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三菱・デボネア

デボネアDebonair )は、三菱自動車工業(当初は三菱重工業)が1964年から1999年まで製造していた高級乗用車である。

目次

概要編集

3世代に渡って製造された、2L~3.5Lクラスの4ドアセダンであり、競合モデルとしては初代はトヨタ・クラウン日産・セドリックプリンス・グロリアいすゞ・ベレル、2代目は更にマツダ・ルーチェホンダ・レジェンドなども、3代目はクラウンマジェスタなども一部範疇に入る。初代は規格一杯の車体から、また2代目・3代目は前輪駆動を採用したことから、車内はいずれも広く実用的であったが、売れ行きは常に芳しくなく、最後まで三菱グループ重役向け専用車としてのショーファードリヴン[1]需要に支えられる存在であった。また、他社同級製品のようなクーペやワゴン、バンなどの派生型は、通常の正規販売モデルでは歴代車種を通じ一切開発されなかった。

歴史編集

初代(1964年-1986年)A30・31・32・33型編集

三菱・デボネア(初代)
A30/31/32/33型
1970年改良型 エグゼクティブ
(フェンダーミラーはノンオリジナル)
1973年改良型 エグゼクティブ
1976年改良型 エグゼクティブSE
製造国   日本
販売期間 1964年 - 1986年
デザイン ハンス・S・ブレッツナー
乗車定員 6人
ボディタイプ 4ドア セダン
エンジン KE64型 1,991L 直6 OHV
6G34型 1,994cc 直6 SOHC
G54B型 2,555cc 直4 SOHC
駆動方式 FR
サスペンション 前:独立 ダブルウィッシュボーン コイル
後:固定 半楕円リーフ
全長 4,670mm
全幅 1,690mm
全高 1,465mm
ホイールベース 2,735mm
車両重量 1,330kg
生産台数 2万1703台
-自動車のスペック表-

1963年(昭和38年)、モーターショーでデビューし(『絶版日本車カタログ』三推社講談社 22頁参照)、1964年(昭和39年)に製造開始。以後、1986年のモデルチェンジまでの22年間、基本設計・デザインの変更無しに生産され続けたことから、製造期間の後期以降は古色蒼然とした現行モデルであることを形容した「走るシーラカンス」という通称で有名になった。日本製の自家用(白ナンバー)向けセダン乗用車でこれを上回るほど長期間製造された例は、トヨタ・センチュリーの初代モデル(1967年 - 1997年)のみである[2]

1960年代初頭、三菱重工業(当時)は国内競合メーカーの2,000cc級乗用車に比肩するクラスの乗用車生産を目論んでいた。当初は欧州車の導入も検討され、イタリアフィアットに高性能で知られた最新型セダン「フィアット・1800/2100」シリーズのライセンス生産も打診したが、不調に終わっていた。

このため三菱では自社開発に方針を切り替えた。構造はモノコックボディに前輪ウィッシュボーン独立、後輪半楕円リーフリジッドで後輪駆動という、平凡だが手堅いレイアウトとし、全長・全幅とも道路運送車両法施行規則の小型車規格ぎりぎりのサイズで設計された。また、三菱重工業の企業パンフレット[3]では「回転半径5.3mの機動性も随一で,国情にマッチした使いやすさで他の追随を許しません」と説明されており、取り回しの良さも重視した設計であったことが伺われる。

スタイリングは、元ゼネラルモーターズのデザイナーであるハンス・S・ブレッツナーが担当し、1960年代のアメリカ製大型乗用車風のデザインモチーフを用いた、角張ったボディをデザインした。ボンネット・テール部分の両脇にエッジを立て、フロントグリルを広く取った押し出しの強いスタイルは、その雰囲気から見た目こそかなりの大型に見えるが、日本では小型車扱いの5ナンバー規格に収まるサイズである。デザインの妙と言えよう[4]

1965年5月、オートマチックトランスミッション(AT)、前席電動セパレートシート、パワーウインド、パワーステアリングを装備した「パワー仕様」追加。

1967年12月、一部変更でインパネを衝撃吸収タイプに変更される[5]

1969年4月、仕様変更でフロントディスクブレーキを標準装備すると同時にホイールを14インチ化。テールエンドのフィニッシャー(いわゆるロケットテール)の廃止。

1970年9月、マイナーチェンジと同時に搭載エンジンの変更で型式をA31に変更。「デボネア・エグゼクティブ」となる。当初の直列6気筒のKE64型1,991ccOHVから、新開発の6G34直列6気筒1,994ccSOHC(サターン6エンジン)に変更され、130馬力にパワーアップした。これらは少ない生産量によるコストの制約から、既存の4気筒エンジン[6]の気筒数を2気筒増やした設計とし、4気筒エンジンの生産設備を利用して、熟練工の技術で限定生産されたものである。

1973年10月、大幅なマイナーチェンジで後期形へ移行。フロントドアの三角窓の廃止、テールランプデザイン変更(Lテール廃止)、フロントウインカー位置の変更。

1976年6月、再度のマイナーチェンジで「デボネア・エグゼクティブSE」(C-A32)となる。ラジアルタイヤ、および電動リモコン式タルボ型フェンダーミラーなどを標準装備すると同時にオプションのエアコンはトランク組み込みタイプのクーラーからヒーター組み込み型になる。マニュアルトランスミッション車は廃止。オイルショック後のコスト削減と排ガス規制で、条件の厳しい在来型6気筒エンジンの生産をやめ[7]、量産車用のバランサーシャフトサイレントシャフト)付き直列4気筒SOHCを限界一杯まで排気量拡大した51年排ガス規制適合のG54B型2,555cc・120馬力エンジンに換装されている[8]。このエンジンは一般には2,600ccと称し、以後最後までこの大排気量4気筒のまま生産された。

1978年4月、53年排ガス規制適合で型式がE-A33になる。

1979年6月、一部変更で54年騒音規制適合となり、後席ラジオコントロール付電子チューナーラジオを採用。ABSに相当するアンチスキッドブレーキという安全装置がメーカーオプション設定された。

1982年11月、一部変更でフロントグリルのエンブレムを「2600」から「MMC」に変更と同時にトランクリッドの「MCA-JET」エンブレム廃止。

変速機はコラムシフトのマニュアルトランスミッションのほか、3速ATも用意された。最終期の2,600cc直4エンジン車はATのみの設定。AT本体はアメリカ合衆国の大手変速機メーカー、ボルグ・ワーナーのロングセラー製品である「BW35」型3速ATが、初代最終モデルまで一貫して用いられた。

三菱自動車のフラッグシップであったことから、三菱グループの各企業で重役専用車として多用される一方、6気筒エンジンしかなかったため、競合他車のトヨペット・クラウン日産・セドリックプリンス・グロリアなどに比べ割高感があったこと(発売当初は、競合他車の上級グレードに相当するモノグレードのみ。翌5月、パワー仕様という更に上級のグレードをいち早く導入。)、また、そのことから当時は割と重視されていたタクシー需要も見込まれず、販売拠点の整備も遅れていたため、シェア争いに敗退する。また、そのイメージを嫌った企業(特に、非三菱系列の大企業関係者)に敬遠された。更に、70年代に入ると、基本設計もデザインも徐々に古臭さが目立つようになり、結果として、一般ユーザーにはほとんど売れなかったのが実情であった。

しかし古き良き時代のアメリカ車風の雰囲気を保ちつつ1980年代半ばまで生産されていたことが、後には逆に独特の希少性を産むことになった(初代デボネアより長い27年間継続生産されていた日産のQJY31セドリックでも類似のケースが見られた)。モデル末期にはブライダル用として人気が高まり、特装車として後席左側屋根が開くブライダル仕様が作られるほどであった。三菱水島製作所の改造により、後期形ベースでオープンボディとしたパレードカー仕様も製作されている[9]

生産終了後になってからの近年、古い自動車の中では程度の良い個体が手に入りやすく、生産期間中の不人気車ぶりとはうって変わって、旧車好きの間で人気が高まった。ローダウンや派手な塗装を施すなど、アメリカ風にアレンジする改造ベースにもなっている。このため、2000年代以降は、程度の良い個体(新車時からフルノーマル仕様)、ないし1973年までのフロントドアの三角窓&リヤのLテール(テールランプ)仕様は高価で取引されている。ことに初期のA30型(KE64型OHV搭載)は極端に流通台数が少ない希少モデルである。

あまりに希少な車だったため、漫画『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の作中[10]で「動く60年代の生き証人、現代の反逆児」「(運転者及び所有者は)どんな思想を持ってるやつか知れん」とギャグにされた。

なお法人需要が多かった関係から、現存[いつ?]個体は黒塗が圧倒的に多い。


2代目(1986年-1992年)S11・12A型編集

三菱・デボネアV(2代目)
S11/12A型
前期型(2,000ccモデル)
前期型 リア(2,000ccモデル) 
後期型 リア(3,000ccモデル)
製造国   日本
販売期間 1986年8月 - 1992年
設計統括 垣下錦一
デザイン アルド・セッサーノ
乗車定員 5-6人
ボディタイプ 4ドア セダン
エンジン 6G71型 1,998L V6 SOHC
6G72型 2,972L V6 SOHC
6G72型 2,972L V6 DOHC
駆動方式 FF
変速機 コラム4AT/フロア4AT
サスペンション 前:ストラット式
後:3リンク式
全長 4,690-4,865mm
全幅 1,695-1,725mm
全高 1,425-1,460mm
ホイールベース 2,735mm
車両重量 1,400-1,620kg
生産台数 2万8007台
-自動車のスペック表-

1986年8月登場。初代モデルの登場から実に22年ぶりのモデルチェンジが行われた。この2代目モデルのみ、「デボネアV」の名称となるが「V」には後述するV6エンジンや「VIP」など様々な意味を込めている。

開発担当責任者の垣下プロジェクトマネージャーによれば、前モデルの後継車を作るプロジェクトは、発売の10年ぐらい前から計画しては頓挫という繰り返しだった。当初は当然にFRとして企画されていたが、これがΣと同様のFFに変更されたのは5年ほど前だった。FFで行くことが決定されたため、エンジンはV6横置きしか選択がなく、プロトタイプのV6エンジンが台上で回っているときに、タイムリーにクライスラーから打診が入り、結果的に他社との競合の末に年間45万台をクライスラーへ供給するという大規模な契約ができた。これが、デボネアVが世に出る一番のキッカケとなった。

もう一つのキッカケは、当時三菱と提携関係にあったヒュンダイの「1988年のソウルオリンピックまでに、自国製の高級車が欲しい」というものであった。これについては、三菱自動車の社史に、「1985年、韓国現代自動車とデボネア共同開発契約締結」とあるとおりだが、時期的に、契約締結時には既にクレイモデルが完成し、設計作業に入っている段階だったことから、共同開発とは言っても、実際の開発はほぼ三菱側が行ったと思われる。

要約すると「高級車のモデルチェンジを企図した三菱、高級車を作りたかったヒュンダイ、(アメリカ市場では比較的小型となる)V型6気筒エンジンが欲しかったクライスラー」の利害が一致した結果である。[要出典]

機構的には、車台は1983年に発売された前輪駆動ギャランΣのプラットフォームをストレッチして使用。従って、上級グレードには、同HTのVR系に装備されていた電子制御サスペンションECS(コイル併用型のエアサス)も用意された。また、エンジンは、当初はV6の2,000cc SOHC(前期105馬力、後期120馬力)、V6の3,000cc SOHC(前期150馬力、後期155馬力)の2種類を搭載。なお、後にハイヤー等への需要に対応する形で、LPG仕様も追加された。ミッションは、マニュアルの設定はなく、ELC4速オートマチックのみである。

ボディサイズは前モデルと同様、当時でいう中型車クラス、つまりは開発に当たって最大のライバルと想定したクラウンやセド・グロと同じ5ナンバーフルサイズに収められた。前モデルが3ナンバー専用車になっていたのは、お家の事情(搭載するエンジンが2.6Lの4気筒に限られていたため)であり、今回のモデルチェンジで、本来のライバルであった前2車と同様のグレード展開となった。なお、3ナンバー専用車について垣下氏は「(このクラスでは)売れ行き自体が5ナンバーに集中する傾向があるので、敢えて3ナンバー専用にするのは、狭い市場を狙ってのことになる」から時期尚早との判断であった。

後に150馬力までパワーアップした2,000cc「スーパーチャージャー」(1987年1989年)と200馬力<1991年に210馬力にパワーアップ>の3,000ccDOHC24バルブ(1989-92年)が追加された。2,000cc「スーパーチャージャー」車の追加は、当時は3,000ccの「3ナンバー車」の税金が高いこと[11]による節税ハイパワー型としての措置で、競合各社でもこのクラスの2,000cc車にスーパーチャージャー・ターボチャージャーを同様の理由で装備していた例は多い。一方、3LのDOHCは、89年4月の税制改正によって、3Lエンジングレードの需要拡大に対応する必要があったことから、クラウンやルーチェ等に倣って追加されたものである。

ライバルの前2車との最大の違いは、開発コストの制約から、セダンボディしか用意できなかった事である。当時、前2車は、フォーマルユースをセダンで、パーソナルユースをHTで賄っていたが、デボネアはセダン一つでフォーマル/パーソナル両方の需要を満たす必要があった。そのため、高級パーソナルカーとして好評だった初代ソアラにも採用されていたプレスドアをデザイン上の特徴とし、細部のデザインもパーソナルな雰囲気を狙っていた(バンパーやモール類、サイドのプレスラインなどにも初代ソアラの影響が感じられた)ところが、その一方でフォーマルユースを満たすためには、同時に後席居住性も重視しなければならなかった。そこで、リヤシートのタイヤハウスの出っ張りを排除するため、リヤのオーバーハングを短く(=フロントのオーバーハングを長く)したため、かつての(アグリー)レオーネなどと同様、ダックスフントのような不格好なスタイルとなってしまった。また、三菱の販社では、一般向けに中型車を扱うのは事実上初めてだったことから、セールス氏からも「変わった車に乗りたいというユーザーに売れているだけでは」という懐疑的な声も漏れた。

そのため、売れ行きは知名度が高く実績もある前2車の影に隠れ、芳しいものではなかった。もちろん、三菱としても、拡販策として、西ドイツチューナー、「AMG」社に監修を依頼し、外観にエアロキットと専用のアルミホイール[12]を装備したデボネアAMGを用意していたし、後にイギリスの高級アパレルメーカーに内装を依頼したデボネア・アクアスキュータム、内装をオーナードライバー向けとした「エクシード」シリーズ、更には、税制改正後には「3000ツーリング(その上級としてスーパーツーリング)」というパーソナルグレードが設定されたが、思うように販売台数は伸びなかった(3000ツーリングは東京渡し235.4万円と、当時としては最も安い3Lセダンであったが、後に自社のディアマンテ3000GDIエスパーダ235万円に更新された。)。

なお、最廉価モデルは、発売当初212.5万円(LG、ベンコラAT)からと、前出のライバル2車に比べ高めの価格設定であったが、これは前2車にあったスタンダード及びデラックスに相当するグレード(更にはMT)が存在しないからである。また、前2車やマツダルーチェに存在した営業車(4気筒、MTのタクシー仕様車)の設定もない。これは、販売目標がそもそも月販800台(当時の中型車クラスの年間販売台数が約20万台だったため、その僅か5%)に過ぎず、当初より所謂法人タクシー需要を考慮していなかったためと考えられる。

なお、バブル期に販売された車らしく、Y31セダンと同様に、リムジンとロングボディ仕様がある。前者は前期モデルをベースに、愛知三菱自動車販売㈱が企画販売したもので(前後ドアの間で600ミリ延長)、ノーマルのヨーロピアンスタイルと、ランドウトップのアメリカンスタイルの2種がある。一方、後者は後期モデルをベースに、リヤドアを150ミリ延長した3000DOHCロイヤル150で、メーカー自らが企画販売した(ボディ架装メーカー:㈱アッスル)。他にも、クラウンセダンなどと同様に、左後ろの屋根が開くブライダル仕様もごく少数生産された。

3代目(1992年-1999年)S22・26・27A型編集

三菱・デボネア(3代目)
S22/26/27A型
製造国   日本
販売期間 1992年10月 - 1999年12月
デザイン 竹下俊二(乗用車開発本部 商品開発室 プロジェクトマネージャー)
乗車定員 5人
ボディタイプ 4ドア セダン
エンジン 6G72型 2,972L V6 SOHC
6G74型 3,496L V6 DOHC
駆動方式 FF
変速機 フロア4AT
サスペンション 前:ストラット式
後:マルチリンク式
全長 4,975-5,125mm
全幅 1,815mm
全高 1,440mm
ホイールベース 2,745mm
車両重量 1,590-1,840kg
生産台数 1万779台
後継 通常セダン版:三菱・プラウディア
ストレッチリムジン版:三菱・ディグニティ
-自動車のスペック表-

1992年10月登場。発売がバブル景気崩壊期であり、販売は当初から伸び悩んだ。

1989年4月の税制改正に呼応する形で、1990年に発売されたディアマンテシグマは、CMで「上級小型車の概念を変える」と謳っていたように、マークⅡクラスの車でありながら、当初から3ナンバー専用ボディを纏って登場した。そのため、従来の中型車(5ナンバーフルサイズ)のデボネアVとは、全幅(及びトレッド)において逆転現象が起きてしまった。この後、三菱では、マツダ同様に小型車であるギャランを含め、3ナンバー専用ボディへの移行が進むことになるが、そのような状況下で登場した3代目デボネアも、当然のことながらボディは大型化された。

グレードは大きく分けて2シリーズあり、ハイヤー、社用車向けのエグゼクティブシリーズ、オーナー向けのエクシードシリーズがあった。エンジンV型6気筒160馬力の(V6)3000SOHCと260馬力のV型6気筒3500DOHC。営業車用はV型6気筒3000LPG

ディアマンテ譲りのハイテク装備も惜しみなく装備され、レーダーカメラとエンジンブレーキによる車間距離自動制御システム、GPS&ジャイロセンサーによるカーナビゲーション、オキシジェンリッチャ(車内の酸素濃度を高め快適性を向上させる装置)、超音波センサーによるサスペンションの自動調節機能、TV画面に後方を写すバックカメラなど、高級車にふさわしい充実した装備であった。

1993年10月 廉価版の3Lエンジン搭載車。エクシードエクストラを追加。

1994年10月 オーナー向けの「エクシード・コンテーガ」を追加。

1995年10月 マイナーチェンジでフロントグリルとテールランプのデザインを変更。同時にカーナビゲーションには音声ガイドと自動ルート設定機能を追加。

1999年11月 生産終了。販売量の少なさや顧客の特異性などから生産を取りやめ、以降在庫のみの対応となる。

1999年12月 販売終了。35年に渡るデボネアの歴史に幕を下ろした。これと同時に後継車のS32A型プラウディア、S43A型ディグニティを発表。

2000年2月 プラウディア、ディグニティの販売開始。

車名の由来編集

脚注編集

  1. ^ お抱え運転手(ショーファー)によって運転されるような高級車という意味。英語の綴りでは「chauffeur driven」。
  2. ^ セダン型乗用車ではセンチュリーが最長記録だが、クロスカントリー型自動車では三菱・ジープ(1953年 - 1998年)の方が生産期間が長かった。他には商用バンのマツダ・ボンゴブローニィ(1983年 - 2010年)やタクシー用セダンの日産・セドリック営業車のY31型(1987年 - 2014年)も初代デボネアより長期間製造されている。
  3. ^ 三菱日本重工業新三菱重工業三菱造船の三社が1964年6月1日付で再統合され、同社(2代目)が再発足した際に作成されたもの。再統合の経緯については三菱重工業の項目を参照。
  4. ^ ただし、ボンネット両脇からテールに連続するエッジを立ててフラットデッキボディのキャラクター付けを行う手法は、在来型に比してダウンサイジングされたリンカーン・コンチネンタル1961年モデルでフォード・モーターのデザイナーであったエルウッド・エンジェルElwood Engel )が先行して用いた手法で、ブレッツナーにとっては既知のテクニックであったことは否定できない。
  5. ^ この改良型からインパネとステアリングホイールは1986年までほぼ同じ仕様となる
  6. ^ KE64は三菱コルト向けのKE4系エンジン、6G34はギャラン・ランサー向けの4G3系エンジンをそれぞれベースにしている。
  7. ^ 従って1986年の2代目までデボネアでは6気筒エンジンと5ナンバー車は休止となった。
  8. ^ 大排気量4気筒で問題になる振動をバランサーシャフトで打ち消しており、当時の三菱が自称した「V型8気筒に比肩」は誇大にしても、ある程度の振動抑制は図られていた。
  9. ^ 1978年頃に三菱自社所有車として1台が改造され、のち1988年に岡山県倉敷市にイベント用公用車として1台ずつが改造されたという。岡山県所有車は現存せず、倉敷市所有車はのち1999年に倉敷チボリ公園に払い下げ、さらに公園の経営難で2002年に個人に売却され2010年時点では千葉県で現存していたという。三菱所有車は長く使用されなかったが、2000年代に入ってから岡山県内の愛好家に譲渡されてナンバー付き可動状態となった。同車は2010年4月、バンクーバーオリンピックフィギュアスケート競技銅メダルを獲得した倉敷出身の高橋大輔岡山・倉敷両市で凱旋パレードを行った際、オーナー自身の運転で乗用に供されている。(「Old-timer」116号p20-21 2010年 八重洲出版)
  10. ^ 単行本38巻3話「マイベストカーの巻」
  11. ^ 当時は2L以上3L未満は81,500円/年
  12. ^ デボネアVは前期は4穴、後期はDOHC車のみが5穴ホイールである(ブレーキも2ポットキャリパーが奢られる)

関連項目編集

外部リンク編集