萬勝寺 (恵那市)
萬勝寺(まんしょうじ)は、岐阜県恵那市山岡町にある臨済宗妙心寺派の寺院。山号は妙法山(通称 飯高山)。厄除けの飯高観音として知られている。
萬勝寺 | |
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所在地 | 岐阜県恵那市山岡町馬場山田飯高 |
位置 |
北緯35度20分56.8秒 東経137度25分11.2秒座標: 北緯35度20分56.8秒 東経137度25分11.2秒 |
山号 | 妙法山(飯高山) |
宗旨 | 臨済宗 |
宗派 | 妙心寺派 |
本尊 | 十一面観世音菩薩 |
創建年 | 平安時代初期 |
開基 | 円仁(開創) |
別称 | 飯高観音 |
札所等 | 恵那三十三観音霊場 13番 |
法人番号 |
5200005009490 ![]() |
歴史編集
平安時代の初期、円仁(慈覚大師)により創立され、本尊の十一面観音は慈覚大師の作と伝わる。元は天台宗で、飯高山 満昌寺と称し、七堂伽藍の他、山内寺院(不動院、孤月坊、大聖坊、般若坊、尊勝寺、内光寺、苦別堂、白山大権現、その他として田沢村に山中薬師という寺に4箇寺があり)合計12ケ寺があったといわれている。中世には385石の寺領を持ち栄華を誇った。戦国時代末期に明知遠山氏の遠山利景は出家し満昌寺の僧侶となっていたが兄二人が武田勢との戦で戦死したため還俗して明知遠山氏の武将となり、徳川側について武田勢と戦った。その際に満昌寺は武田勢の兵火により焼失したため過去の詳細な記録は不明となっている。江戸時代になり江戸幕府の交代寄合となった遠山利景は寺の焼け跡の荒廃を嘆いて明知遠山氏の菩提寺である龍護寺を開山した椽室和尚に頼んだ。椽室和尚は、この地の有力者であった後藤新右衛門(寺下),春日井総右衛門(関屋),桜井某の助力を得て、遠山利景が亡くなった翌年の元和2年(1616年)に、厄除けの千手観音は、そのままとし、十一面観音を本尊として、臨済宗の寺院に改めて再興し妙法山萬勝寺と改名した。385石の寺の領地は明知遠山氏の領地と決まったが、岩村城に程近いため岩村藩と領有を巡って争いとなった。そのため一旦385石の領地は江戸幕府が預かった後に尾張藩に渡されて明治に至った。1941年(昭和16年)、本堂はじめとする多くが失火により焼失。しかし本尊の十一面観音はじめとする各仏像に被害は無く、太平洋戦争後に檀信徒の尽力により本堂、観音堂、庫裏が建設され、1989年(平成元年)に山門と鐘楼が、1992年(平成4年)には本堂が、2001年(平成13年)には現在の新観音堂が落慶し、現在に至っている。
その他編集
恵那地方では厄除の飯高観音として有名で初詣や縁日(毎月17日)には多くの参拝者が訪れている。
境内編集
- 新観音堂
- 旧観音堂(弘法堂)
- 茶室 園月
- 機子ヶ池
文化財編集
市指定編集
- 飯高観音
所在地編集
- 岐阜県恵那市山岡町馬場山田飯高
交通機関編集
周辺編集
参考文献編集
- 恵那郡史
- 山岡町史