アラン・ホワイト
アラン・ホワイト(Alan White、1949年6月14日 - )は、イングランド出身のロック・ミュージシャン、ドラマー。
アラン・ホワイト Alan White | |
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![]() イエスの記者会見にて (2010年11月) | |
基本情報 | |
生誕 | 1949年6月14日(71歳) |
出身地 |
![]() ダラム州 ペルトン |
ジャンル |
ロック プログレッシブ・ロック ハードロック |
職業 | ミュージシャン、ドラマー |
担当楽器 | ドラムス、パーカッション、ピアノ |
活動期間 | 1967年 - 現在 |
レーベル | アトランティック・レコード |
共同作業者 |
プラスティック・オノ・バンド イエス サーカ ホワイト ほか |
公式サイト | alanwhite.net |
プログレッシブ・ロック・バンド「イエス」のメンバーとして知られる。若き日には「ビートルズ」メンバーの作品に参加し、そのほか様々なセッションの実績を持つ。
ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100人のドラマー」第35位。2017年、イエス名義で『ロックの殿堂』入り。
(なお、同姓同名の元オアシスのドラマーとは別人)
略歴編集
「イエス」に加入する以前にも数々のセッション活動を行い、キャリアを積んでいた。特に有名なのが「プラスティック・オノ・バンド」でのセッションであり、1969年12月、カナダのトロントでのライブの前日に電話がかかってきて、その相手がジョン・レノンだったというエピソードがある。
カナダへ飛ぶプライベート・ジェット機の中で、ジョンとエリック・クラプトンと共に、椅子をスティックで叩きながら練習したとの逸話が残っている。後に、トロントでの模様は、ライブ・アルバム『平和の祈りをこめて(Live Peace in Toronto 1969)』として発売されている。その後、ジョンのアルバム『イマジン』にも参加。
その他、ジョージ・ハリスン、ジェシ・エド・デイヴィス、ポール・コゾフ等のアルバムにも参加。1972年2月には「ベル+アーク」のメンバーとしてドイツのロック番組『ビート・クラブ』に出演している映像が残っている。
1972年、「キング・クリムゾン」に加入するため脱退したビル・ブルーフォードの後任として「イエス」に加入。イエスの当時のプロデューサーであるエディ・オフォードと彼が同じ部屋で暮らしていたという縁があった。
アラン・ホワイトのドラム・スタイルは、ロックン・ロールの出身らしいパワフル、フラットかつタメのあるスローなタイム感が特徴であった。ジャズのスタイルに根ざし、硬質でタイトかつ性急なアグレッションにあふれたビル・ブルーフォードとの演奏スタイルの違いが、当初物議をかもしていた。
1976年、初のソロ・アルバム『ラムシャックルド』を発表。
2006年、リーダーバンド「ホワイト」の1stアルバム『White』を発表。
2007年にイエス関係者のビリー・シャーウッド、トニー・ケイと「サーカ」を結成し、アルバムとその後のツアーに参加するが、2作目のアルバムの録音前に脱退。
そのほか、様々なセッションやプロジェクトに関わる。
ディスコグラフィ編集
ソロ・アルバム編集
- 『ラムシャックルド』 - Ramshackled (1976年)
クリス・スクワイア&アラン・ホワイト編集
- "Run with the Fox" (1981年)
アラン・プライス・セット編集
- 『プライス・オン・ヒズ・ヘッド』 - A Price on His Head (1967年)
- The Amazing Alan Price (1967年)
- This Price is Right (1968年)
ジョン・レノン and プラスティック・オノ・バンド編集
- 『平和の祈りをこめて』 - Live Peace in Toronto 1969 (1969年)
- 『インスタント・カーマ』 - Instant Karma! (1970年)
- 『イマジン』 - Imagine (1971年)
- 『サムタイム・イン・ニューヨーク・シティ』 - Some Time in New York City (1972年)
ジョージ・ハリスン編集
- 『オール・シングス・マスト・パス』 - All Things Must Pass (1970年)
- 『ラダ・クリシュナ・テンプル』 - Radha Krsna Temple (1971年)
イエス編集
ライブ・アルバム、コンピレーション・アルバム等の詳細はイエスの作品を参照
- 『イエスソングス』 - Yessongs (1973年) ※ライブ・アルバム
- 『海洋地形学の物語』 - Tales from Topographic Oceans (1973年)
- 『リレイヤー』 - Relayer (1974年)
- 『イエスタデイズ』 - Yesterdays (1975年) ※ベスト・アルバム
- 『究極』 - Going for the One (1977年)
- 『トーマト』 - Tormato (1978年)
- 『ドラマ』 - Drama (1980年)
- 『イエスショウズ』 - Yesshows (1980年) ※ライブ・アルバム
- 『クラシック・イエス』 - Classic Yes (1981年) ※ベスト・アルバム
- 『ロンリー・ハート』 - 90125 (1983年)
- 『9012ライブ』 - 9012Live: The Solos (1985年)
- 『ビッグ・ジェネレイター』 - Big Generator (1987年)
- 『結晶』 - Union (1991年)
- 『イエスイヤーズ』 - Yesyears (1991年) ※ベスト・アルバム
- 『トーク』 - Talk (1994年)
- 『キーズ・トゥ・アセンション』 - Keys to Ascension 1 (1996年)
- 『キーズ・トゥ・アセンション2』 - Keys to Ascension 2 (1997年)
- 『オープン・ユア・アイズ』 - Open Your Eyes (1997年)
- 『ラダー』 - The Ladder (1999年)
- 『ハウス・オブ・イエス』 - House of Yes - Live from House of Blues (2000年) ※ライブ・アルバム
- 『マグニフィケイション』 - Magnification (2001年)
- 『IN A WORD:ヒストリーBOX』 - In a Word (2002年) ※ライブ・アルバム
- 『アルティメイト・イエス』 - The Ultimate Yes (2004年) ※ベスト・アルバム
- 『ライヴ・イヤーズ』 - The Word Is Live (2005年) ※ライブ・アルバム
- 『フライ・フロム・ヒア』 - Fly From Here (2011年)
- 『ヘヴン&アース』 - Heaven & Earth (2014年)
ホワイト編集
- White (2006年)
ザ・シン編集
- Armistice Day (2007年)
サーカ編集
- 『サーカ・ファースト・アルバム』 - CIRCA: 2007 (2007年)
- 『ライヴ』 - CIRCA: Live (2008年)
トニー・レヴィン/デヴィッド・トーン/アラン・ホワイト編集
- Levin/Torn/White (2011年)
関連項目編集
脚注編集
- ^ “イエス、ロックの殿堂でジョン・アンダーソンと共演”. BARKS (2017年3月9日). 2018年1月14日閲覧。