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登石 雋一(といし しゅんいち、1932年 - 2012年9月11日)は、日本の映画プロデューサー映画会社経営者である[1][2][3][4][5][6][7][8][9]東映東京撮影所進行主任、企画者を務めた後、東映人事部長、次いで取締役企画製作部長・経営企画室長、東映動画(現在の東映アニメーション)代表取締役社長、東映化学工業(現在の東映ラボ・テック)代表取締役社長を歴任した[1][2][10]。本業の傍ら、劇映画演劇への俳優としての出演作もあり[7][11][12][13][14][15][16][17][18][19][20][21][22][23]十石 峻(といし しゅん)の別名ももつ[15][16][17][18][19]

といし しゅんいち
登石 雋一
本名
別名義 十石 峻 (といし しゅん)
生年月日 1932年
没年月日 2012年9月11日
出生地 日本の旗 日本 東京府
死没地 日本の旗 日本 東京都江東区
職業 映画プロデューサー映画会社経営者
ジャンル 劇場用映画現代劇アニメーション映画)、テレビ映画テレビアニメーション
活動期間 1955年 - 2001年
配偶者 登石敦子
所属劇団 東大演劇同窓会
事務所 東映
東映動画
東映化学工業
主な作品
暴力街』(1963年)
東京ギャング対香港ギャング』(1964年)

目次

人物・来歴編集

1932年(昭和7年)、東京府(現在の東京都)に生まれる[1][2]

第二次世界大戦後、1951年(昭和26年)4月、東京大学法学部に進学[1]、在学中は「東大演劇研究会」に参加して演劇活動に取り組み、同期には梶谷典子成島庸夫田村孟三善晃渡辺守章らがいた[11][24]。1955年(昭和30年)3月、同大を卒業、同年4月、定期採用第4期生として東映に入社した[1]。本社文書課を経て撮影所製作課に異動、進行を務め、進行主任となってからの作品として、1960年(昭和35年)11月8日公開の『大いなる驀進』(監督関川秀雄)、1962年(昭和37年)3月21日公開の『恋と太陽とギャング』(監督石井輝男)が記録に残る[5]。同年には企画部に異動になり、同年8月29日に公開された『東京丸の内』(監督小西通雄)では、上司の渡辺洋一に次いで企画者としてクレジットされた[6][7][8][9]。1963年(昭和38年)6月14日に公開された『警視庁物語 全国縦断捜査』(監督飯塚増一)以降、同シリーズの最終作『警視庁物語 行方不明』(監督小西通雄、1964年12月5日公開)までの3作を、同作を立ち上げた上司の斉藤安代(1927年 - 2005年)とともに企画した[6][7][8][9]。1964年(昭和39年)いっぱいで企画・製作の現場を離れた[4][5][6][7][8][9]

累積赤字を3億円を出していた東映動画(現在の東映アニメーション)には、1971年(昭和46年)8月に東映社長に就任した岡田茂も手を焼き[25]、責任者として行くことを皆嫌がったが[25][26]、岡田に言い含められ[25][26]、翌1972年(昭和47年)6月東映動画の代表取締役社長に就任(兼任)、岡田から強硬なリストラを命ぜられる[25][26][27][28]。登石はこのとき岡田に「東映からの出向では心にスキができます。東映を辞めて動画に行かせて下さい」と訴え[25][28]、岡田から評価を上げた[25][28]。岡田と登石は製作数を減らし、さらに従業員320名の半分の希望退職を募集[27]労組は激しく反発し、両者の間で団交が繰り返されたが、希望退職の募集を何度も延期し、のちロックアウトを敢行し5ヶ月間に約120名が退職、東映動画は存続した[27][29][30][31]。岡田、登石と1974年8月、後任として岡田から東映動画社長に抜擢された今田智憲の尽力により[26][31][32]、1970年代始めに3億円あった東映動画の累積赤字は一掃され、1981年(昭和56年)に東映動画は売上げ70億円、利益2億円を出すまで回復した[26][31][33]。1973年(昭和48年)3月17日公開の『パンダの大冒険』(監督芹川有吾)等を製作[6][7][8][9]

東映動画を整理した実績から以降岡田に引き立てられ[34]、1974年(昭和49年)に東映動画から東映本社の取締役企画製作部長・経営企画室長に出世[1][28][35][34]、重役になり製作の登石、営業の鈴木常承のコンビで岡田の懐刀の一人になった[25][28][34][36]。しかし動画の整理と合わせ[37]、制作の最前線での心労がたたり肝臓を悪くしダウン[37]。復帰はしたものの激務はもう難しいのではと判断された[37]。1977年(昭和52年)6月9日 - 同11日、三百人劇場で行われた東大演劇同窓会第1回公演『はっぴいえんど英語版』(演出岩淵達治、原作ベルトルト・ブレヒト)に出演、成島庸夫、田村孟、佐藤純彌らとともに「貧民」役を演じたほか[12]、劇映画においても、1979年(昭和54年)7月21日公開の『わが青春のイレブン』(監督降旗康男)を企画[38]、出演し、「サッカー部長」を演じた[7]。同月には、企画製作部長を退任して[39]、当時東京証券取引所第2部上場企業であった東映関係会社・東映化学工業(1961年10月上場、2007年3月27日上場廃止)の専務取締役に転任した[40]。1981年(昭和56年)、東映化学工業の代表取締役社長に就任するとともに、東映本社の取締役を退いた[1]

1982年(昭和57年)5月15日公開の『ダイアモンドは傷つかない』(監督藤田敏八)でも、「八木」役で出演している[7]日本映画テレビ技術協会から、1998年(平成10年)度の第20回春木賞を受賞した[41]。2001年(平成13年)6月27日、東映化学工業社長を退任[10]。2007年(平成19年)、日本映画テレビプロデューサー協会を退会した[42]

晩年は東大演劇同窓会での俳優活動にも取り組み、第4回公演以外は皆勤しており、2012年(平成24年)4月18日 - 同19日に日本橋劇場で行われた第13回公演『夏の夜の夢』にも「蜘蛛の糸」役で出演している[23]。その5か月後の同年9月11日、腎細胞癌のため東京都江東区の病院で死去した[2]。満80歳没。

フィルモグラフィ編集

特筆以外すべてのクレジットは「製作」である[4][5][6][7][8][9]東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)等の所蔵・現存状況についても記す[5]

テアトログラフィ編集

すべて東大演劇同窓会の公演である。

ビブリオグラフィ編集

国立国会図書館蔵書等にみる論文等の書誌である[3]

  • 「巻頭随想」登石雋一 : 『映画テレビ技術』第381号所収、日本映画テレビ技術協会、1984年5月発行、p.12.
  • 「我等の生涯の最良の映画 25 観客に訴える"心"を注入『暴力街』」登石雋一 : 『キネマ旬報』第910号通巻1724号所収、キネマ旬報社、1985年5月15日発行、p.145-147.
  • 「前夜討論会・学会印象記」小峯和茂・登石雋一・樹神学亀井啓輔 : 『日本精神病院協会雑誌』第9巻第6号通巻103号所収、日本精神病院協会、1990年6月発行、p.61-69.
  • 「巻頭随想」登石雋一 : 『映画テレビ技術』第463号所収、日本映画テレビ技術協会、1991年3月発行、p.6.

脚注編集

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  1. ^ a b c d e f g 人物[1981], p.333.
  2. ^ a b c d 登石雋一氏死去(元東映動画社長)時事通信、2012年9月18日閲覧。
  3. ^ a b 国立国会図書館サーチ検索結果、国立国会図書館、2014年12月3日閲覧。
  4. ^ a b c Shun'ichi Toishi, インターネット・ムービー・データベース (英語)、2014年12月3日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h 登石雋一登石儁一東京国立近代美術館フィルムセンター、2014年12月3日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g 登石雋一文化庁、2014年12月3日閲覧。
  7. ^ a b c d e f g h i 登石雋一KINENOTE, 2014年12月3日閲覧。
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n 登石雋一allcinema, 2014年12月3日閲覧。
  9. ^ a b c d e f g 登石隻一 (表記誤記)日本映画データベース、2014年12月3日閲覧。
  10. ^ a b 鈴木常承 東映化学工業、企業家人物辞典、2001年5月24日付、2014年12月3日閲覧。
  11. ^ a b 東大演劇同窓会 誕生に至る経緯と背景東大演劇同窓会、2014年12月3日閲覧。
  12. ^ a b c 東大演劇同窓会第1回公演、東大演劇同窓会、2014年12月3日閲覧。
  13. ^ a b 東大演劇同窓会第2回公演、東大演劇同窓会、2014年12月3日閲覧。
  14. ^ a b 東大演劇同窓会第3回公演、東大演劇同窓会、2014年12月3日閲覧。
  15. ^ a b c 東大演劇同窓会第5回公演、東大演劇同窓会、2014年12月3日閲覧。
  16. ^ a b c 東大演劇同窓会第6回公演、東大演劇同窓会、2014年12月3日閲覧。
  17. ^ a b c d 東大演劇同窓会第7回公演、東大演劇同窓会、2014年12月3日閲覧。
  18. ^ a b c 東大演劇同窓会第8回公演、東大演劇同窓会、2014年12月3日閲覧。
  19. ^ a b c d e 東大演劇同窓会第9回公演、東大演劇同窓会、2014年12月3日閲覧。
  20. ^ a b 東大演劇同窓会第10回公演、東大演劇同窓会、2014年12月3日閲覧。
  21. ^ a b 東大演劇同窓会第11回公演、東大演劇同窓会、2014年12月3日閲覧。
  22. ^ a b 東大演劇同窓会第12回公演、東大演劇同窓会、2014年12月3日閲覧。
  23. ^ a b c 東大演劇同窓会第13回公演、東大演劇同窓会、2014年12月3日閲覧。
  24. ^ サルトル盲追、登石雋一、東大演劇同窓会、2014年12月3日閲覧。
  25. ^ a b c d e f g 「映画界東西南北談議 不安定な社会状況に楽観許されず 各社に漂う上昇ムードに全体が活気 新しい企画路線が軌道に乗った東映」『映画時報』1975年4月号、映画時報社、 33頁。
  26. ^ a b c d e #活動屋人生、156頁
  27. ^ a b c #アニメーション映画史、131-133頁
  28. ^ a b c d e 「映画界東西南北談議 復調気配の74年をふりかえって 大きく揺れた映画界の人脈とその動き」『映画時報』1974年12月号、映画時報社、 32頁。
  29. ^ 昭和47年 - WEBアニメスタイル
  30. ^ WEBアニメスタイル | アニメーション思い出がたり「五味洋子」その42 労働争議の中で - Style.fm氷川竜介叶精二 (2017年6月17日). “東映動画の傑作『どうぶつ宝島』を語りつくすトークイベント「このアニメはすごい!」レポート”. 練馬アニメーションサイト (練馬区商工観光課アニメ産業振興係). オリジナルの2017年7月2日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20170702140339/http://animation-nerima.jp/topics/topic-news/4436/ 2019年4月19日閲覧。 ~歴史からビジネスまで 講演記録テキストシリーズ 歴史編① なぜアニメ産業は今の形になったのか ~アニメ産業史における東映動画の位置付け~ 山口康男(アニメーション史家) (PDF) 文部科学省 アニメ人材養成セミナー アニメ・マンガ人材養成産官学連携コンソーシアム アニメを教える教員とアニメを学ぶ学生のためのアニメ人材養成セミナー 「日本のアニメを学び尽くす」16-17頁。
  31. ^ a b c 残された人びと : 「それ以降」の東映動画 千葉大学学術情報リポジトリ CHIBA UNIVERSITY - 千葉大学
  32. ^ #論叢18、14頁
  33. ^ キネマ旬報』1973年10月秋の特別号、 188頁。
  34. ^ a b c 「'75年の企業戦略に対応各社主脳人事の進撃体制なる 岡田社長を陣頭に人材豊富な攻撃型の東映」『映画時報』1974年11月号、映画時報社、 12 - 15頁。
  35. ^ 渡辺・山口[1978], p.131.
  36. ^ 「巻返しを計る各社の表情を探る 洋高邦低の声に必死の努力を続ける 岡田社長を頂点にますます業績増大の東映」『映画時報』1976年4月号、映画時報社、 12頁。
  37. ^ a b c 「日本映画界の大転換期 重役とMSの若返り人事と企画製作は大作主義に重点 新しい転換期を迎えて一層の前進を続ける東映」『映画時報』1977年5月号、映画時報社、 16頁。
  38. ^ 「家城プロ製作、東映配給『わが青春―』製作費はアカデミーが全額出資、7月公開」『映画時報』1977年3月号、映画時報社、 18頁。
  39. ^ 「東映、高岩淡氏が企画製作部長兼任」『映画時報』1977年7月号、映画時報社、 19頁。
  40. ^ キネ旬[1979], p.165.
  41. ^ 春木賞 受賞一覧日本映画テレビ技術協会、2014年12月3日閲覧。
  42. ^ 会報 2007年3月号日本映画テレビプロデューサー協会、2014年12月3日閲覧。
  43. ^ 東京丸の内東映チャンネル、2014年12月3日閲覧。
  44. ^ 暴力街、東映チャンネル、2014年12月3日閲覧。
  45. ^ 鬼検事、東映チャンネル、2014年12月3日閲覧。
  46. ^ 東京ギャング対香港ギャング、東映チャンネル、2014年12月3日閲覧。
  47. ^ 警視庁物語 自供、東映チャンネル、2014年12月3日閲覧。
  48. ^ 警視庁物語 行方不明、東映チャンネル、2014年12月3日閲覧。
  49. ^ 甦れ魔女、東映チャンネル、2014年12月3日閲覧。

参考文献編集

関連項目編集

外部リンク編集