大西宏明

日本の元プロ野球選手

大西 宏明(おおにし ひろあき、1980年4月28日 - )は、兵庫県尼崎市生まれ、大阪府堺市育ちの元プロ野球選手外野手、右投右打)、監督。愛称は「ジミー」(ジミー大西から)。

大西 宏明
堺シュライクス 監督 #217
堺シュライクスで指揮を執る大西
(2022年6月25日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府堺市[1]
生年月日 (1980-04-28) 1980年4月28日(44歳)
身長
体重
178 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2002年 ドラフト7巡目
初出場 2003年10月3日
最終出場 2010年8月25日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督歴

経歴 編集

プロ入り前 編集

高校時代は攻守の要でエース上重聡や主将平石洋介と共にチームを牽引。1998年第70回選抜高等学校野球大会では準決勝敗退。第80回全国高等学校野球選手権大会で繰り広げられたPL学園対横浜延長17回においては、春の準決勝でも対戦した横浜高校松坂大輔から一時は同点打となる左翼前安打を放った。

近畿大学では、2年春に首位打者となり大学通算65試合に出場、238打数65安打、打率.273、0本塁打、19打点を記録。

近鉄時代 編集

2002年度ドラフト会議にて大阪近鉄バファローズから7位指名を受け、入団。

2003年は二軍スタート。入団当初は俊足と守備力が買われた一方で、打撃に関しては期待されていなかった。しかし、打撃コーチであった鈴木貴久が大西の打撃センスに目をつけて熱心に指導した結果、打撃でも力をつけていき、二軍では打率.310、7本塁打の成績を残し、シーズン終盤には一軍出場も果たした。

2004年下山真二の不振もあり、左キラーとして一軍に帯同。4月2日の対オリックス・ブルーウェーブ戦では、プロ初本塁打を初回先頭打者本塁打で飾ったが、この年入団したラリー・バーンズが後に来日初本塁打を満塁本塁打で記録することで、先頭打者本塁打と満塁本塁打により初本塁打を記録した選手が同一年に揃ったのは、史上2例目となっている[2]。その後一度二軍へ降格したが、一軍再昇格以後は帯同して103試合に出場。主に7番・左翼で起用された。5月17日に鈴木が急逝すると、当時監督だった梨田昌孝は翌日から2日間、不動の1番・中堅手だった大村直之に代えて大西を起用している。また、プロ野球再編問題が報じられた6月13日の対北海道日本ハムファイターズ戦では、9回裏に横山道哉からプロ入り初のサヨナラ打となるサヨナラ犠飛を放っている。この年に新人王・最優秀救援投手に輝いた三瀬幸司から3本塁打を放つなど、対左投手に無類の強さを見せた[注釈 1]。以降、対左投手に対しての起用が多くなっていく。同年夏に近鉄の本拠地大阪ドームで開催のフレッシュオールスターゲームにオールウエスタンの1番中堅手で先発出場。

オリックス時代 編集

2004年オフの球団合併・分配ドラフトにおいてオリックス・バファローズへ移籍。

2005年は開幕戦で3番・中堅として先発出場を果たす。仰木彬監督の期待に応え夏場までは好成績を残したが終盤に不振に陥り、最終的には打率.241、6本塁打と、開幕前の期待に比べると物足りない成績となった。中村勝広GMが監督に就任した2006年はケガもあり、79試合の出場に留まるものの、打率.272、7盗塁とまずまずの成績を残した。この年以降、1番で起用されることが増える。

2007年の開幕はベンチスタートだったが、坂口智隆の不振により1番・中堅に抜擢された。師匠である鈴木の命日であった5月17日の対ソフトバンク戦では、7回表の打席で鈴木の応援歌が演奏される中、和田毅から同点の2点適時打を放って逆転勝利に繋ぎ、チームのシーズン2度目の大型連敗を6で阻止した(大西は「鈴木さんが打たせてくれた」とコメントしている)。一時は4割を超える打率を残し、完全に不動の1番として定着したかに見えたが、6月に入ると大幅に調子を落とし、以後はほぼ左投手のときに出番が限定される。その後も調子はあがらず、9月に降格。再昇格した坂口が好調だったため、閉幕まで一軍へ戻ることはなかった。結局、83試合に出場して打率.247、4本塁打と不本意な成績に終わる。対左投手の方が打率が低く、1番で多く起用されたにもかかわらず、得点圏打率こそ.389ながら、無走者からの出塁率が低いなど、ちぐはぐな1年であった。

横浜時代 編集

2007年12月17日、古木克明との交換トレードで横浜ベイスターズへ移籍。12月19日に入団会見が行われ、背番号は古木が着けていた33となった。

2008年はオープン戦で調子があがらず、開幕後初打席で全球見逃して三振となり、チームの登録抹消第1号となってしまう。二軍で.538という驚異的な打率を残し、4月終盤には1軍に復帰すると、暫くは好調な打撃を維持する。6月11日の対オリックス戦で、金子千尋から3ランを放って古巣に痛烈な恩返しを見せたものの、以後は不振に陥り、相手先発投手が左投手の時にスタメンが限られてしまった。それでも、自己最多の105試合に出場し、打率.270を記録した。

2009年は移籍2年目にしてチームの選手会副会長に任命され、前年度以上の働きが期待された。開幕戦の1番・中堅は松本啓二朗となり、前年同様ベンチスタートとなる。代打を中心に起用されたものの、一時は打率が1割を切るほどの大不振に陥り、登録を抹消された。外野守備に就いたのは18試合で、最終的には44試合の出場で打率.141、本塁打0本、打点6という結果に終わった。

2010年は出場試合が少ない中打率3割を記録するも、10月1日に戦力外通告を受けた。11月10日に開催された12球団合同トライアウトでは4安打を記録し、盗塁も決めた。

ソフトバンク時代 編集

2010年12月3日に福岡ソフトバンクホークス育成契約を結んだ[3]

 
ソフトバンク時代

2011年は育成選手としてプレー。二軍で39試合に出場、打率は.211にとどまり支配下へ昇格できず、10月9日には前年の横浜に続き、2年連続で戦力外通告を受け、わずか1年でホークスを退団[4]11月7日自由契約公示された。12月24日、MBSテレビせやねん!』のスポーツコーナーに生出演し、現役引退を表明。

引退後 編集

2012年4月25日、大阪市心斎橋に自らオーナーを務める焼肉店「笑ぎゅう」をオープン[5]。当時野球界に残る気はなかったと2020年の取材で述べている[5]。運営には焼肉店で修行を積んだ実弟が協力した[5]

2016年3月、独立リーグBASEBALL FIRST LEAGUE(現:関西独立リーグ)の06BULLS理事に就任[6]。実際の仕事は「チームに少しアドバイスをした程度」だったという[5]

2018年6月26日、同じBASEBALL FIRST LEAGUE[注釈 2]に加入予定の堺市を拠点とする新球団の監督への就任が発表された[7][8]。同年9月に球団名称が「堺シュライクス」に決定。

2019年は監督として初めて指揮した1年目で、首位から15.5ゲーム差の4位(最下位)に終わる。なお、登録上は選手兼任となっていた[9]が、実際に試合に出場することはなかった[10]

2020年には初優勝を達成した[11]

選手としての特徴・人物 編集

“走攻守”三拍子揃った外野手。打撃はパンチ力があり[12]、左投手に強かった[13]。守備では非常に肩が強かった[14]

高校時代、甲子園で松坂大輔との対戦で打率5割を残したことから「松坂キラー」と呼ばれていた[15][16]

近鉄OBで打撃コーチを務めた鈴木貴久とは師弟関係である。プロ入り後間もなく、スイッチヒッター転向を言い渡されるが、鈴木は右打者で勝負したいという大西の意思を尊重してくれたという[17]。また、ある日、二軍にいた大西は練習をさぼって寮に帰ると鈴木が待っていた。鈴木は大西を叱らず、「今からやるか」とだけ言うと、ティー打撃のトスを上げ始めた。鈴木のその姿を見て大西は改心した。その日以降、鈴木と二人三脚での打撃練習が始まり、一度も休まなくなった。そして、シーズン終盤に一軍昇格を勝ち取り、翌年飛躍を果たした[18]。なお、オリックス時代の応援歌の歌詞にある「誇り高き師」とは、鈴木のことである。

詳細情報 編集

年度別打撃成績 編集

















































O
P
S
2003 近鉄 1 3 3 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1 .000 .000 .000 .000
2004 103 316 272 45 72 11 2 10 117 43 5 5 7 3 31 2 3 58 5 .265 .343 .430 .773
2005 オリックス 103 211 187 29 45 4 0 6 67 23 4 1 1 2 17 1 4 46 1 .241 .314 .358 .673
2006 79 190 169 19 46 9 1 3 66 15 7 2 7 0 12 0 2 37 2 .272 .328 .391 .718
2007 83 257 227 28 56 8 0 4 76 16 3 2 5 2 20 0 3 55 4 .247 .313 .335 .648
2008 横浜 105 330 289 37 78 20 0 4 110 26 5 2 4 2 30 1 5 54 5 .270 .347 .381 .727
2009 44 70 64 1 9 4 0 0 13 6 1 1 2 0 3 0 1 17 3 .141 .191 .203 .394
2010 36 52 43 3 13 1 0 0 14 2 0 0 1 0 8 0 0 14 2 .302 .412 .326 .738
通算:8年 554 1429 1254 162 319 57 3 27 463 131 25 13 27 9 121 4 18 282 23 .254 .327 .369 .691

年度別守備成績 編集



一塁 外野
























2003 近鉄 - 1 1 0 0 0 1.000
2004 - 81 96 2 1 0 .990
2005 オリックス - 90 92 5 1 1 .990
2006 2 7 0 0 0 1.000 67 97 4 1 2 .990
2007 - 73 102 5 2 1 .982
2008 横浜 - 92 122 5 2 1 .984
2009 - 18 19 1 1 1 .952
2010 - 20 21 0 0 0 1.000
通算 2 7 0 0 0 1.000 442 540 22 8 6 .986

記録 編集

背番号 編集

  • 50 (2003年 - 2007年)
  • 33 (2008年 - 2010年)
  • 134 (2011年)
  • 217 (2019年 - )

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 三瀬からは7月18日にサヨナラ本塁打、9月4日には9回裏に代打同点本塁打を放っている。この年放った10本塁打中9本塁打が左投手からで、三瀬からは2005年にも1本放っている。
  2. ^ 実際にリーグ戦に参加したときには「関西独立リーグ」に改称された。

出典 編集

  1. ^ 大西宏明 プロフィール”. トレジャー・トレーディング. 2018年3月12日閲覧。
  2. ^ “2年目・宮崎が史上初快挙 初安打のプロ1号がプレーボール弾”. スポニチアネックス. (2012年9月30日). オリジナルの2012年12月14日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121214101124/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/09/30/kiji/K20120930004228450.html 2012年9月30日閲覧。 
  3. ^ 育成選手入団のお知らせ - 2010年12月3日
  4. ^ 選手契約について”. 福岡ソフトバンクホークス (2011年10月9日). 2011年11月8日閲覧。
  5. ^ a b c d “松坂世代の独立リーグ監督はコロナで大打撃。励みは「ヒーロー」の活躍”. Sportiva. (2020年5月1日). https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2020/05/01/___split_80/ 2020年5月2日閲覧。 
  6. ^ 水永 新代表、新理事から皆様へ”. 06BULLS ゼロロクブルズ (2016年). 2016年4月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年12月8日閲覧。
  7. ^ “元横浜・大西宏明氏、独立リーグ新球団の監督に就任”. デイリースポーツ. (2018年6月26日). https://www.daily.co.jp/baseball/2018/06/26/0011390491.shtml 2018年6月26日閲覧。 
  8. ^ 『大阪府堺市を拠点としたプロ野球独立リーグ球団設立』記者発表のお知らせ - 株式会社NOMAL(2018年6月26日)
  9. ^ 堺シュライクス KDL2019 支配下登録者名簿” (PDF). 関西独立リーグ (2019年7月24日). 2020年1月30日閲覧。
  10. ^ 217 大西 宏明”. 関西独立リーグ. 2020年1月30日閲覧。
  11. ^ 【堺シュライクス】優勝当日ドキュメント - 関西独立リーグ公式note、2020年10月16日
  12. ^ 大西選手と大城選手が入団会見。「必ず這い上がる」と大西選手|福岡ソフトバンクホークス”. ソフトバンクホークス オフィシャルサイト. 2021年4月25日閲覧。
  13. ^ “松坂世代”が作った新球団「堺シュライクス」来春独立リーグ参戦目指す”. Full-Count(フルカウント) ― 野球ニュース・速報・コラム ―. 2021年1月23日閲覧。
  14. ^ 田中大貴コラム 『松坂世代』あの夏から21年目の延長戦 「大西宏明は21年前の夏、松坂大輔に最もアジャストしていた男」 | 野球コラム”. 週刊ベースボールONLINE. 2021年4月25日閲覧。
  15. ^ 松坂キラーの元PL大西氏 新球団監督兼焼き肉店オーナーで奮闘/デイリースポーツ online”. デイリースポーツ online. 2021年1月23日閲覧。
  16. ^ "松坂キラー"大西宏明と松坂大輔が10年ぶりの再会「写真撮ってる時ミナミの街がざわついた」”. SPREAD (2018年8月20日). 2021年1月23日閲覧。
  17. ^ 松坂キラーの元PL大西氏 新球団監督兼焼き肉店オーナーで奮闘|まいどなニュース”. まいどなニュース. 2021年4月25日閲覧。
  18. ^ 鈴木貴久が遺した"いてまえ打線"の伝統。(永谷脩)”. Number Web - ナンバー. 2021年4月25日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集