海鷹(かいよう)は、大日本帝国海軍航空母艦[13][14]。貨客船あるぜんちな丸を日本海軍が徴用および買収、最終的に軽空母へ改造した艦艇である[15][16]

海鷹
山口県徳山を出航中(1943年11月15日)
基本情報
建造所 三菱重工業長崎造船所[1]
運用者  大日本帝国海軍
艦種 航空母艦
母港 横須賀
艦歴
起工 1938年2月5日
進水 1938年12月9日
竣工 1939年5月31日(「あるぜんちな丸」として)[1]
就役 1943年11月23日空母へ改造完了[1]
最期 1945年7月24日触雷
のちに擱座、船体放棄
除籍 1945年11月20日[1]
その後 1948年1月31日解体完了[1]
要目(特記無きは計画)
基準排水量 計画:15,400英トン[2]
13,600英トン[注釈 1]
公試排水量 計画:17,300トン[2]
16,700トン[注釈 1]
最終時:16,748トン[3]
満載排水量 計画:18477.10トン[4]
全長 166.55m[2]
水線長 159.59m[2]
垂線間長 155.00m[2]
水線幅 21.90m[2]
深さ 22.80m(飛行甲板まで)[2]
飛行甲板 長さ:160.0m x 幅:23.0m[2]エレベーター(13x12m)2基[5]
吃水 公試平均:8.25m[2]
満載平均:8.68m[2]
ボイラー ロ号艦本式缶x4基[6]
主機 艦本式タービン2基[6]
推進 2軸 x 340rpm、直径:3.900m[6]
出力 計画:52,000shp[2]
公試成績:52,510shp[7]
速力 計画:23.0ノット[2]
公試全力 23.82ノット[7]
燃料 2,500トン[2]
航続距離 計画:7,000海里/18ノット[2]
公試成績:8,358海里/18ノット[7]
乗員 計画乗員:587名[8]
搭載能力 九一式魚雷x36本[9]
250kg爆弾x96個[注釈 2]、同補用192個、60kg爆弾x192個[10]
飛行機軽質油x150トン[4]
兵装 12.7cm連装高角砲x4基[11]
25mm 3連装機銃x8基[11]
手動爆雷投下台1組[9]
九五式爆雷x8個[9]
搭載艇 12m内火艇x1隻、12m内火ランチx1隻、9mカッターx2隻、13m特型運貨船x2隻[5]
搭載機 計画:(常用+補用)[10]
艦上戦闘機x18機 艦上攻撃機x6機
合計24機 補用機なし
レーダー 竣工時:21号電探x1基、13号電探x2基[12]
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解体中の「海鷹」。1947年撮影
擱坐した日出町城下海岸に建つ「軍艦海鷹之碑」

概要編集

軍艦(航空母艦)海鷹(かいよう)の前身は[17]大阪商船所属のあるぜんちな丸級貨客船1番船あるぜんちな丸である[18][19]1941年(昭和16年)9月、あるぜんちな丸は日本海軍に徴傭された[20]太平洋戦争開戦後の1942年(昭和17年)5月1日、姉妹船2隻(あるぜんちな丸、ぶらじる丸)は特設運送船となった[21]。 同年6月上旬のミッドウェー海戦で日本海軍は主力空母4隻を一挙に喪失、空母の補充に迫られた[22]。その一環として、海軍は6月30日に本級2隻(あるぜんちな丸、ぶらじる丸)の空母改造を決定した[注釈 3]。 あるぜんちな丸は同年12月9日に買収され、同月より三菱重工業長崎造船所で空母改造工事を実施した[25]。翌1943年(昭和18年)11月23日に改造完成[25]。船籍も日本海軍に移り、軍艦海鷹に改名[14]および航空母艦へ類別変更された[26]

本艦を含め大鷹型航空母艦は小型・低速のため機動部隊としての戦闘には投入できず、当初は航空機輸送任務に従事した[16][27]。また海上護衛総司令部が発足すると同部隊に編入され[27][28]、日本からシンガポール方面への長距離輸送ヒ船団)の船団護衛、または台湾海南島への中距離輸送の護衛を行った[29]

1945年(昭和20年)3月中旬、海鷹は呉軍港空襲で小破する[13]。修理後の海鷹は瀬戸内海において特攻兵器の訓練標的艦として行動した[30]。同年7月24日、海鷹は四国佐田岬沖で機雷に触雷して航行不能となり[16]、随伴していた駆逐艦夕風に曳航された後、大分県別府湾日出町城下海岸)に擱座した[31]。7月28日の空襲により大破、船体放棄に至り、終戦を迎えた[25]。戦後、日鮮サルベージ[注釈 4]の手によって浮揚解体された。

特徴編集

艦艇類別等級(別表)において、大鷹型航空母艦に定められている[26][注釈 5]。1943年11月23日に「軍艦(ぐんかん)海鷹(かいよう)」と命名された[14][33]。他の候補艦名として「蒼隼」もあった[34]

あるぜんちな丸は、1938年(昭和13年)2月2日に三菱重工業長崎造船所で起工、同年12月9日進水、1939年(昭和14年)5月31日に竣工した[15][35]客船あるぜんちな丸時代の主機はディーゼルエンジン[注釈 6]、16,500馬力で21.5ノットを発揮可能だった[37][38]。航空母艦への改造時に陽炎型駆逐艦用のボイラータービンへ換装され[39]、約5万2000馬力で速力23ノットに増速した[15][20]。11月15日の公試では16,630トン、軸馬力52,600で速力23.7ノットを記録している[40]

あるぜんちな丸は、全長約167.3m、幅21.6m、排水量12,755トンで、新田丸級貨客船より若干小型であった[41][42]。空母改造後の基準排水量は13,600トン、公試排水量16,700トン、全長166.55m、全幅21.90mで、新田丸貨客船改造の大鷹型航空母艦より若干小型である[42]。飛行甲板の長さも大鷹型172mに対し160mほどだった[37][42]。さらに大鷹型含めて小型低速の空母であり、太平洋戦争中の艦上機を多数運用する事は困難であった[37][41]カタパルトを装備した連合国軍の軽空母護衛空母と比較して、大鷹型の航空機展開能力は非常に限定されていたのである[43]

自衛武装として、12.7㎝(連装砲)を船体後方に4基(右舷2基、左舷2基)[39]、25mm三連装機銃を8基(右舷2基、左舷3基、艦尾2基)、船体外周各部に装備した[42][44]。昭和19年中旬、両舷に25mm三連装機銃を増備したとみられる[44]。艦後尾の両舷にも十二糎二八連装噴進砲[44]あるいは三十連装対空噴進砲4基を増設した[45]。飛行甲板上にも25mm単装機銃を20基ほど増備した[39]

海鷹の航空機搭載機数は24機(零式艦上戦闘機18、九七式艦上攻撃機6、補用機なし)[37][41]。ただし海鷹を含め大鷹型空母は実戦投入には不適であることから、航空機輸送任務もしくは船団護衛に投入された[37][44]。船団護衛空母として行動する時には、九七式艦上攻撃機を12-14機搭載[37]。数機ずつを船団の周囲に2-3時間交代で飛ばし、対潜哨戒を行った[37]。本艦の輸送および護衛任務は、太平洋戦争末期に連合国軍が南方の制空権制海権を掌握するまで続いた。

公試成績は以下の通り[46]

年月日 種別 排水量(トン) 速力(ノット) SHP rpm
1943-11-08 過負荷全力(10.5/10) 16,921 54,930 340.4
1943-11-08 公試全力(10/10) 16,958 23.82 52,510 335.2
1943-11-15 終末公試(10/10) 16,629 23.72 52,640 334.7

歴史編集

あるぜんちな丸編集

日本海軍は空母の不足を補うために高速貨客船建造に助成金を与え、代償として有事には特設艦船に改造する計画であった[15][47]1939年昭和14年)6月に竣工した大阪商船所属の「あるぜんちな丸」も、そのなかの1隻であった[37][20]あるぜんちな丸級貨客船2隻(あるぜんちな丸、ぶらじる丸)は優秀船舶建造助成施設に基づく政府の補助を受けて南米航路の貨客船として建造された[48][15]

1941年(昭和16年)9月、日本海軍に徴傭される[20]。12月上旬、連合国との間に太平洋戦争が勃発。 1942年(昭和17年)5月1日、日本海軍は姉妹船2隻(あるぜんちな丸、ぶらじる丸)を特設運送艦と類別する[21][49]。2隻とも横須賀鎮守府所管[50]連合艦隊附属となる[51]。同日附で渡部威中佐が、あるぜんちな丸監督官に任命された[52]

5月下旬より、あるぜんちな丸級2隻(あるぜんちな丸、ぶらじる丸)は兵員輸送船としてミッドウェー作戦に参加した[53][54]。他の輸送船や護衛の第二水雷戦隊及び同隊所属の駆逐艦雪風等と共に行動する[55][56]。 本海戦で、日本海軍の正規空母4隻と重巡1隻が沈没する[57]。海軍は、航空母艦の急速増勢を行うことを決定した[22][58]

6月30日、日本海軍は昭和18年度においてあるぜんちな丸シャルンホルスト千歳千代田ぶらじる丸の空母改造を決定する[59](官房機密第8107号)[22][注釈 7]。 ただし、ぶらじる丸は同年8月5日アメリカ海軍潜水艦グリーンリング (USS Greenling, SS-213) の雷撃により撃沈されている[61][62]

ミッドウェー海戦後、横須賀に帰投していたあるぜんちな丸は、アリューシャン攻略作戦に従事する[63]。大本営はアッツ島キスカ島の長期確保を企図しており[64][65]、千代田艦長指揮下の輸送部隊がミッドウェー島占領のため編成されていた海軍陸戦隊を北方方面に輸送することになった[66][注釈 8]6月28日、千代田艦長原田覚大佐指揮下の輸送隊(水上機母艦千代田、特設運送船あるぜんちな丸、第18駆逐隊[69]不知火〉)は横須賀を出発する[70][注釈 9]7月4日夕刻から5日未明にかけて千代田輸送隊はキスカ島に到着、あるぜんちな丸と千代田は同島キスカ湾に入港した[70]。だがアメリカ潜水艦グロウラー (USS Growler, SS-215) の襲撃により[72][73]第18駆逐隊は霰轟沈、不知火と霞は大破航行不能[注釈 10]という大損害を蒙った[70]7月5日の海戦[76]。 7月10日、あるぜんちな丸は軽巡洋艦阿武隈(同日夜まで)と駆逐艦(第6駆逐隊)と共に、キスカ湾を出発した[77][78]。 7月15日、2隻(あるぜんちな丸、電)は横須賀に戻った[78][79]。その後、あるぜんちな丸は内地~東南アジア方面で活動した。

同年12月9日、渡部中佐(あるぜんちな丸監督官)は横須賀鎮守府付となる[80]。12月20日、三菱長崎で空母への改造作業に着手した[81]。仮称艦名第1005号艦[15][49]。貨客船時代のディーゼルエンジンを、駆逐艦用の蒸気タービン機関に換装する大工事となった[33]

1943年(昭和18年)2月、空母へ改造中の3隻(千代田千歳、あるぜんちな丸)は、臨時に戦時編制から除かれることになった[82]。11月23日、工事完成[49][83]。日本海軍はあるぜんちな丸を軍艦(ぐんかん)海鷹(かいよう)と改名した[14]

海鷹は大鷹型航空母艦に類別される[26][84]横須賀鎮守府[85]連合艦隊附属[81]高尾儀六大佐(前職、水上機母艦秋津洲艦長)[86]が海鷹艦長に任命された[87]

海鷹編集

航空機輸送任務編集

海鷹が竣工する直前の1943年(昭和18年)11月15日、日本海軍は海上交通保護および対潜掃蕩を主任務とする海上護衛総司令部を設置した[88][89]。 12月15日付で大鷹型空母3隻(大鷹、雲鷹、海鷹)は海上護衛総司令部部隊(附属部隊)に編入された[90][91][92]。 12月20日付で空母神鷹(元ドイツ貨客船シャルンホルスト。12月15日竣工)も海上護衛総司令部部隊に編入された[93][94]。 だが海上護衛総司令部部隊は大鷹型空母4隻(大鷹、雲鷹、海鷹、神鷹)を揃えたものの[95]実際に活動する準備が出来ておらず[注釈 11]、3隻(海鷹、神鷹、雲鷹)は連合艦隊の指揮下に入り航空機輸送任務に投入された[97][98]。海鷹の最初の任務は、第二十三航空戦隊の南西方面輸送任務である[99]

1944年(昭和19年)1月8日、空母2隻(神鷹、海鷹)、吹雪型駆逐艦3隻(薄雲)はシンガポールに向け内海西部を出発したが、神鷹の機関故障[29][100]により大分県佐伯に仮泊した[101][102]。 神鷹は呉に回航され[103]、シンガポールには3隻(海鷹、電、響)のみが向かった[104][105]。 1月12日に佐伯を出発後[105]、16日マニラに到着した[81]。18日に出発[81]。21日、海鷹隊はシンガポールに到着した[106]。同地で艦上攻撃機天山21機[33]もしくは26機(第五五一海軍航空隊)を搭載する[107][108]。天山は飛行甲板に固縛された[107]。五五一空主計長の門司親徳主計大尉は、ミッドウェー作戦時に呉鎮守府第五特別陸戦隊主計長としてあるぜんちな丸に乗船しており、貨客船時代との違いに驚いている[107]

1月31日、海鷹隊はシンガポールを出発した[108][109]。2月3日-4日はタラカン[107]、2月7日-8日はパラオ滞在、2月11日にトラック泊地に到着した[81][110]。ただちに天山を陸揚げする[33][111]。2月13日[108]、海鷹はトラック泊地を出発する[81][111]。だが本艦が輸送した天山は、2月17日以降のトラック島空襲で破壊されてしまった[33][112]。海鷹隊はサイパンを経由し、2月20日に呉へ戻った[108][113]。同20日付で、海鷹は連合艦隊の作戦指揮下を離れる[113]

当時、軍令部連合艦隊マーシャル群島メジュロ環礁を根拠地とするアメリカ海軍機動部隊に対し、奇襲攻撃を計画していた(雄作戦[114][115]。日本海軍の保有空母13隻全力を投入する大規模作戦である[114][注釈 12]。本作戦において、大鷹型は各艦零戦24機を搭載予定だった[114]。だが3月下旬の海軍乙事件で連合艦隊司令長官古賀峯一大将遭難、福留繁参謀長捕虜という事態により、立ち消えとなった[114][115]

船団護衛任務編集

その頃、着艦訓練を終えた海鷹は[116][117]、3月17日付で第一海上護衛隊に編入されていた[118][119]第九三一海軍航空隊の九七艦攻12機を海鷹に搭載する[120][121]。 海鷹の護衛空母としての初任務は[122]ヒ57船団である[123][124]。 この船団はタンカー8隻と陸軍特殊艦神州丸[123][29]の合計9隻から成り[125]、護衛艦艇は7隻(空母〈海鷹〉[126]、海防艦〈択捉壱岐占守第8号第9号〉、水雷艇〉)であった[127][128]4月3日午前6時[128]、ヒ57船団部隊は山口県関門海峡沖合の六連泊地を出撃した[124][129]4月16日シンガポール(昭南)に到着する[118]。 改めてヒ58船団となり、5隻(海鷹、択捉、壱岐、占守、第9号海防艦)は加入船舶7隻を護衛して4月21日に昭南を出発した[130][128]。4月24日、「海鷹」搭載の九七式艦攻がアメリカ潜水艦ロバロー (USS Robalo, SS-273) を爆撃し被害を与えた[131]5月3日、門司に帰還した[41][132]。海鷹は瀬戸内海回航後、呉海軍工廠で入渠して修理を行う[133][134]

5月下旬、海鷹は二回目の船団護衛任務に従事する[29][135]5月29日、第七護衛船団司令官松山光治少将は練習巡洋艦(軽巡)香椎に乗艦[135]、空母「海鷹」、海防艦(淡路千振19号[134][136]、駆潜艇60号、敷設艇、陸軍特殊艦神州丸と油槽船11隻からなるヒ65船団を指揮して日本本土(北九州門司港)を出撃、シンガポールへ向かった[132][137]火焼島沖合を航行中の6月2日午前2時45分[138]、アメリカ潜水艦ギターロ (USS Guitarro, SS-363) [139][140]の雷撃で海防艦淡路が沈没した[141]。 続いて回避行動中に貨客船有馬山丸神州丸が衝突する[140]。神州丸は搭載爆雷の誘爆で大破、香椎は神州丸を台湾基隆市まで曳航した[140][142]6月11日(12日とも)[140][143]、ヒ65船団部隊は[144]、シンガポールに到着した[137]。帰路のヒ66船団(軍艦〈香椎、海鷹〉、海防艦〈千振、7号11号〉、護衛対象4隻)は6月17日にシンガポールを出発する[145][146]。損傷艦なく6月26日に門司へ帰投した[143][147]

7月上旬、2隻(香椎、海鷹)は呉海軍工廠で修理を行う[148]。 7月中旬、海鷹はフィリピンへの輸送作戦に参加した[149][150]門司出航のヒ69船団に加わる[151][152]。同行する空母3隻(大鷹、海鷹、神鷹)のうち対潜哨戒機を搭載していたのは神鷹のみである[注釈 13]。大鷹と海鷹は航空機輸送艦として、零戦95機、艦爆彗星1機、艦攻天山5機、局地戦闘機雷電10機、夜間戦闘機月光9機を輸送した[154][155]。 ヒ69船団旗艦は練習巡洋艦香椎(指揮官、第五護衛船団司令官吉富説三少将)[156]、護衛部隊は6隻(香椎、神鷹、千振佐渡第七号海防艦第十七号海防艦)であった[157]。 7月13日-14日、ヒ69船団部隊は北九州を出撃する[157][158]。7月18日[159]、第十七号海防艦がアメリカ潜水艦タイルフィッシュ (USS Tilefish, SS-307) [155][注釈 14]の雷撃で中破[161]台湾高雄市に回航された[162]。 他に被害はなく、20日マニラに到着した[163]。ここで輸送用航空機を陸揚げした大鷹と海鷹は、神鷹と分離する[155]。神鷹はヒ69船団部隊としてシンガポールに向かった[164][165]。大鷹はヒ68船団として帰投した[166][167]

一方、海鷹はマモ〇一船団(空母海鷹、輸送船浅間丸護国丸[168]、護衛艦艇〈駆逐艦秋風〔第30駆逐隊〕、駆逐艦初霜〔第21駆逐隊〕[169]、掃海艇28号、駆逐艦 〉)として[170]7月25日にマニラを出発する[171][172]。 27日、マモ〇一船団は高雄(台湾)に到着した[173]。ここで秋風はマニラへ戻った[174]。 マニラ滞在中の7月29日、高尾大佐(海鷹艦長)は呉鎮守府付となる[175]北村昌幸大佐は臨時海鷹艦長に任命された[175]。 7月31日、マモ〇一船団部隊は高雄を出発する[176]。航海中の8月1日、有田雄三大佐は海鷹艦長に補職される[177]。8月3日、船団部隊は九州に到着した[178]。海鷹は呉に到着[166]。機関故障修理のため、ただちに呉海軍工廠に入渠した[179][180]。8月から10月中旬にかけて、呉海軍工廠で整備と修理に従事した[180][181][182]

10月17日、海鷹は連合艦隊の指揮下に入る[183][184]。空母2隻(龍鳳、海鷹)は台湾沖航空戦に伴って損害を受けた台湾高雄市の航空廠や、各航空部隊向けの資材を輸送することになった[185][186]。 部隊指揮官は有田雄三大佐(海鷹艦長)[187][188]。 10月25日、緊急輸送部隊(空母〈海鷹、龍鳳〉、松型駆逐艦〉)[188]は佐世保を出撃する[81][189]。27日[81]、基隆に到着[190][191]。物資を揚陸し、帰路はアルコールや燃料用砂糖を積載した[185]。30日、基隆を出発する[189][192]。11月1日-2日、艦隊は無事に内地に到着した[189][193]。各艦は、それぞれ原隊に復帰する[194]。 11月21日まで、海鷹は呉海軍工廠で修理と整備を行う[195]

11月下旬、海鷹は最後の護衛任務に従事する[30][196]。11月25日、北九州を出撃[197][198]。護衛艦艇(空母海鷹[197]、睦月型駆逐艦夕月卯月[199]、松型駆逐艦[200]、海防艦[201][202]第25号第35号第63号第64号第207号〉)[203]、貨物船5隻とタンカー3隻、他2隻から成るヒ83船団を護衛してシンガポールに向かった[30][196]。 11月30日、第九三三海軍航空隊基地物件搭載の第30駆逐隊[199](夕月、卯月)は分離して馬公市に向かう[198][204]。海鷹含めヒ83船団は高雄市に到着した[197][203]。 12月1日、高雄市でマニラ行きの駆逐艦と貨物船を分離する[196]。12月3日朝、第六十四号海防艦は米潜水艦パイプフィッシュ (USS Pipefish, SS-388) に撃沈された[196][205]。 航海中の12月10日、海鷹は第一護衛艦隊に編入される[206]。 12月13日、海鷹ふくめヒ83船団部隊はシンガポールに到着した[81][30]12月26日ヒ84船団はシンガポールを出撃する[154][30]1945年(昭和20年)1月4日、香港到着[81]。翌日出発[81]、1月13日に門司に到着した[30][196]。その後は、艦上機燃料が枯渇してきた上に制海権が連合国軍に握られたこともあり大規模船団は運航停止に追いこまれ、海鷹は瀬戸内海で標的艦(目標訓練艦)となった[154][196]

1945年(昭和20年)3月15日、有田雄三大佐(海鷹艦長)は海軍水雷学校教官へ転任した[207]。後任の海鷹艦長は、国府田清大佐(当時、海軍運輸本部総務課長)[207]。だが国府田大佐はしばらく着任できず、引き続き有田大佐が艦長として指揮をとった[208]3月19日、アメリカ海軍機動部隊艦上機は呉軍港を空襲する。高高度から撮影した呉軍港の写真では、海鷹の左舷前方に戦艦大和、海鷹前方に航空戦艦日向、海鷹右舷後方に戦艦榛名(繋留中)が写っている[209]。空襲時の海鷹は雲龍型航空母艦2隻(天城葛城)付近に停泊しており[210]、飛行甲板を貫通した爆弾1発が海面で炸裂した[211]。戦死者3名[211]。重油タンクや左舷機械室に浸水する被害を受けた[185][211]。 比較的損傷の小さかった海鷹は、他の残存空母(龍鳳鳳翔、天城、葛城)と共に、飛行甲板に植物を置くなどの偽装を行った[208][212]。3月28日、呉鎮守府護衛部隊に編入される[212]

連合艦隊附属編集

4月20日、海鷹は連合艦隊附属となる[213][214]。呉海軍工廠で入渠修理を実施した[208][215]。その後、伊予灘(瀬戸内海西部)にあって、雷撃機や特攻兵器(桜花回天)の目標艦(標的艦)として行動した[215][注釈 15]。 5月15日、国府田清大佐(海鷹艦長)は呉鎮守府出仕となる[216]。後任の海鷹艦長は大須賀秀一大佐(当時、空母鳳翔艦長)[217]

7月18日、海鷹はアメリカ軍B-29が空中投下した磁気機雷に触れて損傷、別府湾に引き返した[218]。 7月24日、米海軍機動部隊艦載機の空襲時も、対空砲火と回避行動によって被害なく切り抜ける[208][219]。だが夕刻になり別府湾を出発したところ、再び磁気機雷が起爆した[154]。舵破壊と機関部損傷により航行不能となる[219]。駆逐艦夕風に曳航され、翌日には別府近郊の日出湾に座礁した[219]。7月28日、米軍機動部隊艦載機の空襲を受ける[208]。直撃弾3発、戦死者約20名[220]発電機が損傷して排水ポンプが作動せず、浸水が増大[221]。完全に着底した[222]。また排気ファンの停止により艦内の環境も悪化、船体放棄に至った[220]

8月15日終戦の日)、大須賀大佐(海鷹艦長)は横須賀鎮守府附となる[223]。同日付で海鷹は第四予備艦に指定された[注釈 16]

戦後、座礁現場で解体された[31]

年表編集

艦長編集

監督官(特設運送船あるぜんちな丸)
  1. 渡部威中佐[52]1942年5月1日[52] - 1942年12月9日[80]
艦長
  1. 高尾儀六大佐[87]1943年11月23日[87]-1944年7月24日[175]
  2. (臨時)北村昌幸大佐[175]:1944年7月24日[175] - 1944年8月1日[177](本職:第一海上護衛隊運航指揮官
  3. 有田雄三大佐:1944年8月1日[177] - 1945年3月15日[207]
  4. 国府田清大佐:1945年3月15日[207] - 1945年5月1日[216]
  5. 大須賀秀一大佐[217]:1945年5月1日[217] - 1945年8月15日[223]

脚注編集

注釈編集

  1. ^ a b #海軍造船技術概要p.295。ただし、次頁で計画値に改められている
  2. ^ 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」p.31では25番爆弾36個になっているが、戦後複写版では35個になっている。
  3. ^ ぶらじる丸は改造直前に沈没[23][24]
  4. ^ 大分県公文書館:文書番号1995060033「占領軍ヨリノ指令」を参照(大分県知事宛に第92軍政司令部が「日本サルベージ」よる解体を許可した文書)。『写真|日本の軍艦 第4巻』p126、『日本海軍史第7巻』による。『軍艦メカニズム図鑑-日本の航空母艦』『写真|日本の軍艦 第4巻』p121によると日本サルベージ、『海軍艦艇史3航空母艦・水上機母艦・潜水母艦』によると日産サルベージとなっている。また、大蔵省管財局の覚書である『艦艇解撤』誌では、許認可申請時は日本サルヴェージ、実施工は日鮮サルベージが実施(日本サルヴェージの下請けでは無い状態)と読み取れる。
  5. ^ 日本海軍が商船改造空母を便宜上「大鷹型」に類別したもの[32]。実際の同型艦は大鷹(春日丸)・雲鷹(八幡丸)・冲鷹(新田丸)。
  6. ^ 1939年5月上旬の公試写真では、全力運転中にも拘らず煙突から排煙がほとんど見えていない[36]
  7. ^ 第二項 航空母艦緊急増勢[60] 一、經緯並ニ實行計畫(中略)官房機密第八一〇七號 昭和十七年六月三十日決済 航空母艦増勢實行に關スル件仰裁 首題ノ件ニ關シテハ省部間研究ノ結果意見一致セルヲ以テ左記方針ニ依リ直ニ其ノ實行ニ着手シ極力整備促進ヲ圖ルコトニ取計可然哉 追テ軍令部ヨリノ商議手續ハ他ノ艦種ニ關スルモノト共ニ別途處理スルコトト致度  記 一、昭和十七年度ニ於テ改装完了ノコトニ豫定シアル左ノ三隻ハ出來得ル限リ速ニ之ヲ完成ス 飛鷹、大鯨、新田丸/二、昭和十八年度ニ於テハ左ノ五隻ヲ航空母艦ニ改装スルモノトシ極力其ノ工事ヲ促進ス アルゼンチナ丸、シャルンホルスト號、千歳、千代田、ブラジル丸(朱書)ブラジル丸ニ對シテハ驅逐艦用機關ノ換装使用ニ關シ研究ノ上成ルベク其ノ實現ヲ圖ルモノトス(三、四、五は略)(朱書)(イ)艤装簡單化及戰訓取入ニ關シテハ速ニ別途研究ス/(ロ)航空機運搬艦的ノ簡易ナル航空母艦ノ建造(商船改造)及淺間丸級三隻ノ改装問題(驅逐艦用機關使用)ニ關シテハ別途研究スルコトトス(別紙、別表添)(終)
  8. ^ 千代田は水上戦闘機と甲標的も輸送する[67][68]
  9. ^ 第18駆逐隊の駆逐艦陽炎は、輸送船菊川丸護衛のため7月9日横須賀出発、19日キスカ到着[71]
  10. ^ 不知火と霞は船体切断に追い込まれ[74]、舞鶴海軍工廠で修理をおこなった[75]
  11. ^ 海鷹と神鷹は竣工したばかり。大鷹は前年9月に被雷して大破、修理中[96]
  12. ^ 装甲空母大鳳、正規空母翔鶴瑞鶴隼鷹飛鷹、軽空母龍鳳瑞鳳千歳千代田大鷹雲鷹神鷹、海鷹[115]
  13. ^ 神鷹も対潜哨戒機の他に、局地戦闘機雷電を輸送する[153][150]
  14. ^ あるいは潜水艦ガードフィッシュ (USS Guardfish, SS-217) [160]
  15. ^ 別府湾内では人間魚雷回天の訓練基地・大神基地があった関係で、回天が唯一空母を標的艦として訓練を実施している。
  16. ^ 内令第七三八號[224] 呉鎭守府練習兼警備艦 軍艦 磐手/佐世保鎭守府練習兼警備艦 軍艦 出雲/呉鎭守府警備驅逐艦 驅逐艦 柳/呉鎭守府警備敷設艇 敷設艇 怒和島 右役務ヲ解カル|横須賀鎭守府特殊警備艦 軍艦 大淀 軍艦 天城/横須賀鎭守府豫備艦 軍艦 海鷹/呉鎭守府特殊警備艦 軍艦 伊勢 軍艦 日向 軍艦 青葉/呉鎭守府豫備艦 軍艦 磐手/佐世保鎭守府特殊警備艦 軍艦 榛名/佐世保鎭守府豫備艦 軍艦 出雲/舞鶴鎭守府特殊警備艦 軍艦 利根 右第四豫備艦ト定ム|呉鎭守府豫備驅逐艦 驅逐艦 柳/佐世保鎭守府豫備驅逐艦 驅逐艦 初霜 右第四豫備驅逐艦ト定ム|横須賀鎭守府豫備砲艦 砲艦 隅田/佐世保鎭守府豫備砲艦 砲艦 勢多 砲艦 堅田 砲艦 熱海 砲艦 二見 砲艦 多多良 砲艦 鳴海 右第四豫備砲艦ト定ム|舞鶴鎭守府豫備海防艦 第六十一號海防艦 右第四豫備海防艦ト定ム|呉鎭守府豫備敷設艇 敷設艇 怒和島 右第四豫備砲艦ト定ム|呉鎭守府豫備特務艦 特務艦 攝津 右第四豫備特務艦ト定ム|昭和二十年八月十五日 海軍大臣

出典編集

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    • 「航空母艦 一般計画要領書 附現状調査」
  • 門司親徳「第4章 新設第五五一航空隊に移る」 『空と海の涯で 第一航空艦隊副官の回想』光人社〈光人社NF文庫〉、2012年5月 (原著1978年)。ISBN 978-4-7698-2098-7 
  • 森山嘉蔵 『終焉の夏が逝く 歴戦の空母「海鷹」の青春』元就出版社、2004年7月。ISBN 4-86106-011-7  著者(海鷹操舵員)の体験を元にした小説。
  • 横井俊之ほか 『空母二十九隻 日本空母の興亡変遷と戦場の実相』潮書房光人社、2016年2月。ISBN 978-4-7698-1611-9 
    • 元三十五突撃隊・海軍二等兵曹正岡勝直『鷹型ミニ空母五隻が辿った薄幸の生涯 客船改造の大鷹、雲鷹、冲鷹、神鷹、海鷹の船団護衛と潜水艦との戦い
    • 『悲運の護衛輸送空母たちの航跡』より、元「海鷹」甲板士官・海軍中尉徳富敬太郎『日本最少空母「海鷹」の終焉』
    • 伊達久『日本海軍航空母艦戦歴一覧 伊吹および雲龍型未成艦をふくむ空母二十九隻の太平洋戦争
  • 歴史群像編集部編 『睦月型駆逐艦 真実の艦艇史4 ― 謎多き艦隊型駆逐艦の実相』 第64巻、学習研究社〈歴史群像 太平洋戦史シリーズ〉、2008年5月。ISBN 978-4-05-605091-2 


  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和19年1月31日現在10版 内令提要追録第14号原稿(防衛省防衛研究所)巻3/第13類艦船(1)』。Ref.C13072024200。 
    • 『昭和16年~17年 大東亜戦争徴傭船舶行動概見表 甲 第1回(2)』。Ref.C08050019300。 
    • 『昭和18年9月~12月達/11月(3)』。Ref.C12070121000。 
    • 『昭和17年4月~6月内令2巻/昭和17年5月(1)』。Ref.C12070162700。 
    • 『昭和17年7月~9月内令/昭和17年9月分(2)』。Ref.C12070164900。 
    • 『昭和18年9月~12月内令/昭和18年11月(5)』。Ref.C12070190000。 
    • 『昭和17年5月1日~昭和17年5月31日 横須賀鎮守府戦時日誌(1)』。Ref.C08030317600。 
    • 『昭和17年5月1日~昭和17年8月7日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030094900。 
    • 『昭和17年5月1日~昭和17年8月7日 第2水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030095000。 
    • 『昭和17年6月1日~昭和17年6月30日 ミッドウエー海戦 戦時日誌戦闘詳報(1)』。Ref.C08030040400。 
    • 『昭和17年5月29日~昭和17年7月31日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030081500。 
    • 『昭和17年5月29日~昭和17年7月31日 第1水雷戦隊戦時日誌戦闘詳報(5)』。Ref.C08030081600。 
    • 『昭和18年1月1日~昭和18年1月31日 佐世保鎮守府戦時日誌(3)』。Ref.C08030341500。 
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(1)』。Ref.C08030137300。 
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(2)』。Ref.C08030137400。 
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(3)』。Ref.C08030137500。 
    • 『昭和18年11月15日~昭和19年11月30日 海上護衛総司令部戦時日誌(4)』。Ref.C08030137600。 
    • 『昭和18年9月1日~昭和19年3月31日 第1水雷戦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030085900。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年2月29日 第2水雷戦隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030102000。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和20年4月6日 呉防備戦隊戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030369400。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年3月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030140300。 
    • 『昭和19年4月1日~昭和19年5月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030140600。 
    • 『昭和19年4月1日~昭和19年5月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030140700。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年7月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030141000。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年7月31日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030141100。 
    • 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(1)』。Ref.C08030141400。 
    • 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(2)』。Ref.C08030141500。 
    • 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(3)』。Ref.C08030141600。 
    • 『昭和19年8月1日~昭和19年11月30日 第1海上護衛隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030141700。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年10月31日 軍艦神鷹戦時日誌戦闘詳報(2)』。Ref.C08030585000。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年10月31日 軍艦神鷹戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030585100。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年8月31日 第30駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(4)』。Ref.C08030149300。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和19年12月13日 第30駆逐隊戦時日誌戦闘詳報(3)』。Ref.C08030149800。 
    • 『昭和18年12月1日~昭和19年8月31日 特設運送船護国丸戦時日誌(5)』。Ref.C08030654900。 
    • 『昭和19年 大東亜戦争徴傭船舶行動概見表 甲 第6回の1(2)』。Ref.C08050039100。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(4)』。Ref.C08030127700。 
    • 『昭和19年6月1日~昭和20年6月30日 第11水雷戦隊戦時日誌(5)』。Ref.C08030127800。 
    • 『昭和19.1~昭和20.2 大東亜戦争経過概要(護衛対潜関係)其の2/昭和19年12月』。Ref.C16120660300。 

関連項目編集

外部リンク編集