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宮川電気株式会社(みやがわでんきかぶしきがいしゃ)は、明治後期に存在した日本の電力会社である。中部電力管内にかつて存在した事業者の一つ。明治末期から大正にかけては伊勢電気鉄道株式会社(いせでんきてつどう)と称し、電気供給事業と電気軌道事業を兼営した。

伊勢電気鉄道株式会社
(旧・宮川電気株式会社)
Iseden (miyagawa) logomark.svg
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
三重県宇治山田市岩渕町
設立 1896年10月18日
業種 鉄道電気
事業内容 電気軌道事業、電気供給事業、乗合自動車事業
代表者 会長 太田光熈、専務 秋田喜助
資本金 400万円
(うち払込205万円)
発行済株式総数 旧株2万8,000株(額面50円全額払込済)
新株5万2,000株(額面50円、12円50銭払込)
収入 31万9千円
支出 16万6千円
純利益 15万3千円
配当率 年率14.0%
総資産 542万3千円
決算期 3月末・9月末(年2回)

1896年(明治29年)設立。三重県宇治山田市(現・伊勢市)の電力会社として開業し、1903年(明治36年)に市内と郊外を結ぶ電気軌道(後の三重交通神都線)を敷設、翌年宮川電気から伊勢電気鉄道へと商号を改めた。その後市外にも供給区域を広げるが、1922年(大正11年)に三重県下の電気事業統合に伴って三重合同電気(後の合同電気)に統合された。

なお、同じく三重県内にて鉄道事業を経営した伊勢鉄道(1911年設立)が1926年から1936年まで「伊勢電気鉄道」(伊勢電)を称したが、同社との繋がりはない。

沿革編集

明治期編集

東海地方最初の電気事業者である名古屋電灯会社が開業した1889年(明治22年)、三重県度会郡宇治山田町(1906年市制施行し宇治山田市となる、現・伊勢市)においても電灯会社の企画が浮上する[2]。その後1895年(明治28年)5月になって地元の太田小三郎・秋田喜助らによってこの計画は具体化されるとともに、並行して大阪岡橋治助片岡直温・平川靖らによる計画も動き始めた[2]。同年秋より地元グループ・大阪グループ間の調整が行われ、翌1896年(明治29年)4月に事業許可の出願が行われた[2]

事業許可の申請は、宮川での水力発電と電気供給事業、町内の山田地区から郊外の二見を結ぶ電気軌道(電車)事業の3つからなっていたが、実際に許可を取得したのは供給事業のみであった[2]。このため電源を火力発電に転換し資本金を計画の25万円から6万5,000円に圧縮した[2]。1896年10月18日、創立総会が開催されて「宮川電気株式会社」は発足[2]。役員は地元グループと大阪グループのバランスをとって選出され、初代社長には大阪から平川靖、専務には地元から秋田喜助が選ばれた[2]

設立翌年の1897年(明治30年)6月、宮川電気は宇治山田町内の岩渕町に50キロワット発電機1台からなる火力発電所を設置し、事業を開始した[2]。三重県下では津市津電灯に続いて2番目の電気事業者である[3]。発電所は開業翌年に早速増設され、50キロワット発電機2台の体制となっている[4]1899年(明治32年)11月には、設立時から取締役であった地元の太田小三郎が社長に就任した[5]

開業から間もない1897年9月、山田から二見へ至る電気軌道敷設の許可を得た[6]。5年後の1902年(明治35年)12月より敷設工事に着手し、まず1903年(明治36年)8月に岩渕町・二見間で運転を始めた[6]。軌道事業の電源には、岩渕の発電所に増設された専用の発電機が充てられた[3]。翌1904年(明治37年)2月、社名を宮川電気から「伊勢電気鉄道株式会社」へ変更[2]。次いで1905年(明治38年)8月岩渕町から山田駅前(現・伊勢市駅前)まで延伸し、翌年10月に猿田彦神社前に達するなど以降も路線網を順次拡大していく[6]。路線網の拡大につれて会社の資本金も膨張し、数度の増資の後1907年(明治40年)以降は140万円となった[2]。同年1月、岩渕町の電車車庫に隣接して電車用の第二発電所が竣工した[4]

大正期編集

 
1918年から社長を務めた太田光熈

路線網拡大の一方電気供給事業も拡大し、明治末期以降宇治山田市周辺の町村を供給区域に順次編入するとともに[7]、需要の拡大に対応して第二発電所に供給用の300キロワット発電機1台を増設した[6]。特に大正に入ってからは電灯の普及が急速に進んだ[7]。経営面では1916年に太田小三郎が死去し代わって大阪の実業家梅原亀七が社長に就任、次いで1918年(大正7年)4月に梅原に代わって小三郎の養子太田光熈が社長(のち会長)となり、梅原から株式を買収した川北電気企業社川北栄夫も取締役に加わった[5]

軌道は1914年(大正3年)11月に内宮前まで延伸された[6]。しかし明治末期から宇治山田市内では伊勢神宮の参拝客輸送を目的に乗合自動車(路線バス)が出現し、伊勢電気鉄道の電車との間で乗客の争奪戦が生じていた[8]。この中で伊勢電気鉄道は乗合自動車事業への参入を表明[8]。これを受けて参宮自動車株式会社(1911年開業)が競合回避のため事業譲渡に踏み切ったため、1918年(大正7年)に自動車事業への進出を果たした[8]

1921年(大正10年)、電気事業の再編が実施され、伊勢電気鉄道は4月に浜島電気株式会社から事業を譲り受けて南勢地方南部へと進出した[9]。同社は志摩郡浜島町(現・志摩市)の漁業組合関係者により設立され、1915年(大正4年)7月より浜島町大字浜島、翌年より同町大字南張および度会郡宿田曽村(現・南伊勢町)にてそれぞれ供給を開始していた[9]。次いで事業再編は三重県下の主要事業者の統合へと進展し、11月に伊勢電気鉄道自身が津電灯松阪電気と合併することが決定する[10]。そして翌1922年(大正11年)5月1日、3社の新設合併による新会社・三重合同電気株式会社(後の合同電気)が発足し、伊勢電気鉄道の事業は同社へと引き継がれた[10]

三重合同電気設立決定直後の1921年12月、伊勢電気鉄道が櫛田川上流、飯南郡宮前村(現・松阪市)にて建設していた水力発電所宮前発電所が竣工し、翌1922年2月より出力832キロワットで運転を開始した[11]。また合併前の1920年(大正9年)に資本金を140万円から400万円としていた[1]

供給区域編集

 
三重県下の主要電気事業者供給区域図(1921年)。画像中央部右側、青緑色の部分が伊勢電気鉄道の供給区域

1921年6月時点での伊勢電気鉄道の電灯・電力供給区域は以下の通り[12]

上記地域を供給区域として、1921年度末時点では、電灯については需要家1万4,618戸に対し計3万6,627灯を供給、電力については計266.7キロワット(うち電動機用電力は231.7キロワット)を供給していた[13]。なお、これらの地域は1951年(昭和26年)に発足した中部電力の供給区域にすべて含まれている[14]

主な発電所編集

宮前発電所編集

宮前発電所は、松阪市飯高町野々口(旧・飯南郡宮前村大字野々口)に建設された水力発電所である[11]。伊勢電気鉄道によって建設され、1921年(大正10年)12月に完成、翌1922年(大正11年)2月より発電を開始した[11]

櫛田川に堰堤を築き、毎秒3.896立方メートルを取水、川の右岸に沿った約2.7キロメートルの水路によって28.6メートルの有効落差を得て発電した[11]。出力は832キロワットで、日立製作所製のフロンタル型フランシス水車および発電機各1台を備える[11]

伊勢電気鉄道から合同電気、東邦電力中部配電を経て1951年以降は中部電力の所属となっている[15]

関連項目編集

脚注編集

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  1. ^ a b 浜野栄一(編)『株式年鑑』大正11年度、野村商店調査部、1922年、386-387頁。NDLJP:975424/251
  2. ^ a b c d e f g h i j 伊勢市(編)『伊勢市史』第4巻近代編、伊勢市、2012年、387-388頁
  3. ^ a b 浅野伸一「戦前三重県の火力発電事業」『シンポジウム中部の電力のあゆみ』第10回講演報告資料集 三重の電気事業史とその遺産、中部産業遺産研究会、2002年、121-122頁
  4. ^ a b 黒川静夫 『あかりと動力 三重の電気史』、健友館、2002年、214-215頁、ISBN 978-4773707137
  5. ^ a b 『電鉄生活三十年』、太田光熈、1938年、202-205頁
  6. ^ a b c d e 『伊勢市史』第4巻近代編、411-412頁
  7. ^ a b 『伊勢市史』第4巻近代編、697-698頁
  8. ^ a b c 『伊勢市史』第4巻近代編、726-727頁
  9. ^ a b 浜島町史編さん委員会(編)『浜島町史』、浜島町教育委員会、1989年、141頁
  10. ^ a b 東邦電力史編纂委員会(編) 『東邦電力史』 東邦電力史刊行会、1962年、239-241頁
  11. ^ a b c d e 黒川静夫『三重の水力発電』、三重県良書出版会、1997年、61-63頁
  12. ^ 逓信省電気局(編)『電気事業要覧』第13回、逓信協会、1922年、72-73頁、NDLJP:975006/66
  13. ^ 逓信省電気局(編)『電気事業要覧』第14回、電気協会、1922年、334-335・362-363頁、NDLJP:975007/194
  14. ^ 三重県は南牟婁郡の一部以外中部電力の供給区域である。中部電力電気事業史編纂委員会(編)『中部地方電気事業史』下巻、中部電力、1995年、4-5頁
  15. ^ 『中部地方電気事業史』下巻、333-334・347-348頁