルーツを持つ兄弟の関係であることを示し、「日本でチェスが将棋の一種と理解されているのは単に歴史的に将棋の方が先に広く普及していたからであって、どちらがオリジナルという訳ではない」というような解説を、(もちろん出典に添った形で)概要文で示すべきだと考えています。それを説明する上では、日本人のチェス観を端的に示す「西洋将棋」という言葉を引き合いに出した方がスマートにまとまりますし、冒頭部のスタイルマニュアルにも沿った表現だと考えています。また概要とは記事全体の要約でもあるのですから「チェスの歴史」の記事と一部重複したとしても問題ないと考えます。以上の理由から「日本では同じチャトランガ系統のゲームである将棋がより古くから知られており」といった記述は必要だと考えていますが、そう読み取れなかったとすれば私の文才の無さが原因であって、本意ではありません。
なお「西洋将棋」が「現在は使用されていない表現」であるという出典についてはなかなか見つからず、JOCのサイトの記述はそう拡大解釈できないこともないのですが、実際には現在でも国語辞典などで用いられている表現ですので、「一部で」「呼ばれた事もある」といった表現は事実の歪曲あるいは独自研究になってしまうのではないかと危惧しています。これは出典に反しない範囲で、何か上手い表現はないかと考えているところです。
Compatible Accessさんの意見も参考にしつつ、自分でも気になった部分もあるので、少し記述を修正してみました。

チェスの起源には諸説があるが、一般的には古代インドの戦争ゲーム、チャトランガが起源であると言われている。日本では同じチャトランガ系統のゲームである将棋の方がチェスよりも遥かに競技人口が多く、また基本的なルールも似ていることなどから、チェスは西洋将棋と訳されることがある。一方でチェスと将棋はチャトランガが異なるルートで東西に伝播しそれぞれ異なる変遷を遂げたものであるとされ、盤の広さや駒の性能、取った駒の扱いに関するルールの違いなどから、両者は似て非なるゲームであるとも評される。

若干冗長でもありますし、個人的には問題ない範囲だと思うものの、出典とは異なる表現を使っている部分もあります。例えば発表済みの情報の合成にならないよう出典に即するなら、西洋将棋の部分は「日本では同じチャトランガ系統のゲームである将棋の方がチェスよりも遥かに競技人口が多い。基本的なルールは似ている。チェスは西洋将棋と訳されることがある」と書くべきかも知れませんが、個人的には問題のない範囲だろうと考えています。
私は概要での「西洋将棋」への言及は必要であると私は考えていますが、それとは別に「日本におけるチェスの歴史」あるいは「チェスと将棋」等の項目を新設して、そこに更なる詳細を書くということであれば賛成できます。--Kanohara 2009年11月8日 (日) 20:04 (UTC)

すっかり議論が停滞していますが、初版が30年以内に出版されたチェス関連の書籍で、「西洋将棋」という語が使用されているものを図書館にて発見しましたので、報告しておきます。

我国では,チェスのことを,将棋によく似ているところから「西洋将棋」とも言っております。

— 倉田操「チェスについて」『ゲームとチェスの遊び方』(9刷)虹有社、1981年7月10日、103頁頁。全国書誌番号:93009517 

この書籍は厳密にはチェスについてだけの書籍ではなく、前半半分はドミノ、ダイスゲーム、バックギャモン、ルーレット、チェッカーに関する内容です。ただ、総ページ数192ページのうち約半分に当たる99から192ページまでがチェスのルールや戦術の解説に紙幅が割かれていて、十分に(Compatible Accessさんの定義における)チェスの書籍であると見なせるものと考えます。1981年という出版日は、Compatible Accessさんが示した「30年以内」という条件としてはギリギリですが、少なくともこの書籍では「西洋将棋とも言っている」と明言しており、かつてはそうした表現が用いられていたことを示す出典としては十分であると考えます。

ただ一冊の書籍で言及されているだけではないか、という意見に対しては、多くの辞書や百科事典で「チェス=西洋将棋」という定義に触れられていることで、十分な特筆性が確保されていると考えますし、「触れられていない書籍もある」という点に関しては、別に「チェス」を「西洋将棋」へと改名しようという提案ではないのですから、多くの辞書で触れられているという事実だけで十分だと考えます。チェスにも将棋にも違ったルーツがあり正確な表現ではないという点については、以前に述べましたように、これは「西洋将棋」という単語が読者の目に入らないようにすることで対処するのではなく、読者に判断するための材料を提示することで対処すべき問題だと考えます。

出典が発見されたため、Compatible Accessさんが懸念していた問題については概ね解決したものと考えます。特にこれ以上の反論がないようでしたら、2009年11月8日 (日) 20:04 (UTC) の発言で提示した文案を記事に反映させようと思います。--Kanohara 2009年11月23日 (月) 16:09 (UTC)

  報告 「チャトランガ」「西洋将棋」という単語の記載に反対していたCompatible Accessさんの懸念は解決し、その後、Compatible Accessさんの意見に対しては反論こそあれ賛同する意見もありませんでしたので、合意は形成されたものと考えます。提案の内容を記事本文に反映させました。--Kanohara 2009年12月5日 (土) 17:00 (UTC)

戦争ゲーム・戦略ゲーム・抗争ゲーム

「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という用語を大きく扱うか否かはともかく、我々は百科事典の記事を作るという目的のために、「チェスが何であるか」という定義を説明する必要があります。私には現在の冒頭文は「チェスの定義」としては不足であると考えますが、同時に「二人零和有限確定完全情報ゲーム」という定義についても「分かり難い」という意見が提出されているため、これを概要から除外するか否かに関わらず、これに代わる説明が必要であると考えます。

図書館で、以下の文献を当たってみました。上の#「チェス関連の文献に載っているか否か」を概要に乗せるか否かの基準とすることについてのトピックで説明したように、私はチェスの定義としては、遊戯史の観点などからゲームの分類を説明した文献の方が、優れたチェス・プレイヤーによる言及よりも有意義であると考えております。以下の文献ではチェスやチャトランガを含めた様々なゲームが網羅されており、それぞれがどのような性質や歴史を持ったゲームであるのかを位置付ける記述がありました。

増川宏一氏の書籍『盤上遊戯』では、チェスや将棋などのチャトランガ系統のゲームを「戦争ゲーム」に分類しています。この分類と定義については「ボードゲーム#分類と歴史」でも言及されていますが、同書においてはこれを、

*直接に相手側の駒と向いあって、相手の駒を《捕獲》するタイプの遊戯を戦争ゲームという。
  • 特にチェスや将棋のように、それぞれの駒の性能が異なり、各々の駒が協力しあうことによって争うゲームは、戦争ゲームの特徴といえる。 — 増川宏一『盤上遊戯』(初版)法政大学出版局〈ものと人間の文化史(29)〉、1978年7月10日、130-142頁頁。ISBN 978-4588202919 

などと定義しています。

松田道弘氏の書籍『ベストゲーム・カタログ』では、p26-27の定義でチェスを「戦略ゲーム」の中の「コンクリフト(抗争)ゲーム」、に分類しています。「戦略ゲーム」という用語は、この書籍では概ね、サイコロなどを使わない、運の要素が絡まないゲームという意味で使われており、この定義は「二人零和有限確定完全情報ゲーム」の代わりになるのではないかと考えます。またこの書籍ではチェスなどの「コンクリフト(抗争)ゲーム」を「アブストラクトゲーム」と別種のゲームとして定義していますが、チェスには「駒の種類によってその性能が異なる」点が「使用する駒のどれもが等価値的な性格を持って」いる囲碁などとは異なる特徴であるとしています。

松田道弘氏の書籍では、チャトランガが「二人制の技術のゲームであったのか、四人制のチャンスのゲーム(サイコロなどを用いる、運の要素を用いるゲームのこと)であったのか」という議論にも触れています。またついたて将棋の定義に触れる際に、チェスや将棋との違いについても触れています。この辺りの言及は、個人的には「二人零和有限確定完全情報ゲーム」に関連する内容でもあり、チェスに運の要素が持ち込まれないことは有意義な言及だと思うのですが、この辺りは意見が分かれるところかも知れません。

チェスや将棋は、しばしば実際の戦争と比較されますが、その決定的なちがいは、盤上のゲームではつねに相手(敵)の動きがひと目でこちらにわかることでしょう。言いかえれば、相手方の全情報がオープンになっているわけです。実戦では、そうはいきません。 — 松田道弘『ベストゲーム・カタログ 遊びの新世界をパトロール』社会思想社〈現代教養文庫〉、1993年9月(原著1988年)、269頁頁。ISBN 4-390-11482-4 

増川宏一氏は前述のように、チェスの歴史に関しては海外の遊戯史研究家からも一目置かれる遊戯史研究家でもあるそうですから[18]、氏による「戦争ゲーム」という定義は専門家による、信頼性の高い情報源であると考えます。また、類似の定義が別の文献でも言及されていることは注目に値すると考えます。そこで私は、概要文に「戦争ゲーム」ないし「戦略ゲーム」「抗争ゲーム」といった用語や、また駒が向かい合わせに配置されること、駒ごとに性能が異なっていることへの言及を加えることを提案します。個人的には、これらは他のボードゲーム(例えばバックギャモンチェッカーなど)との違いを示す重要な特徴であるように思われ、有意義な言及であると考えます。--Kanohara 2009年11月7日 (土) 14:36 (UTC)

チェスの何がスポーツ(競技)であり芸術であり科学なのか

  解決済み提案内容を記事に反映しました。--Kanohara 2009年12月5日 (土) 17:00 (UTC)

チェスはスポーツであり芸術であり科学でもある、という「定義」はもう少し、チェスの経験がない人にもわかりやすいものである必要があると考えています。この文章が必要であると主張している方の側でも、Arstrikerさんの2009年9月22日 (火) 21:13 (UTC) における発言、Compatible Accessさんの2009年10月11日 (日) 23:32 (UTC) の発言を拝見する限り、問題点として認識されているものと考えます。そもそも幾つかの文献を読む限り、この概念はチェス・プレイヤーにとっては重要なものと認識されているらしく、チェスの指南書にはしばしばこの文言が登場する一方、そうでない人にとっては(ゲーム理論などの観点から数学的な関心がある科学的側面はともかく)「スポーツ」「芸術」の側面はあまり重視されていないようで、辞書や事典、遊戯史の書籍では、この定義はあまり登場しないように見受けられます。高名なチェス・プレイヤーであるガルリ・カスパロフ氏も著書の中で以下のように嘆いています。

つぎは科学的側面だが、チェスをやらない人たちはこの側面を強調しすぎるきらいがある。 — Каспаров, Гарри Кимович 著、近藤隆文 訳『決定力を鍛える チェス世界王者に学ぶ生き方の秘訣』(初版)日本放送出版協会、2007年11月30日、32頁頁。ISBN 978-4-14-081262-4 

幾つかの書籍に目を通した上での私見ですが、なぜ「スポーツ」「芸術」の面が「チェスをやらない人」から軽んじられるかというと、この概念はチェスを自分で指すプレイヤーにとってのみ重要な、心構えや、試合の場で発揮される勝利の秘訣に属する精神論的な概念であり、目に見える部分や分類ではないからである、という印象を受けています。以下のような言及もあります。

前世界チャンピオンのボトビニクイズベスチアの記者にこう語る。「チェスは科学者の分析力と、スポーツマン斗争精神と、芸術家のインスピレーションを要求する。このうち、どの一つを欠いても一流のプレイヤーとなることはできない — 松本康司『チェスの名人になってみないか 図解チェス入門』青年書館、1980年3月、20頁頁。全国書誌番号:80023310 
さて現代のチェスはその理論と実戦において思考の具体的且つ客観的性格の両面を要求しています。すなわちチェスの試合において競技,スポーツ,芸術,科学的認識等これら全ての要素を総合する能力が必要とされているということです。 — Рохлин, Яков Герасимович 著、日本チェス協会 訳「日本語版への序」『楽しいチェス読本(原題 Книга о шахматах)』(第1版)ベースボール・マガジン社、1977年10月25日(原著1975年)。全国書誌番号:77028261 

記事の定義を以下のように書き直すことを提案します。

チェス・プレイヤーの間では、チェスはゲームであると同時に「スポーツ」でも「芸術」でも「科学」でもあるとされ、ゲームに勝つためにはこれらのセンスを総合する能力が必要であると言われている。

チェスを文字通りの身体競技であると誤解されたり、チェスボードや駒の造形だけが芸術であると解釈されるよりは、このような文面の方がより分かりやすく、正しい意味も伝わりやすいと考えますが、どうでしょうか。--Kanohara 2009年11月7日 (土) 21:10 (UTC)

  報告 これについては特に反論もありませんでしたので、合意を得られたものと考え、文案を記事本文へ反映させました。--Kanohara 2009年12月5日 (土) 17:00 (UTC)

お詫びと報告

(このノートページの#裁定を御参照下さい。)
Xyzgataさんは本件の発案者でしたね。しかし10月9日のコメントを最後に、現在(11月7日)まで一度も発言されていません。今回のコメント依頼にあたっては、うっかり失念しておりました。この点についてはKanoharaさんにも、Xyzgataさん御本人にもお詫びします。
それと個人的な事情で大変申し訳ないのですが、これから年末年始にかけて仕事がたてこんでおり、これ以上議論に参加し続ける事ができなくなりました。当分ウィキブレイクに入らざるをえない状況です。今回かなり強引に「裁定」を出してしまったのも、そういった事情があったからでした。この点についても重々反省しております。
今後はKanoharaさんか別のどなたかに、本件の進行役をお願いします。これまで私は色々コメントさせて頂きましたので、もはや特筆すべきような意見は持ち合わせていません。「チャトランガの起源」 「戦争ゲーム」 「スポーツ・芸術・科学」などについては、(Kanoharaさんを含む)皆さんのお好きなようにして下さい。審議が正しい方法で進められるのであれば、誰がどんな結論を出そうと私はそれに従います。
ただ、最後に一つだけ。「西洋将棋」の用語については、どうしても賛同できませんでした。結論から言ってしまえば、これはどう擁護しても語釈(または俗語)なのです。今後も問題になると思いますので、詳細は#「チャトランガが起源」「西洋将棋」を記載すべきか否かについてにコメントしました。まあ、私の遺言だと思って読んで下さい。これに対してさらにコメントされるのも御自由ですが、おそらく私は返答する事ができません。あしからず御了承願います。
では皆さん、ありがとうございました。また私の至らない表現で不快な思いをされた方々、本当にすみませんでした。本稿チェスの更なる発展を祈りつつ、長い休みに入らせて頂きます。--Compatible Access 2009年11月7日 (土) 22:23 (UTC)
  コメント 遺言だと思って、と同情を求められても正直困るのですが、ウィキペディアは百年先二百年先の完成を見越した遠大なプロジェクトですので、時間ができた時にいつでも議論や編集に参加していただければと思います。「西洋将棋」「二人零和有限確定完全情報ゲーム」に関して最後まで合意点を見出せなかったのは残念ですが、Compatible Accessさんの懸念に対して何らかの合理的な解決がなければノートの総意と見なせないことは、理解しているつもりです。--Kanohara 2009年11月8日 (日) 20:04 (UTC)
「西洋将棋」が適切かどうかという議論は独自研究でしょう。ここでは、あくまで「西洋将棋」と呼ばれているのかどうかが問題であり。100%のチェス関連の書物に書かれている必要もまったくないでしょう。それなりに有名な複数の辞書に「西洋将棋」と書かれているのなら、「西洋将棋とも呼ばれる」という事実を否定できる理由は存在しないでしょう。--219.61.181.197 2009年11月23日 (月) 10:13 (UTC)
「西洋将棋」の語の件については、219.61.181.197さんの主張に同意します。もし今後、独自研究ではなく出典によって、Compatible Accessさんの主張するような「日本チェス協会は西洋将棋という用語を不適切であるとして認めておらず、出版物には使わないようにしている」という事実が証明することができれば、そのことを記事で言及する価値は大きいと考えます。ですがその場合の対処は、記事から「西洋将棋」の語を排除するという形ではなく、中立的な観点に従って「チェスは西洋将棋と訳されることもある。しかし日本チェス協会はこれを不適切な訳語であると主張しており、出版物にはこの用語を使わないよう求めている」といった形で記載すべき内容だと考えています。--Kanohara 2009年12月5日 (土) 17:00 (UTC)

  情報 その後長いこと放置しているのですが、たまたま調べ物をしている最中にふとこの記事のことを思い出し、「"日本チェス協会"+"西洋将棋"」で検索したところ、このようなページがヒットしました。日本チェス協会トップページの「チェスとは?」のリンクから飛べる記事ですが、ここに「我が国でチェスを「西洋将棋」とも言うのはそのイメージが強いからであるが……」という一文が確認できます。このページの存在により、「日本チェス協会では、公式サイト・各種出版物ともに『西洋将棋』という用語を一切使用していません」というCompatible Accessさんによる2009年10月9日 (金) 18:01 (UTC) の指摘は、前提となる主張が覆されたことになります。Compatible Accessさんは現在、少なくともこのアカウントではウィキペディアでの編集活動をしていない様子ですが、これでCompatible Accessさんが「遺言」としていた懸念事項については解決したものと考えます。--Kanohara会話2013年2月4日 (月) 16:03 (UTC)

ローカルルールに関する報告

11/3に名無しの編集者氏によって「チェス駒をモデルにしたキャラクター・システムが登場する作品」という節が投稿されていましたが、

基本ルール 3-(1)チェスの「駒」のみのモチーフや、チェスがワンシーンしか登場しないような作品は対象外とする。

に抵触すると判断したため除去しました。この場で報告させていただきます。--PuzzleBachelor 2009年11月5日 (木) 16:05 (UTC)

PuzzleBachelorさん、御協力ありがとうございました。事後報告で申し訳ないのですが、上記のセクション名(「報告」)の箇所だけ変更させて頂きました。
ローカルルールに御不満がある方、あるいは本稿を大幅に変更されたい方は、まずノートでの議論(対話)を呼びかけて下さい。この事はもちろん、名無しの編集者さんに限りません。その際はローカルルールや過去ログに目を通しておく事、ウィキペディアの各種ルールやガイダンスを理解しておく事が前提となります。--Compatible Access 2009年11月6日 (金) 07:44 (UTC)

2011年に入ってからの編集で、以下の項目が追加されています。

  1. DRAGON QUEST -ダイの大冒険-
  2. 逆転検事2
  3. 刑事コロンボ「断たれた音」(映画)

1.は、「チェスの「駒」のみのモチーフや、チェスがワンシーンしか登場しないような作品は対象外とする。」に該当するので見つけ次第除去しています。

残る2.と3.ですが、以下の点から除去が妥当と判断しました。

逆転検事2
主人公御剣怜侍の項目によれば主人公はチェスに自信があるらしいが、作中でチェスを行った記述は見られない。起こる事件もチェスに無縁。
「ロジックチェス」と呼ばれるシステムがあるが、「駆け引きをチェスに例えたもの」であり実際のチェスには関係ないと考えられる。
(当該作品を所持していないため、上記2点はWikipedia内の記述から判断しました)
刑事コロンボ
ドラマの項目に既にあるので重複。英語版を確認したがこのエピソードが映画化された形跡は確認できなかった。

最低1週間待って反対意見がなければ、頃合を見て除去しようと思います。--PuzzleBachelor 2011年4月8日 (金) 18:54 (UTC)

上記2件は除去しました。「逆転検事2」は削除後再投稿がありましたが、これも除去しています。--PuzzleBachelor 2011年5月29日 (日) 06:16 (UTC)

新規に『チェスをする女』(ベルティーナ・ヘンリヒス)が追加されています。実物は読んでないですが書評を見る限り「1.チェスが主題になっている作品」に該当すると思われるので私はこのまま残します。異論があればお願いします。--PuzzleBachelor 2011年5月29日 (日) 06:16 (UTC)

アニメに2件追加されています。

  • 黒執事
  • ダーティペア

前者は、作品の記事を見ても関連性が見当たりませんでした。後者は以前「#ダーティペア(TVアニメ)」節で取り上げられたものの検証できる人がいなくて掲載保留になったものです。個人的には掲載して問題ない範疇だと考えます。--PuzzleBachelor 2011年6月15日 (水) 15:44 (UTC)

  提案 具体的に作中でどのようなチェスとの関わりがあるのかという解説文を、記事に明記することを必須として、記述がないものや、あってもローカルルールに反するものについては除去していく方針にしてはどうでしょうか。ただ作品名を列挙されるより資料性の高い内容になると考えます。--Kanohara 2011年6月16日 (木) 00:01 (UTC)
解説文を付けるという方向性には賛成します。ただ、上であがっているダーティーペアのようにネタばれを含む場合には注意が必要だと考えます。--PuzzleBachelor 2011年6月16日 (木) 16:37 (UTC)
  コメント 現在の「Wikipedia:ネタバレ」によれば、ウィキペディアでは百科事典の目的に沿ったネタバレは、ネタバレであるという理由で記事から除去してはならないことになっています。もちろん詳細な描写まで踏み込んで記載する必要はないので、親切心から「事件の真相にチェスが関わっている」のような形でぼかして書くことも個々の執筆者の自由だと思いますが、核心を言い当てた方が簡潔に表現できる場合や、どう書いてもネタバレになってしまうような場合はネタバレをためらうべきではないと考えます。--Kanohara 2011年6月16日 (木) 23:57 (UTC)

漫画の項目で、

  • 黒執事

上で関連性なしとの発言に反論なきまま残されていますが、削除してもいいんじゃないでしょうか?

  • マンガでおぼえるチェス入門

これはチェスを扱った作品と言っていいんでしょうか?(ちゃんとした物語なら別ですが)これがよければ、チェス入門書や戦術書はすべてOKってことになりますがどうでしょうか。--123.230.26.225 2011年11月19日 (土) 16:59 (UTC)

山本佳奈咲木音穂Di〔e〕ce‐ダイス‐』を削除しました。理由はこの物語にはチェスはまったく関係してないからです。単に、敵対する集団をチェスとみなして、キングとか、ポーンと呼び合っているだけで、実際のチェスはしてないんです。駒やボードの絵も出てきますが、あくまでもイメージで、またプロモーションなどの用語についても、これもかってにそう名づけてるだけの話でチェスはまったく関係ないからです。--221.16.194.230 2012年2月28日 (火) 06:13 (UTC)

敵駒にプロモーション?

ノート:ポーンでお尋ねするべきかもしれませんが、より多くの方がいらっしゃるであろうこちらで質問します。ポーン#cite_note-3に、「以前は敵駒へ成ることもできた」とありますが、本当でしょうか。こちらの話などが元になっているのかもしれませんが、スマリヤンの創作である可能性があるように思います(仮に創作であっても興味深い話ですが)。武者野先生の掲示板 ([3359] やそれに対するレス) もご参考にどうぞ。何か御存知の方がおられましたら、御教示ください。--白駒 2009年12月10日 (木) 13:10 (UTC)

外部リンク

日本や国際協会があるので地方サークルなどは要らないと思います。リンクにも特筆性が必要ではないですか?

記事導入部について

現在の導入は、チェスを知っている人にしか理解しがたいものではないでしょうか?

  • チェスのルールの一部である”キング”という名称を、用具やルールといった項の前に持って来るべきではないと思います。

また、”チェス”の記事であって、”チェスの勝利条件”ではないのですから、”~を追い詰めるゲームである”は不適当かと思います。

  • ”チェスはゲームであると同時に「スポーツ」でも「芸術」でも「科学」でもあると(以下略)”も同様に、マインドスポーツの代表格であるとか、コンピュータチェスやゲーム理論に関する説明なしには理解し難いものです。私自身この言葉には共感もできますし端的な比喩だとも思いますが、導入としては不親切です。”チェスについての発言”等のような項目を新たに追加してそこに納めるべきものではないでしょうか。(チェスを知らない知人にチェスを説明する時、真っ先に前述の言葉を引用するか?→西洋将棋という語評の正当性は別にして、”西洋将棋”という語は説明の導入として平易)
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