中釜戸のシダレモミジ

福島県いわき市渡辺町中釜戸にある国の天然記念物に指定されたイロハカエデ

中釜戸のシダレモミジ(なかかまどのシダレモミジ)は、福島県いわき市渡辺町中釜戸表前に生育する、国の天然記念物に指定された、著しい「枝垂れ」と「捩れ」を呈した先天性変異株と考えられる2株のイロハカエデの奇態樹である[1][2][3][4]

中釜戸のシダレモミジ。2023年10月25日撮影。

イロハカエデ(別名イロハモミジ、学名Acer palmatum)は、ムクロジ科カエデ属落葉高木であり、通常は単にモミジと呼ばれることが多く、春の新緑や秋の紅葉などで日本人に馴染み深い樹種であるが、中釜戸のシダレモミジは一般的に知られるモミジとはかけ離れた奇妙な樹形をしており、植物奇形学上貴重なものであることから[5][6]、当時の保存要目第一のうち「畸形木」として[2]1937年昭和12年)6月15日に国の天然記念物に指定された[3][7][8]

このイロハカエデが植栽されたものなのか、自生していたものなのかは不明で[2]、正確な樹齢も不詳であるが[9]、枝垂れや捩れの性質は遺伝的に固定されたものではなく突然変異によるものと考えられており[5]植物形態学遺伝学的資料としての観点からも貴重なイロハカエデの個体である[9]カエデモミジの類には変種亜種、さらには栽培品種も数多くあり、文献資料によっては本樹をヤマモミジ(山紅葉)とするものもあるが、樹種はイロハカエデ(別名イロハモミジ)である[9][10][11]

解説 編集

 
 
中釜戸の
シダレ
モミジ
中釜戸のシダレモミジの位置
 
観音堂側から見た中釜戸のシダレモミジ。2023年10月25日撮影。

中釜戸のシダレモミジは、JR常磐線泉駅から西方へ約5キロメートルの中釜戸地区にある観音堂境内に生育している[1]。所在する中釜戸地区は1954年(昭和29年)まで石城郡渡辺村であったところで、今日のいわき市南部を占める小名浜地区の、西側の田園地帯に位置している。泉駅より福島県道240号釜戸小名浜線藤原川水系釜戸川沿い上流方向へ進むと、中釜戸のシダレモミジの入口を示す表示があり、県道から西側へ入り釜戸川に架かる小橋を渡った先の、通称観音山と呼ばれる丘陵水田が接する麓、中釜戸地区の民家に隣接した畑地に観音堂があり、この境内の一角に国の天然記念物に指定された大小2株の中釜戸のシダレモミジが並んで生育している[2][6][11][12]

2株とも基部から樹幹が捻じ曲がり、幹や枝の各所には多数の(コブ)があり、屈曲した枝先はことごとく枝垂れ、全体的に状の奇観を呈している[2][4]。このうち大きい方の個体は、樹高6.8メートル、胸の高さでの幹周は3.5メートル、根周りは2.75メートルで[4][9]、小さい方の個体は樹高4メートル、胸の高さでの幹周は80センチメートル[9]、2個体とも際立った巨樹ではないものの、カエデ属の樹種がこのような樹形をもつことは珍しいという[1]。特に大きい方の個体は枝が大きく捩れながら四方へ広がっており、地上1.5メートルの位置から3方向へ分かれて捩れながら外側へ広がり出ている[3][6][13]。根元からの枝張りは東方向へ約6メートル、西方向へ約3.4メートル、南方向へ約5.8メートル、北方向へ約5.2メートルもある[4][5]。全体的な枝ぶりは約12メートルという大きなもので、これら大中小の枝先がすべて枝垂れている[9][14]

この奇妙なシダレモミジは、かつて周囲を竹藪に囲まれていたため外部からは目立たず、昭和初期頃までは近隣の村人だけが知るだけで[15]、当地に住む若松家の人々が数百年もの間、この木の世話をして守り育ててきたという[11]。一般に知られるようになったのは旧鹿島村村長で福島県文化財調査員であった八代義定が、この地に奇妙なモミジがあることを聞き及んだことが契機である[16]

国の天然記念物指定に先立つ現地調査は植物学者三好学により1936年昭和11年)10月10日に行われた[5]。三好は泉駅より西へ進んで当時の国道6号陸前浜街道)を横切り里道に入り[17]、釜戸川に架かる土橋を渡り田んぼと竹藪の間の曲がりくねった小道を進んで当地に赴いている[18]。三好は2株の諸元を計測するとともに現状の生育状態の調査を行った。三好によれば調査樹周辺の境内地面には小さな空堀のようなものがあり、周囲は雑草が生い茂り非常に荒廃していたという。また調査の直前には、大きい方の個体の最も太い枝上で、地元の児童らが登り跳ねて遊んだため折損していたという[5]

 
観音堂と中釜戸のシダレモミジ。2023年10月25日撮影。

当地は地元に古くからある観音堂の境内であり、その生育環境から三好は「真の野生と見做し難く」と、古い時代に観音堂に植樹された園芸品種の印象を受けるが、今日に至ってはそれを確認する術がないとしている[5][6]。いずれにしても著しい枝垂れと捻転は先天性偶発による奇態であり、天然記念物として保存することを要するとし、また折損した傷口の補修にくわえ周囲には柵を設置し、児童らに樹上に登らないよう指導し、大人も含め下垂する枝にも触れないよう注意を要すると報告している[5]。こうして当時の保存要目第一のうち「畸形木」として[2] 、調査翌年の1937年(昭和12年)6月15日に国の天然記念物に指定された[1][3][8]

地元に伝わる話によれば、この観音堂には江戸末期の戊辰戦争で敗れた会津藩藩士が隠れ住んでいたといい、竹藪に囲まれた人目に付かない場所であったこともあり、地元の人でもあまり近づかなかったという[16]。また、観音堂の隣にはかつて廃寺の建物があり、寺子屋として使用された時期もあったといい、それを裏付けるように1950年(昭和25年)頃、観音堂の裏山の通称観音山にスギ植林のため、シダレモミジを囲んでいた竹藪やを切り払い下草を刈ったところ、シダレモミジの周囲から古い建造物の跡とみられる磯石が多数見つかったため、福島県教育委員会や地元関係者らによる発掘調査が行われた。その結果、寺院を囲んでいたと推定される縦5(約9メートル)、横7間(約12.7メートル)の石垣が確認された[16]

観音堂の内部には村札が納められており、それによればこの寺院は約1.7キロメートルほど北方の上釜戸地区にある清谷寺の末寺で、明治初年まで「灯階山万善寺」と呼ばれていた無住職の寺院であったことが確認された[19]。さらに観音堂には寛文9年(1669年)に再建された記録が残されており、安置された千手観音台座光背には享保2年(1717年)修理の記録があることから、万善寺はそれ以前に建立された寺院ということになり[20]、仮にこのシダレモミジが万善寺の庭へ人為的に植樹されたものなら、樹齢は400年から500年を経ていることになる[11][18]。しかしシダレモミジそのものに関する史料や古書等は確認されていないため、植樹されたものなのか自生のものなのかは不明のままである[20][21]

一方で、このシダレモミジから枝分けした個体からは通常のモミジが生じるだけで枝垂れは発生しないという[20]。また自然落下した種子から実生で生育するものは、ほとんどが通常のモミジで枝垂れるのはごく一部だという[9]。これらのことから枝垂れ形質は遺伝的に固定されたものでなく、突然変異によって生じたものと考えられている[3][9]

交通アクセス 編集

所在地
  • 福島県いわき市渡辺町中釜戸表前117-2[† 1]
交通

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 中釜戸に続く地名を「大字中釜戸字猿田21」とする資料もある。

出典 編集

  1. ^ a b c d 樫村 1995, p. 467.
  2. ^ a b c d e f 本田 1957, p. 286.
  3. ^ a b c d e 文化庁文化財保護部監修 1971, p. 174.
  4. ^ a b c d 帝国森林会 1962, p. 725.
  5. ^ a b c d e f g 三好 1937, p. 16.
  6. ^ a b c d 磐城市教育委員会 1966, p. 82.
  7. ^ 樫村 1995, p. 465.
  8. ^ a b 中釜戸のシダレモミジ(国指定文化財等データベース) 文化庁ウェブサイト、2023年11月29日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g h いわき市教育委員会 2017, p. 30.
  10. ^ a b うつくしま電子事典 中釜戸のシダレモミジ 福島県教育委員会公式サイト、2023年11月29日閲覧。
  11. ^ a b c d e 渡辺 1999, p. 81.
  12. ^ 渡辺町 1977, p. 29.
  13. ^ 三好 1937, pp. 15–16.
  14. ^ 渡辺町 1977, pp. 29–30.
  15. ^ 福島民報 1969, pp. 185–186.
  16. ^ a b c 福島民報 1969, p. 186.
  17. ^ 三好 1937, p. 15.
  18. ^ a b 福島民報 1969, p. 185.
  19. ^ 福島民報 1969, pp. 186–187.
  20. ^ a b c 福島民報 1969, p. 188.
  21. ^ 渡辺町 1977, p. 30.
  22. ^ a b 中釜戸のシダレモミジ – 福島県観光情報サイトふくしまの旅 - 公益財団法人 福島県観光物産交流協会サイト。2023年11月29日閲覧。
  23. ^ 中釜戸のシダレモミジ – いわき市観光サイト。2023年11月29日閲覧。


参考文献・資料 編集

  • 加藤陸奥雄他監修・樫村利道、1995年3月20日 第1刷発行、『日本の天然記念物』、講談社 ISBN 4-06-180589-4
  • 本田正次、1957年12月25日 初版発行、『植物文化財 天然記念物・植物』、東京大学理学部植物学教室内 本田正次教授還暦記念会
  • 文化庁文化財保護部監修、1971年5月10日 初版発行、『天然記念物事典』、第一法規出版
  • 三好学 著、文部省 編『天然紀念物調査報告. 植物之部 第十七輯』文部省、1937年3月30日。doi:10.11501/1114775https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1114775/27 
  • 帝国森林会 編、1962年12月10日 発行、『日本老樹名木天然記念樹』、大日本山林会 全国書誌番号:63002775
  • 高萩精玄、1966年7月15日 発行、『磐城市の歴史』、磐城市教育委員会 全国書誌番号:68002162
  • 福島民報社 編、1969年5月30日 発行、『福島史跡ハイク』、昭和書院 全国書誌番号:73006168
  • 渡辺町史編さん委員会 編、1977年3月20日 発行、『渡辺町史』、いわき市渡辺公民館 全国書誌番号:77004498
  • いわき市文化財保護審議会 監修, いわき市教育委員会 編、2017年3月30日 発行、『いわき市の文化財』、いわき市教育委員会 全国書誌番号:22913774
  • 渡辺典博、1999年3月15日 初版第1刷、『巨樹・巨木 日本全国674本』、山と渓谷社 ISBN 4-635-06251-1

関連項目 編集

外部リンク 編集

座標: 北緯36度57分48.3秒 東経140度48分27.0秒 / 北緯36.963417度 東経140.807500度 / 36.963417; 140.807500