五月のバラ(ごがつのばら)は、作詞:なかにし礼、作曲・編曲:川口真による楽曲。1970年4月津川晃の再デビュー2枚目のシングルとしてエキスプレスより発売。規格品番はEP-1213[1]。後にブレンダ・リー尾崎紀世彦塚田三喜夫ほか、多くの歌手によってカバーされている[2]

解説

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1960年代、日本で活躍したカバーポップス歌手フランツ・フリーデルが、1969年に津川晃と改名し再デビュー。歌謡曲のジャンルでレコードをリリースするようになり、そのシングル第2弾として1970年4月に発売された。

1972年5月ブレンダ・リーの来日の際には「思い出のバラ(Omoide no Bara)」としてシングルリリース。「ブレンダのために詞を書き、曲をつけた美しいバラード」と紹介される[3]。同年のリサイタルでは尾崎紀世彦が共演した[4]。翌1973年、尾崎のアルバムに収録され楽曲が知られるようになる[2]1977年5月頃より、数名の歌手による競作としてカバーされた。同年7月、ブレンダ・リーは『ビッグショー』で「思い出のバラ」を披露[5]

2008年にヒットした秋川雅史のアルバムにも同楽曲が収められるなど、スタンダード・ナンバーとして様々なジャンルの歌手によってカバーされている。

津川晃のシングル収録曲

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  1. 五月のバラ
  2. 愛の嵐

収録アルバム

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  • 『川口真 作品集〜手紙〜』 (disc1 #25) 2012年、オリジナル版初CD化

カバーした歌手

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尾崎紀世彦版「五月のバラ」

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尾崎紀世彦は、1973年のアルバム『しのび逢い』で「五月のバラ」をカバーした。オリコンチャート37位。以降、毎年のようにベスト・アルバムに収録される。自身のライブ・コンサートの他、『サウンド・イン"S"』(1977年)や『クルージングライブ・尾崎紀世彦』(1991年NHK)でも歌唱。

作詞のなかにし礼は、2020年6月にラジオ番組出演の際、経緯について問われ「最初は他の人が歌ったんですけれど、尾崎さんが『歌いたい』って言うんで。僕はあの人の声が好きで、朗々たる日本人とは思えない声でしょう。『彼が歌ったら良いだろうな』と思って歌ってもらったんです。想像を超えるような歌いっぷりで、僕も『五月のバラ』の尾崎紀世彦は大好きです」と答えている[6]

1977年8月25日日本フォノグラムから移籍後に両A面としてリカットされ、22枚目のシングルとして発売された。規格品番はFS-2062。

メリー・ジェーン」は、1974年のアルバム『尾崎紀世彦No.8』からのリカット。日本語詞を担当したつのだ☆ひろは「メリー・ジェーンはカバーなのでアルバムの中の1曲と思っていたが、あの『五月のバラ』とカップリングでシングル発売、しかも両A面扱いで嬉しさの行ったり来たり」と語っている[7]

収録曲

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  1. 五月のバラ
  2. メリー・ジェーン

収録アルバム

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オリジナル・アルバム
ベスト・アルバム
  • 『尾崎紀世彦 Kieyo Now』 (#02) 1973年
  • 『尾崎紀世彦フェイバリット・コレクション 』 (#04) 1974年
  • 『尾崎紀世彦オリジナル・ゴールデン・ヒット』 (#19) 1975年
  • GOLDEN☆BEST 尾崎紀世彦』 (#10) 2003年

他多数

コンピレーション・アルバム
  • 『なかにし礼と75人の名歌手たち』 (disc2 #17) 2015年[8]

関連項目

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出典

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  1. ^ レコード・ジャケットに記載
  2. ^ a b ドコモ団塊倶楽部 弘兼憲史富澤一誠出演「五月のバラ/尾崎紀世彦」オリジナルはフランツ・フリーデル - 文化放送 2010年5月1日 放送の要約
  3. ^ シングル「思い出のバラ」(ビクター:D-1164)- レコード・ジャケット裏に記載
  4. ^ ボーナス・レコード『雪が降る/尾崎紀世彦と仲間たち』(PHILIPS:RDY-31)- プロフィールに掲載
  5. ^ NHKビッグショー』ブレンダ・リー出演 - 1977年7月17日放送
  6. ^ 名曲ズラリ!なかにし礼さんを迎えて「初夏のリクエストスペシャル」 - 大沢悠里のゆうゆうワイド土曜日版 2021年6月13日放送
  7. ^ BS11『あのスターにもう一度会いたい』第45回 尾崎紀世彦 歌謡界の輝く至宝〝また逢う日まで" - 2017年2月28日放送の要約
  8. ^ なかにし礼 作詞家・作家生活50周年記念アルバム『なかにし礼と75人の名歌手たち』 | 日本コロムビア - 尾崎紀世彦版収録

外部リンク

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