若山セツ子
日本の女優
若山 セツ子(わかやま せつこ、本名;坂爪 セツ子、旧芸名;若山 セツコ、1929年6月7日 - 1985年5月9日)は日本の女優。東京府目黒町中目黒出身。東宝の清純派スターの一人として知られている。映画監督の谷口千吉は元夫。実践高等女学校卒業。
わかやま せつこ 若山 セツ子 | |||||
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本名 | 坂爪 セツ子(さかづめ せつこ) | ||||
別名義 | 若山 セツコ | ||||
生年月日 | 1929年6月7日 | ||||
没年月日 | 1985年5月9日(55歳没) | ||||
出生地 |
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死没地 |
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職業 | 女優 | ||||
ジャンル | 映画 | ||||
活動期間 | 1947年 - 1961年、1971年 - 1973年 | ||||
配偶者 | 谷口千吉(1949年 -1956年 ) | ||||
主な作品 | |||||
テレビドラマ 『お祭り銀次捕物帳』 映画 『青い山脈』 『次郎長三国志』シリーズ | |||||
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人物編集
1946年、東宝ニューフェイス第1期生として東宝へ入社。デビュー作は『四つの恋の物語』(1947年)。
1949年、『青い山脈』での丸メガネの女学生・笹井和子役で人気を獲得し、同年に東宝の映画監督であった谷口千吉と結婚。
1952年、『次郎長三国志』シリーズでは次郎長の女房・お蝶を演じた。
1961年に病気で引退するが、1971年に週刊誌に取り上げられたのがきっかけで復帰。深夜番組や『お祭り銀次捕物帳』にレギュラー出演したが、次第に奇行が見られはじめ、1973年に出演した『婦系図・前後篇』が最後の出演となった。
1984年に共に暮らしていた母(それ以前には姉も失っていた)を亡くしてから精神状態が悪化し、強制入院させられてから1ヶ月後の1985年5月9日、東京調布市の病院で首吊り自殺した。享年55。
出演作品編集
映画編集
- 銀嶺の果て(1947年、東宝)
- 青い山脈(1949年、東宝)
- 暁の脱走(1950年、東宝)
- 石中先生行状記 (1950年、新東宝)
- ブンガワンソロ (1951年、新東宝)
- 次郎長三国志(1952 ‐ 1953年) ‐ お蝶
- ゴジラの逆襲(1955年、東宝)
- サザエさん(1956年、東宝)
- 続・サザエさん(1957年、東宝)
- 三十六人の乗客(1957年、東京映画)