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麻溝台

神奈川県相模原市南区の地名

麻溝台(あさみぞだい)は、神奈川県相模原市南区町名および大字名。住居表示実施区域の麻溝台一丁目〜八丁目よび未実施の地番区域(大字)からなる。郵便番号は252-0328[2]

麻溝台
麻溝台の位置(神奈川県内)
麻溝台
麻溝台
麻溝台の位置
北緯35度31分34.09秒 東経139度24分3.0秒 / 北緯35.5261361度 東経139.400833度 / 35.5261361; 139.400833
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Sagamihara, Kanagawa.svg 相模原市
南区
地域 麻溝地区(大字、1・7丁目)
相模台地区(大字、1〜8丁目)
人口
2018年(平成30年)1月1日現在)[1]
 • 合計 7,737人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
252-0328[2]
市外局番 042 (相模原MA)[3]
ナンバープレート 相模

「麻溝台」という地名は、この区域がかつて所属していた高座郡麻溝村に由来する。「麻溝村」という旧村名は、同村の前身である当(たいま)村と下村からの合成地名である。

目次

地理編集

相模原市南区の中央部北寄りに位置する。北は県道52号を境に北里一・二丁目および大野台四丁目に接し、東は西大沼五丁目と双葉一丁目、南は双葉二丁目と相模台七丁目および大字新磯野(あらいその)、西は大字下溝と隣接する。

相模川左岸に上・中・下3段の河岸段丘からなる相模原台地の「上段」に位置し、西側に南の磯部方面へ続く細長いヤト(谷戸)が伸び、ほぼ中央部を目久尻川の源流につながる浅い谷が南北に貫通するほかはほとんど平坦な台地上に広がる。

後述の通り、元は陸軍士官学校の演習地が再開墾された農地が広がっていたが、日産自動車の進出とともにこれを核とした工業団地が形成された。また農業でも市街地から離れていることから1960年代以降、大規模な養鶏場の建設が相次いだ。一方、1970年代に入るとこの地域にも宅地化の波が及び、特に南部では市街化が進行している。宅地化による新住民の流入とともに鶏舎からの悪臭が問題となり、2000年頃をピークにこの地域での養鶏は急速に衰退しつつある。

1989年平成元年)7月に、これらの工業団地や市街化の進行した区域を含めた県道507号(通称:村富線)以東の区域で住居表示が実施され、麻溝台一丁目〜八丁目が新設されたが、この県道以西の区域はその大部分が市街化調整区域に指定され、地番区域(大字麻溝台)として残存している。地番区域の多くは現在も農地として利用されているが、耕作放棄されている農地も少なくなく、一時的に産業廃棄物等の置き場として利用されている場所も多い。地番区域には市の南清掃工場があり、西側のヤトの一部は一般廃棄物最終処分場として利用されている。

地価編集

住宅地の地価は、2017年平成29年)の公示地価によれば、麻溝台6-7-10の地点で12万9000円/m2となっている[4]

歴史編集

元は相模国高座郡下溝村(一部は当麻村)の一部。1889年明治22年)の町村制施行のための明治の大合併で下溝村と当麻村が合併して高座郡麻溝村となると同村の大字下溝および大字当麻(飛地)のそれぞれ一部となった。明治初期までは「相模野」と呼ばれた広大な原野の一部で、このことから1882年(明治15年)には全国的な地図作成のための測量の起点となる一等三角点が設置された(相模野基線北端:現・麻溝台四丁目)。原野の開墾は1884年(明治17年)の下溝村からの入植に始まるとされ(コウタシンケエ[5]、下溝新開:現・麻溝台六丁目付近[6])、大正期には周辺地域での養蚕業の発展とともに畑と雑木林が交錯する土地利用となっていた。しかし、1937年昭和12年)に陸軍士官学校座間への移転に合わせて麻溝村から南隣の新磯村にかけての台地上の土地の大部分が陸軍に買収されて士官学校の演習場とされた。

敗戦後、士官学校の旧軍用地が開放され、海外からの引揚者による開拓(再開墾)が行われた。その多くは1945年(昭和20年)から1947年(昭和22年)にかけて入植し、1948年(昭和23年)には開拓農業協同組合が設立されて、当区域には「麻溝台」や「豊原」など5つの組合があった。開拓に際しては新たな地割が行われたため、この区域には陸軍による買収以前、たとえば江戸時代の道路等の痕跡は一部を除いて残っていない。

この間、麻溝村は新磯村などとともに1941年(昭和16年)に高座郡相模原町の一部となった。1951年(昭和26年)1月、相模原町は旧麻溝村の区域内の旧軍用地に大字麻溝台を起立した(同時に、旧新磯村の旧軍用地に大字新磯野を起立)。1954年(昭和29年)11月20日に相模原町は市制を施行して相模原市となる。1979年(昭和54年)7月1日、相模原市は県道52号以北の区域で住居表示を実施し、相模原ゴルフクラブの敷地を既存の大野台四丁目に編入した上で、残りの区域に北里一丁目・二丁目を新設した[7]1989年平成元年)7月1日に県道507号(村富線)以東の区域で住居表示を実施、麻溝台一丁目〜八丁目を新設した。2010年(平成22年)4月1日、相模原市の政令指定都市移行により同市の南区に所属。

世帯数と人口編集

2018年(平成30年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

大字丁目 世帯数 人口
麻溝台 162世帯 343人
麻溝台一丁目 99世帯 150人
麻溝台二丁目 223世帯 411人
麻溝台三丁目 157世帯 348人
麻溝台四丁目 158世帯 419人
麻溝台五丁目 295世帯 771人
麻溝台六丁目 602世帯 1,324人
麻溝台七丁目 759世帯 1,661人
麻溝台八丁目 1,092世帯 2,310人
3,547世帯 7,737人

小・中学校の学区編集

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[8]

大字・丁目 番・番地等 小学校 中学校
麻溝台 2270、2281、2283~2287、2290
2305、2307〜2308、2348~2382
2384~2386、2391、2816~2848
2850~2866、2960、2970
2972~3009、3011、3043、3050
3052~3105、3107、3115
3117~3155、3157、3445~3512
3623~3722、3841~3846
相模原市立若草小学校 相模原市立麻溝台中学校
761、1060〜1061、1117~1123
1395、1429、1431~1442
1524〜1525、1534、1537~1541
1543、1849、1852~1856、1858
1868、1968〜1969、1971
1985~1989、1991〜1992
相模原市立双葉小学校
98~114、346~410、692~733
735~753、755〜756、758
1063~1116、1443~1523
1872~1967、2309~2347、3106
3108~3114、3116、3156
3158~3444、3513~3622
3723~3840、3847~3888
相模原市立麻溝小学校 相模原市立相陽中学校
麻溝台一丁目 1番
その他 相模原市立双葉小学校 相模原市立麻溝台中学校
麻溝台二丁目 全域
麻溝台三丁目 全域
麻溝台四丁目 全域
麻溝台五丁目 1~14番
その他 相模原市立桜台小学校
麻溝台六丁目 全域
麻溝台七丁目 全域 相模原市立若草小学校
麻溝台八丁目 1~23番、29~37番
その他 相模原市立桜台小学校

交通編集

鉄道編集

  • 区域内を通過する鉄道はない。

道路編集

施設編集

行政
教育
公園スポーツ施設等
  • 神奈川県立相模原公園 - 旧陸軍士官学校射撃場、在日米軍座間小銃射撃場跡地。
  • 相模原市立相模原麻溝公園 - 県立相模原公園と一体のものとして整備されている。
  • 相模原市立総合体育館
  • 市民健康文化センター
病院
福祉施設
  • 神奈川県立さがみ緑風園
工業
その他
  • 横浜水道、水道みち緑道

参考文献編集

  • 『相模原市史 現代図録編』 相模原市、2004年
  • 『地名調査報告書』 相模原市教育委員会、1984年

脚注編集

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  1. ^ a b 人口と世帯数”. 相模原市 (2018年1月25日). 2018年2月18日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月18日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月18日閲覧。
  4. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  5. ^ 「地名調査報告書」 相模原市教育委員会、1984年
  6. ^ ただし後に陸軍士官学校演習場として買収されたため、現在の集落・農地には連続しない。
  7. ^ この町名は一丁目に進出した北里大学および同大学病院による。
  8. ^ 小・中学校の通学区域”. 相模原市. 2018年2月18日閲覧。