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浜島町浜島(はまじまちょうはまじま)は三重県志摩市地名郵便番号は517-0404。2013年5月31日現在の住民基本台帳に基づく人口3,625人[1])、1989年現在の面積は3.745km2[2]地形にちなんだ地名であると考えられている[3]

浜島町浜島
浜島(1975年) (国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成)
浜島(1975年)
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成)
浜島町浜島の位置
浜島町浜島の位置
浜島町浜島の位置(三重県内)
浜島町浜島
浜島町浜島
浜島町浜島の位置
北緯34度17分50秒 東経136度45分8秒 / 北緯34.29722度 東経136.75222度 / 34.29722; 136.75222
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Mie Prefecture.svg三重県
Flag of Shima, Mie.svg志摩市
面積
 • 合計 3.745km2
人口
 • 合計 3,625人
 • 密度 970/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
517-0404
市外局番 0599
ナンバープレート 三重
伊勢えび大王像
宮山一号古墳

浜島町の人口の4分の3が集中する[4][注 1]中心的な集落で、伊勢えびの漁獲と遠洋漁業が盛んな地区である。

目次

地理編集

志摩市の西部、志摩市街地・阿児町鵜方から見て南西方角に位置する。地形的には海岸の低地と標高の低い丘陵からなる[3]。東側と南側が英虞湾に面し、南東部は同湾に突き出す形をしている。浜島町塩屋飛び地)、西浜島町南張(なんばり)と接する。大崎半島西部に飛び地があり、浜島町迫子(はざこ)と接する。

小・中学校の学区編集

公立中学校に通学する場合、浜島町浜島全域が浜島小学校・浜島中学校に通学する[5] 。浜島小学校は浜島町浜島にある[5]

歴史編集

近世まで編集

小字目戸山(めどやま)で古墳時代後期のものと見られる15基の円墳が見つかっており、1937年(昭和12年)7月2日に「浜島古墳」として三重県指定史跡となっている[6]。全長7.2m石室メノウ須恵器・3口のなどが出土している。ほかにも小字宮山の「宮山古墳群」や貝塚が発見されており[6]、太古の時代から人が住んでいた のは確かである。

「浜島」という地名が見られるのは古代の『郷村旧神楽歌』中の「御座浜島の三宮神」[6]永禄8年の伊勢国大湊の入港記録である『船々聚銭帳』に浜島から1艘の船が入港した[3]、と記載されていたくらいで、浜島町の地区に比べて少ない。応永年間(1394年1428年)にやって来た土豪の小野田氏(浜島氏とも)は浜島城をこの地に構えた。浜島城は本丸だけでなく、二の丸・三の丸まで備えた壮大なもの[7]で、一部土塁を残している[8]戦国時代には小野田筑後が治めていたが、九鬼嘉隆の浜島攻めに遭い降伏、その後は家老として九鬼家に仕え、文禄の役で奮闘したと伝えられる[7]

江戸時代には鳥羽藩鵜方組(志摩国英虞郡)に属した。この頃浜島港は「志州四箇津」の1つに数えられ、志摩国内で鳥羽港に次ぐ千石船の寄港地として発達した[3]江戸上方を行き来する船乗り相手の妓楼[8]や「はしりかね」[7][注 2]と呼ばれる遊女も現れた。当時の浜島村は里と大矢の2つの集落に分かれていた[3]

幕末にはアメリカイギリスなどの異国船の入港・漂着が相次いだが不当な要求のない穏当なものだった。しかし鳥羽藩はこれに危機感を抱き、浜島に台場を2箇所設置した[7]

近代編集

1899年(明治22年)、町村制施行に伴い近隣5箇村をもって浜島村(はまじまむら)が発足した。村名は浜島地区から取ったもので、村役場も当地区におかれた。1897年(明治30年)1月に浜島の住民の初寄合が開かれ、小字岩崎の埋め立てを決定し、3haの埋立地が翌1898年(明治31年)11月に完成した[9]。この土地には1899年(明治32年)に誘致された三重県水産試験場の初代庁舎が建設された[9]。同試験場では、水産業・水産加工業・遠洋漁業の研究・指導が行われた[7]。この施設は「三重県水産研究所」として現存する。

1903年(明治36年)、浜島漁業協同組合が発足する[10]。浜島漁協は、公式には漁業組合準則に基づいた経済組織であったが、実際には旧来からのヂゲ(地下)と呼ばれる浜島地区の統治機関(村落共同体)から成立したものであり、組合員の資格を得るためには漁業を行っていることではなく、浜島の元からの住民(土着民)であることが求められた[11]。また、浜島区長は浜島漁業協同組合長を兼務していた[12]。このため、漁業権は組合が管理すべきものであったにも関わらず、従来通り元からの住民の共同所有・共同利用の形をとった[13]

同じく1903年に真円真珠の養殖に成功した御木本幸吉は、英虞湾における真珠養殖事業の独占を図って湾内の地先海面の賃貸契約を締結し、区画漁業権の取得を開始した[14]。これにより漁業が盛んではなかった神明村立神村では地先海面をほとんど失い、後に区画漁業権取得闘争を展開することになる[15]。一方で漁業を生業とする浜島は、御木本に賃貸した地先海面はわずかで、御木本からの寄付に満足していたため、争いを起こさなかった[15]。真珠養殖が湾内で盛んになると浜島漁協では真珠貝の養殖を始め、その収入は1916年(大正5年)に全漁獲金額の5分の1にあたる7,000円に達し、御木本から1,000円の契約手付金収入も得た[16]。そして同年、浜島真珠組合が設立され、真珠貝の採取・販売と組合員への利益分配を担った[13]

1919年(大正8年)、浜島村は志摩郡内では鳥羽町(現鳥羽市)に次いで2番目に町制を施行、浜島は町の中心として賑わった。

現代編集

 
旧・志摩市役所浜島支所(元・浜島町役場)
 
浜島本町通り商店街

浜島における本格的な養殖事業は戦後の新漁業法制定(1949年〔昭和24年〕)以降に始まった[17]。真珠組合の組合員の配当金1951年(昭和26年)に最高額45,000円を記録するが、徐々に減少し1962年(昭和37年)には0円となった[18]。各戸配当に代わって、浜島小学校や簡易水道の建設費、ヂゲや組合の運営費として寄付に回すようになったのである[19]

平地の少ない浜島では、戦後に積極的な土地造成が進められた。最初に行われたのは、1959年(昭和34年)から1962年(昭和37年)にかけて実施された、目戸山の耕地整理である[20]。これにより、山林や田畑の広がっていた目戸山には、浜島小学校・浜島郵便局・浜島町商工会などが移転、少し遅れて住宅や宿泊施設も進出し、浜島の新しい中心街となった[20]。また旧来からの中心地である浜島本町通りの商店街は昭和30年(1955年)代から遠洋漁業と観光業の隆盛により賑わった[21]。観光地としても、先述した目戸山のほか出湯の開発が行われ、旅館飲食店が並ぶ歓楽街が形成された[22]

「宮シ作りの丘」には1970年(昭和45年)から1971年(昭和46年)にかけて330区画の宅地が造成され、汐見成(しおみなり)となった[23][注 3]。浜島港でも「臨海土地造成事業」が実施され、1979年(昭和54年)に完工、現在この地には三重県水産研究所・三重県栽培漁業センター・志摩市浜島磯体験施設「海ほおずき」などが建設されている[23]。更に1986年(昭和61年)から1999年(平成11年)にかけて浜島港の拡張と観光化も行われ[24]、港の入り口にある大矢取島が突堤で本土とつながった。

このような発展を遂げてきた浜島ではあるが、昭和50年(1975年)代より遠洋漁業に陰りが見え始め、バブル崩壊で観光業の発達も終わった[21]。これに伴い人口が流出、少子高齢化も重なって浜島は衰退した[21]2001年(平成13年)度に第4次浜島町総合計画を受け、地元有志らが「街づくり推進委員会」を結成、現在は発展的に解消して2004年(平成16年)5月に設立された「まちづくり浜島協同組合」が中心となってまちづくりに取り組んでいる[21]2014年(平成26年)の第2回大会から、大矢浜海水浴場を主会場に伊勢志摩・里海トライアスロン大会が開催されるようになった[25]

沿革編集

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により英虞郡浜島村成立。浜島村大字浜島となる。
  • 1896年(明治29年)3月29日 - 答志郡と英虞郡が合併したことにより、志摩郡浜島村大字浜島となる。
  • 1919年(大正8年)10月1日 - 浜島村が町制を施行し、志摩郡浜島町大字浜島となる。
  • 2004年(平成16年)10月1日 - 平成の大合併により、志摩市浜島町浜島となる。(「大字」表記がなくなる。)

地名の由来編集

3つの説がある。

  1. 「飯米島」の転訛による。古書に記載があるものの、信憑性に乏しい[26]
  2. この地を治めた「浜島豊後」にちなむ。古書に記載があるものの、浜島氏が治めていた時代には2つの集落に分かれていたことから疑わしい[26]
  3. 浜辺にあり、島のように見えたことから名付けられた。最も有力な説である[26]

人口の変遷編集

総数 [戸数または世帯数:   、人口:   ]

1747年延享3年)[3]       193戸
        924人
1908年(明治41年)[3]         480戸
        2,724人
1980年(昭和55年)[22]     1,515世帯
         5,610人

浜島港編集

 
浜島港

浜島港(はまじまこう)は三重県志摩市浜島町浜島にある地方港湾。三重県内唯一の避難港で、1952年(昭和27年)9月1日に指定された[24]

港湾の区域は、本土と矢取島を結ぶ突堤の本土側の端を中心とする600haの円内である[24]

浜島港及び賢島港の2港一帯は2017年(平成29年)6月にみなとオアシスに登録していて、海ほおずきを代表施設とするみなとオアシス志摩として交流・観光拠点ともなっている。

港湾統計編集

入港船隻数・貨物量[24]
統計年次 入港船隻数〔隻〕 移入貨物量〔t〕 移出貨物量〔t〕
2002年(平成14年) 7,449 1,380 4,527
2004年(平成16年) 7,071 882 3,953
2005年(平成17年) 2,347 883 3,249
2007年(平成19年) 2,156 718 3,278
取引品目(2007年[24]
移入(計718t) : 1.水産品(467t), 2.石油製品(251t)
移出(計3,278t) : 1.(2,178t), 2.石油製品(1,000t), 3.重油(100t)

浜島と伊勢えび編集

旧浜島町は「伊勢えびの町」を宣言し、伊勢えび祭が開かれているが、浜島港の伊勢えび漁獲量は年間4t2000年〔平成12年〕度)である。この数値は三重県内の港湾別統計によると第9位で、決して大きくはない。なお、県内第1位は同じ志摩市内の和具である[27]

それにも関わらず伊勢えびの町を名乗っている背景には、浜島にある水産研究所で1988年(昭和63年)に世界初の伊勢えびの人工孵化に成功したからである[28]国道260号沿いには「伊勢えび大王像」が立てられ[29]、伊勢えびの稚魚(稚エビ)が跳び跳ねる様子を踊りにした「じゃこっぺ踊り」[注 4][30]が創作されるなど、伊勢えびを利用したまちづくりが展開されている。

研究所編集

遠洋漁業編集

浜島港は遠洋漁業の基地としても機能する。1932年(昭和7年)に三重県水産試験場が無線塔を設置したのを皮切りに給油・冷凍施設などの施設整備が整ったことから、大型漁船も来港するようになった[24]

また、同試験場は遠洋漁業の技術面でもサポートしている。浜島の漁獲魚種はカツオで、これまで釣竿の改良や動力船・大型船をいち早く導入するなどして、地元の水産業を牽引してきた。近年ではカタクチイワシを使ったの研究や気象衛星NOAAによる漁場分析を行っている[33]。高木(2009)が漁業センサスを用いて分析したところ、志摩市内の漁業の中心は従来、浜島と和具の2本柱であった[34]。しかしながら浜島では、漁業経営体数の著しい減少、大規模な遠洋漁業船の消滅などによりもはや中心とは言えず、和具1本に集約されたと高木(2009)は述べている[35]

観光編集

年間70万人が訪れる[24]浜島は水産業と共に観光業も重要である。多数の観光資源があるので、ここでは主要なものについて扱う。

浜島温泉郷
1985年(昭和60年)に開湯した1号泉の浜島温泉1997年(平成9年)に開湯した2号泉の新浜島温泉[36]の総称。数軒の温泉宿があり、英虞湾を眺めながら入浴できる[37]
浜島海浜公園
浜島の南に広がる海水浴場の連なる公園。大矢浜が著名。伊勢えび祭や伊勢志摩・里海トライアスロン大会の会場になる[38]
えびすが丘
志摩市浜島生涯学習センターの近くにある、宇気比神社所管の恵比寿神社境内の丘。太平洋が一望できる。「鼻かけえびす像」があり、毎年1月20日に初笑い神事が行われる[39]。境内には宮山古墳群もある。
磯笛岬・磯笛峠
西隣の浜島町南張との境界にある、及び。岬には悲恋の物語が残されており、鳴らすと出世と幸運が訪れるというツバスの鐘が設置されている[40]。峠には現在、トンネルが造られている。
志摩市浜島磯体験施設「海ほおずき」
干潮時のを再現した志摩市営の観光施設。浜島港に隣接する。

交通編集

浜島は港町であり、陸上交通とともに海上交通も重要である。

陸上編集

鉄道は通っていない。道路に関しては中心街の幅員が狭いため、バイパス道路が建設中である。

路線バス
三重交通志摩営業所管内(中心となるバス停は「浜島」)
道路
 
びん玉ロード
  • 国道260号:浜島地区での通称は「夢海道」。堤防の壁面にチップアートや魚のペンキ画が施されている[41]日本の道百選に選定されている[42]
  • 三重県道17号浜島阿児線:浜島から志摩市街へ連絡する主要地方道。基本的に2車線だが浜島中心街では1車線になる。このため「浜島バイパス」が中心を迂回する形で建設中。
  • 志摩市道1号線:通称は浜島本町通り[43]。浜島中心街を通るメインストリート。商店街になっており、個人経営の商店が連なる。
  • びん玉ロード:地元の若手有志で結成されたWITH AIBE(ウィズ・アイベ)が目戸海岸沿いに整備した歩道。「夢海道」の一部。夕方、「びん玉」というガラス製のブイにキャンドルが灯され、恋人の聖地になりつつある[44]

海上編集

浜島基地(浜島港)と浜島第二旅客桟橋から、志摩マリンレジャーにより、以下の定期船が就航する。

  • 浜島 - 御座 - 賢島
    • 所要時間:浜島基地 - 御座10分、浜島基地 - 賢島35分(御座経由)[45]
    • 浜島 - 御座間は国道260号の海上区間に指定されているが自動車を積み込むことはできない。このため、同区間に架橋(英虞湾架橋)を目指す運動がある[46]

施設編集

 
志摩市浜島生涯学習センター(志摩市役所浜島支所併設)

観光の節に記載された施設は割愛する。

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 平成17年度国勢調査結果による。浜島町の人口は5,406人で、浜島町浜島の人口は4,060人であるから、75.1%となる。
  2. ^ 漢字では「針師兼」と書く。彼女らが船乗りの衣服のほころびを繕ったことに由来するという。
  3. ^ 元は浜島町塩屋の一部であったが、宅地造成後に浜島町浜島へ編入された。
  4. ^ じゃこっぺとは伊勢えびの稚エビを意味する方言

出典編集

  1. ^ 志摩市役所"行政区別人口・世帯数一覧表"平成25年5月31日(2013年8月12日閲覧。)
  2. ^ 浜島町史編さん委員会(1989):3ページ
  3. ^ a b c d e f g 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(1983):884ページ
  4. ^ 志摩市役所都市計画課『志摩市都市計画マスタープラン(4)地域別構想編 第2章浜島地域 (PDF) 、平成21年3月(2010年2月6日閲覧)
  5. ^ a b 志摩市教育委員会"学校通学区・区域外就学 志摩市"(2013年8月12日閲覧。)
  6. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(1983):1427ページ
  7. ^ a b c d e f 「角川日本地名大辞典」編纂委員会(1983):1428ページ
  8. ^ a b 平凡社(1983):697ページ
  9. ^ a b 志摩市小学校社会科副読本編集委員会 編(2009):149ページ
  10. ^ 牧野(1996):71ページ
  11. ^ 牧野(1996):71 - 73ページ
  12. ^ 牧野(1996):72ページ
  13. ^ a b 牧野(1996):73ページ
  14. ^ 牧野(1996):68 - 69ページ
  15. ^ a b 牧野(1996):69ページ
  16. ^ 牧野(1996): 70ページ
  17. ^ 牧野(1996):69 - 70ページ
  18. ^ 牧野(1996):73 - 74ページ
  19. ^ 牧野(1996):75ページ
  20. ^ a b 志摩市小学校社会科副読本編集委員会 編(2009):150 - 151ページ
  21. ^ a b c d 三重県志摩市(2008)
  22. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会、1983、1429ページ
  23. ^ a b 志摩市小学校社会科副読本編集委員会 編(2009):151ページ
  24. ^ a b c d e f g 三重県県土整備部港湾・海岸室『浜島港』(2010年2月9日閲覧)
  25. ^ 「伊勢志摩・里海トライアスロン」規模を拡大し海浜コースに―576人が参加”. 伊勢志摩経済新聞 (2014年7月7日). 2016年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月14日閲覧。
  26. ^ a b c 浜島町史編さん委員会(1989):23ページ
  27. ^ 和具漁協青壮年部『三重県地域別主要漁区 伊勢エビ漁獲量』(2010年2月9日閲覧)
  28. ^ 伊勢えび祭保存会『■伊勢えび祭の由来と歴史■』(2010年2月9日閲覧)
  29. ^ 三重県観光連盟『伊勢えび大王像の観光施設・周辺情報|観光三重』(2010年2月9日閲覧)
  30. ^ 伊勢えび祭保存会『■じゃこっぺ踊りレッスン■』(2010年2月9日閲覧。)
  31. ^ 三重県水産研究所『三重県水産研究所/三重県栽培漁業センターできる』(2010年2月10日閲覧)
  32. ^ 三重県栽培漁業センター『沿革』2008年5月23日更新(2010年2月10日閲覧)
  33. ^ 三重県水産研究所『カツオ漁業に関する研究』平成12年1月(2010年2月11日閲覧)
  34. ^ 高木(2009):52 - 53ページ
  35. ^ 高木(2009):53ページ
  36. ^ 温泉ナビドットネット『温泉の歴史 - 新浜島温泉 - 温泉ナビ』2009年1月31日(2010年2月6日閲覧)
  37. ^ ヤフージャパン『浜島温泉郷 - 観光・温泉情報 - Yahoo!トラベル』(2010年2月6日閲覧)
  38. ^ 「伊勢志摩サミット」開催の志摩市でトライアスロン 590人汗流す”. 伊勢志摩経済新聞 (2015年7月6日). 2016年7月14日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月14日閲覧。
  39. ^ 伊勢志摩きらり千選実行グループ『初恵比寿の大笑い行事
  40. ^ 三重県観光連盟『磯笛岬展望台の観光施設・周辺情報|観光三重』2004年10月6日更新(2010年2月11日閲覧)
  41. ^ 横山ビジターセンター『40.浜島・夢海道 (PDF) 』(2010年2月11日閲覧)
  42. ^ 三重県観光連盟『選ばれし三重|建築物(道・建築物):観光三重』(2010年2月1日閲覧)
  43. ^ 志摩市建設部都市計画課(2013):11ページ
  44. ^ ハウジングアンドコミュニティ財団『11浜島町まちづくりグループWITH AIBE (PDF) 』第13回 住まいとコミュニティづくり活動助成報告書
  45. ^ 志摩マリンレジャー『時刻・料金』(2010年2月11日閲覧)
  46. ^ 英虞湾架橋建設促進協議会『英虞湾架橋建設促進協議会』(2010年2月11日閲覧)

参考文献編集

  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会『角川日本地名大辞典 24三重県』角川書店、昭和58年6月8日、1643pp.
  • 志摩市建設部都市計画課『志摩市景観計画概要版』志摩市建設部都市計画課、平成25年4月1日、11p.
  • 志摩市小学校社会科副読本編集委員会 編『わたしたちの志摩市』志摩市教育委員会、平成21年4月、156pp.
  • 高木秀和(2009)"三重県志摩半島における漁村の分析と地域類型"2009年人文地理学会研究発表要旨(人文地理学会).52-53.
  • 浜島町史編さん委員会『浜島町史』浜島町教育委員会、平成元年10月1日
  • 『三重県の地名』日本歴史地名大系24, 平凡社、1983年5月20日、1081pp.
  • 牧野由朗『志摩漁村の構造』愛知大学綜合郷土研究所 編、愛知大学綜合郷土研究所研究叢書10、名著出版、1996年3月25日、336pp. ISBN 4-626-01538-7
  • 三重県志摩市『都市再生整備計画(第4回変更) 浜島地区 (PDF) 』平成20年3月

関連項目編集

外部リンク編集