シュガー男爵アラン・マイケル・シュガー(Alan Michael Sugar, Baron Sugar、1947年3月24日 - )は、イギリス実業家、著述家[3]、政治家である[4][5]

The Right Honourable
アラン・シュガー
Kt
Alan Sugar
アラン・シュガー(2010年の英国アカデミー賞授賞式にて)
生誕 Alan Michael Sugar
(1947-03-24) 1947年3月24日(77歳)
イギリスの旗 イギリス イーストエンド・オブ・ロンドンハックニー区
国籍 イギリスの旗 イギリス
職業
  • 実業家
  • 著述家
  • 政治家
政党 独立党 (2015-)
労働党[1] (1997–2015)[2]
配偶者
Ann Simons (m. 1968)
子供 男2人、女1人
親戚 リタ・シモンズ英語版(義姪)
エンタープライズ・チャンピオン
就任
2016年5月25日
首相デーヴィッド・キャメロン
テリーザ・メイ
ボリス・ジョンソン
ビジネス大臣英語版サジド・ジャヴィド
グレッグ・クラーク英語版
アンドレア・レッドサム
アロク・シャーマ英語版
クワシ・クワーテング
任期
2009年6月5日 – 2010年5月11日
首相ゴードン・ブラウン
ビジネス大臣英語版ピーター・マンデルソン
貴族院議員
世俗貴族
就任
2009年7月20日
一代貴族

1968年に家電メーカー、アムストラッドを創業した。1991年から2001年までトッテナム・ホットスパーFCの会長兼共同オーナーを務めていた。また、2005年からBBCで放送されているリアリティ番組アプレンティス英語版』の司会を務めている。

サンデー・タイムズ』紙に掲載される長者番付では、2015年からビリオネアとして載っている。2020年には、シュガーの財産は12億1,000万ポンドと推定され、イギリスで121番目に裕福な人物となっている[6]

若年期 編集

シュガーは、イーストエンド・オブ・ロンドンハックニー区で、ユダヤ人の家庭に生まれた[7]。父のネイサンは、イーストエンドで仕立て屋をしていた[8]。母方の祖父母はロシア生まれで、父方の祖父はポーランド生まれだった。シュガーの父方の祖母のサラ・シュガーは、ポーランド人の両親のもとで、ロンドンで生まれた。

シュガーは幼い頃、一家で公営アパートに住んでいた。その巻き毛から、「モップ頭」というあだ名で呼ばれていた[9]。ハックニー区アッパー・クラプトンにあるブルック・ハウス高校に通い、青果店でアルバイトをしていた[9]。16歳で学校を卒業した後[10]、一時的に文部省で統計担当者として働いた。その後シュガーは、50ポンドでバンを購入し、8ポンドの保険をかけて、自動車用のラジオアンテナやその他の電気製品を売り始めた。このために、シュガーは100ポンドしかない貯金を全て取り崩した[11]

アムストラッド 編集

 
アムストラッドのパーソナルコンピュータ、CPC 464英語版

シュガーは1968年にアムストラッド(Amstrad)を設立した。アムストラッドはアラン・マイケル・シュガー・トレーディング(Alan Michael Sugar Trading)の略である。同社は全般的な輸出入・卸売業者としてスタートしたが、すぐに家電製品を専門に扱うようになった。1970年には、自社で製品を製造するようになった。同社は、Hi-Fiオーディオのターンテーブルのカバーに射出成形プラスチックを使用し、真空成形プロセスを使用していた競合他社を大幅に下回るコストでの生産を可能にした。製造能力を拡大して、オーディオアンプやチューナーの製造も開始した。

1980年、アムストラッド社はロンドン証券取引所に上場し、1980年代には毎年利益と市場価値を倍増させていった[12]。1984年には、ホームコンピュータ時代の到来を前にして、8ビットのパーソナルコンピュータ「CPC 464英語版」を発売した。CPCシリーズは、CP/Mに対応し、優れたBASICインタープリタを搭載したマシンだった。高度に洗練されたBBC Micro、より複雑なグラフィックの表示が可能なコモドール64、人気の高いシンクレアZX Spectrumなどのライバルと競合することとなったが、全世界で300万台が販売され、8年の長きに渡り生産された[13]東ドイツでは、Z80クローンプロセッサを搭載した互換機が生産された[14]。1985年、アムストラッド社はワープロPCW 8256英語版」を発売し、大きな躍進を遂げた。このワープロは小売価格が300ポンドを超えていたが、ライバル機(アップル社のMacintosh Plus、小売価格2599ドルなど)よりもかなり安かった。1986年、アムストラッド社はシンクレア社のコンピュータ製品の権利を買い取り、CPCと同じスタイルのZX Spectrumを2機種製造した。また、アムストラッドのPCシリーズの最初の製品であるPC/AT互換機PC1512英語版を開発し、ヨーロッパでかなりの人気を博した[15]

1988年、アメリカの投資家スチュワート・アルソップ英語版はシュガーとジャック・トラミエルのことを「世界を代表する2人の『戦いとしてのビジネス』(business-as-war)の企業家」と評した[16]。1990年代はアムストラッド社にとって困難な時期だった。発売した一連のビジネス用PCは、搭載したシーゲイト社製ハードディスクの信頼性の低さから顧客の不満を招き、PC市場でのアムストラッド社の評判が落ち、それが回復することはなかった[17]。アムストラッド社はシーゲイト社に対し1億5300万ドルの逸失利益の賠償を求め、後に法廷外の和解で2,200万ドル減額された[18]。1990年代初頭、アムストラッド社はデスクトップ・コンピュータよりもポータブル・コンピュータに注力するようになった。また、1990年にはGX4000でゲーム市場に参入したが、貧弱なゲームしか発売されなかったため商業的に失敗し[19]、さらに、すぐに日本のゲーム機であるメガドライブスーパーファミコンに取って代わられた。1993年、アムストラッド社はPDA「PenPad英語版」を発売し、コンピュータよりも通信に力を入れるためにベータコム英語版社とヴィグレン英語版社を買収した。アムストラッドは、電話と電子メールを組み合わせた「e-m@iler英語版」を発売し、2002年には「e-m@ilerplus」を発売したが、どちらもあまり売れなかった[20]

2007年7月31日、放送局のBスカイBがアムストラッド社を約1億2500万ポンドで買収することで合意したと発表された[21]。その際、シュガーは「私は今年60歳になり、40年間ビジネスに注力してきましたが、これからは、長年連れ添った忠実なスタッフのチームのことを考えなければなりません」とコメントした。2008年7月2日、シュガーは他の事業に専念するため、アムストラッド社の会長を退任することが発表された[22]

トッテナム・ホットスパー 編集

ロバート・マックスウェルとの買収合戦の末、シュガーはテリー・ヴェナブルズと共同で、イングランドのサッカークラブ・トッテナム・ホットスパーFCを1991年6月に買収した。シュガーの投資により、当時クラブが抱えていた財務上の問題を解決することはできたが、シュガーがトッテナムを単なるビジネスとして扱っていたことが、トッテナムのサポーターから不評を買った[23]。シュガーが会長を務めた9年間、トッテナムはリーグ戦でトップ6に入ることができず、優勝は1999年のフットボール・リーグ・カップの1回のみだった。

1993年のFAカップ決勝の前日に、シュガーはヴェナブルズを最高経営責任者から解任した。ヴェナブルズは復職を求めて高等法院に提訴したが、シュガーが勝利した。ヴェナブルズ解任の決定は、多くのトッテナムサポーターを怒らせ、シュガーは後に「バンビを殺してしまったような気分だった」と語っている[24]

1992年、当時のビッグ5(アーセナルエヴァートンリヴァプールマンチェスター・ユナイテッド、トッテナム)の代表の中で、スカイ社によるプレミアリーグ放映権入札に賛成したのはシュガーだけだった。他の4者は、ビッグ5の試合をより頻繁に放送すると公約していたITVの入札に賛成した。入札当時、アムストラッド社はスカイ社向けの衛星放送用のアンテナを開発していたが、シュガーは入札の前にこのことを明らかにしていた。

1994年、シュガーは同年のワールドカップで活躍した3人のスター選手、イリエ・ドゥミトレスクゲオルゲ・ポペスクユルゲン・クリンスマンの獲得に資金を提供した。クリンスマンは移籍後最初のシーズンで良い活躍をし、FWA年間最優秀選手賞に選ばれたが、トッテナムがUEFAカップの出場権を得られなかったため、契約のオプトアウト条項を行使して翌シーズン前に退団した。シュガーは、クリンスマンがトッテナムで最後に着用したユニフォームを持ってテレビに登場し、「これで車を洗うつもりはない」と言った。シュガーは、高給でプレミアリーグにやってくる外国人プレーヤーを「カルロス・キッカボール」(Carlos Kickaballs)と呼んだ[訳語疑問点]。クリンスマンはこれに応酬してシュガーのことを「名誉のない男」と呼び、次のように言った。「彼はお金のことしか話しません。ゲームのことは決して話しません。シュガーの心がクラブやサッカーにあるのかどうか、大きな疑問符がついていると言えるでしょう。ビジネスとサッカー、どちらが好きなのかというのが大きな問題なのです[25]」クリンスマンは1997年12月にトッテナムにレンタル移籍した。

トッテナムの元ストライカーのテディ・シェリンガムは、1998年10月に発表した自叙伝の中で、1997年にトッテナムを退団した理由だとしてシュガーを攻撃した。シェリンガムは、1993年/1994年のシーズン中、長期に渡ってサイドラインでプレーしていた際に、怪我のふりをしていたとシュガーに非難されたと語っている。また、シェリンガムが希望していた5年契約をシュガーが拒否したのは、シェリンガムが36歳になってもトッテナムに居続けるとはシュガーが思わなかったためだと書いている。シェリンガムは、マンチェスター・ユナイテッドに移籍後、2001年にトッテナムに戻ってきて、2003年夏に37歳で放出されるまでトップチームの一員として活躍し続けた。シェリンガムは、シュガーには野心がなく、偽善者だと言っていた。例えば、シュガーはシェリンガムに選手の推薦を求めたが、シェリンガムがイングランド代表ミッドフィルダーのポール・インスを推薦すると、シュガーは「もうすぐ30歳になる選手に400万ポンドも使いたくない」と断った。シェリンガムがトッテナムを退団した後、シュガーは31歳のレス・ファーディナンドを同クラブ史上最高額の600万ポンドで獲得し、シェリンガムが望んでいたよりも高い賃金での契約を承認した[26]

シュガーは、トッテナムの会長を務めている間に7人の監督を任命した。ピーター・シュリーブス英語版に始まり、ダグ・リバモア英語版レイ・クレメンスの二人体制、元トッテナムのミッドフィルダーのオズワルド・アルディレス、そして新進気鋭の若手監督ジェリー・フランシスなどである。1997年、シュガーは比較的無名のスイス人監督、クリスティアン・グロス英語版を起用し、サッカー界を驚かせた。1998年のトッテナムは14位に終わり、その次のシーズンは開幕3試合でわずか3点しか獲得できなかったため、グロスは9か月間の任期で解任された。シュガーは次に、ライバルであるアーセナルの選手兼監督であったジョージ・グラハムを起用した。トッテナムは8年ぶりにリーグを優勝できたものの、トッテナムのサポーターは元アーセナルのグラハムを歓迎しなかった。グラハムがトッテナムに導入した消極的で守備的なサッカーは、サポーターから「トッテナム流」ではないとして嫌われていた[27]

2001年2月、シュガーはトッテナムの過半数の株式をENICグループ英語版に売却し、クラブの27%を2200万ポンドで売却した[28]。2007年6月、シュガーは残りの12%の株式を2500万ポンドでENICに売却し[29]、16年間のトッテナムとの付き合いを解消した。シュガーは、トッテナムで過ごした時間を「私の人生の無駄遣い」と表現した[30]。後にシュガーは、トッテナム・ホットスパーの売却益のうちの300万ポンドを、出身地であるロンドンのイーストエンドにある劇場、ハックニー・エンパイア英語版の改修のために寄付した[31]

テレビ出演 編集

『アプレンティス』 編集

シュガーは、2005年から毎年1シリーズが放送されているBBCリアリティ番組アプレンティス英語版』の司会を務めている。なお、この番組のオリジナルであるアメリカ版の司会はドナルド・トランプである[32]。この番組では、応募者の中から選ばれた十数名の参加者がシュガーの会社であるアムストラッド社で「見習い」(アプレンティス)として働き、シュガーが課した課題に取り組む。毎週最低1人が解雇され、最後に残った1人がアムストラッド社に本採用される。2011年からは、シュガーが25万ポンドを出資してビジネスを立ち上げ、シュガーとのパートナーシップを組むように変更された。

シュガーは、第3シリーズに出演する条件として、単なるエンターテインメントではなく、よりビジネスに特化した番組にすること、また、やや好戦的なイメージのある彼を、あまり厳しいイメージで描かないようにすることを求めた[33]。また、参加者のレベルを第2シリーズの候補者よりも高くすることや、過去のシリーズの参加者の中にこの番組での優勝を自らのキャリアアップの踏み台とした者がいた(第2シリーズの優勝者のミシェル・デューベリー英語版は、わずか8か月でアムストラッド社を退社した)ことから、応募者の参加動機をより慎重に吟味することを希望した。2013年9月、シュガーは、2010年の優勝者であるステラ・イングリッシュに対する労働裁判所での反訴に敗れた[34]

シュガーはアメリカ版『アプレンティス』について、「彼らは、目的のためだけに物事を変えようとするという致命的なミスを犯し、それが裏目に出た」として批判した[35]

『セレブリティ・アプレンティス・オーストラリア』 編集

2020年9月、オーストラリアナイン・ネットワークで放送されている『アプレンティス』のオーストラリア版である『セレブリティ・アプレンティス・オーストラリア英語版』で、マーク・ブーリス英語版に変わってシュガーが新しい司会に就任することが発表された[36][37]

その他の事業 編集

アムスエア 編集

1993年に航空事業を行うアムスエア・エグゼクティブ・アビエーション(Amsair Executive Aviation)を設立し、息子のダニエル・ポール・シュガーに経営を任せた[38]。アムストラッドと同様、社名の"Ams"はシュガーの名前の頭文字である。アムスエアは、複数の軽飛行機のほか、エンブラエル・レガシー650を1機(登録番号G-SUGA)を運航し、ビジネスジェットやエグゼクティブジェットのチャーターを行っている[39]

アムスプロップ 編集

アムスプロップ英語版(Amsprop)はシュガーが所有していた不動産投資会社で、現在は息子のダニエルが経営している[40]

2007年の『アプレンティス』の優勝者のサイモン・アンブローズ英語版は、シリーズ終了後にアムスプロップ社に勤務した。しかし、2010年4月、自分のベンチャー企業を立ち上げるために退職したと報じられた[41]

ヴィグレン 編集

シュガーは2009年7月まで[42]、主に教育機関や公共部門を対象としたITサービスプロバイダーであるヴィグレン英語版(Viglen Ltd)のオーナー兼会長を務めていた[43]

アムスクリーン 編集

アムスクリーン(Amscreen)は、小売店、医療センター、レジャー施設などに設置するデジタルサイネージの広告スペースの販売を専門とする会社であり、シュガーが会長、長男のサイモン・シュガーが社長を務めている。『アプレンティス』の優勝者であるヤスミナ・シアダタン英語版は、この会社で国民保健サービス(NHS)への販売を担当していた[44]

政治参加 編集

2009年2月、『イブニング・スタンダード英語版』紙のジャーナリストのアンドリュー・ギリガン英語版は、労働党からシュガーに対して2012年のロンドン市長選挙への出馬が打診されたと主張した[45]。シュガーは『ガーディアン』紙のインタビューでこの主張を嘲笑した[46]

しかし、同年6月5日のゴードン・ブラウン首相の内閣改造の際、BBCは、シュガーに対し「エンタープライズ・チャンピオン」としての任務がオファーされたと報じた[47]。6月7日、シュガーは自分の任命が政治的なものではないことを明らかにしようとした。シュガーは、自分は政府に参加しないこと、任命は政治的に中立であること、そして自分がやりたいことは企業や起業家を助けることであることを述べた[48]

2014年8月、シュガーは、『ガーディアン』紙に寄せられた手紙の署名者となった200人の公人の一人として、9月に行われるスコットランドのイギリスからの独立を問う住民投票で、スコットランドがイギリスに留まることを希望すると表明した[49]

1997年から2015年まで、シュガーは労働党の党員であり、その最大の寄付者の一人でもあった。2015年の総選挙から4日後の5月11日、シュガーは労働党を離党することを発表した。

この1年間、私は、この党がとった否定的なビジネス政策や、この党が勝利した場合に考えている反企業的なコンセプトにより、この党に対する信頼を失っていました。このことを党の幹部に何度も伝えました。私は1997年に新しい労働党に参加しましたが、最近になって、特にビジネスに関しては、かつての労働党が支持していたものに政策が戻ってきていると感じました。今年の初めには、総選挙の結果がどうであっても、私はこの党を辞める決意をしました[50]

2016年のロンドン市長選挙においては、シュガーは自分の方が政治的に人気があると主張し[51]、労働党のサディク・カーンに投票しないようにと繰り返し呼びかけたが[52][53]、この選挙はカーンが勝利した[54]

2016年に行われたイギリスの欧州連合離脱是非を問う国民投票では、シュガーは残留を支持した[55]2017年の総選挙では、保守党テリーザ・メイを支持した[56]

2018年3月、シュガーは、労働党のジェレミー・コービン党首がアドルフ・ヒトラーと一緒に車に乗っているように編集した画像をツイッターにアップロードし、後に労働党の政治家からの苦情を受けて削除した。この事件の直前に、コービンは反ユダヤ主義に関する党の問題を解決する上で「もっとうまくやらなければならない」と発言していた[57]影の内閣の財務大臣のジョン・マクドネルは、このツイートを削除してその内容を否定するようシュガーに促した。シュガーは、「(自分はこの画像の)発案者ではない」「労働党には火のないところに煙は立たない」と答えた[58]

2018年4月5日、シュガーはジェレミー・コービンを批判する頌歌を発表した[59][60]。2018年12月、シュガーはテレビのインタビューで、コービンが首相になったらイギリスを離れると述べた[61]

シュガーは2019年の保守党の党首選挙でボリス・ジョンソンを支持した[62]。 その後、2019年の総選挙では保守党を支持した[63]

私生活 編集

シュガーは無神論者だが、ユダヤ人としての伝統を誇りに思っている[64]

1968年4月28日、ロンドンのグレート・ポートランド・ストリートで、元美容師のアン・シモンズ(Ann Simons)と結婚した。2人の間には2人の息子と1人の娘がいる[65]。夫妻はエセックス州チグウェル英語版に住んでいる[66][17]。アンの姪に女優のリタ・シモンズ英語版がいる。

シュガーは、1975年から飛行機の操縦をしており、4人乗り軽飛行機のSR22と13人乗りビジネスジェット機のレガシー650を所有している。2008年7月5日、シティ・エアポート・マンチェスターの芝の滑走路にSR22で着陸しようとした際、悪天候と濡れた路面のため、滑走路をオーバーランした。怪我はなかったが、機体がわずかに損傷した[67]

2009年2月、イスラエルがガザで行っている軍事作戦に対抗して、イギリス在住のユダヤ人の殺害対象者リストにシュガーの名が上がっていると『ザ・サン』紙が報じ、シュガーは同紙に対して法的手続きを開始したことが報じられた[68]。この脅迫は、『ザ・サン』紙の元記事を書いたグレン・ジェンビー英語版が、身分を偽ってムスリムのサイトに投稿したものとされている[69]

2015年、シュガーの推定財産は10億4千万ポンドだった[6]

2020年12月、弟と妹がともに新型コロナウイルス感染症で死亡したことを発表した[70][71]

賞・栄誉と慈善活動 編集

2000年の叙勲で「ホームコンピュータおよび電子産業への貢献」によりナイトの称号を授与された[72][73][74]。2009年7月20日、ロンドンのハックニー区クラプトンのシュガー男爵として一代貴族になった[75][76]

1988年にロンドン大学シティ校から、2005年にブルネル大学英語版から名誉科学博士号を授与された[77]

2015年10月29日、イギリスの企業・リッチトピア社による「最も影響力のあるイギリスの企業家100人」(100 Most Influential British Entrepreneurs)の第5位に選ばれた[78]。2017年には"Essex Power 100"で1位となり、エセックス州で最も有力な人物に選ばれた[79]

ジューイッシュ・ケア英語版グレート・オーモンド・ストリート病院英語版などの慈善事業に力を入れており、2001年には労働党に20万ポンドを寄付した[80]

論争 編集

性差別法 編集

シュガーは、女性に対して「時代遅れ」の態度をとっているとして非難されている[84]。1970年代にイギリスで制定された、採用の面接時に女性に子供を産む予定があるかどうかを尋ねることを禁止する法律英語版[85]について、シュガーは「これらの法律は女性にとって逆効果です。聞くことが許されていないのなら、雇わなければいいだけです。女性が仕事を得るのは難しくなるでしょうね」と述べた[86]

ツイート 編集

2013年9月30日、シュガーは、iPhone 5の製造ラインを離れたことを注意されて泣いている中国人の子供の写真をツイートした。このツイートは、マージーサイド警察のヘイトクライム専門捜査チームによって調査され、「ヘイトインシデント」に分類されるべきだと判断された[87][88]

2018年6月20日、シュガーは、偽物のハンドバッグやサングラスの画像の横にサッカーセネガル代表の写真を載せた画像をツイートし、選手の一部がマルベーリャで遭遇したホーカーズにそっくりだと主張した。その後、人種差別との非難を受け、ジョークだと弁明した後にツイートを削除した[89]

脚注 編集

  1. ^ Lord Sugar”. Parliament of the United Kingdom. 2014年3月24日閲覧。
  2. ^ Gayle, Damien; Wintour, Patrick (2015年5月11日). “Alan Sugar resigns from Labour party over 'shift to left'” (英語). The Guardian. https://www.theguardian.com/uk-news/2015/may/11/alan-sugar-resigns-from-labour-party-over-shift-to-left 2021年2月13日閲覧。 
  3. ^ Review: What you see is what you get: My Autobiograohy by Alan Sugar”. independent. 2021年9月10日閲覧。
  4. ^ Let's do the business”. The Jewish Chronicle (2008年5月14日). 2014年8月26日閲覧。
  5. ^ Sir Alan, you're hired as our rep”. The Jewish Chronicle (2008年5月19日). 2014年8月26日閲覧。
  6. ^ a b The Sunday Times – The Rich List”. 2020年5月16日閲覧。
  7. ^ Beckford, Martin (2008年5月9日). “Sir Alan Sugar fails to make top 100 Jews list”. The Daily Telegraph. https://www.telegraph.co.uk/news/1941104/Sir-Alan-Sugar-fails-to-make-top-100-Jews-list.html# 2012年6月3日閲覧。 
  8. ^ "The Lords think I'm a brusque, ignorant cockney", The Daily Telegraph
  9. ^ a b The Real Alan Sugar. BBC 2. 21 January 2009.
  10. ^ The Apprentice – The Board”. BBC. 2007年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年5月8日閲覧。
  11. ^ Alan sugar bio”. Virgin. 2007年11月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年5月8日閲覧。
  12. ^ Sean O'Grady (2006年5月10日). “The Big Question: 'The Apprentice' is a hit – but how good a businessman is Sir Alan Sugar?”. The Independent. オリジナルの2012年11月11日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121111095908/http://www.independent.co.uk/news/business/analysis-and-features/the-big-question-the-apprentice-is-a-hit--but-how-good-a-businessman-is-sir-alan-sugar-477500.html 2011年1月21日閲覧。 
  13. ^ Amstrad Products Archive”. Amstrad. 2008年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年5月1日閲覧。
  14. ^ Thacker, Kevin (2003年). “Meet the Relatives”. WACCI. 2008年7月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年7月31日閲覧。
  15. ^ Amstrad PC 1512”. old-computers.com. 2008年7月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年7月31日閲覧。
  16. ^ Alsop, Stewart II (18 January 1988). “WUI: The War Over User Interface”. P.C. Letter 4 (2): 1–4. http://vintagecomputer.net/cisc367/PC-Letter_19880118.pdf. 
  17. ^ a b What You See Is What You Get: My Autobiography – Alan Sugar (2010)
  18. ^ Inc., Seagate Technology. “Seagate Settles Dispute With Amstrad”. 2016年10月20日閲覧。
  19. ^ Amstrad GX4000”. Console Passion. 2008年6月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年7月31日閲覧。
  20. ^ Amstrad dumps e-m@iler phone”. VNUnet (2007年6月10日). 2007年6月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月10日閲覧。
  21. ^ “BSkyB agrees £125m Amstrad deal”. BBC News. (2007年7月31日). オリジナルの2008年12月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20081215173901/http://news.bbc.co.uk/1/hi/business/6923517.stm 2009年1月28日閲覧。 
  22. ^ Alan Sugar leaves Amstrad”. 2008年7月2日閲覧。
  23. ^ “Sugar leaves sour taste”. BBC. (2000年12月21日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/t/tottenham_hotspur/1081909.stm 2008年6月28日閲覧。 
  24. ^ “Profile: Sir Alan Sugar”. BBC. (2007年7月31日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/business/6923678.stm 2008年6月28日閲覧。 
  25. ^ Moore, Glenn (1997年12月23日). “Klinsmann and Pleat brought back to rescue Tottenham”. The Independent (London). https://www.independent.co.uk/sport/football-klinsmann-and-pleat-brought-back-to-rescue-tottenham-1290397.html 2011年1月23日閲覧。 
  26. ^ Teddy Sheringham, My Autobiography
  27. ^ “Graham's losing battle”. BBC. (2001年3月16日). http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/teams/t/tottenham_hotspur/1225274.stm 2008年6月28日閲覧。 
  28. ^ David Conn (2000年12月21日). “Spurs await Enic's vision of glory game”. The Independent. オリジナルの2009年2月2日時点におけるアーカイブ。. https://archive.today/20090202111802/http://www.independent.co.uk/sport/football/premier-league/spurs-await-enics-vision-of-glory-game-629010.html 2011年1月21日閲覧。 
  29. ^ David Bond (2007年5月8日). “Tottenham deal sweet for Sugar”. The Daily Telegraph. https://www.telegraph.co.uk/sport/football/2314826/Tottenham-deal-sweet-for-Sugar.html 2011年1月21日閲覧。 
  30. ^ Peter Stiff (2009年5月5日). “TV's Mr Nasty lands sweet reward as Lord Sugar”. The Times. http://business.timesonline.co.uk/tol/business/industry_sectors/technology/article6437237.ece 2011年1月21日閲覧。 
  31. ^ Sugar, Alan (2010). What You See Is What You Get. Pan. p. 299. ISBN 978-0-330-52047-8 
  32. ^ Kranish, Michael (2017年1月19日). “A fierce will to win pushed Donald Trump to the top”. The Washington Post. https://www.washingtonpost.com/politics/a-fierce-will-to-win-pushed-donald-trump-to-the-top/2017/01/17/6b36c2ce-c628-11e6-8bee-54e800ef2a63_story.html 
  33. ^ Robb, Stephen (2007年3月20日). “Back in Apprentice's firing line”. BBC News. オリジナルの2007年3月28日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20070328182612/http://news.bbc.co.uk/1/hi/entertainment/6471463.stm 2007年4月27日閲覧。 
  34. ^ “Lord Sugar loses tribunal counter-claim against Apprentice winner”. The Independent. (2013年9月26日). https://www.independent.co.uk/news/uk/home-news/lord-sugar-loses-tribunal-counter-claim-against-apprentice-winner-stella-english-8840977.html 
  35. ^ Last, Colleen. “Sir Alan Sugar Speaks”. MSN. 2007年4月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年4月27日閲覧。
  36. ^ Knox, David (2020年9月16日). “Upfronts 2021: Nine”. TV Tonight. 2020年9月16日閲覧。
  37. ^ “NINE UPFRONTS: MAJOR TENTPOLES RETURN + NINE REVIVES BEAUTY AND THE GEEK”. Tv Blackbox (TV Black Box). (2020年9月16日). https://tvblackbox.com.au/page/2020/09/16/nine-upfronts-2021-major-tentpoles-return-nine-revives-beauty-and-the-geek/ 2020年9月16日閲覧。 
  38. ^ AMSAIR AIRCRAFT LIMITED - Officers (Free information from Companies House)”. 2021年9月10日閲覧。
  39. ^ James, Jill (2008年5月12日). “FT REPORT – GLOBAL TRAVELLER 2008: The Executive's View”. Amsair Private Jet News. Amsair. 2012年8月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年6月30日閲覧。
  40. ^ Amstrad boss buys IBM building in £115 million deal”. LondonSE1 (2006年9月28日). 2007年5月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月8日閲覧。
  41. ^ “Apprentice Winner Simon ambrose Leaves Alan Sugar's Firm”. BBC News. (2013年3月13日). https://www.bbc.co.uk/news/uk-england-21717377 2015年12月27日閲覧。 
  42. ^ You're fired: Lord Sugar offloads faded PC builder Viglen to XMA”. 2021年9月10日閲覧。
  43. ^ “Sugar comments leave bitter taste”. BBC News. (2006年3月21日). http://news.bbc.co.uk/1/hi/education/4829482.stm 2008年7月10日閲覧。 
  44. ^ Yasmina Siadatan”. LinkedIn. 2011年7月28日閲覧。
  45. ^ Andrew Gilligan (2009年2月27日). “Sir Alan Sugar is asked to run for Mayor”. The Evening Standard (UK). オリジナルの2009年3月2日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090302065922/http://www.thisislondon.co.uk/standard/article-23654514-details/Sir%2BAlan%2BSugar%2Bis%2Basked%2Bto%2Brun%2Bfor%2BMayor/article.do 2009年3月26日閲覧。 
  46. ^ Sam Wollaston (2009年3月25日). “Sir Alan will see you now”. The Guardian (UK). オリジナルの2009年3月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090327223225/http://www.guardian.co.uk/media/2009/mar/25/apprentice-television 2009年3月26日閲覧。 
  47. ^ Jon Kelly; Justin Parkinson (2009年6月5日). “LIVE – Brown fights for his future”. BBC. オリジナルの2009年6月6日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090606113043/http://news.bbc.co.uk/1/hi/8084571.stm 2009年6月5日閲覧。 
  48. ^ Sugar: I'm not joining government BBC
  49. ^ “Celebrities' open letter to Scotland – full text and list of signatories”. The Guardian (London). (2014年8月7日). https://www.theguardian.com/politics/2014/aug/07/celebrities-open-letter-scotland-independence-full-text 2014年8月26日閲覧。 
  50. ^ Lord Sugar: 'Disillusioned' peer quits Labour Party dated 11 May 2015 at bbc.co.uk, accessed 11 May 2015
  51. ^ Hancock, Edith (2016年5月3日). “Lord Sugar reckons he'd make a great mayor of London”. 2016年10月20日閲覧。
  52. ^ Lord Sugar launches blistering attack on Sadiq Khan” (2016年4月24日). 2016年10月20日閲覧。
  53. ^ PoliticsHome.com (2016年4月24日). “Lord Sugar tells Londoners: Don't vote for Sadiq Khan”. 2016年10月20日閲覧。
  54. ^ London Mayor and Assembly 2016 election results”. BBC News. 2017年4月6日閲覧。
  55. ^ Catherine Neilan (2016年2月22日). “EU referendum: Sugar backs Remain camp over Brexit”. cityam.com. 2016年2月26日閲覧。
  56. ^ Lord Sugar mocked for begging fans to 'trust him' and vote Conservative”. Evening Standard (2017年6月8日). 2020年1月31日閲覧。
  57. ^ “Alan Sugar deletes Corbyn Hitler tweet after backlash”. BBC News. (2018年3月31日). https://www.bbc.co.uk/news/uk-politics-43604058 2018年3月31日閲覧。 
  58. ^ Bennett, Isabel (2018年3月31日). “Lord Sugar deletes Corbyn-Hitler tweet after McDonnell appeal”. The Guardian. https://www.theguardian.com/politics/2018/mar/31/mcdonnell-calls-for-lord-sugar-to-delete-corbyn-hitler-tweet 2018年3月31日閲覧。 
  59. ^ “An ode to @jeremycorbyn . Will some of the labour MP's and Lords grow a pair and get him OUT” (英語). Twitter. https://twitter.com/Lord_Sugar/status/981860245759721472/photo/1 2018年4月5日閲覧。 
  60. ^ “Lord Sugar intensifies attack on 'stud' Jeremy Corbyn with bizarre poem” (英語). Sky News. https://news.sky.com/story/lord-sugar-intensifies-attack-on-stud-jeremy-corbyn-with-bizarre-poem-11317806 2018年4月5日閲覧。 
  61. ^ “Lord Sugar says he will leave the country if Jeremy Corbyn becomes Prime Minister”. Yahoo. (2018年12月12日). https://news.yahoo.com/lord-sugar-says-will-leave-country-jeremy-corbyn-becomes-prime-minister-104404433.html?guccounter=1 2018年12月14日閲覧。 
  62. ^ Sugar, Lord (2019年6月14日). “I seriously back @BorisJohnson to be the new PM . The public like him and he will have a good chance of winning the general election in 2021 if not before. Any one who can stop @jeremycorbyn from becoming PM has my backing .” (英語). @Lord_Sugar. 2019年6月14日閲覧。
  63. ^ Anglesey, Steve (2019年11月25日). “Could Brexit Party Michelle Dewberry split the pro-Brexit vote?” (英語). The New European. 2019年12月11日閲覧。
  64. ^ Wollaston, Sam (2009年3月25日). “Sam Wollaston meets Sir Alan Sugar, star of The Apprentice”. The Guardian. https://www.theguardian.com/media/2009/mar/25/apprentice-television 2015年1月10日閲覧。 
  65. ^ Hopps, Kat (2019年6月22日). “Alan Sugar wife: The shocking way he proposed – and the secret to their enduring romance” (英語). Express.co.uk. 2019年7月2日閲覧。
  66. ^ Naughton, Philippe; Costello, Miles (2006年3月26日). “In the line of fire”. The Times (London). http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/article742101.ece 2008年7月6日閲覧。 
  67. ^ “Alan Sugar 'survives plane crash'”. BBC. (2008年7月7日). http://news.bbc.co.uk/newsbeat/hi/entertainment/newsid_7492000/7492620.stm 2012年3月29日閲覧。 
  68. ^ Leigh Holmwood (2009年2月24日). “Alan Sugar sues Sun over terror splash”. The Guardian (UK). オリジナルの2009年2月27日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20090227072315/http://www.guardian.co.uk/media/2009/feb/24/alan-sugar-sues-sun 2009年3月26日閲覧。 
  69. ^ Leigh Holmwood; Stephen Brook (2009年1月28日). “Sun front-page story on 'terror target' Sir Alan Sugar under investigation”. The Guardian (UK). https://www.theguardian.com/media/2009/jan/28/sun-story-on-alan-sugar-investigated 2009年3月26日閲覧。 
  70. ^ Sugar, Alan [@Lord_Sugar] (2020年12月30日). "My eldest sister Shirley passed away today at the age of 88 she had been sick for a while but I guess covid got her in the end to join our brother Derek who passed 2 weeks ago . RIP SHIRL". X(旧Twitter)より2021年9月10日閲覧
  71. ^ Sugar, Alan [@Lord_Sugar] (2020年12月15日). "Today I lost my long suffering brother Derek another victim of Covid which added to his underlying health issues. He was a life time passionate Spurs supporter.I never forget my sister in law joking with me thanking me for buying him the club. A sad day for us all in the family". X(旧Twitter)より2021年9月10日閲覧
  72. ^ "No. 55710". The London Gazette (Supplement) (英語). 31 December 1999. p. 2.
  73. ^ "No. 55950". The London Gazette (英語). 22 August 2000. p. 9336.
  74. ^ BBC One – The Apprentice – Lord Sugar”. BBC. 2007年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月31日閲覧。
  75. ^ Treneman, Ann (2009年7月20日). “Apprentice in the Lords: Baron Sugar of Clapton takes his seat”. The Times (London). http://www.timesonline.co.uk/tol/news/politics/article6720785.ece 2009年7月20日閲覧。 
  76. ^ "No. 59137". The London Gazette (英語). 24 July 2009. p. 12761.
  77. ^ Honorary Graduate Sir Alan Sugar”. Brunel University. 2007年5月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年4月24日閲覧。
  78. ^ British Entrepreneurs Top 100: From Lord Sugar to Victoria Beckham, These Are the Most Influential Entrepreneurs in the UK”. Richtopia (2018年8月29日). 2016年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月15日閲覧。
  79. ^ Lord Sugar named most powerful person in Essex, but who else made the list?”. ITV (2017年10月27日). 2017年11月7日閲覧。
  80. ^ Electoral Commission Register of Donors”. The Electoral Commission. 2007年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2007年6月14日閲覧。
  81. ^ September 2010 Newsletter No. 26”. College of Arms. 2021年2月4日閲覧。
  82. ^ The development of English heraldry (Society of Antiquaries of Newcastle upon Tyne Lecture)”. Newcastle University. 2021年2月4日閲覧。
  83. ^ Britain is a country where rich old men who are lords and knights have coats of arms”. JohnBoy (2011年12月). 2021年2月4日閲覧。
  84. ^ McGinty, Stephen (2008年2月15日). “Not-so-sweet response to Sugar's 'outdated' remarks on women”. The Scotsman (UK). http://news.scotsman.com/womenandwork/Notsosweet-response-to-Sugar39s-39outdated39.3781391.jp 2009年5月26日閲覧。 
  85. ^ Section 6 of the Act Archived 3 July 2009 at the Wayback Machine. determines general illegality of discrimination against women in obtaining employment.
  86. ^ Kira Cochrane (2008年7月1日). “Now, the backlash”. The Guardian (London). https://www.theguardian.com/world/2008/jul/01/gender.women/print 2010年6月5日閲覧。 
  87. ^ Lord Sugar Personal Twitter Account”. Twitter. 2021年7月6日閲覧。
  88. ^ “Lord Sugar investigated by police after complaint about 'racist tweet'”. The Guardian. (2013年10月6日). https://www.theguardian.com/uk-news/2013/oct/06/lord-sugar-investigated-police-complaint-tweet 2021年7月6日閲覧。 
  89. ^ Mann, Tanveer (2018年6月20日). “Alan Sugar defends 'racist' tweet comparing Senegal team to beach sellers”. The Guardian. https://metro.co.uk/2018/06/20/alan-sugar-sparks-outrage-racist-tweet-senegal-world-cup-team-7646090/ 2018年6月20日閲覧。 

参考文献 編集

外部リンク 編集

ビジネス
先代
アーヴィング・スカラー英語版
トッテナム・ホットスパーFC会長
1991–2001
次代
ダニエル・レヴィ英語版
イギリスの儀礼席次
先代
フロイド男爵英語版
シュガー男爵 Followed by
バーケンヘッドのホール男爵英語版