ジミー大西

日本のお笑いタレント、画家 (1964-)

ジミー大西(ジミーおおにし、1964年〈昭和39年〉1月1日 - )は、日本お笑いタレント画家大阪府八尾市出身。吉本興業所属。

ジミー大西おおにし
2019年3月31日、阪神競馬場にて
本名 大西 秀明(おおにし ひであき)
ニックネーム ジミー、ジミーちゃん
生年月日 (1964-01-01) 1964年1月1日(60歳)
出身地 日本の旗 日本 大阪府八尾市
血液型 A型
身長 160 cm
言語 日本語
方言 大阪弁
最終学歴 大阪商業大学堺高等学校
師匠 ぼんちおさむ
明石家さんま
コンビ名 おおにしこにし(解散)
芸風 漫談
一発ギャグ
リアクション芸
事務所 吉本興業
活動時期 1982年 -
同期 ダウンタウン
トミーズ
内場勝則など
(厳密には大西が2ヶ月先輩)
現在の代表番組 東野・岡村の旅猿 プライベートでごめんなさい…
ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!
過去の代表番組 探偵!ナイトスクープ
他の活動 画家
配偶者 既婚
公式サイト Jimmy's Page 公式サイト
公式プロフィール
テンプレートを表示

本名は大西 秀明(おおにし ひであき)。血液型A型。既婚。名前の由来は豊臣秀吉から「秀」と、元日に産まれたことから明けましておめでとうの「明」を組み合わせたもの[1]

経歴

編集

デビュー以前

編集

幼少期、八尾市長(第5代)・柴谷光謹の隣に住んでいた[2]。言葉を覚えるのが極めて遅く、小学2年まで喋れなかった。勉強は苦手だったが運動神経に優れ、八尾市立安中小学校時代はボーイズリーグの強豪である八尾フレンドに所属。八尾フレンドの4年後輩には桑田真澄がいた(桑田は八尾市立成法中学校の後輩でもある)。

中学時代も野球部で活躍し、スポーツ推薦で強豪の大商大堺高校へ進学するも数式を用いたサインが覚えられず、試合中にバッターボックスでサイン数式を地面に書いて計算してしまい監督に怒られたこともあり、試合に出してもらえず1年夏から引退するまでマネージャーとなった[3]。当時の野球部監督は読売ジャイアンツに在籍していた山本功児の兄で、怖かったという。

高校時代はいじめられっ子で、頻繁にいじめに遭っていた。ある日に国鉄阪和線津久野駅で、いじめっ子だった同級生から「次に来る快速電車[注 1]乗りたいから何とかして停めろ」と脅され、裸で線路に突き落とされたジミーが身を挺して電車を緊急停車させた。その後にジミーはすぐ駅員に捕まり、学校に連絡されて停学処分を受けた。この事件のせいでジミーの両親は国鉄から請求された賠償金(数百万円)を、借金をしてまで支払わなければならない羽目になってしまった[4]

好きだったアイドルは早見優石田ひかり[5]

芸人時代

編集

高校卒業後は就職を希望したが、成績の悪さから就職先が見つからず担任が吉本に雇ってくれるよう頼み込み、高校在学中からアルバイトとして入社。放課後や休日になんば花月の裏方(幕引きや進行)を務めていた。

明石家さんまとはその時に出会っていた。ある日の出番を控えた中田ボタンを呼びに行くのを忘れており、ボタンから冗談で『こらお前! お前階段で男性器にタコ糸で括ってこい!』と叱責されたのを真に受け、階段の手摺に本当にタコ糸で括り付けて反省していたところをスタッフを含めた関係者に目撃され、当然女性からは悲鳴を上げられる。この時にさんまと奇跡的な初対面を果たし、タコ糸をほどいてくれた後はそれを機にジミーは助けられた犬のようにさんまへ付いていったという。一方のジミー本人は早見の弟子になりたくて吉本に行ったが、早見は吉本所属ではないことを伝えられ「せっかく来たので吉本に入れてください」と頼み、研究生として入れてもらったと話している[6]

高校卒業後、正式に吉本の芸人として入社。さんまの勧めにより、ぼんちおさむの弟子となる[3]が当時の憧れは間寛平だった[7]吉本新喜劇などを経てコンビ「おおにしこにし」を結成したものの、どうしてもジミーだけが目立ってしまうため長続きしなかった。「ジミー」という芸名はさんまがテレビで見かけた野生のゴリラの名前(ジミー)に因んで名付けたものである[3]。ちなみにさんまが芸名を命名した直後、テレビを観ると前述したゴリラのジミーが死んだというニュースが流れていた。そのため、さんまは「ジミーは死んだゴリラの生まれ変わり」と発言している。

おさむ門下時代は伸び悩んでおり吉本から半ば見捨てられていたが、運転手にならないかとさんまに誘われて以降、さんまが自身の付き人として面倒を見るようになる。しかしジミーは運転免許を持っておらず、さんまに『2週間で免許が取れる合宿制の自動車教習所があるから行ってこい』と勧められて合宿制の自動車教習所へ通っていた。実技試験は難なく合格したものの、漢字が読めなくて筆記試験に通らなかったため1ヶ月経っても卒業できず、試験に落ちる度さんまにお金を送ってもらっていたという。結局ジミーは免許が取れるまで半年を要し、さんま曰く『車がもう1台買えたわ[注 2][8]

さんまによって才能を見出され、数々の一発ギャグを身に付けていく。吉本社員の「売れるわけがない」という発言がさんまのモチベーションに繋がった。運転手時代では料金所にて車の窓を開け忘れて手を窓に思いきり激突させ骨折する、渋滞に捕まってさんまが「やけに混んどるなあ」とこぼしてよく見ると前の車は路上駐車だった、ワイパーの動きを見ていて眠くなり居眠り運転しかけた、さんまが車を運転していて誘導を頼まれるもぶつけてしまい「オーライオーライ」とぶつけてからも言い続けた、『笑っていいとも!』の生放送当日で道に迷ってさらに電話の電源を切ってしまいスタッフに迷惑をかけたなどのエピソードを持つ。

特に人から決まった言葉を振られた後に返すタイプのギャグが有名。「ジミーちゃんやってる?」と振られて「やってるやってる!」、「ジミーがんばれよ」と振られて「お前もがんばれよ![注 3]、股間を触られて発する「ふるさとー」または「エクスタシー」など。これらのギャグが評判となり、天然ボケ芸人として全国的な人気を博した(「やってるやってる!」のギャグ誕生時は手を股間付近で動かしていたが、さんまにそれはまずいとアドバイスされてからは顔付近で動かすようになった)。

ある日、突如として芸人引退を決意したことがある。それを喫茶店でさんまに報告したところ、「この(芸人の)世界を辞めるのか続けるのか1週間しっかり考えてこい」と促した。さんまや周囲の人間は「1週間もあれば気が変わるだろう」と考えていたが1週間後に意志を確認したところ、ジミーは「ストリッパーのヒモになります」と宣言。その返答にさんまは開いた口が塞がらず啞然としていたが、対してその場にいた大竹しのぶは終始冷静で、喫茶店で注文していたパスタを巻いていた手を止めて「今なんて言った?」と言いながらも「ストリッパーに知り合いはいるの?」と問いかけた際、ジミーはやりたいことを見つけて応援してくれていると勘違いして突然声を上げながら号泣し始め、さんまは「なんでやねん...お前俺の運転手してた6年間返せ...」と呆れていた。

元祖天然ボケの伝説を持っている。萩本欽一はジミーを自身の番組『欽ドン!ハッケヨーイ笑った!』に起用し、「このボケが意図的であればチャップリン以来の天才喜劇役者だ」と絶賛。萩本と楽屋にて1対1で面談する運びとなるも、楽屋から出てきた萩本の第一声は「天然だったね…」というがっかりしたものであった(ジミーは番組を3週間で降板することとなった[9])。これが「天然ボケ」の由来と言われている。月亭方正も初対面でジミーと2人きりになった時、方正が何を聞いてもジミーは「ウホッ、ウホッ」としか話さなかったと述懐している。

嗅覚が異常に鋭く、番組企画の「沢山並べられたスリッパの中から女子アナの履いたスリッパを当てる」というゲームで警察犬を相手に勝利した。また絵画修業で赴いたアフリカでは、広大な平原を徘徊しているアフリカゾウを臭いで探し当てた。

1996年、番組企画によって絵画の才能を見出される。尊敬する上岡龍太郎から自身の絵画へ賛辞を送られたことや、岡本太郎から「君は画家になりなさい」と手紙をもらったことをきっかけに画家への転職を決断、それに伴って芸能活動を引退する。ほぼ同期にあたる松本人志ダウンタウン)は引退に際し、「もったいないなぁ。誰も勝たれへんで! 他に辞めなあかん奴いっぱいおんのに」とジミーの才能を惜しんだ。また、ビートたけしもさんまのフリに対して確実にギャグで返すジミーに対して「パブロフの犬の様な条件反射はすごいな!」と絶賛している(フジテレビ『たけし・さんまの有名人の集まる店』にて)。

画家転向後

編集

画家に転身後も吉本には籍を残しており、さんまの舞台公演への出演、それ以外にも時折テレビにも出演、オトボケぶりを発揮している。

さんまのコントライブ「明石家さんまプロデュース 今回もコントだけ」については、画家転向後の一時期は出演を見合わせたが、2002年に10年目の記念ということでゲストとして復帰。2004年のPart.11以降は再びレギュラー扱いとなっている。

2008年7月26日放送の『27時間テレビ』内の「クイズ!ヘキサゴンII」にさんまファミリーとして出演。さんまのフリに対する的確な持ちギャグを見せつけ、また中村玉緒浅田美代子と共にヘキサゴンファミリーのおバカキャラたちをも圧倒するボケを披露した。MCの島田紳助もこのジミーの活躍にはさんまに対して本名の杉本君と呼び「これ本当に放送していいのかね」と言いのか問いかけ、「ジミーに久しぶりに会ったけど、前より確実にパワーアップしてる」と彼を評価している。

クリスマスに向けてイケメンとなるため、整形手術を行ったことがあった。顎の骨を削る本格的な手術により12月までは食事は流動食のみ、包帯グルグル巻きの状態であるとのことである[10]。しかし『ライオンのごきげんよう』にてさんまが出演した際、ジミーの整形の話を披露して12月にジミーがさんまのところへ挨拶をするも、さんま曰く「何にも変わっていなかった」とのこと[注 4]

2011年、『東野・岡村の旅猿』にゲスト出演。10数年ぶりの本格的なバラエティー番組復帰となった。相変わらずの天然・マイペースぶりを見せつけ、以降も番組の常連となった。番組内ではプロ級の料理の腕前を披露している他、「絵を描くことに飽きてきた、やる気がない」とも暴露している。

夢は子供のいないタモリ養子になり、財産を受け継ぐこと。

ホンマでっか!?TV』(2012年3月28日放送)内の「ホンマでっか人生相談」で「真剣な場面で笑ってしまうのをなんとかしたい」と相談。池田清彦は「この人は天才だ」と言い、脳の大部分が絵の能力に使われていると述べ、「無理に直したら絵が下手になる恐れも」とアドバイス。澤口俊之には「10万に1人そういう脳はいて、必ず絵・音楽・記憶力のどれかがずば抜けて良い(いわゆるサヴァン症候群)」と評価された。おおたわ史絵は「ジミーちゃんは真剣な空気が怖いと感じているから笑わせようとしているだけで、それで周りが笑顔になっているから直さなくて良いと思う」と述べた[11]

2016年以降はタレント活動に再び軸足を置いている。絵画については「今は描きたくない」「筆は(折ってはいないが)曲げている」と発言[12]。中断した理由として、焼き鳥店のアルバイト募集の張り紙に時給1200円の記載を見た際、自身の作品完成までを換算したら時給380円となったことにショックを受けたため[13]。また、「風俗に行きすぎて借金が増えたため、それを返済するために戻った」とも語っている。

2020年7月、画家として5年ぶりに新作を発表。「朝の光」と名付けたイオントップバリュ買い物用マイバッグ(限定11万5000枚)で、さんまから「お笑いとか、人を楽しませる(仕事な)のに時給は関係ないやろ。考えたらあかん」と激励され、再び画家活動を再開した[14][13]

2022年、画業30周年を迎え、新旧約100点の作品を展示する「ジミー大西 画業30年記念 作品展『POP OUT』]を開催。2023年まで全国を巡回する[15]

画家として

編集
 
なんばパークス屋上に設置のモニュメント『天海の輝き』

EXテレビ』(EX Osaka、読売テレビ)や『世界ウルルン滞在記』(毎日放送)などのテレビ番組企画にて、絵画作品が抽象画家などの専門家によって評価され、「平成の山下清」と周囲(特に紳助)から言われるようになる[3]1993年に初めて個展を開催。動物などをテーマとしたシュールな画風と鮮やかな色彩感覚で画家として注目され、脚光を浴びた。

ダウンタウンDX』(読売テレビ)内で、芸能人の宝物を専門家に鑑定してもらうコーナーにジミーの絵が登場したこともある。この時にまじまじと絵を見つめていた松本は、「そうか、ジミーちゃんには我々がこんな風に見えてるんだ。だから、あんな(性格)なんですねー」と語り、笑いを誘った。鑑定結果は「100万円」。後述のボジョレーヌーボーのラベルなど、広く日本国外で評価されている点などが考慮されたという。

絵画を描く時、絵の具は水性をよく使う。理由は、前述の通り嗅覚が良すぎるせいで油性絵の具の匂いを嗅ぐと頭痛や吐き気に見舞われ、絵を描ける状態ではなくなってしまうため。後に油性絵の具も使えるようになった。

また、画家として成功する前には多くの先輩に絵を描いてお金を借りていたことがあったという。中田カウスは、ジミーが若手時代お金に困っていたのでジミーの描いた絵を数万円で購入しており、そのまま家の倉庫に放置していたが有名になってから価値が出ると感じたのか、家のリビングに額縁に入れて飾っているという。

パブロ・ピカソの絵を見ようとスペインバルセロナ[注 5]に滞在した際、アントニオ・ガウディの影響を受けたと語っている[16]

主な作品

編集

年譜・エピソード

編集

初恋のエピソード

編集

幼いころから人見知りが激しく、同級生とも馴染めなかったジミーは、いつも優しく接してくれる幼馴染みの女の子に恋心を抱いた。彼女に「好きだ」という気持ちを伝えたのが、人前で自分を出した最初の体験だという。しかし小学校に上がったのち、彼女は病死してしまう[1]。死という概念がわからなかったジミーは、「あの娘、すぐ戻ってくるんでしょ?」と食い下がって教師を困らせたが、そのとき教室の外で、廊下を彼女が歩いているのを見つけた。再び目をやったときにはもういなかったという。彼を心配した同級生の説明で一応納得したが、本人曰く「彼女の幻を見たのはあの時が最初で最後だった」とのこと[21]

出演番組

編集

テレビ

編集

現在でも『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!』の罰ゲーム企画など、時折バラエティ番組に出演している。

テレビドラマ

映画

編集

ウェブテレビ

編集

その他

編集
  • ハイビジョンスペシャル「煙はるかに 世界SL紀行 スイート・シュガー・トレイン〜キューバ〜」(NHK、2001年4月24日)

主なギャグ・名言など

編集

持ちネタ

編集
  • (「ジミーちゃんやってる?」)「やってる、やってるぅ」「やめろっちゃ」
  • 「ジミーちゃん、がんばれ!」と言われると、目上の人に対しても、「お前もがんばれよ!」と返す[注 3]
  • 「ウー、ウゥ!」
  • 沢田研二6番目のユ・ウ・ウ・ツ』のサビ(1小節目)を繰り返し歌う。
  • (「桃が二つありました、桃が三つありました、合わせて?」)「ももももも!」
  • (「口になんか付いてるよ?」)「唇です」「何階建て?」「5階建て」
  • (「ジミーちゃん、大丈夫!」)「(鼻つまんで)ダイジョウブ!」
  • (「キャビアは何の卵?」)「ドラえもん!」
  • 明石家さんまに諺の問題で「人のふり見て?」と聞かれて)「どないすんねん!」
  • (同様に「穴があったら」)「入ってしまうかなぁ?」
  • (「ぬかに」)「漬けもん」
  • (「古今東西、お題は『欽ちゃんファミリー』!」)「良い子悪い子普通の子!」
  • (「12÷3 は?」)「えーっと…1あまり4」
  • 「電車の窓から頭を出してきゅっきゅっきゅーきゅっきゅっきゅー」
  • (「しっかりせぇ」)「よーしわかった」
  • (「ストレッチ」)「えーっと一人エッチ?」
  • メキシコ、メキシコー、アミーゴ!」
  • 「エクスタシー」
  • 「ナタデココー」
  • 「そこへ官房長官(本人曰く「喧嘩の仲裁をする人」)が入ってきて、お金で始末をする始末でした!」
  • 松本人志肛門を押し付けられ)「鼻の上にウンコ乗ったみたいやっ!」
  • (「四字熟語は?」)「春分の日」
  • 「ご機嫌、ななめですねー」
  • 「もんまり」

著書

編集

画集

編集

日記

編集

絵日記

編集

絵本

編集

カレンダー

編集
  • ジミー大西 作品集カレンダー 2002(ハゴロモ、2001年11月)ISBN 4894952645
  • ジミー大西 作品集カレンダー 2003(ハゴロモ、2002年11月) ISBN 489495298X
  • ジミー大西 作品集 2004年度 カレンダー(ハゴロモ、2003年11月)ISBN 4777402665
  • ジミー大西 作品集 2005年度 カレンダー(ハゴロモ、2004年12月)ISBN 477741275X

関連書

編集

関連項目

編集

脚注

編集

注釈

編集
  1. ^ 快速は津久野駅に停車しない。
  2. ^ さんまはジミーを教育して面倒を見るためしばらくの間運転免許を取得せず、ジミーを運転手及び付き人として雇い続けた。
  3. ^ a b 師匠のおさむとの間に生まれたネタ
  4. ^ ホンマでっか!?TV』でもネタにしているが、おおたわ史絵曰く強引な顎を削る手術は歯を失う可能性があるための医師の配慮ではないかと推測している。
  5. ^ バルセロナはピカソが青年期に修行した町で、ピカソ美術館がある。
  6. ^ ジミーと地元小学生が原画を担当した「魚」「カニ」「エビ」「カメ」の4種類の絵が、特殊フィルムによってプリントされている。なお、これは乗り物としては世界最大のラッピングであるという。
  7. ^ MBSちちんぷいぷい』の企画

出典

編集
  1. ^ a b TVでた蔵「2016年2月14日放送 ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」”. ワイヤーアクション (2016年2月14日). 2016年2月18日閲覧。
  2. ^ よしもとニュースセンター : ジミー大西が田中誠太八尾市長を表敬訪問 - 2014年10月7日
  3. ^ a b c d 週刊文春 2003年11月13日号 p.66~69『「家」の履歴書』
  4. ^ 『いまだから笑えるここだけの話』(びっくりデータ情報部編。KAWADE 夢文庫シリーズ。1996年5月発行)48頁。なお、同書籍は絶版されている。
  5. ^ 『天然色日記』p.126 - 128
  6. ^ 桃色つるべ【ジミー大西の画家人生…明石家さんまの一言と岡本太郎の手紙きっかけに】民放公式テレビポータル「TVer(ティーバー)」
  7. ^ 痛快!明石家電視台 2014年8月26日放送回”. gooテレビ (2014年8月26日). 2016年6月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月20日閲覧。
  8. ^ ジミー大西がIMALUとのツーショットを披露 明石家さんまの付き人時代に子守”. 日刊スポーツ (2022年8月6日). 2022年8月6日閲覧。
  9. ^ お笑い用語『天然ボケ』の由来とは? | 株式会社3PEACE”. 株式会社3PEACE | 3PEACEは『笑いの力で社会に活力を!!!』をモットーにするお笑い芸能事務所。お笑いの力で社会を豊かにしたいという熱意のもと、大阪を中心に日々活動に力を入れています。 (2021年4月5日). 2023年12月31日閲覧。
  10. ^ 明石家さんま神発言「美容整形より『生き方』が医師」”. Techinsight(exciteニュース) (2016年1月12日). 2016年2月20日閲覧。
  11. ^ TVでた蔵「2012年3月28日放送 フジテレビ ホンマでっか!?TV」”. ワイヤーアクション (2012年3月28日). 2016年3月13日閲覧。
  12. ^ フジテレビ「ワイドナショー」2016年8月28日放送分
  13. ^ a b ジミー大西、買い物バッグデザイン さんまの一声で5年ぶりの絵の新作 - サンケイスポーツ2020年7月9日
  14. ^ 7月14日 ジミー大西さんデザイン 「トップバリュ リサイクル原料を使ったマイバッグ」発売 - 産経新聞 2020年6月30日[リンク切れ]
  15. ^ ジミー大西の画業30年記念作品展で新旧約100点を展示”. お笑いナタリー. ナターシャ (2022年3月13日). 2023年4月20日閲覧。
  16. ^ 『天然色日記』p.109 - 111
  17. ^ http://www.zakzak.co.jp/gei/2007_01/g2007011204.html[リンク切れ]
  18. ^ 谷村ひとし著『パチンコドンキホーテ』より。
  19. ^ a b “ジミー大西が新劇場のロゴ制作、明石家さんまから「ひともうけしようか」直接オファー明かす”. 日刊スポーツ (株式会社日刊スポーツNEWS). (2023年9月22日). https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202309220000262.html 2024年1月12日閲覧。 
  20. ^ “画業30年”ジミー大西の活動再開を決意させたさんまの一言…全国巡回展がスタート!”. FANY Magazine. 吉本興業株式会社 (2022年4月28日). 2023年4月20日閲覧。
  21. ^ 『天然色日記』p.56 - 61
  22. ^ さんまの元妻役に吉田羊 『心はロンリー 気持ちは「…」FINAL』新キャスト一挙解禁、五輪金メダリスト・松本薫の出演も”. ORICON NEWS. oricon ME (2024年4月5日). 2024年4月5日閲覧。
  23. ^ 「今月の広告批評」『広告批評』第144号、マドラ出版、1991年11月1日、91頁、NDLJP:1853110/47 
  24. ^ ジミー大西 - オリコンCM出演情報
  25. ^ 和久井映見=ジミー大西? 月9ドラマ『ピュア』の意外な創作秘話 90sチョベリー 2016年10月21日、2019年12月25日閲覧

外部リンク

編集