山中智恵子
山中 智恵子(やまなか ちえこ、1925年5月4日 - 2006年3月9日)は、日本の歌人。
前川佐美雄に師事。深い古典教養と幻想性を混交させた作風から「現代の巫女」とも評された。女流における前衛歌人の代表的存在である。
経歴
編集愛知県名古屋市西区出身。父・渡辺鑑三は尾張藩医の末裔で、その従兄は俳人の沼波瓊音。母タマエ(旧姓馬島)の本家も代々の尾張藩医で、後水尾天皇を快癒させたことで知られる高名な眼科医の家系。母方の祖父は明治の蘭方医。母は尾上柴舟に師事して国文学を学んでいた。二兄一姉をもつ次女(次兄は智恵子生誕以前に死亡)。6歳の秋に父が脳出血で倒れて半身不随となり、療養のために愛知県知多郡新舞子の別宅に移住。
1932年に三重県河芸郡白子町(現鈴鹿市)の祖父山中権十良に預けられ、以後生涯にわたって鈴鹿市に暮らす。1935年山中家の養女となり、この年より短歌を始める。養父は代々型紙業を営んでいたが廃業。養父母は明治30年代から関東大震災まで東京浜町に居住していたことがあり、芸能や芸術を愛する自由な気風の家庭であった。
1942年、三重県立河芸高等女学校(現白子高等学校)を卒業。日米開戦により上京を断念する。京都女子専門学校(現・京都女子大学)に進学後、「アララギ」に投稿。前川佐美雄歌集『くれなゐ』に出会い影響を受ける。1945年に繰上卒業後、鈴鹿市立高等女学校(後の神戸高等学校)の教員となる。1946年、前川佐美雄主宰の「オレンヂ」(のち「日本歌人」)に入会。1947年「オレンヂ」2号に初出詠(塚本邦雄も同時に初出詠)。1950年、神戸高校の同僚であった数学教師と結婚。1951年に四日市市立富洲原中学校教諭を最後に退職し、専業主婦となる。「日本歌人」同人となる。
1954年、第1回短歌研究五十首詠(現短歌研究新人賞)に応募し、佳作入選。このときの受賞者は中城ふみ子。1960年、塚本邦雄、原田禹雄、寺山修司、安永蕗子、浜田到、春日井建、菱川善夫、秋村功らともに「極」創刊に参加。
村上一郎の個人誌「無名鬼」に1964年の創刊より寄稿。1976年に『斎宮女御徽子女王』を刊行し、斎宮の研究でも知られるようになる。
1996年、白川静、谷川健一、水原紫苑、吉田加南子と同人誌「游」発行。
2006年、急性心不全により死去。
受賞歴
編集主な著書
編集歌集・句集
編集- 『空間格子』日本歌人社 1957
- 『紡錘』不動工房 1963
- 『みずかありなむ』無名鬼発行所 1968
- 『虚空日月』国文社 1974
- 新装版『みずかありなむ』国文社 1975
- 『山中智恵子歌集』国文社・現代歌人文庫 1977
- 『青章』国文社 1978
- 『短歌行』砂子屋書房 1981
- 『星暦』(詩集・宗像ちゑ名義)雁書館 1983
- 『星醒記』砂子屋書房 1984
- 『星肆』砂子屋書房 1984
- 『神末』砂子屋書房 1985
- 『喝食天』砂子屋書房 1988
- 『鶺鴒界』砂子屋書房 1989
- 『夢之記』砂子屋書房 1992
- 『黒翁』砂子屋書房 1994
- 『風騒思女集』砂子屋書房 1995
- 『玉蜻』砂子屋書房 1997
- 『山中智恵子歌集』砂子屋書房・現代短歌文庫 1998
- 『玉菨鎮石』砂子屋書房、1999
- 『玲瓏之記』砂子屋書房 2004
- 『山中智恵子全歌集』砂子屋書房 2007
- 『玉すだれ 山中智恵子句集』砂子屋書房 2008
- 『山中智恵子歌集』書肆侃侃房(水原紫苑編) 2022
歌書・研究書
編集参考文献
編集- デジタル版日本人名大辞典
- 坂口昌弘 『文人たちの俳句』 本阿弥書店、2014年
- 江田浩司 『私は言葉だつた 初期山中智恵子論』 北冬舎、2009年
- 「北冬」(特大奮努号 特集◇江田浩司責任編集[山中智恵子]の居る所。) 北冬舎、2010年 ISBN 978-4-903792-27-9
- 評論集『前衛短歌論新攷 言葉のリアリティーを求めて』江田浩司著 現代短歌社、2022年 ISBN 978-4-86534-399-1
- 『山中智恵子歌集』書肆侃侃房(水原紫苑編)年譜 2022
- 『山中智恵子全歌集 下巻』砂子屋書房 年譜(田村雅之編)2007