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予選編集

開催国アメリカと前回大会優勝国ドイツは予選免除となり、残る22枠を巡って各大陸・地域で予選が行われた。

ヨーロッパ予選では、優勝経験国であるイングランドと1998年大会の開催予定国であるフランスが敗退するという波乱が起きた。フランスは最終節のホームゲームで、試合終了間際にブルガリアに決勝点を奪われるというショッキングな結末だった(パリの悲劇)。EURO '92を制したデンマークも予選敗退し、前回大会ベスト8のユーゴスラビア内戦の影響で予選から除外された。

南米予選では、2強のブラジルアルゼンチンが予選突破に苦しんだ。ブラジルはアウェーのボリビア戦で南米予選初黒星を喫し、最終節で辛くも本大会出場を決めた。アルゼンチンはホームゲームでコロンビアに0-5と大敗し、大陸間プレーオフでオーストラリアを退けアメリカ行きを決めた。

アフリカ予選ではナイジェリアが、アジア予選ではサウジアラビアが初出場を果たした。アジア予選では日本も初出場の一歩手前まで近づいたが、フランスと同じく、最終節イラク戦の試合終了間際に同点に追いつかれチャンスを逃した(ドーハの悲劇)。

出場国編集

出場選手は1994 FIFAワールドカップ参加チームを参照。

大陸連盟 出場
枠数
予選
予選順位
出場国・地域 出場回数 備考
CONCACAF 1+1.25 開催国   アメリカ合衆国 2大会連続5回目
最終予選 1位   メキシコ 2大会ぶり10回目
UEFA 1+12 前回優勝国   ドイツ 11大会連続13回目[1]
欧州予選 1組 1位   イタリア 9大会連続13回目
2位   スイス 7大会ぶり7回目
2組 1位   ノルウェー 12大会ぶり2回目
2位   オランダ 2大会連続6回目
3組 1位   スペイン 5大会連続9回目
2位   アイルランド 2大会連続2回目
4組 1位   ルーマニア 2大会連続6回目
2位   ベルギー 4大会連続9回目
5組 1位   ギリシャ 初出場
2位   ロシア 4大会連続8回目[2]
6組 1位   スウェーデン 2大会連続9回目
2位   ブルガリア 2大会ぶり6回目
CONMEBOL 3.5 南米予選 1組 1位   コロンビア 2大会連続3回目
2位   アルゼンチン 6大会連続11回目
2組 1位   ブラジル 15大会連続15回目
2位   ボリビア 11大会ぶり3回目
CAF 3 最終予選 A組 1位   ナイジェリア 初出場
B組 1位   モロッコ 2大会ぶり3回目
C組 1位   カメルーン 2大会連続3回目
AFC 2 最終予選 1位   サウジアラビア 初出場
2位   韓国 3大会連続4回目
OFC 0.25 地区予選 出場国無し
  • 備考欄の「○」は大陸間プレーオフに勝利の上、出場が決定したチーム。

本大会編集

「サッカー不毛の地」での開催編集

 
オーランドシトラスボウルで行われたアイルランド×オランダ戦(1994年7月4日)

ヨーロッパと中南米で開催されてきたワールドカップは、初めて北米大陸に上陸した。世界的な人気を誇るフットボール(サッカー)であるが、アメリカではメジャースポーツ(野球アメリカンフットボールバスケットボールアイスホッケー)の人気に及ばす、国内プロリーグの北米サッカーリーグも世界のスーパースターを集めながら消滅していた。代表チームの下馬評は低く、開幕前まで大会の盛り上がりは予想できなかった。

しかし、知将ボラ・ミルティノビッチ率いるアメリカはグループリーグで強豪コロンビアを退け、開催国のノルマである決勝トーナメント進出に成功。アレクシー・ララストニー・メオラのような人気選手も生まれ、国民の声援も高まっていった。決勝トーナメント1回戦では7月4日独立記念日に王国ブラジルと対戦し、0-1で敗れるも善戦した。アメリカンフットボールのスタジアムなど会場の規模が最低でも収容人員数5万人台、最大で9万人以上と大きかったこともあり、観客動員数は約359万人、1試合あたり約6.9万人を記録した[3]。これは試合数が52試合から64試合に増えたフランス大会以降の大会をも上回る最高記録である。この大会の成功をステップにして、1996年には新たなプロリーグ、メジャーリーグサッカー(MLS)が創設された。

他方、プレイヤーサイドから見ると、アメリカの広大な大陸を舞台にするため、各会場間の長距離移動、時差、気温・湿度の変化といったコンディションの厳しさがあった(西海岸は過ごしやすく、東海岸は蒸し暑かった)。さらに、ヨーロッパ諸国のゴールデンアワーのテレビ中継に合うようスケジュールが組まれたため、真夏の炎天下でのデーゲームが多くなった(アメリカンフットボールのスタジアムには日差しを遮る屋根が無い)。このため、体力面でのタフさが勝敗に左右するなど、相手チーム以上に暑さが敵だと言われていた[4]。消耗の激しい試合が続く中で、自陣を固めてカウンターを仕掛ける堅守速攻型のチームが活躍を見せることになった。

強豪の敗退と伏兵の進出編集

前回大会の優勝国ドイツと準優勝国アルゼンチンはベスト4にたどり着けず敗退した。国家再統一により東西合同チームとなったドイツは前回優勝メンバーを揃えたもののチームが高齢化しており、準々決勝で伏兵ブルガリアに足元をすくわれ[5]、4大会連続の決勝進出はならなかった。英雄ディエゴ・マラドーナが復帰したアルゼンチンはガブリエル・バティストゥータのハットトリックで好発進したが、ナイジェリア戦後のドーピング検査でマラドーナの尿からエフェドリンが検出され、無期限出場停止で大会から追放された[6]。これでムードは暗転し、決勝トーナメント1回戦でルーマニアに敗れた。カルロス・バルデラマら魅惑的なタレントを擁し、ペレが優勝候補と認めたコロンビアはグループA最下位で早々に大会を去った。アメリカ戦でオウンゴールを犯したアンドレス・エスコバルは、帰国後に地元のバーで射殺された。サッカー賭博による損失への逆恨みとも言われているが、FIFA及び世界中から強い批判の声が挙がった。

予想外の活躍で大会を盛り上げたチームもあった。ブルガリアは初戦で0-3と大敗したが、第2戦でワールドカップ初勝利を挙げると、アルゼンチン・メキシコ・ドイツと強豪国を破ってベスト4まで進出。ヨーロッパ予選から続く快進撃で国民を喜ばせた。エースのフリスト・ストイチコフは6得点で大会得点王を獲得し、年末にバロンドールを受賞した。北欧のスウェーデンは猛暑に屈せず、トマス・ブロリンケネット・アンデションら攻撃陣が活躍し、1958年大会の準優勝に次ぐ3位という成績を収めた。ナイジェリアは初出場でグループリーグを突破し、決勝トーナメント1回戦でイタリアをあと一歩まで追い詰めた。サウジアラビアも初出場ながら1966年大会北朝鮮以来となるアジア勢の勝利を挙げ、決勝トーナメント進出を果たした。グループFベルギー戦でサイード・オワイランが魅せた60mドリブル4人抜きゴールは大会のハイライトの一つとなった。

個々のプレーヤーでは、ルーマニアをベスト8まで導いた「東欧のマラドーナ」ことゲオルゲ・ハジ、GKとしては小柄ながら俊敏なセービングと派手なユニフォームが目立ったメキシコホルヘ・カンポス、ファインセーブを連発してヤシン賞(最優秀GK賞)を受賞したベルギーのミシェル・プロドームなどの活躍が光った。

決勝初のPK戦決着の明暗編集

7月17日ロサンゼルスで行われた決勝戦では、ともに優勝3回を誇る伝統国ブラジルとイタリアが対戦した。このカードの決勝戦は、ブラジルが3回目の優勝を記した1970年大会以来となる。ぬかりなく勝ち上がってきた「攻め」のブラジルと、しぶとく調子を上げてきた「守り」のイタリアという構図で、ともに準決勝までに5得点を挙げていたロマーリオロベルト・バッジョのエース対決も注目された。試合は炎天下で動きのないまま進み、延長戦も0-0のまま終了し、ワールドカップ史上初の決勝PK戦に突入。イタリアは守備の要フランコ・バレージと名手ロベルト・バッジョがゴールバーの上に蹴り上げてしまい、ブラジルは主将ドゥンガが最後にPKを決めて、1970年大会以来6大会ぶりに、単独最多となる4回目のワールドカップを制覇した。ロマーリオは無得点に終わったものの、ゴールデンボール(大会MVP)を受賞した。

大会前、ブラジルへの期待度は低かったが、ロマーリオとベベットの2トップ、ドゥンガマウロ・シウバダブルボランチマルシオ・サントスアウダイールのDFラインは良く機能し、レギュラーのアクシデントを補う控え選手の質も高かった。また、5月にF1のレース中に事故死した英雄アイルトン・セナに報い、国民を勇気づけようとチームが団結していた。試合前には選手同士が手をつないで入場し、決勝戦後にはセナへのメッセージを書いた横断幕を掲げた[7]。しかし、ブラジル国内ではカルロス・アルベルト・パレイラ監督のバランス重視の戦術が「芸術的ではない」と批判され、24年ぶりの王者は正当に評価されなかった[8]

出来事編集

  • これまでの大会では、スウェーデン大会を除いてはヨーロッパ諸国と南米諸国がそれぞれの地域内の大会で優勝を果たしていたので、初の中立地開催となったこの大会が注目されたが、アメリカ大陸のブラジルが優勝した。また、1974年大会から5大会続いた「開幕戦に登場する前回大会優勝国が勝てない(負けか引き分ける)」というジンクスは、今回ドイツがボリビアに勝利して破られた。
  • グループリーグB組では既に敗退が濃厚となっていたチーム同士の対戦として然して注目されていなかったロシアカメルーンでワールドカップレコードが2つも生まれた。一つ目はロシアの若きFWオレグ・サレンコによる「1試合5得点」の最多得点記録。彼はスウェーデン戦でも1得点しており、計6得点でフリスト・ストイチコフと並び今大会の得点王となった。チームがグループリーグで敗退したにもかかわらず大会得点王となったのは、長いワールドカップの歴史の中でも彼だけである。もう一つはカメルーン大統領の要請により、引退からW杯限定で復帰したベテランFWロジェ・ミラによる「ワールドカップ最年長ゴール(42歳)」。この二つの記録は現在も破られていない。
  • 激戦区といわれたグループリーグE組では史上初めて全チームが1勝1敗1分と勝ち点・得失点差で並び、総得点の多かったメキシコアイルランド、イタリアが通過した。12大会ぶりの出場となったノルウェーは3試合をグループ最少失点に抑える健闘を見せたが最少得点に泣いた。

ルール変更編集

アメリカでサッカー人気が盛り上がらない理由の一つに、「なかなか得点が入らない」という見方がある。前回イタリア大会はリスクを抑えた消極的な試合運びや時間稼ぎが横行し、1試合平均2.21得点と過去最低を記録した。FIFAは積極的に得点を狙うプレーを促進するようなルール改正を行った。今大会では総得点141点・1試合平均2.71点と改善し、24チーム52試合制で行われた4大会の中では1982年大会(総得点146点・1試合平均2.80点)に次ぐアベレージを記録した。

  • グループリーグにおける勝ち点が「勝利2・引き分け1・敗戦0」から「勝利3・引き分け1・敗戦0」に変更された。これにより1勝に対する重みが大きく増し、引き分けよりも勝利を目指す方が得になった。またサッカーが零和ゲームではなくなったという意味でもこの勝点変更は大きなターニングポイントと言える。
  • オフサイドの解釈が緩和され、「攻撃側の選手がオフサイドポジションに残っていても、その選手がプレーに直接関与しなければ、オフサイドをとられない」と変更された。ベスト8屈指の好カードとなったオランダ対ブラジル戦では、この判断に迷ったオランダ選手の隙を突いてブラジルの2点目が生まれた[9]
  • 選手の交代枠が最大2人から3人(フィールドプレイヤー2人+ゴールキーパー)に増員された[10]。それまではGKのアクシデントに備えて交代枠を1つ余らせ、実質1名しか途中交代できなかったが、ルール改正により積極的にフィールドプレーヤー2人を投入することが可能になった。なお、1995年7月には公式戦での交代はポジションを問わず最大3名交代できる制度が施行された[11]
  • ジャッジに関しては「主審・副審の専任制度」が今回から初めて導入されている。
  • 選手が着用するユニフォームの背番号の上に自身の名前(背ネーム)が入れられた。また、審判服も伝統的な黒一色から色のついたバリエーションが認められるようになった。

フェアプレーの遵守編集

ラフプレーや故意犯的な反則が増加した前回大会の反省を踏まえ、FIFAは「危険もしくは確信犯的な反則に対しては厳しく裁定するように、それを守らないレフェリーには即刻帰国してもらう」という異例の通達を出していた。その為、警告数は前回の163から235と72件も増加した。反則を厳しく取らなかったレフェリーや、明らかにPKを与えるべき反則を見逃してしまったレフェリーが解雇される事態も起きた。一方で退場者は前回16から15と横這いにとどめ、グループリーグで警告1枚の選手に対しては、決勝トーナメントではその1枚が累積しない配慮もとられた。一発退場の中には、ナイジェリア戦のイタリアFWジャンフランコ・ゾラのような厳しい裁定もあった。

この大会ではビデオによる事後裁定が初めて適用された。準々決勝のイタリアスペイン戦で、イタリア1点リードの終了直前、イタリアDFマウロ・タソッティがゴール前で競ったスペインFWルイス・エンリケの鼻に肘打ちを見舞い、鼻骨骨折・流血させる事態が起きた。レフェリーの死角でのアクシデントであったため、PKの裁定にはならずイタリアが勝利したが、事態を重く見たFIFAはこの試合後にタソッティに対し、8試合出場停止という重い処分を下した。タソッティ以外にも、アメリカ戦で肘打ちで一発退場となったブラジル代表レオナルドと、ドイツ戦で交代出場直後に一発退場になったボリビア代表マルコ・エチェベリに対しても、それぞれ4試合・2試合の出場停止が科せられ、その後の試合出場が不可になった。また、韓国戦で自国サポーターからのブーイングに対して中指を突きたてたドイツ代表シュテファン・エッフェンベルクに対し、ドイツサッカー協会が大会からの追放処分を科す出来事も起きた。

会場一覧編集

競技場 都市 収容人数
フォックスボロ・スタジアム マサチューセッツ州フォックスボロ 61,000人
ジャイアンツ・スタジアム ニュージャージー州イーストラザフォード 77,000人
ロバート・F・ケネディ・メモリアル・スタジアム ワシントンD.C. 56,500人
ポンティアック・シルバードーム ミシガン州ポンティアック 80,000人
ソルジャー・フィールド イリノイ州シカゴ 67,000人
シトラス・ボウル フロリダ州オーランド 70,000人
コットン・ボウル テキサス州ダラス 67,000人
ローズボウル カリフォルニア州パサデナ 91,000人
スタンフォード・スタジアム カリフォルニア州スタンフォード 80,000人

※いくつかの競技場は大会後の改装でスペックが変更されており、収容人員数は大会当時のもの。また、1996年開幕のメジャーリーグサッカーの本拠地となったスタジアムもある。

結果編集

グループリーグ編集

グループ A編集


チーム







1   ルーマニア  6 3 2 0 1 5 5 0
2   スイス  4 3 1 1 1 5 4 +1
3   アメリカ合衆国  4 3 1 1 1 3 3 0
4   コロンビア  3 3 1 0 2 4 5 -1







グループ B編集


チーム







1   ブラジル  7 3 2 1 0 6 1 +5
2   スウェーデン  5 3 1 2 0 6 4 +2
3   ロシア 3 3 1 0 2 7 6 +1
4   カメルーン 1 3 0 1 2 3 11 -8





ロシア   6 - 1   カメルーン
サレンコ   15分41分44分 (PK)72分75分
ラドチェンコ   81分
レポート ミラ   46分


グループ C編集


チーム







1   ドイツ  7 3 2 1 0 5 3 +2
2   スペイン 5 3 1 2 0 6 4 +2
3   韓国  2 3 0 2 1 4 5 -1
4   ボリビア  1 3 0 1 2 1 4 -3






ドイツ   3 - 2   韓国
クリンスマン   12分37分
リードレ   20分
レポート 黄善洪   52分
洪明甫   63分

グループ D編集


チーム







1   ナイジェリア 6 3 2 0 1 6 2 +4
2   ブルガリア   6 3 2 0 1 6 3 +3
3   アルゼンチン 6 3 2 0 1 6 3 +3
4   ギリシャ 0 3 0 0 3 0 10 -10







グループ E編集


チーム







1   メキシコ  4 3 1 1 1 3 3 0
2   アイルランド  4 3 1 1 1 2 2 0
3   イタリア  4 3 1 1 1 2 2 0
4   ノルウェー  4 3 1 1 1 1 1 0







グループ F編集


チーム







1   オランダ  6 3 2 0 1 4 3 +1
2   サウジアラビア  6 3 2 0 1 4 3 +1
3   ベルギー  6 3 2 0 1 2 1 +1
4   モロッコ  0 3 0 0 3 2 5 -3







各組3位チーム編集

チーム







D   アルゼンチン 6 3 2 0 1 6 3 +3
F   ベルギー 6 3 2 0 1 2 1 +1
A   アメリカ合衆国 4 3 1 1 1 3 3 0
E   イタリア 4 3 1 1 1 2 2 0
B   ロシア 3 3 1 0 2 7 6 +1
C   韓国 2 3 0 2 1 4 5 -1

決勝トーナメント編集

ラウンド16 準々決勝 準決勝 決勝
                           
7月2日 - シカゴ            
   ドイツ 3
7月10日 - イーストラザフォード
   ベルギー 2  
   ドイツ 1
7月5日 - イーストラザフォード
     ブルガリア 2  
   ブルガリア (PK) 1 (3)
7月13日 - イーストラザフォード
   メキシコ 1 (1)  
   ブルガリア 1
7月5日 - フォックスボロ
     イタリア 2  
   イタリア (aet) 2
7月9日 - フォックスボロ
   ナイジェリア 1  
   イタリア 2
7月2日 - ワシントンD.C.
     スペイン 1  
   スペイン 3
7月17日 - パサデナ
   スイス 0  
   イタリア 0 (2)
7月4日 - パロアルト
     ブラジル (PK) 0 (3)
   ブラジル 1
7月9日 - ダラス
   アメリカ合衆国 0  
   ブラジル 3
7月4日 - オーランド
     オランダ 2  
   オランダ 2
7月13日 - パサデナ
   アイルランド 0  
   ブラジル 1
7月3日 - ダラス
     スウェーデン 0   3位決定戦
   スウェーデン 3
7月10日 - パロアルト 7月16日 - パサデナ
   サウジアラビア 1  
   スウェーデン (PK) 2 (5)    ブルガリア 0
7月3日 - パサデナ
     ルーマニア 2 (4)      スウェーデン 4
   ルーマニア 3
   アルゼンチン 2  

1回戦編集










準々決勝編集






準決勝編集




3位決定戦編集



決勝編集



優勝国編集

 1994 FIFAワールドカップ優勝国 
 
ブラジル
6大会ぶり4回目

得点ランキング編集

表彰編集

個人賞編集

選手名 国籍 備考
ゴールデンボール(大会MVP) ロマーリオ   ブラジル 優勝
シルバーボール ロベルト・バッジョ   イタリア 準優勝
ブロンズボール フリスト・ストイチコフ   ブルガリア 4位
ゴールデンシューズ(得点王) フリスト・ストイチコフ   ブルガリア 6得点
オレグ・サレンコ   ロシア
ヤシン賞(最優秀GK) ミシェル・プロドーム   ベルギー 4失点

オールスターチーム編集

決勝戦の開催前の7月16日FIFAワールドカップ優勝経験者であるペレボビー・チャールトンを含むFIFAの専門家により大会のオールスターチームが選出された[12]。オールスターチームの選出は大会史上初の試みとなる[12]

ポジション 選手名 国籍
GK ミシェル・プロドーム   ベルギー
DF パオロ・マルディーニ   イタリア
マルシオ・サントス   ブラジル
ジョルジーニョ   ブラジル
MF クラシミール・バラコフ   ブルガリア
トマス・ブロリン   スウェーデン
ゲオルゲ・ハジ   ルーマニア
ドゥンガ   ブラジル
FW ロマーリオ   ブラジル
ロベルト・バッジョ   イタリア
フリスト・ストイチコフ   ブルガリア

脚注編集

  1. ^ 西ドイツ時代を含む。東西再統一後は初出場(東西分裂前は2度出場している)。
  2. ^ ソビエト連邦時代を含む。ロシアに分離独立後は初出場。
  3. ^ ワールドカップで生み出された、過去の偉大なるギネス世界記録の数々 Guinness World Records(2014年6月12日)
  4. ^ 『サッカーの大常識』38頁。
  5. ^ 高年齢と暑さに敗れたドイツ 賀川サッカーライブラリー。
  6. ^ Andrew Jordan (2010年4月25日). “The 12 Biggest Controversies in World Cup History”. bleacherreport.com. 2013年10月27日閲覧。
  7. ^ 1994年7月19日付 ニッカンスポーツ復刻誌面 日刊スポーツ新聞社(PDF)。
  8. ^ サッカーマガジン編集部 (2018年7月4日). “【W杯伝説】なぜ多くのブラジル国民がセレソン94を心から愛せないのか?”. ベースボールマガジンWEB. 2019年9月16日閲覧。
  9. ^ ロマーリオ(4)強豪オランダ相手にシュート力と決定力でフルに活躍”. 賀川サッカーライブラリー (2008年6月10日). 2019年9月16日閲覧。
  10. ^ No.48 GKはサッカー選手ではない?”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (1994年4月5日). 2012年7月5日閲覧。
  11. ^ No.95 3人目の交代をどう使うか”. サッカーの話をしよう 大住良之オフィシャルアーカイブサイト (1995年3月28日). 2012年12月28日閲覧。
  12. ^ a b WORLD CUP '94; Romario and Baggio Among First All-Star Cast”. New York Times (1994年7月16日). 2014年11月22日閲覧。

外部リンク編集