上厚内信号場
日本の北海道十勝郡浦幌町にある北海道旅客鉄道の信号場
(上厚内駅から転送)
上厚内信号場(かみあつないしんごうじょう)は、北海道十勝郡浦幌町字上厚内にある北海道旅客鉄道(JR北海道)根室本線の信号場。電報略号はカア。事務管理コードは▲110426[2]。旅客営業当時の駅番号はK41であった。
上厚内信号場 | |
---|---|
駅舎(上厚内駅時代、2013年9月) | |
かみあつない Kami-Atsunai | |
◄常豊(信) (7.5 km) (6.6 km) 厚内 K42► | |
所在地 | 北海道十勝郡浦幌町字上厚内 |
駅番号 | (○K41) |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■根室本線 |
キロ程 | 107.2 km(新得起点) |
電報略号 | カア |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗車人員 -統計年度- |
0人/日(降車客含まず) -2012年- |
開業年月日 | 1910年(明治43年)12月1日[1] |
備考 | 設置当初は信号所(信号場)、1926年(大正15年)8月1日より上厚内駅となり、2017年(平成29年)3月4日に駅として廃止[報道 1]、現在は信号場。 |
歴史
編集- 1910年(明治43年)12月1日:国有鉄道の上厚内信号所として新設[1][3]。
- 1922年(大正11年)4月1日:上厚内信号場に改称[1]。
- 1926年(大正15年)8月1日:一般駅に昇格し、上厚内駅となる[4][3]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体日本国有鉄道(国鉄)に移管。
- 1953年(昭和28年)11月25日:駅舎改築[新聞 1]。
- 1971年(昭和46年)10月2日:貨物・荷物の取り扱いが終了[5]。駅員無配置駅となる[6](簡易委託化)。
- 1977年(昭和52年)9月以前:跨線橋設置。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継[1]。
- 1992年(平成4年)4月1日:簡易委託廃止、完全無人化。
- 2007年(平成19年)10月1日:駅ナンバリングを実施(K41)[報道 2]。
- 2012年 (平成24年)7月2日:臨時急行列車「北海道一周狩勝号」が停車する。
- 2016年(平成28年)
- 2017年(平成29年)
- 2018年(平成30年)
信号場名の由来
編集→「厚内駅 § 駅名の由来」も参照
厚内川の上流にあるため「上」を冠した[3]。
構造
編集1線スルー化はされておらず、駅舎側の旧1番線が下り線、旧2番線が上り線となっている。
旅客駅時代は相対式2面2線ホームを有する地上駅で、互いのホームは屋根のない跨線橋で連絡していた。
廃止前の利用状況
編集- 2011 - 2015年(平成23 - 27年)の乗降人員調査(11月の調査日)平均は「1名以下」[報道 3]。
記録と調査
編集駅周辺
編集小集落があるのみ[新聞 6]。
隣の駅
編集脚注
編集出典
編集- ^ a b c d 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、879頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、233頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、127頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ 内閣印刷局, ed (1926‐07-23). “鉄道省告示 第133号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (4175) .
- ^ 「日本国有鉄道公示第408号」『官報』1971年10月2日。
- ^ 「通報 ●根室本線西帯広駅ほか6駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1971年10月2日、2面。
- ^ 「存廃に揺れる北辺の本線」『鉄道ジャーナル』No.610、2017年8月、56頁。
- ^ 「旧上厚内駅木造駅舎が解体されました」『浦幌町立博物館だより』 2018年10月号 2018年10月1日 浦幌町立博物館
- ^ 「2019年(平成31年)4月行事案内」『浦幌町立博物館だより』 2019年4月号 2019年4月1日 浦幌町立博物館
- ^ 「上厚内駅回顧展…想い出や写真、全国から」(浦幌町立博物館 学芸員 持田誠) 『浦幌町立博物館だより』 2019年4月号 1頁 2019年4月1日 浦幌町立博物館
- ^ “浦幌町コミュニティバス 郊外路線図” (PDF). 浦幌町. 2018年5月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年5月27日閲覧。
報道発表資料
編集- ^ a b “平成29年3月ダイヤ改正について” (PDF). 北海道旅客鉄道 (2016年12月16日). 2016年12月16日閲覧。
- ^ 『駅番号表示(駅ナンバリング)を実施します』(PDF)(プレスリリース)北海道旅客鉄道、2007年9月12日。オリジナルの2007年9月30日時点におけるアーカイブ 。2014年9月6日閲覧。
- ^ “極端にご利用の少ない駅(3月26日現在)” (PDF). 平成28年度事業運営の最重点事項. 北海道旅客鉄道. p. 6 (2016年3月28日). 2017年9月25日閲覧。
新聞記事
編集- ^ “旧上厚内駅 木造駅舎の解体始まる”. どうしんweb・北海道新聞 (2018年9月16日). 2018年9月19日閲覧。
- ^ どうしんウェブ/電子版(経済) (2016年10月4日). “上厚内駅も廃止方針 根室線 JR、浦幌町に伝達” (日本語). 北海道新聞 (北海道新聞社). オリジナルの2016年10月5日時点におけるアーカイブ。 2016年10月5日閲覧。
- ^ WEB TOKACHI (2016年10月3日). “上厚内駅 来年3月廃止 JR北海道” (日本語). 十勝毎日新聞 (十勝毎日新聞社). オリジナルの2016年10月3日時点におけるアーカイブ。 2016年10月3日閲覧。
- ^ “浦幌の上厚内駅 25、26日に最後の見学会”. 十勝毎日新聞 (2017年2月19日). 2021年6月21日閲覧。
- ^ “「古くても立派」 JR上厚内の駅舎見学会”. 十勝毎日新聞 (2017年2月25日). 2021年6月21日閲覧。
- ^ “思い出刻む木造駅舎 浦幌・上厚内駅3月廃止見通し”. 十勝毎日新聞 (2016年10月7日). 2021年8月8日閲覧。「駅周辺の集落の衰退とともに、生活者による利用はほとんどなくなっていた」「最盛期には60世帯が住んでいた上厚内地区には現在(2016年)、3世帯しかいない」とある。
関連項目
編集外部リンク
編集- 『新日本風土記アーカイブス 上厚内駅 北海道の風雪に耐え凛と立つ駅舎』2009年放送 NHKアーカイブス 動画で見るニッポン【みちしる】 NHK