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舟木 一夫(ふなき かずお、本名:上田 成幸1944年12月12日 - )は、日本歌手タレント橋幸夫西郷輝彦とともに“御三家”と呼ばれている。学生服八重歯がトレードマークで、デビュー当時は、学園ソングとよばれる、高校生活をテーマにした歌が多かった。血液型はO型。身長172cm。

舟木 一夫
出生名 上田 成幸
生誕 (1944-12-12) 1944年12月12日(73歳)
出身地 日本の旗 日本, 愛知県一宮市
学歴 自由ヶ丘学園高等学校
ジャンル 演歌歌謡曲
職業 歌手タレント
担当楽器
活動期間 1961年 -
レーベル 日本コロムビア
事務所 ホリプロダクション
第一共栄プロダクション→
舟木音楽事務所→
アイエス
公式サイト 舟木一夫情報局

目次

概要編集

初期の所属事務所はホリプロダクション、現在のホリプロであった。

愛知県中島郡萩原町(現・一宮市)出身。当初は舟木和夫という芸名になる予定だったが[注釈 1]、舟木が「和はひ弱な感じがあるので、一にして欲しい」と希望したために一夫になったという[1]。本人は、紙に書いたら字が縦に長くなって横倒しになりそうで頼りない感じがしたので、「和」を「一」にして“つっかえ棒”としてほしい、とお願いしたとも話している[2]。のびやかな美声で1960年代を中心にヒットを飛ばし、同じ時期にデビューした西郷輝彦橋幸夫とともに御三家として人気を集める。青春ソングの定番「高校三年生」に代表されるように、学生時代を題材にした歌謡曲のほか、『銭形平次』のテーマソングのように、時代モノも数多く歌っている。また舞台などにも出演し、多彩な活動をしている。

略歴編集

デビューまで編集

1944年12月12日、愛知県中島郡萩原町(現・一宮市)に生まれる。「燃えよドラゴンズ!99」のカップリング曲「ROCK'N ROLL ふるさと」の歌詞には生家への行き方が書かれている。父親は石川県河北郡津幡町笠谷の旧家の出で、父方の祖父は「立山伊次郎」の四股名で雷部屋に所属した力士であった[3]。舟木が父から聞いたという話によると、本名の「成幸」という名前は楠木正成真田幸村の二人の武将から一字ずつとって命名したとのことである[2]。音楽に興味を持ち始めたのは、1か月間肩叩きを続けたご褒美にと祖母からハーモニカをプレゼントしてもらったこと、ラジオで三橋美智也の歌を聴いたことがきっかけの一つ[4]。13歳年下の弟が出来た頃、家が貧しかったことから「誰かがこの家にお金を入れ続けないと。弟が物心つくまでに人並みの生活をさせてあげたい」として学校卒業後は自分の才能で短い間に稼げる世界に行きたいと思うようになり、そんな時に友人の家のテレビで歌手を見て、これだと思い歌手を目指すようになった[5]。中学2年生の時に父に頼み込み、中学の音楽の先生の紹介で指揮者の山田昌宏を紹介してもらい、名古屋市内の教室に通ってレッスンを受ける[6]。高校2年であった1962年2月、地元のCBCテレビの番組『歌のチャンピオン』に出場して松島アキラの『湖愁』を歌い、チャンピオンになる[6]。同年3月、名古屋市内のジャズ喫茶で行われた「松島アキラショー」で、ステージ上の松島アキラが『湖愁』を誰か一緒に歌わないかと客席に声を掛けた所、前列に居た高校生が勢いよく手を上げた。少年は隣に居た同級生に手首を掴まれての事であった。狐に摘まれた表情で舞台に上がった少年は、見事松島と共に「湖愁」を歌いきった。この少年こそ、後の舟木一夫である[7]。 偶然そこに取材に来ていた「週刊明星」の記者恒村嗣郎が目を付け、上田少年に氏名と住所を聞き、東京に帰ると、早速ホリプロの会長だった堀威夫に名古屋での出来事を話し、興味を持った堀は、電話で上田少年に歌のテープを送ることを依頼。そのテープを聴いた堀は、翌年5月上田少年を上京させ、日本コロムビアのディレクターだった斎藤昇に紹介。斎藤は作曲家遠藤実にレッスンを受けさせることにし、上田少年は、愛知高等学校から転校した自由ヶ丘学園高等学校へ通いながら、遠藤実のレッスンを受けることとなった[7]

上田少年は芸名を舟木一夫とし、ホリプロに所属することになった。社長の堀は、当時デビュー2年目で全盛期を迎え、舞台で時々学生服を着て歌っていた橋幸夫の対抗馬として、当時現役高校生だった舟木を学生服デビューさせると決定した[8]

デビュー編集

1963年6月5日、デビュー曲は恩師遠藤実作曲、日本コロムビア専属だった丘灯至夫作詞の「高校三年生」と決定した。4月で高校を卒業していた舟木だったが、「学生服で行け」という遠藤実の指示で、歌謡界異例の学生服デビューとなった。なお、「高校三年生」のレコードジャケットで舟木が着ているのは当時の母校の制服である[8]

「高校三年生」は、発売1年で100万枚の大ヒットを飛ばし、舟木は第5回日本レコード大賞新人賞を、丘は作詞賞を受賞した。デビューから2ヵ月後、本人が主演した同名映画も大ヒットし、舟木は一躍スター歌手になった。それに続き、学園三部作と言われた「修学旅行」「学園広場」もヒットした。

1964年3月には初のワンマンショーを東京・浅草国際劇場で行う。当日には、地元・一宮市から東京駅まで国鉄がワンマンショー観覧客のための特別列車を運行させ、東京駅から浅草国際劇場まではパトカー先導の元で観光バス19台で移動するというほどまでになった[9]

スター歌手に編集

1970年前後には、こうした青春ソング以外にも時代モノ、民謡調などの歌にも独特の持ち味で数々のヒットを飛ばした。テレビ時代劇『銭形平次』のテーマソング「銭形平次」も、番組のロングランもあって舟木の歌としてよく知られるところとなった。

また特に詩歌、文学をモチーフにした叙情歌謡と呼ばれるジャンルでは持ち前の歌唱を活かして第一人者的存在となり、「絶唱」「夕笛」「初恋」などがヒットし、1966年には「絶唱」で第8回日本レコード大賞歌唱賞を受賞した。このジャンルとしてはその集大成ともいうべきアルバム『その人は昔』がある。これは作家松山善三の長編抒情詩を正味1時間すべて舟木の歌唱で埋めるという、前代未聞の作品であり舟木の歌唱力が最大限に発揮されている。更にこの作品はLPとしては当時記録的な売上となり、後に舟木と内藤洋子の主演により映画化もされた。そしてこのLPおよび映画が劇画作家ながやす巧に大いなる影響を与え、その代表作『愛と誠』を生むきっかけとなった、という事実は、コミック界では有名なエピソードである。

低迷から復活へ編集

1969年までは名実共に高い人気を保持していたものの1970年に入ると、かねてより多数出演していた歌謡映画が廃れ、TVドラマへの需要が無くなり、それに追い討ちを掛けるが如く歌謡界の変化に伴い表立った仕事は激減し舞台と地方公演が主な活動の場となってゆく。それゆえに1970年、1971年、1972年に自殺を図るが未遂に終わったり、1973年には心身の不調のため翌年まで10ヶ月間静養することとなる。また、私生活でも可愛がっていた年の離れた弟が、死亡するという不幸にもあっている。

その後十数年に渡り不遇時代が続いたが、デビュー30周年プレ公演を機に、主に中高年女性のアイドルとして人気再燃、そのなかで「同じ青春を過ごした仲間にしか通用しない歌い手でいい」と述べている。1997年には念願でもあった新橋演舞場での初座長公演を行う[10]。そして1999年には中日ドラゴンズ応援歌燃えよドラゴンズ!'99」を歌い(舟木自身も大のドラゴンズファンである)、25年ぶりにオリコン40位ランクインを記録。

2007年にはデビュー45周年を迎え記念コンサートを行う。そして「単なる流行歌でない。何も変える必要はない。これでいい」と述べている。

2016年、第1回あらえびす文化賞・特別賞を受賞[11]

現在も、歌手としてテレビやコンサートで精力的に活躍しているほか、舞台俳優としても毎年座長公演をこなし、幅広い層から根強いファンを集めていることで知られている。

音楽編集

シングル編集

# 発売日 タイトル 作詞 作曲 編曲
1960年代
1 1963年
6月5日
高校三年生 丘灯至夫 遠藤実 福田正
2 1963年
8月
修学旅行 丘灯至夫 遠藤実 福田正
3 1963年
10月
学園広場 関沢新一 遠藤実 福田正
4 1963年
11月
聖夜 由木康 F.Gruber 松尾健司
5 1963年
11月
仲間たち 西沢爽 遠藤実 福田正
6 1964年
1月
叱られたんだね 関沢新一 山路進一 松尾健司
7 1964年
1月
あゝ青春の胸の血は 西沢爽 遠藤実 福田正
8 1964年
3月
君たちがいて僕がいた 丘灯至夫 遠藤実
9 1964年
3月
さあさ踊ろよ[12] 西條八十 市川昭介
10 1964年
3月
涙の敗戦投手 丘灯至夫 戸塚三博 福田正
11 1964年
4月
貝がらの唄 西村益子 遠藤実 安藤実親
12 1964年
4月
東京新宿恋の街 荒木忠雄
石本美由起
遠藤実 安藤実親
13 1964年
6月
まだみぬ君を恋うる歌 丘灯至夫 山路進一
14 1964年
6月
しあわせの星二つ 富山紫峰 上原げんと
15 1964年
7月
夢のハワイで盆踊り[13] 関沢新一 船村徹
16 1964年
7月
アロハ・オエ 丘灯至夫 L.uokalani 松尾健司
17 1964年
8月
おみこし野郎 関沢新一 遠藤実 安藤実親
18 1964年
9月
花咲く乙女たち 西條八十 遠藤実
19 1964年
9月
青春の大阪 西沢爽 和田香苗
20 1964年
11月
右衛門七討入り 西沢爽 遠藤実
21 1965年
1月
火消し若衆 安部幸子 遠藤実 安藤実親
22 1965年
3月
北国の街 丘灯至夫 山路進一
23 1965年
3月
成人のブルース 丘灯至夫 遠藤実
24 1965年
3月
竹千代音頭 中林きみを 津田二郎 山路進一
25 1965年
4月
東京は恋する 丘灯至夫 山路進一
26 1965年
6月
あゝりんどうの花咲けど 西沢爽 遠藤実
27 1965年
7月
渚のお嬢さん 関沢新一 松尾健司
28 1965年
8月
浜の若い衆 安部幸子 山路進一
29 1965年
8月
たそがれの人 安部幸子 山路進一
30 1965年
8月
あゝ鶴ヶ城 野村俊夫 古関裕而
31 1965年
10月
高原のお嬢さん 関沢新一 松尾健司
32 1965年
11月
歩いて行こうよどこまでも 山岡多恵子
西條八十
越部信義
33 1965年
12月
東京百年 丘灯至夫 船村徹
34 1966年
1月
山のかなたに 丘灯至夫 山路進一
35 1966年
2月
哀愁の夜 古野哲哉 戸塚三博
36 1966年
4月
友を送る歌 植田俤子 戸塚三博
37 1966年
5月
今日かぎりのワルツ 高杉敏 山路進一
38 1966年
5月
敦盛哀歌 村上元三 古賀政男 安藤実親
39 1966年
6月
踊ろうぼくと 大林郁恵
古野哲哉
船村徹
40 1966年
6月
太陽にヤァ! 関沢新一 船村徹
41 1966年
8月
絶唱 西條八十 市川昭介
42 1966年
11月
ジングル・ベル 丘灯至夫 J.Pierpont 松尾健司
43 1966年
12月
ブルー・トランペット 古野哲哉 船村徹
44 1967年
1月
一心太助 江戸っ子祭り 関沢新一 山路進一
45 1967年
3月
星の広場へ集まれ! 古野哲哉 戸塚三博 大西修
46 1967年
5月
夏子の季節 丘灯至夫 船村徹
47 1967年
7月
心こめて愛する人へ 松山善三 船村徹
48 1967年
8月
夕笛 西條八十 船村徹
49 1967年
11月
センチメンタル・ボーイ 河端茂 山屋清
50 1968年
1月
くちなしのバラード 万里村ゆき子 河村利夫
51 1968年
3月
残雪 高峰雄作[14] 戸塚三博
52 1968年
4月
知りたくないの なかにし礼 D.Robertson 河村利夫
53 1968年
5月
夜霧の果てに 大倉宏之 船村徹
54 1968年
6月
オレは坊っちゃん 西條八十 船村徹
55 1968年
9月
荒城の月 土井晩翠 瀧廉太郎 松尾健司
56 1968年
9月
銀色の恋 西條八十 桜田誠一
57 1969年
1月
青春の鐘 丘灯至夫 古関裕而
58 1969年
2月
永訣の詩 横井弘 古賀政男 佐伯亮
59 1969年
5月
追憶のブルース 万里村ゆき子 戸塚三博 河村利夫
60 1969年
7月
ああ!!桜田門 西沢爽 船村徹
61 1969年
8月
夕映えのふたり 丘灯至夫 現英生
62 1969年
12月
北国にひとり 水木京子 山屋清
1970年代
63 1970年
4月
心配だから来てみたけど 松山善三 万里村ゆき子 佐伯亮
64 1970年
7月
青年の唄 西川ひとみ 井上かつお 馬飼野俊一
65 1970年
9月
紫のひと 丘灯至夫 北原じゅん 斉藤恒夫
66 1970年
12月
霧の街 丘灯至夫 水上勉 田辺信一
67 1971年
4月
あゝ名古屋城 丘灯至夫 竹岡信幸 佐伯亮
68 1971年
5月
日曜日には赤い薔薇 万里村ゆき子 長谷史彦
69 1971年
8月
春の坂道 泉漾太郎 古賀政男 佐伯亮
70 1971年
9月
初恋 島崎藤村 若松甲 佐伯亮
71 1972年
1月
遥かなる草原 吉岡治 服部良一 小谷充
72 1972年
3月
よみがえる夜明け ちあき哲也 小谷充 馬飼野俊一
73 1972年
3月
帰郷 横井弘 船村徹
74 1972年
10月
流浪 松坂直美 遠藤実 只野通泰
75 1973年
1月
都井岬旅情 黒木清次 服部良一 甲斐靖文
76 1973年
4月
少年いろの空 井口愛 田村博正 甲斐靖文
77 1973年
7月
親不孝通り 山川啓介 いずみたく 小谷充
78 1973年
9月
サンチャゴの鐘 横井弘 船村徹
79 1974年
9月
旅路 丘灯至夫 遠藤実 斉藤恒夫
80 1975年
1月
愛の新雪 石本美由起 佐伯亮
81 1975年
4月
日本晴ればれ音頭[15] 石本美由起 古関裕而 佐伯亮
82 1975年
4月
津和野川 吉田旺 船村徹
83 1975年
12月
許されるなら 中山大三郎 あかのたちお
84 1976年
4月
別れの部屋 里中さとる[16] 岩鬼まさみ[17] 山屋清
85 1976年
8月
レマンのほとり 石坂まさを 竜崎孝路
86 1977年
1月
一葉舟 鈴木晴彦 浜圭介 福井峻
87 1977年
6月
快傑!!児雷也 すずきじろう[18] 渡辺宙明
88 1977年
8月
愛はまぼろし 石坂まさを 竜崎孝路
89 1977年
11月
春哀し 猪又良 船村徹 佐伯亮
90 1978年
6月
立ち話 尾中美千絵 三木たかし
91 1979年
3月
ららばい 藤公之助 大野真澄 戸塚修
1980年代
92 1980年
1月
グッド・バイ・ソング 上田成幸 若草恵
93 1980年
10月
どうしているかい 吉法かずさ 徳久広司 竹村次郎
94 1981年
5月
さんざしの花 中山大三郎 中島薫 竜崎孝路
95 1982年
6月
愛だなんて言うまえに 上田成幸 川口真
96 1983年
4月
つばさ 上田成幸 杉村俊博
1990年代
97 1990年
9月21日
落日のあとで 秋元康 徳久広司 竜崎孝路
98 1991年
11月21日
友よ 秋元康 杉本真人 竜崎孝路
99 1992年
6月1日
人生半分 秋元康 杉本真人 竜崎孝路
100 1993年
5月21日
泣かないで たきのえいじ 杉本真人 竜崎孝路
101 1994年
1月21日
ありがとう あなた 建石一 津村泰彦 竜崎孝路
102 1995年
9月21日
風、好きに吹け
〜迷夢本望〜
小椋佳 甲斐正人
103 1996年
6月21日
Love Letters 吉田旺 V.Young 竜崎孝路
104 1996年
12月28日
想春 川内康範 遠藤実 竜崎孝路
105 1997年
8月21日
君へ心こめて 上田成幸 竜崎孝路
106 1999年
1月21日
君よ 振りむくな 上田成幸 杉本健
107 1999年
7月16日
燃えよドラゴンズ!’99 山本正之 神保雅彰
2000年代
108 2000年
1月21日
想い出カフェ・オ・レ 上田成幸 平野融
109 2000年
8月23日
小さな手紙[19] 白峰美津子 松本俊明 岩崎元是
110 2000年
10月6日
蜃気楼 上田成幸 杉本健
111 2002年
5月18日
浮世まかせ 上田成幸 杉村俊博
112 2004年
7月21日
恋唄 すずきじろう 浜圭介 竜崎孝路
113 2006年
7月19日
船頭小唄 野口雨情 中山晋平 竜崎孝路
2010年代
114 2012年
1月1日
明日咲くつぼみに 永六輔 久米大作 杉村俊博
115 2014年
6月18日
眠らない青春 舟木一夫 川崎浩史 杉村俊博
116 2015年
5月27日
春はまた君を彩る 松井五郎 南こうせつ 佐藤準
117 2017年
1月25日
みんな旅人 舟木一夫 杉村俊博
118 2018年
7月4日
「その人は昔」のテーマ 松山善三 船村徹 杉村俊博

出演編集

テレビ編集

主題歌「恋だけが」は、和製ソフトロックの隠れた傑作として知られている。CD『まちどおしい夏休み〜ドライブ編』に収録。
低迷期に、メイン司会者として出演したローカル午後ワイド。外からの中継もこなした。

映画編集

作品一覧

NHK紅白歌合戦出場歴編集

  • 1963年 第14回「高校三年生」
  • 1964年 第15回「右衛門七討ち入り」
  • 1965年 第16回「高原のお嬢さん」
  • 1966年 第17回「絶唱
  • 1967年 第18回「夕笛
  • 1968年 第19回「喧嘩鳶」
  • 1969年 第20回「夕映えのふたり」
  • 1970年 第21回「紫のひと」
  • 1971年 第22回「初恋」
  • 1992年 第43回「高校三年生」

書籍(エッセイ)編集

  • 酔ってSinger(1983年/青山書房)
  • 怪傑!!高校三年生(1992年/近代映画社)
  • 風来坊(1999年/マガジンハウス)

写真集編集

  • 舟木一夫〜風まかせ〜(1999年/東京新聞出版局)
  • 芸能生活40周年記念 写真集舟木一夫(2002年/マガジンハウス)
  • 密着写真集「瞬」(2009年/マガジンランド)
  • 密着写真集「華」(2010年/マガジンランド)
  • 密着写真集「愁」(2011年/マガジンランド)
  • 密着写真集「透」(2012年/マガジンランド)

後援会の不祥事編集

2009年5月12日、舟木一夫のファンクラブを経営している会社「舟木一夫友音事務所」が、ファンからの支援金など約1億6000万円を隠し、3年間で約5000万円を脱税したとして、同社と藤谷和子社長が法人税法違反罪で告発されていたことが発覚。同社は「カンパは預かり金で、売り上げではない」と主張したが、修正申告を行った。藤谷社長は、支援金は「将来、コンサート会場に空席が目立つようになってしまったら舟木さんが悲しむ。そのときの動員に使ってほしい」などと会員から寄せられたものであると説明した[20]

その他の特記事項編集

  • 舞台「快傑!!児雷也」
舟木はこの舞台で主題歌となる「快傑!!児雷也」を歌っている。舟木は以前より特撮ヒーロー物が好きで、特撮ヒーロー物の主題歌を歌いたいという意向があったのだが、スタッフにより却下されていた。後にこの舞台を踏むにあたって、音楽を担当していた渡辺宙明(「人造人間キカイダー」「秘密戦隊ゴレンジャー」などで知られる)に、舟木が「ぜひ特撮ヒーロー物っぽい曲を作って欲しい」と頼み込んでこの曲が生まれ、かねてよりの夢が実現した[21]
  • 趣味
ファミコンなどのレトロゲーム愛好家である。特にドラゴンクエストシリーズを好む。
2012年頃から舞台で歌う際には、必ず両足の親指と小指に絆創膏を貼っている。これは元々歌う時に両足の内側に力が入る癖があるため、65歳頃から足の指にタコが出来て割れるようになり始めたため、これを防ぐためのものである[22]

脚注編集

注釈編集

  1. ^ 本来は遠藤の弟子であった橋幸男少年(のちの橋幸夫)が名乗るはずの芸名であった。橋が日本コロムビアのオーディションに落ちたため、遠藤が橋を日本ビクター専属作曲家であった吉田正に預けたことにより“空き名跡”の形になり、教え子として入った上田成幸少年に舟木の名を与えることとなった[1][2]

出典編集

  1. ^ a b BIG3(後編) 舟木一夫 オン・ザ・ロード2014 チャンネルNECO
  2. ^ a b c スポーツニッポン 2017年10月11日 22面「我が道 舟木一夫」
  3. ^ 女学生の友』 1966年8月号(小学館)188-193ページ
  4. ^ スポーツニッポン 2017年10月2日 22面「我が道 舟木一夫」
  5. ^ スポーツニッポン 2017年10月3日 18面「我が道 舟木一夫」
  6. ^ a b スポーツニッポン 2017年10月4日 20面「我が道 舟木一夫」
  7. ^ a b スポーツニッポン 2017年10月5日 18面「我が道 舟木一夫」
  8. ^ a b 『怪傑!!高校三年生』(近代映画社)32-43ページ
  9. ^ スポーツニッポン 2017年10月14日 26面「我が道 舟木一夫」
  10. ^ スポーツニッポン 2017年10月29日 28面「我が道 舟木一夫」
  11. ^ “舟木一夫に「あらえびす文化賞」 「銭形平次」主題歌を評価”. スポーツ報知. (2016年4月24日). http://www.hochi.co.jp/entertainment/20160424-OHT1T50234.html 2016年4月25日閲覧。 
  12. ^ 共演:青山和子草野士郎二代目コロムビア・ローズ本間千代子
  13. ^ 共演:二代目コロムビア・ローズ/本間千代子/高橋元太郎
  14. ^ 舟木のペンネーム。
  15. ^ 共演:美空ひばり島倉千代子都はるみ大川栄策
  16. ^ 舟木のペンネーム。
  17. ^ 舟木のペンネーム。
  18. ^ 舟木のペンネーム。
  19. ^ G3K名義(舟木と西郷輝彦橋幸夫の3人によるユニット)。
  20. ^ 舟木一夫後援会が脱税 カンパ金など約1億6000万円所得隠し[リンク切れ]」2009年5月12日。
  21. ^ 唐沢俊一渡辺宙明へのインタビュー。
  22. ^ スポーツニッポン 2017年10月28日 26面「我が道 舟木一夫」

関連項目編集

外部リンク編集