矢倉規広
矢倉 規広(やぐら のりひろ、1974年9月27日 - )は、将棋棋士。棋士番号は212。桐山清澄九段門下。大阪府出身。
矢倉規広 七段 | |
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名前 | 矢倉規広 |
生年月日 | 1974年9月27日(49歳) |
プロ入り年月日 | 1994年10月1日(20歳) |
棋士番号 | 212 |
出身地 | 大阪府 |
所属 | 日本将棋連盟(関西) |
師匠 | 桐山清澄九段 |
弟子 | 崎原知宙 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 矢倉規広 |
2015年7月2日現在 |
人物
編集名字が、将棋の戦法の一つである「矢倉」と同じであるということで、とかく話題となるが、実際は、居飛車、振り飛車ともに指す。力戦を得意とする。また、居飛車穴熊対策の一つである矢倉流中飛車は彼の名に由来する(急戦矢倉の一種である矢倉中飛車とは異なる)。
棋歴
編集プロ入り以来3期目の参加となる第56期順位戦(1998年度)で8勝2敗の好成績を収めるも、次点で昇級を逃す。同じ8勝2敗でも矢倉よりリーグ表順位が上の岡崎洋と深浦康市が昇級した。このときのリーグ表順位は、矢倉が5位、岡崎が2位、深浦が3位であり、僅かな順位の差に泣いた。
1998年度、1999年度の王位戦において、2年連続でリーグ入り。1998年度は、紅組リーグで北島忠雄に1勝を挙げたのみとなり、リーグ陥落。1999年度は白組リーグで藤井猛、高橋道雄らを破って3勝2敗としたが、矢倉を含む4名が3勝2敗で並んだ。そして、トーナメント形式で行われた白組プレーオフ1回戦では矢倉は再び高橋を破るが、決勝で屋敷伸之に敗れて挑戦者決定戦に進むことはできなかった。
第13期(2000年度)竜王戦6組において、昇級者決定戦を制し、5組へ昇級。
第17期(2004年度)竜王戦5組において、初のランキング戦優勝を果たすと同時に、4組へ昇級。本戦の1回戦では6組優勝者の西尾明に勝利した(2回戦で3組優勝者の神谷広志に敗退)。
2006年度は大不振に陥り、年度単位で5勝17敗の成績に終わった。しかし、順位戦では3勝7敗の成績で、降級点の回避には成功した。
第67期順位戦(2009年度)C級2組6回戦(佐藤紳哉戦)において、大阪が正しい対局場であったにもかかわらず、事務方のミスで対局通知に東京と記してあったことから、不戦敗にはならず対局が翌日に延期されるという珍事があった[1]。
第22期(2009年度)竜王戦4組において2回戦で敗退。また、昇級者決定戦(敗者復活)のトーナメントでは4連勝するも、3位決定戦(決勝)で敗退する。竜王戦では通常2度敗れると昇級はできないが、中原誠(1組)の引退による上位クラスの欠員補充のため、4組では追加の昇級者決定戦が組まれ、3位決定戦の敗者2名である矢倉と脇謙二が対決することとなった。矢倉はこのチャンスを物にし、脇に勝利。自己最高の3組へ昇級した。
第25期(2012年度)竜王戦では2連敗を喫し、4組へ降級となった。2012年度の全成績では21勝12敗と勝ち越しに成功したが、以降は2022年現在に至るまで、年度全成績での勝ち越しが出来ていない状況が続いている。
第78期順位戦(2020年度)で苦戦し2勝8敗で終えた結果、初めての降級点が付くこととなり、その後第80期順位戦(2022年度)、第81期順位戦(2023年度)にも降級点を喫し、フリークラスへの陥落が決定した。
昇段履歴
編集昇段規定は、将棋の段級 を参照。
主な成績
編集在籍クラス
編集開始 年度 |
順位戦 | 竜王戦 | ||||||||||||||||
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期 | 名人 | A級 | B級 | C級 | 期 | 竜王 | 1組 | 2組 | 3組 | 4組 | 5組 | 6組 | 決勝 T |
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1組 | 2組 | 1組 | 2組 | |||||||||||||||
1994 | 53 | 四段昇段前 | 8 | 6組 | -- | |||||||||||||
1995 | 54 | C247 | 9 | 6組 | -- | |||||||||||||
1996 | 55 | C218 | 10 | 6組 | -- | |||||||||||||
1997 | 56 | C206 | 11 | 6組 | -- | |||||||||||||
1998 | 57 | C201 | 12 | 6組 | -- | |||||||||||||
1999 | 58 | C220 | 13 | 6組 | -- | 4-1 | ||||||||||||
2000 | 59 | C214 | 14 | 5組 | -- | |||||||||||||
2001 | 60 | C212 | 15 | 5組 | -- | |||||||||||||
2002 | 61 | C210 | 16 | 5組 | -- | |||||||||||||
2003 | 62 | C205 | 17 | 5組 | 1-1 | 5-0 | ||||||||||||
2004 | 63 | C215 | 18 | 4組 | -- | |||||||||||||
2005 | 64 | C205 | 19 | 4組 | -- | |||||||||||||
2006 | 65 | C207 | 20 | 4組 | -- | |||||||||||||
2007 | 66 | C233 | 21 | 4組 | -- | |||||||||||||
2008 | 67 | C206 | 22 | 4組 | -- | 6-2 | ||||||||||||
2009 | 68 | C217 | 23 | 3組 | -- | |||||||||||||
2010 | 69 | C221 | 24 | 3組 | -- | |||||||||||||
2011 | 70 | C224 | 25 | 3組 | -- | 0-2 | ||||||||||||
2012 | 71 | C229 | 26 | 4組 | -- | |||||||||||||
2013 | 72 | C209 | 27 | 4組 | -- | |||||||||||||
2014 | 73 | C212 | 28 | 4組 | -- | |||||||||||||
2015 | 74 | C220 | 29 | 4組 | -- | |||||||||||||
2016 | 75 | C223 | 30 | 4組 | -- | |||||||||||||
2017 | 76 | C233 | 31 | 4組 | -- | |||||||||||||
2018 | 77 | C233 | 32 | 4組 | -- | |||||||||||||
2019 | 78 | C230x | 33 | 4組 | -- | |||||||||||||
2020 | 79 | C245* | 34 | 4組 | -- | |||||||||||||
2021 | 80 | C238*x | 35 | 4組 | -- | 0-3 | ||||||||||||
2022 | 81 | C247**x | 36 | 5組 | -- | 2-2 | ||||||||||||
2023 | 82 | F編 | 37 | 5組 | -- | 1-2 | ||||||||||||
2024 | 83 | F編 | 38 | 5組 | -- | |||||||||||||
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。 順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 ) 順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。 竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。 |
弟子
編集女流棋士となった弟子
編集名前 | 女流2級昇級日 | 段位、主な活躍 |
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崎原知宙 | 2023年11月 | 1日女流1級 |
(2024年2月29日現在)
関連項目
編集外部リンク
編集脚注
編集- ^ “「対局場が大阪だと思ったら東京だった」「起きたら昼前だった」将棋界、遅刻不戦敗事件簿(松本博文) - エキスパート”. Yahoo!ニュース. 2024年1月14日閲覧。
- ^ 『近代将棋(1999年9月号)』近代将棋社/国立国会図書館デジタルコレクション、187頁 。
- ^ “矢倉規広六段が七段に昇段|将棋ニュース|日本将棋連盟”. 日本将棋連盟 (2015年7月2日). 2019年6月10日閲覧。