30型[注釈 1]は、かつて京阪電気鉄道京都府滋賀県の路線網である大津線(京津線、石山坂本線)向けに所有していた電車路面電車車両)である[1][2][4]

京阪30型電車
基本情報
運用者 京阪電気鉄道
製造所 東洋車輌梅鉢鉄工所日本車輌製造
製造年 1925年 - 1928年
製造数 12両
改造所 ナニワ工機
改造年 1950年
廃車 1965年 - 1968年
投入先 大津線京津線石山坂本線
主要諸元
編成 1両→2両編成
軌間 1,435 mm
電気方式 直流600 V
架空電車線方式
車両定員 60人(着席28人)(改造後)
66人(着席30人)(改造後:32、34、36)
車両重量 23.8 t(261 - 273)
23.5 t(274 - 280)
全長 10,110 mm(登場時)
10,452 mm(改造後)
10,562 mm(改造後:32、34、36)
全幅 2,280 mm(登場時)
2,345 mm(改造後)
全高 4,000 mm
車体高 3,196 mm
車体 半鋼製
台車 住友 ST-18
車輪径 690 mm
動力伝達方式 吊り掛け駆動方式
主電動機出力 37.5 kw(新造時)
45 kw(改造後)
出力 75 kw(新造時)
90 kw(改造後)
定格速度 25.1 km/h
定格引張力 1,320 kg/h
制御装置 間接非自動制御(改造後)
制動装置 電空併用ブレーキ
備考 主要数値は[1][2][3][4]に基づく。
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概要・運用 編集

「逢坂の関」を越え京都大津を結ぶインターアーバンとして1910年に開通した京津電気軌道は1924年に京阪電気鉄道に吸収され、京津線となった。その翌年の1925年から、京津電気軌道開業時から使用されていた1型の置き換え用として製造された、京津線初となる半鋼製車両が30型である[1][6][2]

車体長は10 m級で、京津電気軌道時代に導入された20型と同様のボギー車であったが、オープンデッキであった20型とは異なり車端に2枚引き戸が設置され、屋根も二重屋根から丸屋根に変更された。また台車は車輪径690 mmの住友ST-18形を採用し、併用軌道区間からも乗降が容易なよう低床化が図られた。集電装置は廃車までポールを用いた。計12両が製造されたが、そのうち「42」については1930年に「43」への改番が行われた[1][7]

製造後は京津線の普通列車として使用されたが、1949年に発生した四宮車庫の火災により5両が被害を受けた。翌1950年ナニワ車輌で復旧工事を受けたが、その際に損傷を免れた他車も含めて片運転台化が行われた他、乗降扉を1枚引き戸化と高床プラットホームへの対応工事、自動ブレーキの搭載などの改造を受け、以降は2両固定編成で使用された。また火災から復旧した一部の車両(32、34、36)については車体長が窓1つ分長く、定員数も多かった。この30型から始まった「2両編成」は、以降の大津線(京津線、石山坂本線)における編成の標準となった[注釈 2][注釈 3][1][2][4][10]

改造後は車体の上半分がマンダリンオレンジ、下半分がカーマインレッドという京阪特急色を纏い、京津線の急行列車に用いられたが、1957年以降大津線全体の近代化のため260型の導入が始まった事から、30型は順次石山坂本線へ転属し、塗装も上半分がライトグリーン、下半分がダークグリーンという一般色に変更された。だがその後も300型350型の増備が進んだ結果、1965年から1968年にかけて全車廃車された[2][1][10][11][12]

編成(改造後) 編集

京阪30型 1950年改番対応表[13]
旧番 新番
31 31
32 37
33 33
34 38
35 35
36 40
37 32
38 34
39 39
40 36
41 41
43 43
京阪30型(1963年度[11][14]
車両番号 廃車日
32 31 1967年2月5日
34 33 1968年11月26日
36 35
38 37 1967年2月5日
40 39 1965年11月27日
43 41

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 1986年まで京阪電気鉄道では車両形式に「型」という漢字を使用していた[5]
  2. ^ 1970年以降は大津線の全列車が2両編成となっている[8]
  3. ^ この改造後の前頭部は1931年認可当時の60型と似ている。60型は1933年に変更申請され、流線形で登場した[9]

出典 編集

  1. ^ a b c d e f 奥田行男, 野村薫 & 諸河久 1981, p. 122.
  2. ^ a b c d e 清水祥史 2017, p. 151-152.
  3. ^ 清水祥史 2017, p. 186.
  4. ^ a b c 朝日新聞社「日本の路面電車車両諸元表(旅客車のみ)」『世界の鉄道 昭和39年版』1963年、174-175頁。doi:10.11501/2456138 
  5. ^ 清水祥史 2017, p. 3.
  6. ^ 奥田行男, 野村薫 & 諸河久 1981, p. 121.
  7. ^ 清水祥史 2017, p. 151.
  8. ^ 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 85.
  9. ^ 中山嘉彦 2017, p. 43.
  10. ^ a b 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 107.
  11. ^ a b 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 177.
  12. ^ 飯島巌, 青野邦明 & 諸河久 1986, p. 8.
  13. ^ 中山嘉彦 2017, p. 44.
  14. ^ 清水祥史 2017, p. 184.

参考資料 編集

  • 奥田行男、野村薫、諸河久『京阪』保育社〈日本の私鉄〉、1981年8月5日。ISBN 4-586-50541-9 
  • 飯島巌、青野邦明、諸河久『京阪電気鉄道』保育社〈私鉄の車両〉、1986年4月25日。ISBN 4-586-53215-7 
  • 清水祥史『京阪電車 1号型・「びわこ号」から「テレビカー」・「プレミアムカー」まで』JTBパブリッシング〈キャンブックス〉、2017年8月26日。ISBN 978-4533120817