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カステラ(かすていら・家主貞良・加須底羅)は、鶏卵を泡立てて小麦粉砂糖水飴)を混ぜ合わせた生地をオーブンで焼いた菓子の一つである。

カステラ
Castella 002.jpg
種類 菓子
誕生時期 16世紀
提供時温度 常温
主な材料 小麦粉砂糖
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種類編集

ポルトガルから伝わった南蛮菓子を元に日本で独自に発展した和菓子である。ポルトガルには「カステラ」という名の菓子はなく、後述する原型とされる菓子も、カステラとは見た目も製法も異なる。日本におけるカステラは長崎が本場とされており、その「長崎カステラ」と呼ばれるものは、長崎県長崎市福砂屋を元祖とし、長崎県の銘菓という意味ではなく、製法が同じものを総称している。正方形または長方形の大きな型に流し込んで、オーブンで焼いた後にさお型に切る。水飴を用いているので、しっとりとした食感がある。牛乳抹茶黒糖チョコレートチーズなどを加えて味付けをする変種も多い。

この他に釜カステラ(東京式釜カステラ・東京カステラ)[1][2]、蒸しカステラ、カステラ饅頭、ロールカステラ、人形焼などがある。釜カステラは、「6面焼き」と呼ばれるものもあり、一つ一つの型に入れてオーブンで焼いたタイプで、水飴を用いないことからさっぱりとしており、カステラの原型に近いともいわれる。

カステラを応用した菓子としては、福島県会津若松市の会津葵、愛媛県タルト島根県の八雲小倉、長崎県平戸市カスドース、長崎県長崎市の桃カステラなどがある。長崎カステラを洋菓子化したものとして銀装のカステラがある。料理としては、岡山県(主に倉敷市)の鮮魚カステラや、伊達巻もカステラの調理方法を応用したものである。このほか、宮城県沖縄県の名物として「カステラかまぼこ」と呼ばれる焼きかまぼこがあるが、それぞれに料理法は異なる。

カステラをさお型に切り揃える際に、切り落とし(耳)が発生する。これを袋詰めしたり、ラップで包んだりして、本来の製品よりも割安で販売する場合も多い。材料は本来の製品と変わらず、むしろ砂糖が蜜のように集まったり、結晶化したりして、甘みを増している場合もあり、おやつなど贈答以外の用途に購入される。

語源編集

一般的にカステラの名前の由来は、イベリア半島に存在したカスティーリャ王国Castilla)のポルトガル語発音である「カステラ」(Castella)であるとされ、「ボロ・デ・カステラ」(Bolo de Castella、カスティーリャ王国の菓子の意)が「カステイラ」あるいは「カステラ」になったと言われている[3]1704年宝永元年)刊行の『長崎名物尋(ね)考』には、「カステイラという菓子は、本名カストルボルというを訛りていうなり」という記載があるという[4]

また、異説として、スペインやポルトガルでメレンゲを泡立てる際に「城(castelo)のように高くなれ!」というかけ声をかけることから、カステロ=カステラとなったのではないかとする説もある[3][5]。ただし、卵白をメレンゲ状に撹拌する手法は日本にカステラが伝わった後に普及したものであり、カステラの語源とするのは妥当でないとする見解もある[6] [注釈 1]

夏目漱石1907年明治40年)に発表した『虞美人草』で、西洋菓子について「チョコレートを塗った卵糖(カステラ)を口いっぱいに頬張る。」[8]と記して、「卵糖」という当て字を考案したが、この当て字は他に用例も少なく、また実際にはチョコレートケーキに使われているスポンジケーキを指していたと考えられる。

歴史編集

カステラの起源編集

カステラの起源については、スペインの焼き菓子「ビスコチョ」(Bizcocho)とする説や、ポルトガルの焼菓子「パン・デ・ロー」(pão de ló)とする説がある。

ビスコチョは、「二度焼くこと」が語源の焼き菓子である。元は乾パン状の堅いものだったが、1611年に出版されたスペインの辞書『コバルビアスのコトバ辞書』には、当時のビスコチョに「小麦粉と卵と砂糖で作る美味しい別のタイプ」もあったことが記されている[3]

渡辺万里は、旧カスティーリャ地方のサモラに伝わるパンに近いビスコチョ「レボホ・ドゥーノ」(堅いレボホの意)を紹介したうえで、このようなビスコチョが「ボーロ・デ・カステイラ」(カスティーリャ王国のパン〔ママ〕)としてポルトガルで定着したのではないかと述べている[9]。岡美穂子は、1680年にポルトガルで出版されたドミンゴス・ロドリゲス『料理法』に見られる「ビスコウト・デ・ラ・レイナ」(ラ・レイナla Reinaはスペイン語で女王・王妃の意)に初期のカステラとの類似点があることを指摘したうえで、ラ・レイナとは1525年にポルトガル王室に嫁いだカスティーリャ王女カタリナ・デ・アウストリアを指している可能性が高いとし、カタリナがポルトガルにこの菓子を伝えて「カスティーリャの菓子」と呼ばれるようになったのではないかと考察している[10]

パン・デ・ローは、16世紀半ばに書かれた『王女ドナ・マリアの料理書』に掲載されているのが文献上の初出である。パン・デ・ローと砂糖を使ったビスコチョはどちらも16世紀に生まれており、パン・デ・ロー自体がビスコチョから発展したものではないかとする見解もある[11]ほか、当時イベリア半島に進出していたアラブ文化の影響でカスティーリャとポルトガルで同時期に似た菓子が生まれた可能性も示唆されている[12]

日本における歴史編集

 
福砂屋のカステラ

1846年弘化3年)の川北温山『原城紀事』に、江戸時代中期に書かれた『耶蘇天誅記』からの引用として、1557年弘治3年)に肥前唐津で布教を進めた宣教師が作った菓子類が挙げられており、その中に「角寺鐵異老」(カステイラ)がある[13]1626年寛永3年)の小瀬甫庵太閤記』にも、宣教師が布教の際に「かすていら」などの南蛮菓子をふるまっていたことが書かれている。

日本で初めてカステラを焼いた具体的な人物としては、豊後府内に病院を設立して病人に滋養食として牛乳や牛肉を与え、大友宗麟を南蛮料理で饗応したこともある宣教師ルイス・デ・アルメイダ[14][15]や、1592年文禄元年)に肥前名護屋で秀吉に南蛮料理や南蛮菓子をふるまった史料の残る村山等安[16]などが候補に挙げられるが、明確な史料はない。

1600年前後の成立と見られる『南蛮料理書』には、「かすてほう路」という名称でカステラの製法が載っており[17]1626年(寛永3年)の後水尾天皇の二条城行幸や1630年(寛永7年)の島津家での将軍御成の際にカステラが供されている[18]1720年享保5年)成立の西川如見『長崎夜話草』には、「長崎土産物」という項の「南蛮菓子色々」の中に「カステラボウル」が見られる[19]

江戸時代には菓子製造の盛んだった江戸大坂を中心にカステラの日本化と、カステラを焼くための炭釜の改良が進められ、江戸時代中期には現在の長崎カステラの原型に近いものが作られている。長崎カステラの特徴である水飴の使用は、明治時代以降の西日本で始められたと言われ、これにより現在のしっとりとした食感となった。西日本においては、原型のパウンドケーキのようなさっくりとした感触が好まれなかったと見られる。伝来当時、平戸藩松浦家において、南蛮菓子としてカステラが宴会に出された時、その味に馴染めず、包丁方(料理人)がカステラを砂糖蜜で煮たという逸話もあり、これが上述の平戸名産「カスドース」の原型になったという説もある。

カステラの製法は江戸時代の製菓書・料理書に数多掲載され、茶会でも多く用いられた。その一方で、カステラは鶏卵・小麦粉・砂糖といった栄養価の高い材料の使用から、江戸時代から戦前にかけて結核などの消耗性疾患に対する一種の栄養剤としても用いられていたこともある。近代には水飴の使用が普及して、和菓子らしい風味をそなえるようになり、ガスオーブンや電気釜の使用で、以前より楽に安定してカステラが焼かれるようになった。こうした改良により各地に広まり、第二次世界大戦後の大量生産によって一般に普及したものと推測される。

台湾風カステラ編集

台湾は日本の統治下にあったことから、日本渡来のカステラは一般的な台湾人の食生活に深く浸透している[20]。台湾のカステラは「長崎蛋糕」、「蜂蜜蛋糕」、「岩焼蛋糕」の三つの種類がある。「蛋糕」は台湾中国語でケーキの意味で、蛋糕の前に二文字をつけてそのカステラの種類を示す。長崎蛋糕は日本から伝わったカステラであり、形も味も日本にほぼ等しい。蜂蜜蛋糕は「はちみつを加えて焼いたカステラ」を指し、岩焼蛋糕は「チーズを加えて焼いたカステラ」を指す。後者の二つのカステラは、いずれも日本の形式から離れて、台湾独自の菓子として発展したものである。庶民の習わしとして、母の日には母親にカステラを贈る[21]

有名メーカー編集

脚注編集

  1. ^ 『カステラの科学』2-1-11 東京式釜カステラ
  2. ^ 朝日新聞 2006年3月31日
  3. ^ a b c 『カステラ読本』福砂屋、2005年。
  4. ^ 「書籍、資料にみるカステラの変遷と広がり」『カステラ文化誌全書』平凡社、1995年。
  5. ^ 明坂英二『かすてら加寿底良』講談社、1991年。
  6. ^ 田尻陽一「スペインのカステラのルーツ、ビスコチョを訪ねて」『カステラ読本』
  7. ^ ホセ・ゴロチャテギ「ビスコチョの歴史」『カステラ文化誌全書』
  8. ^ 夏目漱石『虞美人草』』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、p275、春陽堂、1913年。
  9. ^ 渡辺万里『スペインかすていら巡礼』松翁軒、1992年。
  10. ^ 岡美穂子「南蛮菓子の文化的背景」『南蛮貿易とカステラ』福砂屋、2016年。
  11. ^ 「ポルトガルのカステラのルーツ、パン・デ・ローを訪ねて」『カステラ読本』
  12. ^ 「カステラは洋菓子か、和菓子か」『カステラ文化誌全書』
  13. ^ 『長崎夜話草』』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、p36
  14. ^ 「修道士のカステラ」『カステラ読本』
  15. ^ 東野利夫『南蛮医アルメイダ』柏書房、1993年。
  16. ^ 「長崎代官のカステラ」『カステラ読本』
  17. ^ 鈴木真一「江戸時代のカステラ」『カステラ読本』
  18. ^ 江後迪子「文献からみた長崎・九州のカステラ」『カステラ読本』
  19. ^ 『長崎夜話草』』 - 国立国会図書館デジタルコレクション、p87
  20. ^ Official site of Nanbanto. (2018). https://www.nanmantang.com. 
  21. ^ “母親節募集揪愛心 邀請您一起溫暖婦幼的心”. 聯合新聞網. (2018年5月4日14:36). https://udn.com/news/story/12019/3123398 2018年5月6日閲覧。 
  22. ^ 仮屋園璋『カステラの科学』光琳、2004年。

注釈編集

  1. ^ ただし、トローサ菓子博物館館長のホセ・ゴロチャテギは、1611年に出版されたマルティネス・モンティーニョ『料理、デザート、ビスコチョの作り方』の記載から、卵白をメレンゲ状に撹拌する手法が古くから存在していた可能性を指摘している[7]

関連項目編集