岡沢精

日本の陸軍軍人、華族

岡沢 精(おかざわ くわし、弘化元年7月7日1844年8月20日) - 1908年(明治41年)12月12日)は、日本の武士長州藩士)、陸軍軍人華族陸軍大将正二位勲一等功二級子爵

岡沢 精
生誕 1844年8月20日
山口県
死没 (1908-12-12) 1908年12月12日(64歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1870 - 1908
最終階級 陸軍大将
指揮 侍従武官長
歩兵第8旅団長
戦闘 西南戦争
日清戦争
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経歴

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長州藩士岡沢甚内の子として江戸長州藩邸に生まれる。大村益次郎の塾に学んだ後は尊皇攘夷運動に携わる。南国隊を組織し戊辰戦争に従軍した。

維新後は陸軍に進み、1870年(明治3年)10月に大坂第2教導隊に入営。1871年(明治4年)2月に四等軍曹、4月に御親兵大隊長、6月3日には陸軍准中尉となり、さらに同年中には中尉大尉少佐と昇任した。御親兵5番大隊長を経、1873年(明治6年)2月に近衛歩兵第1連隊大隊長、西南戦争では別働第1旅団参謀長として出征。1878年(明治11年)12月に東京鎮台参謀長兼衛戍司令官1880年(明治13年)4月、陸軍大佐に昇進。その後、西部監軍部参謀、近衛参謀長、兼参謀本部管西局長を歴任。1885年(明治18年)5月、陸軍少将に進み歩兵第8旅団長となり、陸軍次官軍務局長に就任。

一時休職するも、1892年(明治25年)11月に将校学校監、翌1893年(明治26年)11月に監軍部参謀長。日清戦争では大本営軍事内局長兼侍従武官1895年(明治28年)1月に陸軍中将に進級し、同年8月、男爵を授けられた後、1896年(明治29年)4月、侍従武官長に就任。1904年(明治37年)6月に陸軍大将・議定官1906年(明治39年)に功二級金鵄勲章受章、1907年(明治40年)9月、子爵に陞爵、1908年(明治41年)には勲一等旭日桐花大綬章

1908年12月に病没する。墓所は東京都港区南青山青山霊園[1]

人物
  • 明治天皇の岡沢に対する信頼は厚かったとされる。

栄典

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位階
勲章等
外国勲章佩用允許

家族

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脚註

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  1. ^ 岡沢精[青山霊園のに眠る偉人・著名人|霊園・墓地検索サイト『ハナミズキ』]”. www.hanami-zuki.com. 2024年12月9日閲覧。
  2. ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
  3. ^ 『官報』第2584号「叙任及辞令」1892年2月15日。
  4. ^ 『官報』第4242号「叙任及辞令」1897年8月21日。
  5. ^ 『官報』第5767号「叙任及辞令」1902年9月22日。
  6. ^ 『官報』第7288号「叙任及辞令」1907年10月12日。
  7. ^ 『官報』第7642号「叙任及辞令」1908年12月15日。
  8. ^ 『官報』第1173号「叙任及辞令」1887年5月30日。
  9. ^ 『官報』第1929号「叙任及辞令」1889年12月2日。
  10. ^ 『官報』第3644号「叙任及辞令」1895年8月21日。
  11. ^ 『官報』第3824号・付録「辞令」1896年4月1日。
  12. ^ 『官報』第5948号「叙任及辞令」1903年5月4日。
  13. ^ 『官報』第5827号「叙任及辞令」1902年12月4日。
  14. ^ 『官報』号外「叙任及辞令」1907年1月28日。
  15. ^ 『官報』第7272号「授爵敍任及辞令」1907年9月23日。
  16. ^ 『官報』第7641号「叙任及辞令」1908年12月14日。
  17. ^ 『官報』第4810号「敍任及辞令」1899年7月14日
  18. ^ 『官報』第6594号「叙任及辞令」1905年6月24日。
  19. ^ 『人事興信録』 第13版(昭和16年) 上 池田友五郎の項

参考文献

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  • 岡沢祐吉『明治天皇の初代侍従武官長 - 事君十余年、脛骨為に曲がる』新人物往来社、1999年。
日本の爵位
先代
陞爵
子爵
岡沢(精)家初代
1907年 - 1908年
次代
岡沢精一
先代
叙爵
男爵
岡沢(精)家初代
1895年 - 1907年
次代
陞爵