乙部町

日本の北海道爾志郡の町

乙部町(おとべちょう)は、北海道南西部、檜山振興局中部にある日本海に面した町。爾志郡に属する。

おとべちょう ウィキデータを編集
乙部町
乙部町旗 乙部町章
1965年8月18日制定
日本の旗 日本
地方 北海道地方
都道府県 北海道檜山振興局
爾志郡
市町村コード 01364-1
法人番号 1000020013641 ウィキデータを編集
面積 162.59km2
総人口 3,213[編集]
住民基本台帳人口、2024年3月31日)
人口密度 19.8人/km2
隣接自治体 檜山郡江差町厚沢部町
二海郡八雲町
町の木 スギ
町の花 ユリ
町の鳥 なし
乙部町役場
町長 寺島努
所在地 043-0103
北海道爾志郡乙部町緑町388
北緯41度58分07秒 東経140度08分08秒 / 北緯41.9685度 東経140.13561度 / 41.9685; 140.13561座標: 北緯41度58分07秒 東経140度08分08秒 / 北緯41.9685度 東経140.13561度 / 41.9685; 140.13561
外部リンク 乙部町

乙部町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町・村

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乙部町中心部周辺の空中写真。1976年撮影の6枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

概要 編集

渡島半島上に位置する町であり、西に日本海を臨む。本町の南に位置する江差町などと共に、江戸時代中期頃からにしん漁の漁港として栄えた。

町名の由来 編集

町名はアイヌ語の「オトウンペ」(河口に沼のある川)に由来する。その川は現在の姫川である。

地理 編集

北緯41°58、東経140°08。南は江差町、北は八雲町熊石地区に隣接し、東は乙部岳、突符岳を背に厚沢部町とも境界をなす。町域は東西17.3km、南北15.6kmで、総面積は162.53km2である。全体が波状性丘陵地であり、海岸線まで山が迫り平野部は少ない。町域海岸部の大半は檜山道立自然公園に指定されている。海岸沿いに国道229号線が走り、町域全体の81%が山林であり、人口は海岸部の集落に集中している。町政施行は昭和40年で、人口も1万人を超えたこともある。役場の所在地は、檜山振興局が所在する江差町厚沢部町役場へ12km、上ノ国町役場へは18km、せたな町には60km、今金町には80km、渡島総合振興局の所在する函館市から71kmの位置にあり、隣接する八雲町役場には約60kmである。管内他町と同様、漸次人口減の傾向を見せている。

  • 山:乙部岳(1017 m)、九郎岳(970 m)
  • 河川:姫川
  • 岬:突符岬、鮪ノ岬、館ノ岬

隣接している自治体 編集

人口 編集

2024年、民間の有識者らで作る人口戦略会議は、各市町村における将来の20歳-39歳女性の人口減少率を予想。乙部町では、2020年から2050年までの30年間に75.8%減少するとし、将来的に消滅する可能性が高い「消滅可能性自治体」であることが公表された[1]

 
乙部町と全国の年齢別人口分布(2005年) 乙部町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 乙部町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性

乙部町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より


沿革 編集

  • 縄文時代より栄える。
  • 1617年(元和3年) 花磯諏訪神社が建立される(史誌では1704年)。
  • 1741年(寛保元年) 松前沖で噴火と津波。
  • 1902年(明治35年) 乙部村、小茂内村、突符村、三ツ谷村、蚊柱村が合併し、二級町村制施行、乙部村となる
  • 1939年(昭和14年)4月1日 村内の5大字を廃止、15行政字に再編。
    • 乙部村 → 元町、緑町、滝瀬、館浦、姫川、旭岱
    • 小茂内村 → 鳥山、富岡
    • 突符村 → 栄浜、栄野、元和
    • 三ツ谷村 → 三ツ谷、潮見
    • 蚊柱村 → 花磯、豊浜、潮見
  • 1965年10月1日 町制施行、乙部町となる。

姉妹都市・提携都市 編集

姉妹樹:中華人民共和国湖南省張家界市武陵源世界遺産)内の「重歓木」 / 森の巨人たち百選選定「縁桂」(互いに連理の木である。)

経済 編集

立地企業 編集

  • 札幌酒精工業(おとべワイン)
  • CAC乙部工場
  • ㈱マルサ笹谷商店 乙部工場
  • ㈱小川商店 乙部工場

農協・漁協 編集

金融機関 編集

郵便局 編集

  • 乙部郵便局(集配局)
  • 豊浜郵便局

宅配便 編集

公共機関 編集

警察

林野庁

  • 檜山森林管理署乙部上級森林事務所

消防

教育 編集

乙部には、近代以前から和人が居住していたので、本州同様居住者対象の寺子屋は存在していた。 記録は散逸して定かではないが、1850年(嘉永3年)には寺院利用の寺子屋があったという記述が残されている。

小学校 編集

明治時代、「学制」の施行により、開拓使の手により、学校の開設は進められていった。乙部においては、各村からの拠出金により、学校は次々と開設されていったようである。1878年(明治11年)頃には、乙部学校(乙部村)、突符学校(突符村)、三ツ谷学校(三ツ谷村)、小茂内学校(小茂内村)蚊柱学校(蚊柱村)がそれぞれ開校している。突符学校では特に向突符(元和)は遠隔であるとして分校を設け、1882年(明治15年)に愛教学校として開校している。その後、学校制度改正に合わせて変遷し、戦後の学制改革によって、新制小学校として、乙部小学校、姫川小学校、姫川小学校富岡分教場、栄浜小学校、栄浜小学校元和分校、明和小学校が発足した。 その後、少子高齢化等の児童数減少により、元和分校・富岡小(中)学校がそれぞれ休廃校し、2011年(平成23年)3月、姫川小学校が115年の歴史に幕を閉じ、児童は乙部小学校に編入した。また、2022年(令和4年)3月、栄浜小学校も乙部小学校に編入された。

  • 乙部町立乙部小学校
  • 乙部町立明和小学校

中学校 編集

戦後の学制改革によって、新制中学の設置が見られ、乙部中学校、栄浜中学校、姫川中学校、明和中学校がそれぞれ小学校に併設されて発足した。1950年(昭和25年)には、富岡分教場が中学校併置で分離独立して富岡小中学校となり、昭和30年代までに各中学校も独立校舎を新築している。その一方で、生徒減や校舎の老朽化、交通の改善で学校の統廃合が行われ、1981年(昭和56年)に元和分校が廃校、1997年(平成9年)には富岡小中学校は休校となった。

2003年(平成15年)、過疎化による人口減や少子化による生徒数の減少を考慮し、町内の5中学校(休校中の富岡中含む)の統合計画が確定し、2004年(平成16年)より町内中学校が統合、新設「乙部中学校」が新校舎と共に町内唯一の中学校として発足した。

2006年度(平成18年度)、高齢者等の生活弱者に対する雪かきなどのボランティア「猫の手活動」や、地域の総合的学習を積極的に推進し、それが評価され、北海道教育実践表彰を受けた。

  • 乙部町立乙部中学校

高等学校 編集

1949年(昭和24年)、北海道江差高等学校の乙部分校から独立して、定時制高校として北海道乙部高等学校が発足したが、昭和40年代半ばから、親の教育ニーズの変化や人口の流失等で入学者減が進み、江差、乙部、厚沢部、上ノ国の4町が結成した「檜山南部地区高校整備促進期成会」が、江差高校・厚沢部高校・乙部高校を統廃合する事を検討し、合意に至った。定時制高校としての乙部高校は、1982年(昭和57年)に最後の卒業生6人を送り出し閉校となった。

交通 編集

 
道の駅ルート229元和台

鉄道 編集

町内を鉄道路線は走っていない。鉄道を利用する場合の最寄り駅は、JR北海道函館本線八雲駅、あるいは北海道新幹線新函館北斗駅及び木古内駅

バス 編集

なお、鉄道駅や高速バス乗り場と町内を直結する路線は存在せず、遠隔地との間を公共交通で移動する場合、江差ターミナルで乗り継ぎとなる。

道路 編集

空港 編集

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事 編集

文化財 編集

観光 編集

祭事・催事 編集

  • 元和台マリンフェスティバル(海水浴場開設期間の前半)
  • 温泉&産業まつり(8月上旬)(近年は産業まつりとして9月上旬に開催)
  • ふれあい交流盆踊り(8月14日)
  • 八幡神社例大祭(8月14日~16日)
  • 縁桂森林フェスティバル(秋分の日)
  • シバレ・ふれあい富岡(1月下旬)

出身人物 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集

  1. ^ 「消滅可能性自治体」の一覧 北海道・東北の地域”. 毎日新聞 (2024年4月24日). 2024年4月25日閲覧。