国道6号
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国道6号(こくどう6ごう)は、東京都中央区から宮城県仙台市へ至る一般国道である。
一般国道 | |
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国道6号 | |
地図 | |
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総延長 | 439.9 km |
実延長 | 417.8 km |
現道 | 379.0 km |
制定年 | 1920年 |
起点 | 東京都中央区・日本橋(地図) |
主な 経由都市 |
東京都台東区、墨田区、葛飾区 千葉県松戸市、柏市、我孫子市 茨城県取手市、龍ケ崎市、牛久市、 土浦市、石岡市、小美玉市、水戸市、 ひたちなか市、日立市、高萩市、北茨城市 福島県いわき市、南相馬市、相馬市 宮城県岩沼市、名取市 |
終点 | 宮城県仙台市・苦竹IC(地図) |
接続する 主な道路 (記法) |
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東京都中央区日本橋から水戸市を経て仙台市に至る路線。仙台市まで福島県中通りを通る国道4号とは異なり、関東平野を縦断し、水戸から太平洋沿いに北進し福島県浜通りを通る。全線(特に千葉県から宮城県にかけての区間)にわたり常磐自動車道及び常磐線と並走する。
福島第一原子力発電所事故に伴う帰還困難区域設定のため、福島県内の一部区間は許可車両以外の通行が規制されていたが、2014年9月15日からは自動車のみ自由通行が可能となった[1]。
目次
路線データ編集
- 起点:東京都中央区(日本橋=国道1号・国道4号・国道14号・国道15号・国道17号・国道20号起点)
- 終点:宮城県仙台市宮城野区(苦竹IC=国道4号重複、国道47号起点、国道45号交点)
- 主な経由地:東京都台東区・墨田区・葛飾区、千葉県松戸市・柏市、我孫子市、茨城県取手市・龍ケ崎市・牛久市・土浦市・石岡市・小美玉市・水戸市・ひたちなか市・日立市・高萩市・北茨城市、福島県いわき市・双葉郡双葉町・同郡浪江町・南相馬市・相馬市、宮城県岩沼市・名取市
- 総延長 : 439.9 km(宮城県 49.8 km、仙台市 33.1 km、福島県 163.1 km、茨城県 155.0 km、千葉県 23.1 km、東京都 15.7 km)重用延長を含む[2][注釈 1]
- 重用延長 : 22.0 km(宮城県 10.3 km、仙台市 11.0 km、福島県 - km、茨城県 - km、千葉県 - km、東京都 0.8 km)[2][注釈 1]
- 未供用延長 : なし[2][注釈 1]
- 実延長 : 417.8 km(宮城県 39.6 km、仙台市 22.2 km、福島県 163.1 km、茨城県 155.0 km、千葉県 23.1 km、東京都 14.9 km)[2][注釈 1]
- 指定区間:東京都中央区日本橋から宮城県仙台市宮城野区日の出町二丁目3番27(苦竹IC)まで全線[3]
歴史編集
江戸時代の水戸街道(江戸 - 水戸)、水戸より先の岩沼で奥州街道に合流するに至る磐城街道、岩城相馬街道を継承し、水戸街道と岩城相馬街道を総称して浜街道とも呼ばれていた[4]。江戸 - 水戸 - 仙台を結ぶ要路で、奥州街道の混雑を避けて参勤交代する奥州筋の大名も多かったという[4]。
明治に入り、1872年(明治5年)には、水戸街道と岩城相馬街道を併せて陸前浜街道と改称され[5]、つづく1885年(明治18年)の内務省告示第6号「國道表」により、水戸以南が第十四号国道「東京より茨城県に達する路線」、水戸以北は第十五号国道「東京より宮城県に達する別路線」の一部となった[6]。
1919年(大正8年)4月11日に新しい道路表が公布され、翌1920年(大正9年)4月1日内務省施行の旧道路法に基づく路線認定で、同じ道筋の東京 - 仙台が国道6号「東京市より宮城県庁所在地に達する路線」となった[7]。従前の陸前浜街道や江戸時代の旧街道と同じ道筋が多いが、部分的には新しく開いた国道もある[7]。陸前浜街道から継承する旧道の道路沿いには江戸幕府の道路政策によって造成された並木敷の松林がみられたが、道路を直路形式に新開する道路拡幅事業により片側2〜3メートル幅があった並木敷きは次々と姿を消していった[7]。経路は、東京日本橋 - 取手 - 土浦 - 水戸から、那珂川を寿橋(現・茨城県道253号水戸枝川線)で渡り枝川(ひたちなか市)から北上した[7]。
終戦後の1952年(昭和27年)12月4日の新道路法に基づく路線指定では、旧国道6号がそのまま一級国道6号(東京都中央区 - 宮城県仙台市)となった。1965年(昭和40年)4月1日に、道路法改正によって一級・二級の区別がなくなり一般国道6号となった。
国道6号には平地部を流れる河川が多いが、架橋されたのは大正時代から昭和初期までかかっており、川幅の短い河川を除けば、旧道路法が1919年(大正8年)に成立する以前は大部分が渡し船によって川を渡った[8]。架橋年は茨城県だけでも、鮎川橋(日立市・鮎川)は1927年(昭和2年)、榊橋(久慈川)は1930年(昭和5年)、銭亀橋(土浦市・桜川)は1934年(昭和9年)、大利根橋(利根川)が1930年(昭和5年)に架設されており、昭和初期が多い[9]。
※1948年(昭和23年)から1966年(昭和41年)に茨城県内で行われた大規模改良工事については、国道6号一次改築を参照。
年表編集
- 1961年(昭和36年) - 松戸バイパス開通
- 1963年(昭和38年) - 取手バイパス開通
- 1965年(昭和40年) - 金町バイパス開通
- 1966年(昭和41年) - 小木津バイパス開通
- 1971年(昭和46年) - 亘理バイパス開通
- 1973年(昭和48年) - 水戸バイパス開通
- 1974年(昭和49年) - 勝田拡幅供用
- 1982年(昭和57年) - 土浦バイパス開通
- 1990年(平成2年) - 茨城町バイパス開通
- 1999年(平成11年) - 榊橋新橋開通
- 2000年(平成12年) - 常磐バイパス開通
- 2005年(平成17年)3月 - 藤代バイパス開通
- 2008年(平成20年)3月 - 相馬バイパス開通
- 2011年(平成23年)3月11日 - 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)により、法面崩落、津波による冠水などの被害を受ける[10]。
- 2011年(平成23年)4月22日 - 福島第一原子力発電所から半径20km圏内の区間が警戒区域となり、許可車両以外は通行止めとなる。
※ 原発事故の帰還困難区域に伴う通行規制区間については原発事故による通行規制の項目を参照。
路線状況編集
通過市町村と渋滞等の道路事情編集
(※バイパスのうち茨城県つくば市を通過する牛久土浦バイパスの区間を除く。)
- 東京都
- 千葉県
- 茨城県
- 取手市 - 龍ケ崎市 - 牛久市 - 土浦市 - かすみがうら市 - 石岡市 - 小美玉市 - 東茨城郡茨城町 - 水戸市 - ひたちなか市 - 那珂市 - 那珂郡東海村 - 日立市 - 高萩市 - 北茨城市
- 茨城県内は大利根橋(県境) - 取手市小浮気間・土浦市内一部・茨城町北部 - 那珂市内・東海村北端部 - 日立市南端部が4車線化されているものの、交通量と比較して車線増などの改修の進捗が遅れている。そのため特に日立市内では国道6号・常磐道以外に縦断する平行幹線道路がなく、通過・流入・域内車両が混在し、慢性的な渋滞となっている。神田町から大みか町にかけての大和田拡幅の事業化が2006年度から開始されている。
- 取手市 - 龍ケ崎市 - 牛久市 - 土浦市 - かすみがうら市 - 石岡市 - 小美玉市 - 東茨城郡茨城町 - 水戸市 - ひたちなか市 - 那珂市 - 那珂郡東海村 - 日立市 - 高萩市 - 北茨城市
- 福島県
- 宮城県
別名編集
一般に以下の別名で呼ばれることがあり、水戸街道は東京 - 水戸間の国道6号の別称であり[15]、江戸時代から続く藩領型呼称である当時の愛称が、明治・大正・昭和と時代を受け継がれてきたものである[16]。陸前浜街道は明治時代に名づけられた公道名で、新道やバイパスなど新しく開かれた経路は陸前浜街道の呼称は付されない[15]。また、茨城県の中心を縦貫するこの国道は、俗称として「6国(ろっこく)」[注釈 2]という呼ばれ方もされており、沿線地元民から親しまれている[17]。
バイパス編集
- 金町バイパス(東京都)※
- 松戸バイパス(千葉県)※
- 取手バイパス(茨城県)※
- 藤代バイパス(茨城県)※
- 牛久土浦バイパス(茨城県)
- 土浦バイパス(茨城県)※[注釈 3][注釈 4]
- 千代田石岡バイパス(茨城県)
- 国道6号一次改築(茨城県)※
- 石岡バイパス(茨城県)※
- 美野里バイパス(茨城県)(経路検討中)
- 茨城町バイパス(茨城県)※
- 水戸バイパス(茨城県)※
- 勝田拡幅(茨城県)
- 石名坂バイパス(茨城県)※
- 日立バイパス(茨城県)
- 小木津バイパス(茨城県)※
- 勿来バイパス(茨城県 - 福島県)
- 常磐バイパス(いわきサンシャインロード)(福島県)※
- 久之浜バイパス(福島県)※
- 相馬バイパス(福島県)※
- 亘理バイパス(宮城県)※
- 岩沼バイパス(宮城県)※
- 仙台バイパス(宮城県)※
※は旧道が国道6号の指定を解除された。
有料道路編集
- 東水戸道路(茨城県、北関東自動車道に並行する高速道路)
- 仙台南部道路(宮城県、地域高規格道路)
- 仙台東部道路(宮城県、常磐自動車道に並行する高速道路)
- いずれもバイパス有料道路として位置づけられているが、東水戸道路と仙台東部道路は高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路、仙台南部道路は地域高規格道路(都市圏自動車専用道路)であり、一般有料道路といえども高速自動車国道並みの設計で建設されている。仙台南部道路と仙台東部道路は、東北自動車道・仙台北部道路・三陸自動車道とあわせて仙台都市圏環状自動車専用道路を構成する。
重複区間編集
- 国道17号:東京都中央区日本橋 - 東京都中央区日本橋室町(室町三丁目交差点)
- 国道4号:東京都中央区日本橋 - 東京都中央区日本橋本町(本町三丁目交差点)
- 国道14号:東京都中央区日本橋 - 東京都中央区日本橋馬喰町(浅草橋交差点)
- 国道294号:千葉県柏市(呼塚交差点) - 茨城県取手市(国道294号入口交差点)
- 国道355号:茨城県石岡市国府(国府七丁目交差点) - 茨城県石岡市石岡(山王台交差点)
- 国道4号:宮城県岩沼市(藤浪交差点[注釈 5]) - 宮城県仙台市宮城野区(苦竹IC)
道路施設編集
トンネル編集
- 松戸隧道
- 千葉県松戸市に所在。千葉大学園芸学部の下をくぐっている。
- 平潟トンネル
- 南富岡トンネル
- 久世原トンネル
- 新波立トンネル
- 福島県いわき市(久之浜バイパス)に所在。全長190m、2015年(平成27年)竣工。
- 金ヶ沢第一トンネル・金ヶ沢第二トンネル
- 末続第一トンネル・末続第二トンネル
- 福島県いわき市久之浜町に所在。全長143m(第一トンネル)・278.5m(第二トンネル)、1963年(昭和38年)3月竣工。
- 夕筋トンネル
主な橋梁編集
- 言問橋(隅田川、東京都台東区 - 墨田区)
- 四ツ木橋・四ツ木小橋・新四ツ木橋(荒川・綾瀬川、東京都墨田区 - 葛飾区)
- 中川大橋(中川、東京都葛飾区)
- 新葛飾橋(江戸川、東京都葛飾区 - 千葉県松戸市)
- 大利根橋(利根川、千葉県我孫子市 - 茨城県取手市)
- 水戸大橋(那珂川、茨城県水戸市 - ひたちなか市)
- 榊橋(久慈川、茨城県那珂郡東海村 - 日立市)
- 鮫川大橋(鮫川、福島県いわき市)
- 夏井川橋(夏井川、福島県いわき市)
- 阿武隈橋(阿武隈川、宮城県亘理郡亘理町 - 岩沼市)
道の駅編集
原発事故による通行規制編集
2011年4月22日から2014年9月14日まで、福島第一原子力発電所事故による帰還困難区域(事故発生警戒区域)に関連し、福島県双葉郡富岡町本岡字新夜ノ森(富岡消防署北交差点)から双葉郡浪江町高瀬字小高瀬(浪江町・双葉町境付近)までの区間が通行不能だった。
実際の通行止め規制は南端と北端の検問所のみであるが、これらに挟まれる区間はすべて帰還困難区域であり、滞在するだけで違法となるため、事実上連続した30km程度の規制となっていた。一時帰宅では自家用車による通行が9月下旬実施分から許可されており、帰宅に使用する自動車であれば決められた方法で通行できた。
2012年12月17日からは、避難区域の市町村の職員やインフラの復旧工事などに関わる業者など、事前の申請が認められれば、帰還困難区域内を通り抜けできる。2013年6月17日からは、避難区域に当たる12市町村の住民でも、通勤・通院などの目的に限って、市町村発行の通行証を持参することを条件にして帰還困難区域内の通行が可能になった。(通行時間は7時から19時までに限られていた。)その後、帰還困難区域内の通行区域内での除染や道路補修などが終了したとして、2014年9月15日からは、自動車に限り、全線での自由通行が可能になった(歩行者・軽車両・原動機付自転車・自動二輪車[注釈 6]は引き続き規制対象)。ただし、帰還困難区域内での駐停車(エンスト、パンクなど車両不備、故障の場合はその限りではない)や国道本線を外れた道路・施設への立ち入りは禁止されているほか、窓を閉めてエアコンは内気循環にするよう呼びかけられている。[1][19]
なお、2012年4月15日までの北側の規制地点は南相馬市原町区大甕(273.5kmポスト)、2012年8月9日までの南側の規制地点は双葉郡楢葉町山田岡(Jヴィレッジ入口付近、231 kmポスト)であった。いずれも、いわゆる「半径20km圏」を基準に設定されたものである。2013年4月1日をめどとして実施された避難区域の再編(避難指示解除準備区域への移行)に伴い、南側の規制地点は同年3月24日までの楢葉町上繁岡字山根(富岡町との町境)から、北側の規制地点は同年3月31日までの南相馬市小高区下浦字三輪(263 kp)(南相馬市・浪江町境付近)から、それぞれ解除前の地点へ移動していた。
-
警戒区域へ入場する車両(福島県広野町・楢葉町との町境)
地理編集
交差する道路編集
※バイパスのうち茨城県内の東水戸道路を除く。
- 東京都
- 千葉県
- 茨城県
- 国道408号(牛久市・学園都市南入口交差点、つくば市・大井北交差点〈牛久土浦バイパス〉)
- 首都圏中央連絡自動車道つくば牛久IC(つくば市〉牛久土浦バイパス〉)
- 国道125号阿見美浦バイパス・国道354号(土浦市・中村陸橋)
- 国道125号(土浦市・真鍋跨道橋交差点・都和〈新治土浦バイパス〉)
- 国道125号新治土浦バイパス(土浦市都和)
- 常磐自動車道千代田石岡IC(かすみがうら市)
- 国道355号石岡岩間バイパス(石岡市・恋瀬橋北交差点)
- 国道355号(石岡市・国府七丁目交差点 -(重複)- 山王台交差点)
- 北関東自動車道茨城町東IC(東茨城郡茨城町)
- 国道50号水戸バイパス(水戸市・酒門町交差点)
- 国道51号(水戸市・渋井町交差点)(※国道51号重複=国道124号・国道245号)
- 常磐自動車道日立南太田IC(日立市)
- 国道293号(日立市・大和田町交差点)
- 国道245号(日立市・国道245号入口交差点)
- 国道245号(日立市・旭町交差点〈日立バイパス〉)
- 常磐自動車道日立北IC(日立市)
- 国道461号(日立市十王町伊師)
- 福島県
- 宮城県
脚注編集
注釈編集
- ^ a b c d e f g 2015年4月1日現在
- ^ 「6号国道」を略した呼ばれ方。
- ^ 1983年2月まで、土浦バイパスと並行する旧道区間(土浦市中 - 中央 - 中貫)は本線として存在した。土浦バイパスが現道となり、旧道を茨城県へ移管した際、土浦市中 - 中央間が県道土浦野田線(現国道354号)に、常名 - 中貫間が県道土浦八郷線(現県道64号)にそれぞれ編入された[18]。ただし今でも地元住民の多くが旧道区間を「6号旧道」、現本線を「6号バイパス」と呼称する。[要出典]
- ^ (再評価)国道6号土浦バイパス (PDF) (国土交通省関東地方整備局) - 2009年度で、併行する旧道6号がないが現道を道路管理者もバイパスと称している例
- ^ 当交差点は4号(福島・白石方面)から当線へ終日右折禁止となっており、4号北行きから当線へは一つ手前の十字路を右折して旧道を通る。
- ^ 国道6号と並行する常磐自動車道(常磐富岡IC - 浪江IC間)は通行可能。
出典編集
- ^ a b “帰還困難区域の国道6号、車に限って通行再開”. 読売新聞. (2014年9月15日) 2014年9月15日閲覧。 [リンク切れ]
- ^ a b c d e f g “表26 一般国道の路線別、都道府県別道路現況 (PDF)”. 道路統計年報2016. 国土交通省道路局. p. 1. 2017年4月1日閲覧。
- ^ 一般国道の指定区間を指定する政令、平成23年3月30日政令第45号による最終改正、2012年2月26日閲覧
- ^ a b 佐藤次男 1989, p. 21.
- ^ 長久保光明 1981, p. 19.
- ^ 佐藤次男 1989, p. 24.
- ^ a b c d 長久保光明 1981, p. 20.
- ^ 長久保光明 1981, pp. 150-152.
- ^ 長久保光明 1981, p. 152.
- ^ 国土交通省磐城国道事務所管内被災状況 (PDF) (国土交通省東北地方整備局)
- ^ “【6号国道一般通行可能へ】浜の動脈復活期待 物流、観光に効果 避難者、帰還へ希望の道。”. 福島民報. (2014年9月13日) 2014年9月13日閲覧。
- ^ 国道6号久之浜バイパス、相馬バイパスに並行する現道区間が平成29年4月1日に国の管理から福島県の管理になる予定です。 - 平成29年1月6日 磐城国道事務所、福島県土木部道路計画課、福島県いわき建設事務所、福島県 相双建設事務所
- ^ 国道6号常磐バイパスに並行する現道区間が、4月から福島県管理となり、新しい路線名になる予定です。 - 平成30年1月30日 磐城国道事務所、福島県土木部道路計画課、福島県いわき建設事務所、福島県 相双建設事務所
- ^ 平成19年3月1日・衆議院予算委員会第八分科会2号・議事録
- ^ a b 長久保光明 1981, p. 21、筆者作成の図中の注記文より。
- ^ 長久保光明 1981, p. 12.
- ^ 青木智也 『いばらぎじゃなくていばらき』 茨城新聞社、水戸市、2004年、77頁。ISBN 4-87273-192-1。
- ^ “道路の区域変更(昭和58年2月14日 茨城県告示第257・258号) (PDF)”, 茨城県報 (茨城県) 第7116号: pp.4-5, (1983年2月14日)
- ^ 国道6号ルポ まだまだ復興の道遠し北陸中日新聞2014年9月18日朝刊
参考文献編集
- 長久保光明 『陸前浜街道地誌』 暁印書館、1981年10月25日、初版。ASIN B000J7PEB4。
- ふるさといばらきの道編集委員会;佐藤次男 『ふるさといばらきの道』 茨城県、1989年。