京阪1650型電車(けいはん1650がたでんしゃ)は、かつて京阪電気鉄道(京阪)に在籍した通勤型電車

京阪1650型電車
京阪1801(2代・元1650型1655)の前頭部
寝屋川車両工場・2009年)
基本情報
製造所 川崎車輌ナニワ工機
主要諸元
軌間 1,435 mm
電気方式 直流600V (架空電車線方式
車両定員 140人(座席52人)
車両重量 26.0 t
全長 18,700 mm
全幅 2,720 mm
全高 3,782 mm
台車 汽車製造KS-15・住友金属工業FS310
制動装置 自動空気制動ACA-R
保安装置 京阪形ATS
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概要 編集

京阪線における戦後の復興に伴う車両増備は、1700系1800系 (初代)といった特急形車両で占められていた。通勤輸送に関しては主に戦前製の従来車によって賄われ、戦後間もない時期に新製された運輸省規格型車両である1300系以来、専用の新製車両は用意されなかった。しかし、急増する需要に対して通勤輸送に供する車両の増備が不可欠となったことから、1957年昭和32年)から翌1958年(昭和33年)にかけて、京阪初の本格的な通勤形電車として以下の順に川崎車輌(現・川崎重工業)とナニワ工機で合計10両が新製された。

1654 - 1657
ナニワ工機製
1651 - 1653
川崎車輛製
1658 - 1660
ナニワ工機製

本形式は当初全車とも制御車として落成し、従来車のうち主電動機出力に余裕のあった1300系の制御電動車1300型と併結して運用する計画であり、1300系の制御車である1600型の増備車との位置付けから1650型の形式称号が与えられた。

本形式の奇数車は京都向き、偶数車は大阪向き先頭車と、車両番号(車番)の末尾奇数・偶数によって車両の向きが異なっていた。これは京阪における制御電動車の車両の向きの基準に準拠したものであり[注釈 1]、各種装備と併せて本形式が将来的な電動車化を見越して設計・製造されたことをうかがわせる。

当初は1300系の制御車として運用された本形式であるが、1959年(昭和34年)2両が2000系「スーパーカー」新製に先立つ実用試験車として抜擢された(後述)。その後1961年(昭和36年)に1300系との連結を取り止め、同年に竣功した600系 (2代)の増結T車として組み込まれるようになり、1964年(昭和39年)以降600系 (2代)の630型に全車とも電動車化の上で編入された後、うち6両が1800系 (2代)の制御電動車となるといった流転を重ね、1989年平成元年)まで運用された。

車体 編集

構体 編集

 
630形に編入後の1650型の車体

全金属製の18m級軽量車体で、京阪初の両開客用扉を採用するなど、同時期に日本国有鉄道(国鉄)ならびに私鉄各社において新製・開発が進みつつあった次世代通勤形電車の流儀が各部に取り入れられている。当時の京阪においては、ばね上装架の駆動装置(カルダン駆動装置)を1800系 (初代)で、空気ばね台車1810系でそれぞれ採用するなど新機軸を積極的に導入しており、本形式の軽量設計構体・両開客用扉もその一つに含まれる。なお、側面窓下にはウィンドウシルが設置されており、同時期落成の1810系とともに昭和30年代に新製された車両としては非常に珍しい存在であった[注釈 2]

客用扉は1,200mm幅で、従来車[注釈 3]の片開客用扉と開口幅そのものは変化はないが、動作速度の向上と扉の引き残り幅減少[注釈 4]によって乗降時間の短縮に寄与するものとなった。客用扉窓は扉枠一杯に広げられた大型窓とされ、戸袋部分に設置された650mm幅でHゴムにより支持された戸袋窓[注釈 5][1]とともに採光性と外観における軽快な印象を両立させている。軌道線を除く関西大手準大手私鉄および公営交通における戸袋窓を有する両開扉車両は、本形式を除くと大阪市営地下鉄に存在する程度[注釈 6]であり、非常に希少な例であった。京阪においても京津線向け高床車各形式を別にすれば、後に新製された両開扉車両各系列においては戸袋窓が省略されたことから、京阪線における戸袋窓を有する両開扉車両は2008年(平成20年)に新製された3000系 (2代)の登場まで本形式が唯一の存在であった。なお、戸袋窓や両開き扉といった本形式で初採用となった設計については京阪電気鉄道の車両課にもその採用に迷いがあったとされ、本形式新造直後に守口車庫を訪れた愛好者に感想を聞いて、その反応を確かめていたことが伝えられている[1]

窓配置はd1(1)D(1)2・2(1)D(1)2・2(1)D(1)1(d:乗務員扉、D:客用扉、(1):戸袋窓、各数値は側窓の枚数)で、側窓は800mm幅の二段上昇式で、扉間の側窓については窓2つを1組としたユニット形状が採用された。側窓上隅部はやや強めの曲線を描いており、上段窓窓枠の上辺が常に幕板部に隠れる、つまり側窓の開口部を最大限に活用したガラス窓寸法と共に、1700系以来の仕様を踏襲している。

前面形状は丸妻3枚窓構造で、中央部に貫通扉を備えるという類型的なものであるが、折り返し駅での行先表示板の交換の便を図って車掌台側の窓を開閉可能な2段上昇式とする京阪では標準的な仕様を踏襲したため左右非対称の配置となっており、さらに貫通扉の窓はHゴム支持による1枚固定窓、運転台側の窓はアルミサッシによる1枚固定窓としたため、前面の3枚の窓全ての構造が異なったものとなっている。貫通幌は連結面側にのみ設置され、運転台側は幌固定穴ならびに吊り下げダンパー受け金具が整備されたものの、幌本体は設置されていない。

前照灯は1灯式のものが前面中央の貫通路上部に半埋込式で設置され、標識灯は従前通り取り付け式のものが左右幕板部に1灯ずつ設置された。1800系 (初代)・1810系においては固定編成を組成する車両の連結面は切妻形状とし、増結目的で新製された車両の連結面は片運転台車であっても前面同様に丸妻形状とする区分がなされていた。対応する電動車形式のない本形式については後者の設計方針が踏襲され、連結面の妻面形状も丸妻とされた。また、屋根については前面のみであったが、幕板部分を屋根まで巻き上げた張り上げ屋根構造を250型以来17年ぶりに採用した。屋根断面は中央部をR4,500、両脇をR1,000、肩部をR200の曲線としたやや扁平気味で肩の張った形状で、可能な限り単一曲率とし、しかも連結面を切妻として工作の簡易化を図った600系 (2代)や700系 (2代)と比較して優美な印象を与える造形となっている。

屋根上には押込式の通風器を計12基、屋根部左右に2列配置で設置し、各車の運転台寄りにはパンタグラフ台座ならびにパンタグラフ点検用踏み板(ランボード)が設置された。

塗装 編集

車体塗装は腰板部を濃緑色、それより上部を淡緑色とした2色塗り分けを初めて採用した(京阪グリーンも参照)。戦後の京阪においては京阪神急行電鉄からの分離独立に際して採用された青とクリームの2色塗りを経て、当時のパリ・コレクションフランス)において茶色系の新ファッションが発表されたことに範を取って採用されたライトブラウンとクリームの2色塗り[注釈 7]が通勤形車両の標準塗装として一時期普及した。しかし、同塗り分けは新鮮味に欠けると不評であったことに加え、ライトブラウン部分の経年退色が著しかったことから、本形式においては全く異なる塗装が採用されたものであった。濃緑色・淡緑色の2色塗りは特急用車両の塗装である赤・黄色の2色塗りと対比した場合の見栄えの良さなどから本形式のみならず通勤形車両全車に普及し、以降京阪における通勤形車両の標準塗装として50年以上にわたって踏襲された。

内装 編集

車内は1800系 (初代)・1810系同様に鉄板張りながら、壁面が国鉄の二等車を意識して淡桃色塗りつぶしとされていた特急用車両系列とは異なる淡緑色塗り潰しとして、外装色と統一したイメージを持たせて特急車との差別化を図った。座席は全てロングシートで、扉間は戸袋窓の約半分程度までかかる程度の長さに抑えて客用扉周辺に立席スペースを確保しつつ、座席奥行を555mmとして特急車並[注釈 8]の座席寸法を確保した。

その他、座席モケットは緑色、床面ロンリュームは濃緑色と緑系で統一し、このカラースキームは1981年(昭和56年)に新製された2600系(30番台)に至るまで、約20年にわたって京阪の通勤形車両における標準仕様として継承された。車内照明は通勤形車両としては初めて蛍光灯を採用し、大天井中央部分に40Wの蛍光管を1列配置で14本、2本単位で灯具に収めて設置したほか、車内扇風機設置用台座を落成当初より備える。その他、各車の車内床面には主電動機点検蓋(トラップドア)を設置した。

主要機器 編集

台車 編集

1651 - 1655がシンドラー式汽車製造KS-15を、1656 - 1660がアルストムリンク式住友金属工業FS310をそれぞれ装着する。両者は軸箱周りの設計こそ異なるものの、いずれも枕ばねを振動減衰用オイルダンパ内蔵のコイルばね式とし、ボルスタアンカーを装着したコイルばね台車である。このうち、1656 - 1659の装着するFS310が本形式新造にあたって追加製作された新品であるほかは、いずれも1810系が空気ばね台車へ台車交換を実施した際に発生した余剰品を流用したものである。

これらの台車は第二次世界大戦後の日本で盛んになった高速度台車研究の成果であり、空気ばねの開発によって乗り心地の点で若干見劣りするようになったものの、当時最新の技術を投じて設計された優れた台車[注釈 9]であった。

なお、1654・1655は落成当初FS310を装着したが、1658 - 1660の増備に際して1658・1659へ台車を供出し[注釈 10]、1810系1811・1812の台車交換に伴って発生したKS-15を新たに装着している。

いずれの台車も車輪径は860mm、軸距は1800系量産車以降京阪標準となった2,100mmである。

制動装置 編集

本形式設計当時の京阪電気鉄道で標準的に採用されていた日本エヤーブレーキ(現・ナブテスコ)製A動作弁によるAブレーキ(ACA自動空気ブレーキ)を基本とする。ただし、高性能車である1800系から捻出された台車の基礎ブレーキ装置が各台車に個別にブレーキシリンダーを搭載しブレーキシューを駆動する台車シリンダー式[注釈 11][2]であったため、中継弁(Relay valve)を付加して台車シリンダー方式の基礎ブレーキ装置に対応させたACA-Rブレーキを搭載する。

その他 編集

本形式は制御車ながら落成当初より電動空気圧縮機(CP)を搭載し、日本エヤーブレーキ製DH-25(吐出量760L/min)を採用した。

連結器は1700系3次車以降特急車で遊間が無く乗り心地の点で有利でしかも軽量な日本製鋼所製軽量密着自動連結器の採用が始まっていたが、連結相手に合わせ、また初年度新造の7両分については1700系1・2次車7編成の運転台側連結器を軽量密着自動連結器へ交換した際に余剰となった柴田式自動連結器があったことからこれを流用し、全車とも柴田式自動連結器を前後に装着する。

導入後の変遷 編集

本形式の第一陣となる1651 - 1657は1957年(昭和32年)6月から同年7月にかけて竣功したが、竣功後間もなく準備工事のみであった車内扇風機が新設され、同年7月より特急用車両に先んじてその使用を開始した。

また、本形式は前述のように1300系の制御電動車1300型と2両編成を組成して運用されたが、そのまま併結を行った場合本形式と比較して車内設備に大きな格差が生じることから、本形式と編成された1300型1301・1302・1305 - 1309に対して車体塗装を濃緑色・淡緑色の2色塗りへ変更し、同時に車内壁面を木造ニス塗り仕上げから淡緑色塗り潰しに改めたほか、車内照明の蛍光灯化・扇風機の新設といった近代化改造を施工した[注釈 12]

「スーパーカー」先行試験車 編集

昭和30年代以降の高度経済成長に伴って京阪線沿線の開発が急速に進行したが、それと正比例して通勤輸送に対する需要も急激な高まりを見せた。特に沿線のベッドタウン化が著しい枚方市以南における朝夕ラッシュ時の混雑は非常に激しいものとなり、列車運行遅延の常態化という厳しい問題に直面することとなった。当時の京阪における本格的な通勤形車両は本形式以外に存在せず、主力車両は2扉構造の従来車であったことから、混雑時間帯においては旅客の乗降に多くの時間を要することは避け様がなかった。加えてそれらは押し並べて加減速性能とも低劣なものであったことから、特に普通列車運用に充当した場合後続の列車に対して多大な影響を及ぼすなど、遅延の最たる要因となっていた。

このような状況を鑑み、京阪においては通勤輸送に適した3扉構造を採用し、かつ高い加減速性能によって後続列車に与える影響を軽減するのみならず、普通列車自体の運転時分短縮を実現する次世代通勤形高性能車の設計を開始した。次世代通勤形車両は高い加減速性能を備えることに加え、日本国内において前例のない平坦線における停止用回生制動を常用するという省エネルギー性にも配慮した高性能車として計画されたことから、搭載予定の主要機器もまたその多くが前例のない新機軸を採用したものであった。そのため、それら主要機器をいきなり新型車両に搭載するのではなく、既存の車両を用いて実用試験が実施されることとなったが、当時の在籍車両中経年が一番浅く、かつ電動車化を前提とした設計であった本形式が実用試験車両に選ばれ、1959年(昭和34年)2月に中空軸平行カルダン駆動対応のKS-15台車を装着する1651・1652の2両に試作機器を搭載し、電動車化を実施した[注釈 13]

主制御器 編集

磁気増幅器制御型電動カム軸式制御器である東洋電機製造ACRF-M450-750Aを各車に搭載する。制御段数は抵抗制御領域が10段(永久直列制御)、磁気増幅器による界磁制御領域が135段の超多段制御器である。磁気増幅器は分巻界磁コイルと直列でサーボモーターによって駆動される整流子形界磁接触器を用いるもので、界磁電流量と電機子電流量の双方を監視し、界磁の制御を行う。

主幹制御器(マスコン)の1 - 2ノッチまでは主回路の遮断器接続や界磁接触器の所定のポジションへの回転などといった始動シーケンスを行い、実際の力行時の加速制御を行う3 - 10ノッチでカムスイッチによる抵抗制御と磁気増幅器に制御された界磁調整器によって任意の分巻界磁率を選択する界磁制御(弱め界磁制御領域)の組み合わせ制御に移行する。制動時においては力行時とは逆に界磁を強めることにより分巻界磁電流を最大で定格の160パーセント[注釈 14]まで増加させて電機子の逆起電力を架線電圧より大きくし、回生制動を作用させる。また、複巻電動機の特性から負荷分担の不平衡、つまり摩耗などによる車輪径の相違や空積の相違など各車間で負荷に相違があると大きな不平衡が生じることから、その不平衡を検出し、自動的に分巻界磁電流量を調整することで各電動機の電機子電流量が等価となるよう制御を行う機構も備えている。このように界磁調整器による分巻界磁制御領域においては、分巻界磁率を変動させることによって力行・惰行・制動の3モードを連続的に移行可能とした電流0A(ゼロアンペア)制御を行い、平坦線における停止用回生制動を実用化すると同時に、定速制御の実現への発展性を示すもの[注釈 15]となった。

主電動機 編集

分巻界磁制御による回生制動を行うため、京阪線においては初採用となる補償巻線付複巻電動機を搭載する。

この電動機は制御器と同様に東洋電機製造が設計製作を担当し、TDK-813-Aを呼称した。この電動機はこの時期の高性能車用電動機の通例に漏れず電機子の絶縁が完全B種、界磁絶縁がH種と耐熱性能を引き上げた上で自己通風式としてあり、また電機子巻線は整流子片間電圧やリアクタンス電圧を低く抑制するのに有利な、つまり整流が良好で過電圧耐量が大きく取れるため電気ブレーキを使用するのに有利な重ね巻きが採用されている。さらに、弱め界磁運転などの高回転時に電機子反作用による磁束をキャンセルしリアクタンス電圧を低く抑え脈流を抑える目的で、界磁表面に電機子電流と逆方向に電流を流す補償巻線が付加されている。

本形式ではこのTDK-813-Aを1両当たり4基搭載し、駆動方式は中空軸平行カルダン、一時間定格出力は75kW、歯車比は78:13(6.0)である。回生制動動作時における端子電圧抑制・回生失効防止の観点から定格端子電圧は150Vと低く抑えられ、さらに制御器の項でも述べたように強界磁状態での負荷分担の不平衡の影響を受けやすい複巻電動機を使用することから1両分4基を永久直列接続として低電圧駆動、かつ1両単位での不平衡を抑止する構成とされた。同条件下における全界磁時定格回転数は1,300rpm、定格速度は29.3km/hながら、補償巻線の効果から最弱界磁率は20%まで許容する設計であり[注釈 16]、定格電流が電機子側555A、分巻界磁側18Aという大電流特性も相まって、起動加速度4.0km/h/s・最大減速度4.5km/h/sの高加減速性能と平坦線釣合速度120km/h[注釈 17]という高速性能を両立させた。

制動装置 編集

回生制動と空気制動をスムーズに連動・同期させる必要性から、HSC-R回生制動併用電磁直通ブレーキが採用された。当時の京阪線においてはカルダン駆動車である最新型の1810系においても従来車との併結運用の都合上、元空気溜管式の自動空気ブレーキを採用しており、京阪における電磁直通ブレーキの初採用例となった。

なお、ブレーキ管(Brake Pipe:BP)、元空気溜管(Main reserver Pipe:MP)、直通管(Straight Air Pipe:SAP)の3系統の空気管引き通しを必要とするHSC-Dブレーキ搭載車であるが、他のHSC系電磁直通ブレーキ搭載車と併結の可能性がなかったことから、故障時の回送などで自動空気ブレーキ搭載の他車と連結される可能性のある前面については従来と同様、BPとMPのみ引き通され、SAPの引き通しは省略されていた。

その他 編集

台車は汽車製造KS-15をそのまま装着する。これは同台車が元より1810型1813・1814に装着されていた時代に中空軸平行カルダン駆動方式に対応する電動車用台車であったことから、実用試験車両化に伴う中空軸平行カルダン駆動方式対応の主電動機を装架するに際して大きな改造を要さなかった[注釈 18]ことによる。その他東洋電機製造PT-42系菱形パンタグラフを各車の運転台寄りに1基搭載したほか、電動発電機(MG)を追加搭載した。

車内設備は概ね変化はないが、従来にない高加減速性能を備えた試作車であることを考慮し、加減速時における乗客の転倒事故防止の観点から、つり革を従前の2列配置から4列配置に倍増させ、客用扉付近には握り棒(スタンションポール)を新設した。

実用試験開始後 編集

1651・1652の改造は1959年(昭和34年)1月より施工され、同年2月16日に竣功して2両固定編成を組成し試験走行が開始された。さらに2月26日より営業運転にも投入され、乗務員のハンドル訓練ならびに乗客への宣伝に用いられた[注釈 19]

次世代通勤形車両こと2000系「スーパーカー」の新製に際して多くのデータを提供した1651-1652は[注釈 20]、2000系一次車のうち第一陣が竣功して間もない1959年(昭和34年)9月10日付で電装解除され、パンタグラフを含めた電装品を全て撤去したほか、制動装置は試験車化改造以前のACA-Rとなり、車内設備も元に戻されている。

600系(2代)へ編入 編集

当初は1300型と編成された本形式であったが、600型・700型(いずれも初代)の車体更新車である600系 (2代)の増備に伴って、同系列の制御車としても運用されるようになった。また、輸送力増強に伴う編成長大化に対応するため、本形式が編成中間にも組成可能になるよう、運転台側貫通扉部へ貫通幌を装着する工事が1961年(昭和36年)2月以降順次施工され、同時期には側窓下段部分に転落防止用の保護棒が追加された。

1964年(昭和39年)より、600系 (2代)と同一の主要機器を搭載して全車とも制御電動車化され、同時に600系 (2代)の制御電動車630型631 - 640として同系列へ編入・統合された。これは600系 (2代)の種車である600型・700型(いずれも初代)は全車とも制御電動車であったものを、600系 (2代)への更新に際して一部を中間付随車として竣功させたことから[注釈 21]、余剰となった主要機器を本形式へ搭載したものであった。

制御電動車化に際しては、装着していた汽車KS-15・住友FS310の各台車を600系 (2代)の付随車650型へ供出[注釈 22]、それらの種車である600型・700型(いずれも初代)の住友製鋼所ST-31(メーカー型番はKS31、軸距1,981mm、車輪径864mm)もしくは日本車輌製造(日車)NS84-35(軸距2,130mm、車輪径914mm)を新たに装着した[注釈 23]。主電動機は一時間定格出力90kWの東洋電機製造TDK-517/2Dを1両当たり4基、吊り掛け駆動方式で搭載し、歯車比は67:22(3.045)で、600系 (2代)の66:23(2.87)とわずかに異なる。これは台車の車輪径が600系の他の車両が600型(初代)由来のST-Aを装着した関係で860mmとしたのに対し、本形式では700型(初代)由来の914mm径車輪を使用したためである[注釈 24]。このように歯車比を調節することで、異なる車輪径の車両で同一仕様の電動機を使用した場合の定格速度や牽引力の相違を誤差範囲に収束できる。実際にも630型と600型、それに680型は全負荷時の定格速度は62km/h、牽引力は2,080kgと共通の値を公称している。

主制御器は電動カム軸式の東洋電機製造ES-155を搭載する。主電動機は内部更新と絶縁強化により定格回転数を705rpmから1,095rpmへ引き上げて原型機の公称値の25パーセント増の1時間定格出力を得られるようにし、また主制御器は界磁接触器追加による弱め界磁ノッチ新設をそれぞれ施工することで、牽引力・定格速度共に大幅な性能向上[注釈 25]が図られている。

改造は1964年(昭和39年)1月から順次施工され、同年12月の634(元1654)の竣功をもって本形式は形式消滅した。

1973年(昭和48年)には更なる編成長大化に伴って637 - 640(元1657 - 1660)が運転台を撤去されて中間電動車化され、680型686 - 689と改称・改番されたが、同4両は京阪線の架線電圧1,500V昇圧に伴って1983年(昭和58年)12月4日付で廃車となった。制御電動車のまま残存した631 - 636(元1651 - 1656)については、昇圧に伴う車両代替計画に基いて、1800系 (初代)の主要機器を流用して1800系 (2代)の制御電動車1800型1801 - 1806(いずれも2代)となったのち、1988年(昭和63年)3月と1989年(平成元年)2月の二度にわたって廃車となり、本形式を出自とする車両は全廃となった。

なお、600系 (2代)編入後の詳細については京阪600系電車 (2代)を、1800系 (2代)へ改造後の詳細については京阪1800系電車 (2代)をそれぞれ参照されたい。

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ もっとも、全車が大阪向きで落成した1700系の制御電動車1750型のような例外も存在する。
  2. ^ 同時期に落成した他社の車両においては大阪市交通局大阪市営地下鉄1100形1200形が同様にウィンドウシルを備える。
  3. ^ 1000型・1100型・1200型・1500型の戦前製各形式。戦後新製された1300系以降においては客用扉幅が1,150mmとわずかに縮小された。
  4. ^ 本形式においても戸袋寸法の都合上片側数十mm程度の引き残りが生じたことから、実際の有効幅は1,200mm未満であった。
  5. ^ 2重になった戸袋窓の間から乗客に見える構体内部は銀色に塗装されていた。
  6. ^ 他に、山陽電気鉄道3000系電車阪急8200系電車のように窓配置の都合と採光の必要から運転台後部にのみ設けたケースや、格下げ・3扉化改造後の阪急2800系電車のようにデザインの観点から必要な箇所に限って採用したケースが存在する
  7. ^ 1954年(昭和29年)5月に更新出場した500型501において初めて採用された。
  8. ^ 新造時よりロングシートであった1800型量産第1編成、つまり1803-1881+1804の3両の座席は奥行が555mmで本形式と同寸であった。なお、本形式の連結相手となった1300型の座席奥行寸法は460mm(座面)+80mm(背もたれ)=540mmで、これと比較して15mm奥行が拡大したことになる。また、続く600系 (2代)では奥行が550mmに5mm短縮されている。
  9. ^ KS-15を代替したKS-51もFS310を代替したFS327も、いずれも枕ばねを空気ばね化した以外は代替対象の両形式に準じた設計・機構を備える。
  10. ^ 1660も前2両と同様にFS310を装着するが、こちらは1810系1816の台車交換に伴って発生した台車を流用したものであった。
  11. ^ いずれも直径152mm、全行程110mmのブレーキシリンダーを各台車に2基ずつ、計4基搭載していた。なお、FS310のブレーキシリンダーは側梁とトランサムの接合部付近に取り付けられており、外部からは見えない。
  12. ^ 後に本形式増備に伴って新たに編成された1300型1303・1304・1310・1312については車体塗装のみの変更に留まり、車内設備には手を加えられなかった。ただし、淀屋橋地下線の特許に伴い不燃化対策などの必要が生じたことから、1959年以降、屋根板の金属板への交換に合わせ、これら4両を含む1300系の近代化改造工事が未施工の全車について室内灯の蛍光灯化・車内放送設備の設置、扇風機用配線の引き通しなどといった接客設備の改良工事が開始されている。
  13. ^ なお、この試験期間中の型式変更は実施されていない。
  14. ^ これを超過した場合は過電圧による回生失効となり、界磁調整器の動作を停止してHSC-D電磁直通ブレーキに移行する。
  15. ^ 本形式で採用された、東洋電機製造のサーボモーターによる界磁接触器を用いる方式は、トランジスタによる電子的な制御回路の開発によって定速制御の実装が可能となり、阪急2300系電車1960年)において実用化された。
  16. ^ この20%という値は電機子側弱め界磁率の数値であり、分巻界磁側は実に約6%もの弱め界磁率を許容する設計とされた。
  17. ^ TDK-813A主電動機の最大許容回転数は4,500rpmであり、歯車比6.0/車輪径860mm時における同回転数時の速度は約121km/hとなる。ただし、営業運転では車輪径が新製時の860mmではなく摩耗して780mm程度まで縮小した状態を考慮する必要があり、この場合の最高速度は約110km/hとなる。なお、歯車比6.5としてこの電動機を採用した2000系では設計上の平坦線釣合速度110km/h、最高速度100km/hとなったが、実際には最高許容回転数で回した場合にフラッシュオーバーが起きやすく、また回生制動時の発生電流量が過大であった。このため、それらの対策として同系列では営業運転開始前に電動機の最高回転数を約10パーセント引き下げた最高速度90km/hでの運転が車両部から通達されている。
  18. ^ そもそも中空軸平行カルダン駆動とWNドライブとではギアボックス吊り受け座の取り付け位置や角度などが異なるため、同型台車に無改造で相互互換性を持たせて装架可能とはできない。このため、中空軸平行カルダン駆動に対応する試作電動機を装架するには、これに対応した吊り受け座や支持架を備えた台車が必要で、その点で同方式に対応するKS-15を装着し、しかも電装準備工事も新造時から行われていた1650型は試験車両とするのに好適な条件を備えていた。
  19. ^ 営業運転投入に際しては、車内中吊り広告部分に同2両が高い加減速性能を有する高性能車である旨と吊革を増設したので、必要に応じその吊革を利用するよう記載された宣伝広告が掲示された。
  20. ^ 同2両に搭載された機器は完成度が高く、実用上大きな問題は発生しなかったことから、2000系の新製に際しては歯車比の変更(78:12=6.5)・制御回路の小変更・磁気増幅器の小型化が行われた程度で、ほぼそのままの仕様で受け継がれることとなった。
  21. ^ 600系 (2代)への更新に際しては主電動機の更新による出力向上ならびに弱め界磁ノッチ新設が行われたため、動力を持たない付随車を組み込む余裕が生じたことによる。
  22. ^ 両形式共に元来中空軸平行カルダン駆動、あるいはWNドライブ用台車として設計されたものであり、KS-15全数とFS-310の1両分は実際に1810型1811 - 1816で電動車用として使用されていたものであった。このため、台車枠のトランサム(横梁)に主電動機を装架するための支持架やギアボックスを支持するための吊り受け座が用意されていたが、これらは吊り掛け駆動方式に対応するTDK-517系電動機に適合する構造ではなく、改造の手間を考慮すれば既に主電動機を装架済みの旧600型・旧700型用の台車と振り替えを実施する方が合理的であった。
  23. ^ 住友ST-31は鋳鋼組立式台車枠を、日車NS84-35は形鋼組立式台車枠をそれぞれ有する釣り合い梁式台車で、特に後者はインチサイズで示された軸距とポンドで示された心皿荷重上限を1/1000とした値を組み合わせたその形式が物語るように、ボールドウィンA形台車の忠実な模倣品の1つである。いずれも本形式への装着に際して枕ばねのオイルダンパー併用コイルばね化が施工され、前者はST-A、後者はNS-Aと改称されている。 なお、ST-Aを装着した631 - 635(元1651 - 1655)は竣功後間もなく他車と台車交換を実施してNS-Aを装着し、本形式の装着する台車は日車NS84-35に由来するNS-Aで統一された。
  24. ^ 続く700系 (2代)では電動車の車輪径が種車の関係で630型と同様に914mmとなったため、歯車比をこれと同じ3.045に設定している。主電動機も共通のため、同系列も走行性能は本形式や600系 (2代)と同一で、これら3者は運用上同一扱いで混用可能(実際に700系で余剰となった中間電動車が600系編成に組み込まれて運用されている)であった。
  25. ^ 更新前の700型(初代・主電動機4基搭載)の全負荷時定格速度は53km/h、牽引力は1,630kgであった。このため、定格速度を約17パーセント引き上げつつ牽引力を約28パーセント強化する、という高速運転と通勤時の過荷重の双方に対応する性能強化が実現したことになる。

出典 編集

  1. ^ a b 『車両発達史シリーズ1 京阪電気鉄道』 p.104
  2. ^ 『鉄道ピクトリアル No.456』 p.105

参考文献 編集

  • 鉄道ピクトリアル鉄道図書刊行会
    • 同志社大学鉄道同好会 「私鉄車両めぐり48 京阪電気鉄道 (4)」 1962年4月号(通巻130号)
    • 同志社大学鉄道同好会 「私鉄車両めぐり71 京阪電気鉄道(補遺・前)」 1967年4月号(通巻195号)
    • 「京阪電気鉄道特集」1973年7月臨時増刊号(通巻281号)
    • 「京阪電車開業70周年特集」1980年11月号(通巻382号)
    • 「特集・京阪電気鉄道」1984年1月臨時増刊号(通巻427号)
    • 「特集・京阪電気鉄道」1991年12月臨時増刊号(通巻553号)
    • 「特集・京阪電気鉄道」2000年12月臨時増刊号(通巻695号)
  • 電気学会通信教育会 編『電気鉄道ハンドブック』、電気学会、1962年
  • 東京工業大学鉄道研究部 『私鉄ガイドブック6 京阪・阪急』 誠文堂新光社 1978年2月
  • 吉川文夫廣田尚敬 『ヤマケイ私鉄ハンドブック11 京阪』 山と渓谷社 1983年9月
  • 青野邦明・諸河久 『私鉄の車両15 京阪電気鉄道』 保育社 1986年4月
  • 『京阪車輌竣工図集(戦後編~S40)』、レイルロード、1990年
  • 藤井信夫 編『車両発達史シリーズ 1 京阪電気鉄道』、関西鉄道研究会、1991年
  • 久保田博 『鉄道工学ハンドブック』 グランプリ出版 1995年9月