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増毛山道(ましけさんどう)は、北海道増毛郡増毛町別苅(べつかり)と石狩市浜益区幌(ぽろ)を結ぶ山道。全長27キロメートル[1]。本線から分岐して岩尾温泉に抜ける、5キロメートルの「岩尾支線」もある[1]

山道
増毛山道
総延長 27km
開通年 1857年
起点 北海道増毛郡増毛町別苅
終点 北海道石狩市浜益区幌
テンプレート(ノート 使い方) PJ道路

一部で私有地を通過する箇所や、林道と交差して迷いやすい地点があるため、一般公開はされていない[2]

目次

歴史編集

19世紀後半、ロシアの南下を危惧する江戸幕府は、蝦夷地日本海側の北方警備を急務としており、宗谷方面への兵員輸送や情報伝達用に陸路の確保を求めていた[2]。そこで箱館奉行所は、増毛や浜益一帯のニシン漁を統括していた場所請負人伊達林右衛門に山道開削を命じた[1]。林右衛門は私費を投じ、1857年安政4年)に山道を切り開いた[1]。幕末の探検家・松浦武四郎はこの道を3度通り、その出来映えを絶賛している[1]

元は軍事的要請から開削された増毛山道だったが、明治時代になると、ニシン漁で栄えた増毛や浜益の人々により、交易経路や生活道路として活用されるようになった[2]。ところが昭和時代になると、利用者は減少[1]太平洋戦争終結後も部分的に使われてはいたものの、国道231号が整備されると廃道と化した[1]

その後、増毛山道は人々の記憶から薄れていったが、1993年平成5年)、林右衛門の子孫にあたる伊達東が調査を開始[1]2007年(平成19年)11月には一帯の航空写真が撮影され、ルートがほぼ確定された[2]。翌2008年(平成20年)、「増毛山道の会」が設立され、復元作業が始まった[1]

2016年(平成28年)10月、山道の全線が復元される[1]2017年(平成29年)2月には国土地理院の地形図に再び記載されるようになり、同年10月には山道から分岐して雄冬山山頂に通じる新たな登山道が設けられた[1]

遺構編集

武好駅逓(ぶよしえきてい)
駅逓とは、郵便物を輸送する逓送人が荷を交換するための場所であり、また山道の通行者の休憩・宿泊所としても機能した[2]
当初は増毛天狗岳の南東側に「通行屋」として設置されたが、1876年(明治9年)に焼失[2]1902年(明治35年)、天狗岳の東側に場所を移して再建された[2]
駅逓業務は1941年(昭和16年)に廃止された[2]1949年(昭和24年)には北海道大学山岳部のパーティーが現地を訪れ、まだ残っていた旧駅逓を写真撮影しているが、建物はその後に倒壊したため現存しない[2]
2018年(平成30年)、駅逓跡地に案内板が新設された[2]
電信柱
1889年(明治22年)、山道に沿って電信線が敷設され、増毛と札幌の間で電信や電報が使えるようになった[2]
しかし一帯の標高は1000メートルを越えるため、電信線の維持は困難であり、何度も補修を要したという[2]
一等水準点
1907年(明治40年)から翌1908年(明治41年)にかけて、17基の一等水準点が山道に埋設された[2]
通常は主要国道に用いられる一等の水準点が配置されたことが、当時の増毛山道の重要性を示している[2]

ギャラリー編集

脚注編集

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  1. ^ a b c d e f g h i j k 黒川 2018, 1面.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 黒川 2018, 2面.

参考文献編集

  • 黒川伸一 (2018年9月23日). “時を訪ねて:増毛山道開削”. 北海道新聞: 日曜navi 1 - 2面 

関連項目編集