カメルーン

アフリカ中部に位置する国家
カメルーン共和国
République du Cameroun(フランス語)
Republic of Cameroon(英語)
カメルーンの国旗 カメルーンの国章
国旗 国章
国の標語:Paix, Travail, Patrie
フランス語: 平和、労働、祖国)
国歌カメルーンの国歌
カメルーンの位置
公用語 フランス語英語[1]
首都 ヤウンデ
最大の都市 ドゥアラ
政府
大統領 ポール・ビヤ
首相 (PM ジョセフ・ディオン・ングテ
面積
総計 475,440km252位
水面積率 1.3%
人口
総計(2019年 25,876,400人(52位
人口密度 54人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2008年 10兆4,100億[2]CFAフラン
GDP(MER
合計(2008年 232億[2]ドル(85位
GDP(PPP
合計(2008年417億[2]ドル(88位
1人あたり 2,152[2]ドル
独立
 - 日付
フランスから
1960年1月1日(西南部はイギリスから1961年
通貨 CFAフランXAF
時間帯 UTC (+1)(DST:なし)
ISO 3166-1 CM / CMR
ccTLD .cm
国際電話番号 237

カメルーン共和国(カメルーンきょうわこく)、通称カメルーンは、中部アフリカに位置する共和制国家。西にナイジェリア、北東にチャド、東に中央アフリカ共和国、南東にコンゴ共和国、南にガボン、南西に赤道ギニアに隣接し、南西部が大西洋ギニア湾に面する。首都はヤウンデ

ドイツ植民地から、イギリスフランスの植民地に分かれた経緯がある。非同盟路線を歩むが、経済・文化・軍事の面でフランスとの関係が深い。1995年イギリス連邦に加盟した。また、フランコフォニー国際機関にも加盟している。

国名編集

正式名称は英語で、Republic of Cameroon(リパブリック・オブ・キャメルーン)。フランス語で、République du Cameroun(レピュブリク・デュ・カムルン)。

日本語の表記は、カメルーン共和国。通称、カメルーン

国名は、1470年にカメルーンを最初に訪れたポルトガル人エビの多いことからカマラウン(camarão、ポルトガル語で「小エビ」を意味する)と名付けたことに由来する。

歴史編集

独立前編集

カメルーン内の遺跡からは約8000年前の歴史までさかのぼることができる。カメルーンの先住民バカ・ピグミーである。バントゥー系民族はカメルーン高地に起源を持つが、他民族による侵入が行われる前に別の土地に移動している。

 
カメルーンの領域の推移(1901年-1973年
  フランス領カメルーン
  独立後のカメルーン

1470年12月ポルトガル人がカメルーンに到達したが、拠点を築くことはなかった。

1806年にイスラム系諸王国の支配下に置かれた。1870年代になると、ヨーロッパ列強に数え上げられるようになったドイツ帝国が、アフリカ分割を背景に沿岸部の都市ドゥアラを中心に入植を開始した。1884年にはドイツ保護領カメルーンが成立した(ドイツ植民地帝国)。1911年、ドイツは第二次モロッコ事件の代償としてフランスから国境付近を中心とした新カメルーンの譲渡を受け、カメルーンの領土は拡大したものの、第一次世界大戦後には新カメルーンは再び隣接するフランスの各植民地の領域へと戻った。

第一次世界大戦でドイツが敗れたあと、1918年のヴェルサイユ条約の規定により、1922年に北西部がイギリスの「イギリス領カメルーン」(西カメルーンとも。現在の北西州南西州およびナイジェリア領アダマワ州タラバ州からなる)、東南部がフランスフランス領カメルーン(東カメルーン)として委任統治領となる。第二次世界大戦中には、ドゴール自由フランスの拠点のひとつとなった。二次大戦後、1946年には信託統治領となり、1957年にフランス領カメルーンには自治が認められた。

独立後編集

アフリカの年と呼ばれる1960年、フランス領カメルーンが独立した。大統領は北部出身のイスラーム教徒アマドゥ・アヒジョである。イギリス領カメルーンは北部と南部で別々に住民投票を実施した結果、1961年には北部がナイジェリアと合併、南部はカメルーンとの連邦制となり、アヒジョが大統領、イギリス領カメルーン首相のジョン・フォンチャが副大統領に就任した。しかし徐々に圧倒的に規模の大きな旧フランス領の勢力が増大していき、フォンチャが副大統領を辞任したのち連邦制の是非を問う国民投票が行われ、この連邦制は1972年に廃止されて、アヒジョ大統領は国号をカメルーン連合共和国に変更した[3]。アヒジョ大統領は1965年1970年1975年1980年の大統領選挙で再選されたが、1982年には南部出身のポール・ビヤを後継に指名して大統領を辞任した。

アヒジョからビヤへの政権交代そのものは平和的なものであり、またアヒジョも与党党首の座にはとどまるなど一定の権力は保持しつづけたが、やがてビヤが権力基盤を固めるとともに両者の関係は険悪化し、1983年にはアヒジョがクーデターを計画したとしてフランスに追放され、1984年には国外のアヒジョに死刑判決が下される(アヒジョは国外にいたため実行はされていない)など、ビヤは独裁権力を樹立していった[3]。また同年、国号を現在のカメルーン共和国に変更した。その後、ビヤ政権とカメルーン人民民主連合英語版(CPDM)の一党支配が嫌われ、1990年には政党の結成を合法化した[3]。民主化後もビヤは選挙に勝利し続け、長期政権を維持しているが選挙自体の公正さに疑問もある。2018年の大統領選挙でもビヤが再選され、通算で7期目に入った[4]

政治編集

 
1982年から長期政権を保持しているビヤ大統領
 
大統領府

地理編集

5つの地理区分に分けられる。海岸平野はギニア湾から15キロ - 150キロまで広がり、森林で覆われ、平均標高は90メートル。非常に暑く、世界でもっとも湿度が高いところがある。南部カメルーン高地は熱帯降雨林で覆われるが、乾季と雨季が海岸平野より区別されるため湿度はやや低い。平均標高は650メートル。

4つの保護指定区が設けられており、エリアは国立公園をはじめ、野生生物保護区・動物保護区・植物保護区として構成される形で存在している。さらに同国の一部と近隣諸国において越境保護地域英語版(TBPA)が存在する。

また、同国は世界有数の火山国として知られており、カメルーン火山列はその所以ともなっている。この火山列は隣国のナイジェリア東部と同国西部との間に存在し、最高峰のカメルーン山(4,095メートル)のある海岸から北部で国を東西に横断する形で連なる。加えて、カメルーン山はアフリカ大陸において最も大きい火山の1つとなっている。

気候は、特に西部高地英語版フランス語: Grassland)は温暖で雨が多く、土地は肥沃である。その中でも広大な地域に当たるカメルーン草原ドイツ語版は同国を代表する草原で、19世紀末の植民地時代から国際的に知られている。

サバナ地帯である中部のアダマワ高地を境に、ステップが広がる北部と熱帯林に覆われた南部とに分かれる。平均標高は1,100メートル、気温は22 - 25度で雨が多い。アダマワ高地は分水嶺でもあり、主要河川は北部のベヌエ川ロゴーヌ川と南部のサナガ川。サナガ川は国土中央部のムバカウ湖フランス語: Lac Mbakaou)を水源としてドゥアラ市の南方でギニア湾に注ぐ全長890キロの最大河川である。ケッペンの気候区分ではほぼ全域が熱帯(A)に属す。北部 (ステップ気候、BS、サバナ気候、Aw)から南部(熱帯雨林気候、Af)に移動するにしたがい、気候が湿潤となる。このような気候分布をアフリカ大陸の縮図ととらえ、「ミニアフリカ」と呼ぶことがある。北部低地の標高は300 - 350メートルで、気温は高いが、雨が少ない。

北部の乾季は7月と8月だが、南部はこの時期に雨季となる。アフリカ大陸で7番目に高いギニア湾岸のカメルーン山の南西斜面は多雨で有名であり、年降水量10,680ミリに達する。

気温の年較差は全国で5 - 10度。首都ヤウンデ(北緯3度50分、標高730メートル)の年平均気温は23.2度。年降水量は1,560ミリ。

北部のチャド湖に近いマンダラ山地のルムスィキ英語版は高くそびえる奇岩で知られる観光地である。これはマグマが噴出したときに溶岩が火山の中で固まった岩頸と呼ばれるもので、もっとも高い山峰は1,224メートルである。

なお、北西州にあるオク火山英語版火口湖のひとつであるニオス湖では1986年に最大規模の火山ガス災害が起こった。湖底に溶け込んでいた二酸化炭素の噴出により、1,700人以上が死亡した。

地方行政区分編集

 
カメルーンの州

カメルーンは10州(現:Région、旧:Province)、58県(フランス語: Départements)に分けられる。ナイジェリアと接する北西州南西州の2州は、元イギリスの委任統治領であり、その他の8州はフランス領だった。

  1. アダマワ州フランス語: Région de l'Adamaoua)- ンガウンデレ
  2. 中央州フランス語: Région du Centre)- 首都:ヤウンデ
  3. 東部州フランス語: Région de l'Est)- ベルトゥア
  4. 極北州フランス語: Région de l'Extrême-Nord)- マルア (Maroua
  5. リトラル州フランス語: Région du Littoral[6])- ドゥアラ: ドゥアラは主要道路、鉄道、空路で全国と結ばれており、カメルーン最大の港湾を備える。
  6. 北部州フランス語: Région du Nord)- ガルア (Garoua
  7. 北西州フランス語: Région du Nord-Ouest)- バメンダ (Bamenda : 南カメルーン連邦共和国の最大都市。
  8. 西部州フランス語: Région de l'Ouest)- バフーサム
  9. 南部州フランス語: Région du Sud)- エボロワ (Ebolowaクリビチャドドバ油田とパイプラインで結ばれている石油積み出し港)
  10. 南西州フランス語: Région du Sud-Ouest) - ブエア

主要都市編集

カメルーン最大の都市は南部にあるドゥアラであり、人口は約190万人(2005年)を数える[7]。ドゥアラはカメルーン最大の港湾を擁し、鉄道で内陸部と結ばれて商品の集散地ともなっており、カメルーン経済の中心となっている。これに次ぐのが国土中央にある首都のヤウンデであり、人口は約181万人(2005年)である[7]。ヤウンデは産業的にはドゥアラほど大きくなく、政府部門が経済の大きな部分を担っている。カメルーンはこの2都市がほかに比べて飛び抜けて大きく、ほかに30万人を超える都市は存在しない[7]

経済編集

 
色と面積で示したカメルーンの輸出品目

総論編集

カメルーンの2013年GDPは約279億ドルであり[8]日本佐賀県とほぼ同じ経済規模である[9]

独立後四半世紀はカカオコーヒーバナナなどの農産物、次いで1970年代後半採掘が始まった原油など第一次産品の輸出によって、アフリカ諸国の中でももっとも経済的に成功していた。その後、1980年代後半から石油と農産物の価格が同時に下がり始め、経済運営にも成功しなかった。このため、10年間の長期不況に陥り、一人あたりのGDPが1986年から1994年までに60パーセント以上低下した。しかしながら、電力をほぼ水力でまかなえるようになったこと、石油増産に成功したこと、農地として適した地勢などの条件が重なり、2000年時点ではサハラ以南としては経済的に成功している。

産業編集

おもな輸出用の農産物は北部の綿花、南西部のコーヒーカカオであり、2015年にはカカオが総輸出の18.9%、綿花が4.1%を占めていた[10]。主食は南部ではプランテンバナナキャッサバ、北部ではトウモロコシソルガムなどであり[11]イモ、特にキャッサバやタロイモヤムイモの収穫量が多い。大部分の農業は簡単な道具による自給自足レベルで、余剰生産物が都市部の重要な食料となっている。農業人口は1990年時点の74パーセントから2000年時点の42パーセントまで減少し、第一次産品の加工を中心とする工業やサービス部門が成長している。

 
カメルーンにおける木材輸送の様子
木材は同国の主要な輸出品の1つとなっている

家畜放牧は北部で盛んであり、なかでも中北部のアダマワ高原で広く行われている[12]。漁業には5,000人ほどが従事し、年間2万トンの漁獲量がある。国土の37パーセントを占める南部熱帯雨林は木材の供給源だが、大部分の土地は入るのが困難である。木材伐採は外国企業により行われ、政府に毎年6,000万ドルの収入をもたらす。また、木材輸出もさかんにおこなわれ、2015年には第3位の輸出品として総輸出の11.2%を占めていた[13]。同国はアフリカ諸国の中で最も伐採率が高く、安全で持続可能な伐採を義務づけているが、林業への規制はもっとも緩いことからその殆どが認可されておらず[14] 、大半は違法で行われている問題が根強い[15]

カメルーン最大の輸出品は原油であり、2015年には総輸出の40.1%を占めている[16]石油以外の鉱業資源には恵まれておらず、わずかな量の石炭スズが見られるだけである。エネルギーの大部分は水力発電により、残りは石油である。

同国は現在、国土の大部分で電力不足となっており、農村部では電力供給は非常に低く約14%ほどしかない。産業活動はドゥアラに集中している。主要ラジオ・テレビ局は国営で、電信電話局もほとんど政府の管理下にあるが、最近インターネットが普及し、規制を受けないプロバイダーが増えている。

対外経済関係編集

カメルーンを含む旧フランス領中央アフリカ諸国で用いられている通貨CFAフランは、フランス・フランとの交換レートが固定されており、安定した経済運営の下地となった。一方、フランの為替レートに引きずられる弊害もあった。経済圏としては、フランス経済ブロックに組み込まれていたと言える。

カメルーンは、西アフリカ諸国経済共同体南部アフリカ開発共同体に挟まれた位置にあるが、いずれにも加盟していない。2国間経済援助ではフランスの出資がもっとも多い。一人あたりの援助受け取り額は30米ドル(1998年)であり、アフリカ諸国としては平均的である。

貿易相手国はフランス、ドイツ、日本の順である。対日貿易ではカメルーンの大幅な貿易赤字となっており、カメルーンからの輸出では木材が54%(2016年)、カカオ豆が34%を占め、この2品目で約88%に達する。輸入では化学繊維が4割を占め、次いで機械医薬品となっている[17]

交通編集

道路は1割のみが舗装されており、悪天候も重なり、国内輸送を困難にしている。また、各地で警官などによる旅行者への賄賂要求や強盗が発生しており問題とされている。鉄道は軌間1000㎜で、カムレール社によって運営されており、本線はドゥアラ港を起点に西の首都ヤウンデを通り、北部の玄関口であるンガウンデレまでの約950㎞を結んでいる。またドゥアラからは、北のクンバへの短い支線が存在する[18]。国際空港はドゥアラとヤウンデ、ガルアにあり、ドゥアラの規模がもっとも大きい。もっとも大きな港はドゥアラ港で、鉄道の通じる内陸部への物資の集散地となっている。このほか、海港としてはリンベやクリビも重要である。旧イギリス領カメルーンの港であったリンベは周囲に油田が存在し、石油産業の重要拠点となっている。ドゥアラから南へ約150キロのクリビ港はかつて木材の輸出港だったが、チャドのドバ油田からの原油パイプラインが伸びており、原油積出基地がある。また、ベヌエ川に面する北部のガルア港も重要な河港であるが、利用は増水期に限られている[19]

国際関係編集

日本との関係編集

  • 在留日本人数 - 92人(2016年10月現在)[20]
  • 在日カメルーン人数 - 521人(2016年)[21]

国民編集

 
東部地域のダンサー
 
女性を模した魔除けのお守り
このお守りは象牙で出来ており、現地の古来の文化や伝統工芸を窺い知ることが出来る

民族編集

住民は、南部と西部はバントゥー系ファン族バミレケ族英語版バカ・ピグミー、中部はバントゥー系のウテ族、北部はスーダン系のドゥル族フラニ族サヘルに居住)などに分かれる。民族集団は275以上に分かれている。

言語編集

 
カメルーンの言語圏分布図
  英語
  その他
※青はフランス語、赤は英語。南西部の2州が英語圏。
  周辺国(フランス語
  周辺国(英語
  周辺国(スペイン語とフランス語)

公用語フランス語英語であるが、両言語のバイリンガルの住民はきわめて少ない。最大都市ドゥアラ首都ヤウンデなどを含む、国民の大半が居住する旧フランス領地域で使用されるフランス語を公用語として使用するものが圧倒的に多く、この地域では英語の通用度は低い。一方、英語は旧イギリス領カメルーンの領域であった北西州南西州のみで使われ、現地ではカムトクドイツ語版英語版と呼ばれている。この地域でのフランス語の通用度は低く、独立運動も起こっている。旧ドイツ植民地であったことからドイツ語の学習者も多く、アフリカでもっともドイツ語話者が多い国とされる。

ほかに土着言語としてファン語フラニ語イエンバ語バサ語カヌリ語バムン語ドゥアラ語アゲム語などが話されている。

宗教編集

カメルーンの宗教は、キリスト教が人口の約40パーセント、イスラム教が約30パーセント、アフリカの伝統宗教英語版アニミズム)が約30パーセントである[22]。4万人のバハーイー教徒が国内にいる。そのほか、カメルーンガボン赤道ギニア沿岸部のバントゥー系民族グループのいくつかでは、呪物崇拝en:Okuyiが信仰されている。en:Okuyiの宗教チャントがベンガ語で歌われている。20世紀末、沿岸部のンドウェ人フランス語版en:Kombe people)がンビニ(Mbini、リオ・ムニ)に儀式を広めた。

宗教の儀式のために殺人や体の一部を切除する事件が発生しており、社会問題となっている[23]

婚姻編集

婚姻時、婚前の姓をそのまま用いることも、夫の姓に変更することも可能である[24]

教育編集

カメルーンの識字率は75.0%(2015年)である[25]。教育制度は小学校6年、中学校4年、高校3年、大学3年であり、義務教育は小学校6年間のみである。教授言語は旧フランス領地域ではフランス語、旧英領地域では英語である[26]

治安編集

同国は「歴史上、政治的安定を保っている」とされてきた国であるが、近年では殺人強盗および窃盗等の凶悪犯罪が日常的に発生しており、旅行などで現地に滞在する際には細心の注意を払う必要がある[27]

また、国境地帯においては襲撃事案や誘拐事案等が頻発している他に政府軍との衝突も続いていることから、隣国と同国の両政府が海外諸国に対し「渡航しないよう」呼び掛けている状態となっている。

現在、ボコ・ハラム等の勢力の強いテロ組織や英語圏分離派の過激な活動が相次いで続発[28]していることから日本政府外務省2018年4月に、北西州ならびに南西州の危険情報を引き上げている[29]が他国は既に、「さらに高いレベル」の注意喚起を発している。

人権編集

人権侵害が著しい面が目立ち、政府軍が非人道的な姿勢で接しているとして今も非難されている。 また、同国の兵士により目隠しされた女性子供処刑する様子を撮影したとされる映像のビデオが2018年に公開されたことから、さらに政府軍への非難が強まっている[30]

人権団体は、少数民族同性愛者政治活動家そして犯罪容疑者虐待したり拷問したりしたとして現地警察と同国軍を非難している。 2009年、デモ中に約100人の民間人が殺害されたことからアムネスティは同国の治安部隊による暴力についての懸念を報告した[31]

文化編集

食文化編集

カメルーンの主食は、トウモロコシキビなどの穀類を主体としている。また、料理にはココヤム英語版などのヤムイモ類やジャガイモサツマイモなどの野菜類、キャッサバプランテンを用いる。

同国がアフリカ大陸において北・西・中央部の交差点に当たることや、ドイツ植民地帝国時代ならびフランスとイギリスの植民地時代の名残りでヨーロッパ文化の影響が見受けられることから、カメルーン料理は同大陸で最も多様な特徴を持ち合わせた料理の一つとして知られている。

文学編集

カメルーン出身の著名な文学者として、小説『下僕の生活』(1956年)で知られるフェルディナン・オヨノ (en) [32]や反植民地主義作家として知られるモンゴ・ベティ英語版フランス語版、音楽家でありながらも小説『アガト・ムディオの息子』(1967年)を残したフランシス・ベベイ劇作家エンドゥンベ3世らの名が挙げられる[33][34]

音楽編集

アフロビートマヌ・ディバンゴ英語版フランス語版がカメルーン出身のサックス奏者として著名であり、彼は1973年に「ソウル・マコッサ英語版」の世界的ヒットを残した。また、アメリカで活動している女性シンガーソングライターアンディ・アローもカメルーン出身である。

世界遺産編集

 
ジャー動物保護区 - (1987年、自然遺産)

カメルーン国内には、ユネスコ世界遺産リストに登録された自然遺産が2件存在する(うち1件は中央アフリカ共和国コンゴ共和国と共有)。

祝祭日編集

日付 日本語表記 現地語表記 備考
1月1日 元日 New Year's Day
2月11日 青年の日 National Youth Day
5月1日 メーデー Labor Day
5月20日 建国記念日 National Day
8月15日 聖母の被昇天 Assumption
12月25日 クリスマス Christmas

スポーツ編集

サッカー編集

ドイツ保護領時代の1880年代に伝わって以来、サッカーが盛んである。アフリカネイションズカップでは1984年1988年2000年2002年と通算4回優勝している。ほかに4回以上優勝した国は、エジプトガーナだけである。FIFAワールドカップの本大会常連国としても知られ、1982年スペイン大会で初出場以降、2010年・南アフリカ大会まで6度の本大会出場を経験している。中でも1990年・イタリア大会では開幕戦で前回優勝国アルゼンチンを下す金星を挙げ、最終的にはアフリカ勢初のベスト8にまで勝ち進んだ。2014年・ブラジル大会が7度目の出場となる。

中津江村(現在は大分県日田市の一部)では2002 FIFAワールドカップ日本開催の際、サッカーカメルーン代表がキャンプ地にして以来、交流が続いている。

2019年にはアフリカネイションズカップの開催国となる予定である。

バスケットボール編集

バスケットボールカメルーン代表はアフリカ選手権4位となったことがあるものの、長らく低迷が続いていた。しかし、2007年に15年ぶりのアフリカ選手権出場を果たすと、準優勝となり北京五輪世界最終予選まで進んだ。

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ 外務省ホームページ
  2. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  3. ^ a b c 『世界地理大百科事典2 アフリカ』 1998, p. 126.
  4. ^ https://www.afpbb.com/articles/-/3194318?cx_part=search 「カメルーン大統領選、85歳ビヤ氏が7期目の再選」AFPBB 2018年10月23日 2019年12月22日閲覧
  5. ^ “カメルーン英語圏が「独立宣言」 治安部隊との衝突で7人死亡”. AFPBB News (フランス通信社). (2017年10月2日). http://www.afpbb.com/articles/-/3145161 2017年10月3日閲覧。 
  6. ^ フランス語: "Littoral"は「沿海」の意味。
  7. ^ a b c 世界各国要覧と最新統計 2016, p. 264.
  8. ^ IMF
  9. ^ 内閣府による県民経済計算 (PDF)
  10. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p265 二宮書店 平成30年1月10日発行
  11. ^ 「週刊朝日百科世界の地理103 ナイジェリア・カメルーン・中央アフリカ」p11-76,77 昭和60年10月13日発行 朝日新聞社
  12. ^ 「西部・中部アフリカ」(ベラン世界地理体系9)p200 田辺裕・竹内信夫監訳 朝倉書店 2017年1月15日初版第1刷
  13. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p265 二宮書店 平成30年1月10日発行
  14. ^ Satte Gewinne für den Schweizer Tropenholzhändler Fritz Jäggi
  15. ^ Fragen und Antworten zu Tropenholz
  16. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p265 二宮書店 平成30年1月10日発行
  17. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p265 二宮書店 平成30年1月10日発行
  18. ^ 世界の鉄道 2015, p. 341.
  19. ^ 『世界地理大百科事典2 アフリカ』 1998, p. 125.
  20. ^ 外務省 ガボン基礎データ
  21. ^ 外務省 ガボン基礎データ
  22. ^ カメルーン便り 在カメルーン日本国大使館
  23. ^ 「眼球など体の一部切除する連続殺人、2週間で18人犠牲 カメルーン」, CNN.co.jp
  24. ^ Hansel Ndumbe Eyoh, Albert Azeyeh, Nalova Lyonga. "Critical Perspectives on Cameroon Writing", 2013.
  25. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2018年版 世界各国要覧と最新統計」p264 二宮書店 平成30年1月10日発行
  26. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/toko/world_school/07africa/infoC71000.html 「諸外国・地域の学校情報 カメルーン共和国」日本国外務省 平成29年11月 2019年12月22日閲覧
  27. ^ カメルーン(首都:ヤウンデ)の治安・テロ最新危険情報 KikiMap
  28. ^ カメルーン英語圏独立派、治安部隊員ら180人超殺害 政府が報告書 2018年6月21日 AFPBB News
  29. ^ 海外安全ホームページ テロ・誘拐情勢
  30. ^ Cameroon Is a Close U.S. Ally — and Its Soldiers Carried Out a Shocking Execution of Women and Children
  31. ^ Cameroon: A catalogue of human rights abuses, Amnesty International
  32. ^ 加藤恒彦; 北島義信; 山本伸 2000.
  33. ^ A・ノルトマン=ザイラー、松田忠徳 1978, pp. 90-91頁、96頁.
  34. ^ 片岡幸彦 1995, pp. 213-214.

参考文献編集

  • A・ノルトマン=ザイラー『新しいアフリカの文学』松田忠徳訳、白水社〈文庫クセジュ622〉、東京、1978年9月10日、初版、90-91頁、96頁。
  • 片岡幸彦「アフリカ――フランス語」『激動の文学――アジア・アフリカ・ラテンアメリカの世界』信濃毎日新聞社、長野市、1995年3月15日、初版、213-214頁。
  • 田辺裕、島田周平、柴田匡平『世界地理大百科事典2 アフリカ』朝倉書店、1998年、126頁。ISBN 4254166621
  • 「アフリカ黒人文学概論」『世界の黒人文学 : アフリカ・カリブ・アメリカ』』加藤恒彦; 北島義信; 山本伸 (編著)、鷹書房弓プレス、2000年。ISBN 480340447X
  • 一般社団法人海外鉄道技術協力協会『世界の鉄道』ダイヤモンド・ビッグ社、2015年10月2日、初版、341頁。
  • 「世界各国要覧と最新統計」『データブック オブ・ザ・ワールド』二宮書店、2016年(平成28年)1月10日、264頁。

関連項目編集

関連文献編集

発行年順

  • 端信行『サバンナの農民 : アフリカ文化史への序章』、中央公論社〈中公新書629〉、1981年、NCID:BN00763595。
  • 「農民」佐藤次高、富岡倍雄、後藤晃、永田雄三、村井吉敬、日野舜也、中野暁雄、三木亘『イスラム世界の人びと』2、上岡弘二 (ほか編)、1984年、東洋経済新報社、ISBN:4492812628、NCID:BN04450252。
  • 片倉もとこ、大塚和夫、原隆一『イスラーム教徒の社会と生活』、西野節男、宮本勝、張承志、赤堀雅幸、清水芳見、中山紀子、鷹木恵子、宮治美江子、日野舜也、中村光男、板垣雄三、栄光教育文化研究所; 悠思社 (発売)〈講座イスラーム世界 1〉、1994年、ISBN:4946424849、NCID:BN11693866。
  • 『アフリカ経済』末原達郎、池上甲一、辻村英之、高根務、武内進一、大林稔、世界思想社〈Sekaishiso seminar〉、1998年、ISBN:4790706923、NCID:BA33850999。
  • 佐々木重洋『仮面パフォーマンスの人類学 : アフリカ、豹の森の仮面文化と近代』、世界思想社、2000、ISBN:4790708403、NCID:BA49475946
  • 宮本正興、松田素二、砂野幸稔『現代アフリカの社会変動 : ことばと文化の動態観察』栗本英世、松田凡、戸田真紀子、梶茂樹、米田信子、小森淳子、竹村景子、稗田乃、赤阪賢、嘉田由紀子、中山節子、MalekanoLawrence、三島禎子、末原達郎、澤田昌人、元木淳子、楠瀬佳子、木村大治、人文書院、2002年、ISBN:4409530275、NCID:BA56698612。
  • 亀井伸孝『森の小さな「ハンター」たち : 狩猟採集民の子どもの民族誌』、京都大学学術出版会、2010年、ISBN:9784876987825。
  • 重田眞義、伊谷樹一、泉直亮『争わないための生業実践 : 生態資源と人びとの関わり』、加藤太、桐越仁美、山本佳奈、佐藤靖明、近藤史、吉村友希、大山修一、藤岡悠一郎、四方篝、黒崎龍悟、重田眞義、京都大学学術出版会〈アフリカ潜在力 / 太田至シリーズ総編、4〉、2016年、ISBN:9784814000081。
  • 『紛争をおさめる文化 : 不完全性とブリコラージュの実践』総編、松田素二、平野美佐、太田至、松田素二、松本尚之、Lengja NgnemzueAnge B.、石田慎一郎、HeboMamo、HolzmanJon、楠和樹、木村大治、SadombaWilbert Z.、金子守恵、重田眞義、NyamnjohFrancis B.、京都大学学術出版会〈アフリカ潜在力 / 太田至シリーズ 1〉、2016年。ISBN:9784814000050。
  • 国立民族学博物館、江口一久「北カメルーンの王さま」『みんぱく映像民族誌』第23集、国立民族学博物館、2017年。

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