善水寺
滋賀県湖南市にある寺院
善水寺(ぜんすいじ)は、滋賀県湖南市岩根[2]にある天台宗の寺院。山号は岩根山(いわねさん)。本尊は薬師如来。
善水寺 | |
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本堂(国宝) | |
所在地 | 滋賀県湖南市岩根3518 |
位置 | 北緯35度0分23.2秒 東経136度6分45.2秒 / 北緯35.006444度 東経136.112556度座標: 北緯35度0分23.2秒 東経136度6分45.2秒 / 北緯35.006444度 東経136.112556度 |
山号 | 岩根山(いわねさん)[1] |
院号 | 醫王院 |
宗派 | 天台宗 |
本尊 | 薬師如来(秘仏、重要文化財) |
創建年 | 和銅年間(708年 - 715年) |
開基 | 元明天皇(勅願) |
正式名 | 岩根山醫王院善水寺 |
別称 | 和銅寺 |
札所等 |
西国薬師四十九霊場第47番 甲賀西国三十三所第21番 びわ湖百八霊場第93番 湖南三山 |
文化財 |
本堂(国宝) 木造薬師如来坐像、木造梵天・帝釈天立像、木造兜跋毘沙門天立像ほか(重要文化財) |
公式サイト | 岩根山 国宝 善水寺 |
法人番号 | 9160005002604 |
歴史
編集中世以前の沿革はあまり明らかでないが、伝承では奈良時代の和銅年間(708年 – 715年)に元明天皇が国家鎮護の道場として建立し、和銅寺と称したという。
その後、平安時代の初期に最澄が入山して池から出てきた薬師如来を本尊として請雨の祈祷をし、天台寺院に改めた上で延暦寺の別院諸堂を建立したという。
桓武天皇が病気になった際、最澄が法力により当寺の霊水を献上したところ、たちどころに回復した。これによって天皇から岩根山善水寺の寺号を賜わったという。
その後に境内は広げられ、本堂のある地を中尾、清涼山を東尾、岩根山を西尾といい、塔頭が計26ヵ坊存在していた。なかでも岩根山は善覚院、中之坊、角之坊、岩蔵坊、持蓮坊、宝泉坊、角心坊、善明坊、浄心坊、大門坊、宝乗坊、実蔵坊の十二坊があった。これにより岩根山は十二坊山とも呼ばれた。
境内
編集- 本堂(国宝) - 南北朝時代の建立。近世の地誌類には貞治3年(1364年)または同5年(1366年)の建立とあり、様式的にもその頃のものと思われる。木造入母屋造檜皮葺、桁行(正面)7間、梁間(側面)5間の天台密教仏堂である(「間」は長さの単位ではなく柱間の数を意味する建築用語)。
- 鐘楼
- 元三大師堂
- 庭園
- 百伝弁才天
- 善水元水 - 桓武天皇の病を治したとされる水。汲むことができる。
- 六所権現社 - 祭神:伊勢、春日、八幡、賀茂、熱田、鹿島の神を祀る。鎮守社。
- 行者堂 - 1876年(明治9年)に飯道寺岩本院行者堂を現在地に移す。
- 庫裏
- 観音堂 - 元禄9年(1696年)に東尾観音堂を現在地である中尾岩蔵院の跡地に移築する。
- 地蔵堂
文化財
編集国宝
編集- 本堂 附:厨子 1基
重要文化財
編集- 木造薬師如来坐像 - 当寺の秘仏本尊で、本堂中央の厨子に安置する。像内納入品の文書から正暦4年(993年)の造像とわかる。2005年 - 2006年に京都国立博物館および東京国立博物館で開催された特別展「最澄と天台の国宝」に出展し公開された。
- 木造梵天・帝釈天立像
- 木造兜跋毘沙門天立像
- 木造持国天・増長天立像 - 鎌倉時代の造像。
- 木造四天王立像 4躯
- 木造不動明王坐像
- 木造僧形文殊坐像
- 金銅誕生釈迦仏立像 - 鋳銅・鍍金、肉髻相。耳朶環状として、左右に極めて小さい貫通孔がある。上半身が後ろに傾いているが、これは偶然ではなく当初から意図していたと見られる。像高23.2cm、右手指先から足ほぞ先までは28cmで、これは東大寺にある誕生仏に次ぐ大きさで、完成度もこれに次ぐ。そのため本像は、造東大寺司に関わる工房による造像で、天平宝字6年(762年)4月に石山寺の灌仏会で用いられたか可能性が指摘されている[3]。
- 木造金剛二力士立像 2躯
滋賀県指定有形文化財
編集湖南市指定有形文化財
編集前後の札所
編集拝観情報
編集- 開門時間 - 9時から16時
- 拝観料 - 600円
所在地
編集〒520-3252 滋賀県湖南市岩根3518
交通アクセス
編集- 駐車場
普通車30台、大型車4台