ブッチー武者

お笑いタレント、俳優

ブッチー武者(ブッチーむしゃ、本名:武者 博和(むしゃ ひろかず)[1]1952年8月6日[1] - )は、長野県東御市出身[1]お笑いタレント俳優。BMCエンタープライズ所属。血液型はB型。

遍歴 編集

上京して建築設計事務所に勤務していたが[1]、学生の頃にコーラス部で活動していたのが忘れられず、歌声喫茶の歌手兼司会者に転身する[1]1975年、児童音楽歌劇団に所属し小・中学校で公演する[1]中、その2年後の1977年に演出家のはかま満緒が講師を務めるNHKお笑いオンステージ コメディー研究会』のオーディションに合格し、それと同時にコメディアンで活躍していたレオナルド熊に師事する[1]。その熊が石倉三郎との関係の悪化によるコンビ『ラッキーパンチ』を解散した後『コント・レオナルド』と命名し、ブッチー武者を相方にして活動を始める[2]。しかし、師匠で相方でもある熊との関係は決して良好ではなく、更に武者は熊から執拗ないじめを受けていたこともあって精神的に追い詰められ、心労が元で遂にノイローゼ神経症)にまでなってしまう程深刻であった。更に追い討ちをかけるように武者は舞台中のコントで転倒し、足を骨折する不運も重なってしまう。この骨折による負傷で『花王名人劇場』の出演が取りやめになったことへの責任を取らされ、コンビは解消された。

その後水島びんとコンビを組み「アッパー8」を結成[1]1982年日本テレビお笑いスター誕生!!』では5週連続で合格し銀賞を獲得した[3]

翌年の1983年10月からフジテレビオレたちひょうきん族』内の人気コーナー「ひょうきん懺悔室」がスタートし、武者は「懺悔の神様」として登場した。この出演をきっかけに武者は人気者になり知名度も一気に上昇する[4]

その後「アッパー8」は自然消滅。芸能活動を続ける中、歌舞伎町でスナック「女無BAR懺悔の部屋」を経営[5]東京赤羽にも店を出し、知り合いに任せている。

2008年7月頃より、携帯3キャリアとPCブログに連動した動画ブログを開始している。

2008年7月27日フジテレビ系『FNS27時間テレビ!! みんな笑顔のひょうきん夢列島!!』内で復活した「ひょうきん懺悔室」にて久々に懺悔の神様として登場した。

2009年3月、元ゆーとぴあのホープ(城後光義)、激弾BKYUの座長ハルト(酒井晴人)と「ホープ軍団」を結成した。

2011年1月逝去した横澤彪の葬儀では、懺悔の神様の衣装に黒腕章の姿で参列した。

2013年12月、スタークコーポレーションから独立。後に個人事務所「BMCエンタープライズ」を設立し、「劇団ZANGE」を発足させる。2014年9月には、認知症の高齢者介護をテーマにした旗揚げ公演『生きる』を自らが座長となる形で上演した[6][7]

出演 編集

テレビドラマ 編集

バラエティ 編集

舞台 編集

  • 吉幾三コマ劇場公演
  • ロマンティックライフspecial〜大切な人の真実を見つめることが出来ますか?〜(2004年 - ) プロデュース・主演・演出
  • 老コメディアン物語・とりあえず夢…(2008年) - 死神 役
  • 息吹きの瞬間(2011年) - 古波蔵徳一郎 役

映画 編集

オリジナルビデオ 編集

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h 河北新報 1984年3月24日 20面「登場」コーナー
  2. ^ この際に、関西テレビ花王名人劇場』にも2回程出演している。
  3. ^ 6週目で3度不合格の後、最終的に6週目まで合格している。
  4. ^ なお、懺悔の神様を演じる際にはカツラと付け髭を着用しており、実際の姿とは別人の様相であった。
  5. ^ "嗚呼、素晴らしき「80年代テレビ黄金時代」を語り尽くそう!〈ブッチー武者〉「ひょうきん懺悔室」は朝8時から深夜まで待機". Asagei Plus. 徳間書店. 4 March 2024. 2024年3月4日閲覧
  6. ^ <ひょうきん族>神様役の芸人ら、認知症介護を劇に - 毎日新聞2014年9月1日
  7. ^ ひょうきん懺悔室のブッチー武者、初座長舞台が話題に - 夕刊フジ2014年9月6日

外部リンク 編集