マヌ・ディバンゴ

マヌ・ディバンゴ(Manu Dibango)ことエマニュエル・エンジョーク・ディバンゴ[2](Emmanuel N'Djoké "Manu" Dibango、1933年12月12日[2] - 2020年3月24日[3])は、カメルーンサクソフォーン奏者、ヴィブラフォン奏者、ソングライター。1972年のシングル『Soul Makossa』で知られる。ジャズファンク、カメルーンの伝統音楽を融合させた音楽スタイルを確立した。ディバンゴの父はヤバッシ族フランス語版、母はドゥアラ族英語版であった。

マヌ・ディバンゴ
Manu Dibango
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2019年のディバンゴ
基本情報
出生名 エマニュエル・エンジョーク・ディバンゴ
Emmanuel N'Djoké Dibango
生誕 (1933-12-12) 1933年12月12日
Flag of France (1794–1815, 1830–1958).svg フランス領カメルーンドゥアラ
死没 (2020-03-24) 2020年3月24日(86歳没)
フランスの旗 フランスパリ
ジャンル
職業
担当楽器
活動期間 1961年 - 2020年
公式サイト manudibango.net

2020年3月24日、新型コロナウイルス感染症により死去した[4][5]

生い立ち編集

1933年、フランス領カメルーンドゥアラに生まれる。

父のミシェル・マンフレッド・エンジョーク・ディバンゴ (Michel Manfred N'Djoké Dibango[6]) は公務員であった。ミシェルは農民の息子であり、ピローグに乗ってドゥアラに向けて旅をしていたときに妻と出会った[7]

母はファッションデザイナーであり、小さな会社を経営していた[8]。父の属するヤバッシ族フランス語版と母の属するドゥアラ族英語版の双方が、この異民族間での結婚を軽蔑視していた[7]

ディバンゴのきょうだいは、父の前妻との子で[9]、4歳年上の義兄が1人いたのみであった[10]

カメルーンでは、民族は父親に基づいて決定されるが、ディバンゴは自伝『Three Kilos of Coffee』において「両親のどちら(の民族)であるともいいきれなかった」と述べている[9]

ディバンゴのおじは、大家族のリーダーであった。彼の死後、ディバンゴの父は息子をヤバッシ族の慣習に全て従わせることができないとして、跡を継がせることを拒否した。幼少期を通じて、ディバンゴはドゥアラ語を話すようになり、徐々にヤバッシ語フランス語版を忘れていった。しかしながら、彼の家族はドゥアラ中心部のウーリ川英語版の近くにあるヤバッシ台地のヤバッシ野営地に居住していた[9]

子供の頃、ディバンゴは毎晩プロテスタントの教会に通い、宗教教育を受けていた。そこでは音楽も学び、飲み込みが早いといわれていた[8]

1941年、村の学校で教育を受けた後[11]、自宅近くの植民地学校への入学を許可され、フランス語を学んだ。また、ディバンゴを「並外れた製図家であり画家である」と評した教師を尊敬していた[12]。1944年、フランス大統領シャルル・ド・ゴールは、自身がカメルーンに到着した際の歓迎式典の会場としてこの学校を選んだ[13]

1949年、15歳のとき、ディバンゴはフランスサン=カレ英語版フランス語版にある大学に送り出された。その後、シャルトルリセピアノを学んだ[14]

経歴編集

ディバンゴはコンゴ民主共和国ルンバ英語版・グループ、アフリカン・ジャズ英語版のメンバーであり、ファニア・オールスターズフェラ・クティハービー・ハンコックビル・ラズウェルバーニー・ウォーレルレディスミス・ブラック・マンバーゾキング・サニー・アデドン・チェリースライ&ロビーなどのミュージシャンと共演した。1976年に発売され、1978年にはアイランド・レコードより12インチシングルとしてリミックスされたディスコ・ヒットである『Big Blow』はイギリスにおいて大ヒットとなった。1998年、キューバ人アーティストのエリアデス・オチョア英語版とアルバム『CubAfrica』を録音した。

1974年のグラミー賞第16回グラミー賞英語版)では、『Soul Makossa』で最優秀リズム・アンド・ブルース・インストゥルメンタル・パフォーマンス賞英語版および最優秀インストゥルメンタル作曲賞英語版ノミネートされた[15]

同名のアルバムに収録された『Soul Makossa』の歌詞に含まれている「マコッサ (Makossa)」という語はドゥアラ語で「(私が)踊る」という意味である[16]。この曲はクール・アンド・ザ・ギャングの『Jungle Boogie』などのポピュラー音楽のヒット曲に影響を与えた[17]

カメルーン・ミュージック・コーポレーションの初代会長も務め、アーティストの印税をめぐる論議では注目を集めた。また、2004年にはユネスコ平和芸術家に任命された[18][19]

1982年、マイケル・ジャクソンがアルバム『スリラー』に収録した楽曲『スタート・サムシング』において、『Soul Makossa』の「ママセ・ママサ・ママクサ[20]」 ("Ma ma-se, ma ma-sa, ma ma-kossa") というフック英語版を、ディバンゴの許諾も得ず、クレジット表記もせずに使用した。ディバンゴはこれに気付いて「大スター」を訴えようと考えていたが、ジャクソンはこの一節を引用したことをすぐに認めたため、示談により和解した[21]。2007年、リアーナは同部分をマイケル・ジャクソンの曲よりサンプリングして『ドント・ストップ・ザ・ミュージック』に使用したが、ジャクソンの許諾は得ていたものの、ディバンゴの許諾は得ていなかった[22]。2009年、ディバンゴはこの2人を盗作提訴した[22]。ディバンゴの弁護士パリ裁判所訴状を提出し、50万ユーロの損害賠償請求と、ソニーBMGEMIワーナーミュージックの各社に対し、「問題が解決するまで『ママセ・ママサ』関連の収入の受け取りを禁止する」よう求めた[23]。裁判官は、1年前に別の裁判官がユニバーサル・ミュージックに対して今後のフランスでの『ドント・ストップ・ザ・ミュージック』の再販の際にはライナーノーツにディバンゴの名前を記載するよう命じ、ディバンゴはこれ以上の賠償請求を棄却していたことから、これは著作者人格権を放棄したものだとして、今回の訴訟は認められないと判断した[24][25]

2014年7月、パリのオランピア劇場で生誕80周年を記念したコンサートを行った[26]

2015年9月8日、フランコフォニー国際機関の事務総長のミカエル・ジャンは、ディバンゴに「2016年リオデジャネイロオリンピックフランコフォニーの推進役(グラン・テモワン)[27]」の役職を授与した[28]

2020年3月24日、新型コロナウイルス感染症のためパリで死去[3][29]

ディスコグラフィ編集

リーダーとして編集

  • Saxy-Party (Mercury, 1969)
  • Manu Dibango (Fiesta, 1971)
  • Africadelic (Mondiophone, 1972)
  • Soul Makossa (Fiesta, 1972)
  • O Boso (Fiesta, 1972)
  • African Woodoo (PSI, 1972)
  • Makossa Man (Fiesta, 1973)
  • Super Kumba (Fiesta, 1974)
  • Countdown at Kusini (D.S.T., 1975)
  • Afrovision (Fiesta, 1976)
  • Manu 76 (Fiesta, 1976)
  • Bande Originale du Film Ceddo (Fiesta, 1977)
  • A L'Olympia (Fiesta, 1977)
  • L'Herbe Sauvage (Fiesta 1977)
  • Anniversaire Au Pays (Fiesta, 1978)
  • Le Prix De La Liberte (Fiesta, 1978)
  • Home Made (Fiesta, 1979)
  • Gone Clear (CRC, 1980)
  • Piano Solo Melodies Africaines Vol. 1 (AfroVision, 1981)
  • Ambassador (CRC, 1981)
  • Waka Juju (CRC, 1982)
  • Mboa (AfroVision, 1982)
  • Soft and Sweet (Garima, 1983)
  • Deliverance Live in Douala (AfroVision, 1983)
  • Surtension (Garima, 1984)
  • Melodies Africaines Vol. 2 (AfroVision, 1984)
  • L'Aventure Ambigue (Carrere, 1984)
  • Electric Africa (Celluloid, 1985)
  • Manu Invite... Akofa Akoussah Au Togo (Blackspot, 1983)
  • Afrijazzy (Soul Paris, 1986)
  • La Fete a Manu (Buda Musique, 1988)
  • Negropolitaines Vol. 1 (Soul Paris, 1989)
  • Comment Faire L'Amour Avec Un Negre Sans Se Fatiguer (Milan, 1989)
  • Polysonik (Fnac Music, 1990)
  • Live '91 (Fnac Music, 1991)
  • Bao Bao (Mau Mau, 1992)
  • Wakafrika (Fnac Music, 1994)
  • Lamastabastani (Soul Paris, 1995)
  • Negropolitaines Vol. 2 (Soul Paris, 1995)
  • Papa Groove Live 96 (Wotre Music, 1996)
  • CubAfrica (Melodie, 1998)
  • Manu Safari (Wagram, 1998)
  • Mboa' Su Kamer Feeling (JPS, 2000)
  • Spirituals (Bayard Musique, 2000)
  • Kamer Feeling (JPS, 2001)
  • From Africa (Blue Moon, 2003)
  • Homage to New Orleans (Goya, 2007)
  • Lion of Africa (Global Mix, 2007)
  • Past Present Future (BorderBlaster, 2011)
  • Ballad Emotion (Konga Music, 2011)
  • Balade en Saxo (EGT, 2014)

脚注編集

  1. ^ Nyamnjoh, Francis B.; Fokwang, Jude (2005). “Entertaining Repression: Music and Politics in Postcolonial Cameroon”. African Affairs (Oxford University Press on behalf of Royal African Society) 104 (415): 251–274. doi:10.1093/afraf/adi007. http://afraf.oxfordjournals.org/cgi/reprint/104/415/251. 
  2. ^ a b Manu Dibango - TOWER RECORDS ONLINE”. tower.jp. 2021年1月31日閲覧。
  3. ^ a b “Le saxophoniste Manu Dibango est mort des suites du Covid-19, annoncent ses proches” (フランス語). AFP. Paris. (2020年3月24日). https://www.lemonde.fr/disparitions/article/2020/03/24/le-saxophoniste-manu-dibango-est-mort-des-suites-du-covid-19-annoncent-ses-proches_6034197_3382.html 2020年3月24日閲覧。 
  4. ^ Beaumont-Thomas, Ben (2020年3月24日). “Manu Dibango, Cameroon jazz-funk star, dies aged 86 of coronavirus”. The Guardian. 2020年5月5日閲覧。
  5. ^ Monroe, Jazz (2020年3月24日). “Afro-Jazz Star Manu Dibango Dead at 86”. ピッチフォーク・メディア. 2020年3月24日閲覧。
  6. ^ Dibango, Rouard & Raps 1994, p. xii
  7. ^ a b Dibango, Rouard & Raps 1994, p. 1
  8. ^ a b Dibango, Rouard & Raps 1994, p. 4
  9. ^ a b c Dibango, Rouard & Raps 1994, p. 2
  10. ^ Dibango, Rouard & Raps 1994, p. 8
  11. ^ “Biography – Manu Dibango”, ラジオ・フランス・アンテルナショナル, (2007), http://www.rfimusique.com/siteen/biographie/biographie_6095.asp 2008年9月9日閲覧。 
  12. ^ Dibango, Rouard & Raps 1994, p. 5
  13. ^ Dibango, Rouard & Raps 1994, p. 6
  14. ^ Labesse, Patrick (24 March 2020). “Mort du saxophoniste Manu Dibango, qui a succombé au Covid-19” (フランス語). Le Monde. https://www.lemonde.fr/disparitions/article/2020/03/24/le-saxophoniste-manu-dibango-est-mort-des-suites-du-covid-19-annoncent-ses-proches_6034197_3382.html 2020年7月24日閲覧。. 
  15. ^ Manu Dibango”. 2020年3月24日閲覧。
  16. ^ Echu, George (2003年4月). “TRANS Nr. 13: George Echu (Yaounde): Multilingualism as a Resource: the Lexical Appropriation of Cameroon Indigenous Languages by English and French” (英語). www.inst.at. 2021年2月11日閲覧。
  17. ^ Hamilton, Andrew. “Wild and Peaceful - Kool & the Gang”. Allmusic. 2020年1月16日閲覧。
  18. ^ Ernest Kanjo, "We Want Bread!Cameroonian musicians seem to have lost their creative acumen in their endless battles over money", Post Newsmagazine, September 2006, accessed at Archived copy”. 2007年4月5日閲覧。 5 April 2007.
  19. ^ Manu Dibango designated UNESCO Artist for Peace Archived 14 October 2006 at the Wayback Machine.
  20. ^ Michael Jackson 「スタート・サムシング」” (日本語). recochoku.jp. 2021年2月12日閲覧。
  21. ^ Sanneh, Kelefa (2009年6月26日). “Michael Jackson”. The New Yorker. https://www.newyorker.com/magazine/2009/07/06/michael-jackson 2020年4月14日閲覧。 
  22. ^ a b カメルーン人歌手、M・ジャクソンとリアーナを盗作で提訴” (日本語). www.afpbb.com (2009年2月4日). 2021年2月12日閲覧。
  23. ^ Michaels, Sean (2009年2月4日). “Rihanna and Michael Jackson sued by African singer”. The Guardian. https://www.theguardian.com/music/2009/feb/04/rihanna-michael-jackson-manu-dibango?INTCMP=SRCH 2012年1月17日閲覧。 
  24. ^ Lavaine, Bertrand (2009年2月18日). “Dibango recalé face à Jackson et Rihanna” (フランス語). ラジオ・フランス・アンテルナショナル. http://musique.rfi.fr/musique/20090218-dibango-recale-face-jackson-rihanna 2017年2月12日閲覧。 
  25. ^ “L'action de Manu Dibango contre Michael Jackson et Rihanna irrecevable” (フランス語). La Presse. (2009年2月18日). http://www.lapresse.ca/arts/vie-de-stars/200902/18/01-828531-laction-de-manu-dibango-contre-michael-jackson-et-rihanna-irrecevable.php 2017年2月12日閲覧。 
  26. ^ Manu Dibango en concert à l'Olympia de Paris pour ses 80 ans” (フランス語). Sortiraparis.com (2014年2月24日). 2020年4月14日閲覧。
  27. ^ LA FRANCOPHONIE AU JAPON 日本におけるフランコフォニー (PDF) p.13, 2021年2月13日閲覧。
  28. ^ Francophonie.org Archived 25 November 2015 at the Wayback Machine.
  29. ^ “Somalia's ex Prime Minister dies of corona virus”. Facebook. (2020年4月1日). https://www.pulselive.co.ke/news/somalias-ex-prime-minister-nur-hassan-hussein-nur-adde-dies-of-corona-virus/ez6rn4k 2020年4月1日閲覧。 

参考文献編集

  • Dibango, Manu; Rouard, Danielle; Raps, Beth G (1994), Three Kilos of Coffee: An Autobiography, Chicago: University of Chicago Press, ISBN 0-226-14491-7, OCLC 29519086, https://books.google.com/books?id=VNt1YBD1GbEC 

関連文献編集

外部リンク編集