1978年の南海ホークス
1978年の南海ホークス(1978ねんのなんかいホークス)では、1978年の南海ホークスにおける動向をまとめる。
1978年の南海ホークス | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ6位 年間6位:42勝77敗11分 勝率.353 後期6位:20勝38敗7分 勝率.345 前期6位:22勝39敗4分 勝率.361 | |
本拠地 | |
都市 | 大阪府大阪市 |
球場 | 大阪球場 |
球団組織 | |
オーナー | 川勝傳 |
経営母体 | 南海電気鉄道 |
監督 | 広瀬叔功 |
« 1977 1979 » |
このシーズンの南海ホークスは、広瀬叔功監督の1年目のシーズンである。
概要
編集野村克也前監督の解任を受けて就任した広瀬新監督は「泥まみれ野球」を掲げ、鶴岡野球への回帰と野村色の一掃を図り、ユニフォームのデザインも一新するなどチームのイメージチェンジを図った。しかし野村に続き主力選手の江夏豊と柏原純一まで抜けたチームの戦力低下は明白で(三人のうち交換トレードになったのは柏原だけで、野村が抜けた後の正捕手候補を獲得する手も打たれなかった)、4月中旬の8連敗に続いて5月にも8連敗を喫し、5月下旬に最下位に転落するとそのまま浮上することなく前期が終了。後期に入っても、開幕早々7連敗で最下位に転落、その後一時は5位に浮上するが、8月12日の日本ハムとのダブルヘッダーに連敗し再び最下位になると、チームに再びはい上がる力は残っていなかった。戦力が大幅ダウンしたチームは成績も大きく下落し、チーム打率はリーグ唯一の2割3分台で本塁打も唯一3桁に届かず(この年4連覇の阪急も含め5球団が2割6分台以上だった)。チーム防御率も前年のリーグ1位から1点近く落としロッテと同率のリーグ最下位に沈む中、2年目の村上之宏が5勝8敗という平凡な成績ながら新人王に輝き、数少ない明るい話題を提供した。対戦成績では11年ぶりにAクラス入りの日本ハムに13勝12敗1分と勝ち越して全球団負け越しこそ逃れたものの、前年まで互角だった阪急には5勝19敗2分で阪急の4連覇を許し、後期に阪急とマッチレースを演じた近鉄には5勝17敗4分と大きく負け越し、近鉄2位躍進の引き立て役となってしまった。
チーム成績
編集レギュラーシーズン
編集1 | 三 | 藤原満 |
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2 | 中 | 新井宏昌 |
3 | 右 | 門田博光 |
4 | 左 | メイ |
5 | 指 | 片平晋作 |
6 | 一 | 小田義人 |
7 | 二 | 桜井輝秀 |
8 | 捕 | 黒田正宏 |
9 | 遊 | 定岡智秋 |
投手 | 山内新一 |
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順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 阪急ブレーブス | 82 | 39 | 9 | .678 | 優勝 |
2位 | 近鉄バファローズ | 71 | 46 | 13 | .607 | 9.0 |
3位 | 日本ハムファイターズ | 55 | 63 | 12 | .466 | 25.5 |
4位 | ロッテオリオンズ | 53 | 62 | 15 | .461 | 26.0 |
5位 | クラウンライターライオンズ | 51 | 67 | 12 | .432 | 29.5 |
6位 | 南海ホークス | 42 | 77 | 11 | .353 | 39.0 |
*阪急が前後期完全優勝したため、プレーオフは行わずそのまま年間優勝
オールスターゲーム1978
編集コーチ | 広瀬叔功 | |
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ファン投票 | 選出なし | |
監督推薦 | 藤田学 | 藤原満 |
できごと
編集選手・スタッフ
編集表彰選手
編集リーグ・リーダー | |
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選手名 | タイトル |
村上之宏 | 新人王 |
ベストナイン |
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選出なし |
ダイヤモンドグラブ賞 |
選出なし |
ドラフト
編集順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 高柳秀樹 | 外野手 | 国士舘大学 | 入団 |
2位 | 藤田達也 | 投手 | 八代東高 | 入団 |
3位 | 岡本光 | 投手 | 串本高 | 拒否・松下電器入社 |
4位 | 吉田博之 | 捕手 | 横浜高 | 入団 |
出典
編集- ^ 『日本プロ野球80年史 1934-2014』 【記録編】、ベースボール・マガジン社、2014年12月24日。ISBN 978-4-583-10668-7。