南平 (日野市)

東京都日野市の町名
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南平(みなみだいら)は、東京都日野市の地名[4]。現行行政地名は南平一丁目から南平九丁目。住居表示未実施。郵便番号191-0041[2]

南平
南平丘陵公園
南平丘陵公園
南平の位置(多摩地域内)
南平
南平
南平の位置
北緯35度39分16.35秒 東経139度23分32.59秒 / 北緯35.6545417度 東経139.3923861度 / 35.6545417; 139.3923861
日本の旗 日本
都道府県 東京都
市町村 日野市
人口
2018年(平成30年)1月1日現在)[1]
 • 合計 16,194人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
191-0041[2]
市外局番 042[3]
ナンバープレート 八王子

地理

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日野市南部に位置する。浅川南側の台地丘陵地にあたり、北側の浅川河川敷沿いで東豊田大字川辺堀之内・大字上田、東で高幡、南東で三沢、南で程久保、南西で平山、西の浅川河川敷沿いで豊田と接する。

地名の由来

「平村」の由来はかつて地内を平資綱が所有したことによると言われる[4]。江戸期の小名「こんどう谷戸」にあった古碑が平資綱墓と伝えられる[4]が、この古碑については他にも平維盛墓等諸説ある[5]。この平村が1878年(明治11年)の郡区町村編制法の施行によって神奈川県南多摩郡に再編入される際、同名の平村が現在の八王子市域(現在の八王子市平町)にあり、より南にあったために南平村とした[4]。現在の「南平」の名はこの村名を由来とする。 地元住民は「なんぺー」と呼ぶことが多い

隣接地区

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市内

下記テンプレートを参照

河川

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歴史

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江戸時代には平村と呼ばれ多摩郡小宮領または日野領に属し江戸期初めは天領、後には旗本松平氏の知行だった。『武蔵田園簿』によれば村高は田135・畑56石余の計191石余、「元禄郷帳」では278石余、「天保郷帳」では345石余とされる[4]名主は井手家の代々世襲だった。この井手家は戦国期には駿河今川氏に仕えていたとされる[4]。平村は明治5年(1872年)に 神奈川県南多摩郡に編入、1873年明治6年)に区番組制の施行により第八区第七番組に編入、1876年(明治9年)大区小区制の施行により第九大区第五小区に編入されたが、1878年(明治11年)の郡区町村編制法施行により大区小区が廃止され神奈川県南多摩郡に再度属した際に、同名の「平村」が郡内(現在の八王子市平町)にあったため南平村と村名が変更された[4]。この南平村は1884年(明治17年)8ヶ村連合で戸長役場を設置したが、1889年(明治22年)の町村制施行により廃止され、神奈川県南多摩郡七生村の大字となった[4]1893年(明治26年)には南多摩郡が東京府へ編入され、東京府南多摩郡七生村の大字となり、1943年東京都制の施行により東京都南多摩郡七生村の大字、1958年昭和33年)の七生村の日野町との合併により東京都南多摩郡日野町の大字となった[4]1963年(昭和38年)には日野町の市制施行により東京都日野市の大字となり、1975年(昭和50年)には地番町名整理の一環として一部を旭が丘一丁目から旭が丘六丁目の一部として分離し、残部をもって南平及び南平一丁目から南平九丁目としている[4]

沿革

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  • 江戸時代 - はじめ天領後に旗本松平氏の知行となる。
  • 明治5年(1872年) - 平村が神奈川県南多摩郡に編入される。
  • 1873年(明治6年) - 区番組制の施行により、平村が第八区第七番組に編入される。
  • 1876年(明治9年) - 大区小区制の施行により、第九大区第五小区に編入される。
  • 1878年(明治11年) - 郡区町村編制法により大区小区が廃止され神奈川県南多摩郡に再度属する。 この際に南平村と村名が変更される。
  • 1884年(明治17年) - 8ヶ村連合で戸長役場を設置する。
  • 1889年(明治22年) - 町村制施行により、神奈川県南多摩郡七生村の大字となる。
  • 1893年(明治26年)4月1日 - 南多摩郡が東京府へ編入され、東京府南多摩郡七生村の大字となる。
  • 1958年(昭和33年) - 七生村の日野町との合併により東京都南多摩郡日野町の大字となる。
  • 1963年(昭和38年) - 日野町の市制施行により東京都日野市の大字となる。
  • 1975年(昭和50年) - 一部を旭が丘一丁目から旭が丘六丁目の一部として分離し、残部をもって南平及び南平一丁目から南平九丁目とする。
  • 2010年(平成22年)- 町名地番未整理の1564・1574番地を程久保の一部とともに新設された三沢五丁目の一部とする。

地価

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住宅地の地価は、2014年平成26年)1月1日公示地価によれば、南平6丁目20番15の地点で19万9000円/m2となっている[6]

世帯数と人口

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2018年(平成30年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
南平一丁目 1,075世帯 2,391人
南平二丁目 1,310世帯 3,053人
南平三丁目 645世帯 1,280人
南平四丁目 725世帯 1,739人
南平五丁目 1,338世帯 2,799人
南平六丁目 649世帯 1,309人
南平七丁目 638世帯 1,214人
南平八丁目 599世帯 1,106人
南平九丁目 587世帯 1,303人
7,566世帯 16,194人

小・中学校の学区

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市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7]

丁目 番地 小学校 中学校
南平一丁目 全域 日野市立南平小学校 日野市立七生中学校
南平二丁目 全域
南平三丁目 全域
南平四丁目 全域
南平五丁目 1〜15番地
32〜36番地
その他 日野市立豊田小学校
南平六丁目 1〜21番地
その他 日野市立平山小学校
南平七丁目 全域
南平八丁目 全域
南平九丁目 全域

交通

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鉄道

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バス

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※ バス停名は「南平」だが、京王線の南平駅とは大きく離れた所にある。

道路

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施設

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東京都立南平高等学校

教育

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商業

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諸施設

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  • 公園
    • 南平丘陵公園
    • 都立七生公園
  • 地区センター
    • 南平南部地区センター
    • 見晴らし台地区センター
    • みなみヶ丘地区センター
    • 鹿島台地区センター
    • 新川辺地区センター
    • 田中地区センター

脚注

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  1. ^ a b オープンデータページ - 統計情報”. 日野市 (2018年1月10日). 2018年1月18日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月18日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月18日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l 角川日本地名大辞典 13 東京都』角川書店、1991年9月再版、P446、P683、PP1113-1118。
  5. ^ 『広報ひの』昭和45年9月15日号
  6. ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
  7. ^ 指定校表・ブロック表(住所引)”. 日野市 (2015年4月1日). 2018年1月18日閲覧。

関連項目

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