エルヴィン・ジョーンズElvin Jones1927年9月9日 - 2004年5月18日)は、アメリカジャズ・ミュージシャン、ドラム奏者。

エルヴィン・ジョーンズ
Elvin Jones
エルヴィン・ジョーンズ(1976年)
基本情報
出生名 Elvin Ray Jones
生誕 1927年9月9日
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ミシガン州
死没 (2004-05-18) 2004年5月18日(76歳没)
ジャンル ジャズビバップハード・バップ
職業 ミュージシャン、バンドリーダー
担当楽器 ドラム、パーカッション
活動期間 1948年 - 2004年
共同作業者 ジョン・コルトレーン
チャールズ・ミンガス
サド・ジョーンズ
ハンク・ジョーンズ
ウェイン・ショーター

来歴

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アメリカ合衆国ミシガン州ポンティアック生まれ。ピアニストのハンク・ジョーンズ、トランペッターのサド・ジョーンズとの3兄弟の末弟である。1940年代後半に軍役に服した後、ミュージシャンとしてのキャリアを開始。1950年代前半はデトロイトで活動。1955年にニューヨークへ移るとマイルス・デイヴィスソニー・ロリンズチャールズ・ミンガスらと共演した[1]

1960年からはジョン・コルトレーンのグループで活躍。ベーシストのジミー・ギャリソン、ピアニストのマッコイ・タイナーと共にカルテットを形成した[2] 。複雑なリズムを難なく叩き、ドラミングの技術には定評があった。1966年に音楽性の相違から袂を分かつまで、「アラバマ」などコルトレーンの多くの作品・演奏に参加した。

また、1960年代にはブルーノート・レーベルを中心にウェイン・ショーターグラント・グリーンラリー・ヤングらのレコーディングに参加、歴史的名盤を数多く残している。以降は、自身のグループ「ジャズ・マシーン」を率いての活動が中心となる。ブルーノート・レーベルからは自身のピアノレス・カルテットを中心とした作品をいくつか発表している。

1966年に来日した際、トラブルによってしばらく帰国できなくなるが、その際に日本人ミュージシャンから支援を受け、それを機に「親日家」となった。妻は日本人のケイコ・ジョーンズで来日の機会も多く、辛島文雄向井滋春中山英二などの日本人プレイヤーを、ジャズ・マシーンのメンバーとして迎え入れた。晩年は毎年年始に「新宿ピットイン」で公演を行うのが定番になっていた。

2002年から兄のハンク・ジョーンズがリーダーを務めるザ・グレイト・ジャズ・トリオのドラマーを務めたが、2004年5月18日、心不全により死去した。76歳没。

ディスコグラフィ

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リーダー・アルバム

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参加アルバム(一部)

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脚注

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  1. ^ 中山康樹後藤雅洋、村井康司 編「エルヴィン・ジョーンズ」『JAZZ“名盤”入門!』宝島社〈宝島社新書〉、2003年、143頁。 
  2. ^ Elvin Jones All music”. 02 July 2020閲覧。

関連項目

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外部リンク

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