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仲倉 重郎(なかくら しげお、1941年8月21日[1] - )は、日本の映画監督脚本家作詞家

なかくら しげお
仲倉 重郎
生年月日 (1941-08-21) 1941年8月21日(77歳)
出生地 日本の旗 日本 黄海道
職業 映画監督脚本家作詞家
ジャンル 映画

旧朝鮮黄海道生まれ[1]東京都立新宿高等学校卒。東京大学文学部を卒業した1965年松竹大船撮影所助監督として入社。野村芳太郎加藤泰監督等の薫陶をうける[2]

1983年に『きつね』で映画監督デビューし、1987年にフリーとなる[2]

脚本家(南部英夫と共に私塾「アシモフ・シナリオゼミ」も開設)や、作詞家(主に子供向け番組で発表)としての活動も多い。

目次

生い立ち編集

1945年11月に引き揚げて、三重県津市の親戚の家に身を寄せる。その後も、鉱山技師の父の関係で、富山県黒部市神奈川県藤沢市東京都武蔵野市と住居を変える。本籍地の東京都千代田区内神田は、父の生まれ育った地である。松竹入社後の1966年5月、絵本作家の河野眉子と結婚。一男一女あり[3]

1999年頃より、病気による脊髄損傷車椅子生活を送っている。この経験は車椅子の女性を主人公とした2015年公開の映画『マンゴーと赤い車椅子』に生かされた[4]

監督編集

映画編集

テレビ編集

ドキュメンタリー編集

  • 古都に挑むアメリカ人〜青い眼の蝋型鋳物師30代目〜(1992年、テレビ東京 ドキュメンタリー人間劇場)
  • 江戸湾戦争〜黒船は奪われていた!(1993年、岡山放送)
  • クエンカの風〜岡野耕三・白の世界(1994年、岡山放送)
  • 私の好きな東京・四方義朗篇(1994年、パーフェクトTV)
  • 私の好きな東京・山形由美篇(1995年、パーフェクトTV)
  • 維新を予告した一枚の写真(1998年、岡山放送)

助監督編集

映画
テレビ

監督補編集

脚本編集

映画編集

  • 再会(1975年、松竹、監督:斎藤耕一)
  • 憧憬(1976年、松竹、監督:斎藤耕一)
  • 江戸川乱歩の陰獣(1977年、松竹、監督:加藤泰)
  • ざ・鬼太鼓座(1981年、松竹=田事務所、監督:加藤泰)
  • 彩り河(1984年、松竹、監督:三村晴彦
  • 幕末のスパシーボ(1997年、東和ビデオ) ※アニメ作品

テレビ編集

ドキュメンタリー編集

  • 朝陽の海〜写真家緑川洋一・85歳の再挑戦(2000年、岡山放送)

オーディオ・ドラマ編集

レコード・アニメ編集

作詞編集

みんなのうた(NHK)
おかあさんといっしょ(NHK)
ひらけ!ポンキッキ(フジテレビ)
  • 恐竜が街にやってきた(1977年)作曲:藤家虹二、歌:上條恒彦
  • いもうと(1977年)作曲:藤家虹二
その他

著書編集

  • 風の中、心はいつもアウトバーン〜20年遅れのライダー修業(1982年、ブックマン社)
  • ビバ!スペースカレッジ(1988年、偕成社)
  • 銀行(脚本集)(2000年、演劇ぶっく社)
  • 官僚たちの夏(脚本集)(2000年、演劇ぶっく社)

脚注編集

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  1. ^ a b 現代日本人名録 94(日外アソシエーツ
  2. ^ a b アシモフ講師陣の紹介
  3. ^ 「日本映画人名事典 監督篇」(1997年、キネマ旬報社)
  4. ^ 【FREE】『マンゴーと〜』完成披露に秋元才加ら登壇”. 文化通信.com (2015年1月20日). 2015年1月20日閲覧。

外部リンク編集