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カルタスCultus)とは、スズキ製造販売している乗用車である。日本では1983年昭和58年)から2002年平成14年)にかけて販売された。

スズキ・カルタス
Cultuspc.jpg
2代目カルタス(5ドア:警視庁パトカー)
販売期間 1983年-2002年
製造国 日本の旗 日本
駆動方式 FF/4WD
先代 なし
後継 スズキ・スイフト
スズキ・エリオ
別名 スズキ・カルタスクレセント(3代目)
スズキ・スイフト(国外向け)
ジオ・メトロ(北米)
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概要編集

スズキが送り出した小型乗用車は、1965年(昭和40年)から1969年(昭和44年)にかけて製造・販売されたフロンテ800以来、2車種目。また、低価格からパトロールカーとして交番などによく配備された車でもある[1]

尚、当項では「カルタス クレセント」(その後、マイナーチェンジでカルタスに変更)についても説明する。

歴史編集

初代(1983年 - 1988年)編集

スズキ・カルタス(初代)
AA41V AA41S AB41S AB51S
前期型 GL
販売期間 1983年 - 1988年
乗車定員 5名
ボディタイプ 3ドア/5ドア ハッチバック
エンジン G10 直3SOHC 1.0L 60PS/5,500rpm 8.5kgf·m/3,500rpm
G13直4SOHC 1.3L 75PS/5,500rpm 11.0kgf·m/3,500rpm
駆動方式 FF/4WD
変速機 5速MT/4速MT/3速AT
サスペンション F:ストラット式独立
R:リーフリジッド
(前期型)
R:アイソレーテッド・トレーリング・リンク(コイルスプリング+車軸懸架)
(後期型)
全長 3,585mm
(前期型3ドアハッチバック)
全幅 1,530mm
(前期型3ドアハッチバック)
全高 1,350mm
(前期型3ドアハッチバック)
ホイールベース 2,245mm(3ドアハッチバック)
車両重量 620kg
販売終了前月までの新車登録台数の累計 9万9021台[2]
-自動車のスペック表-
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2代目(1988年 - 1999年)編集

スズキ・カルタス(2代目)
AA44S型
後期型(1991年-1999年)
後期型 リア
販売期間 1988年 - 1999年
(ハッチバック)
1989年 - 1995年
(セダン)
1992年 - 1994年
(コンバーチブル)
乗車定員 5名
ボディタイプ 3ドア/5ドア ハッチバック
4ドア セダン(エスティーム)
2ドアコンバーチブル
エンジン G10 直3SOHC 1.0L 58PS/6,000rpm 8.0kgf·m/3,500rpm
G13 直4SOHC 1.3L 82PS/6,500rpm 10.6kgf·m/4,000rpm
G13B 直4DOHC 1.3L 115PS/7,500rpm 11.2kgf·m/6,500rpm
駆動方式 FF/4WD
変速機 5速MT/3速AT/CVT
サスペンション ストラット式
全長 3,745mm
全幅 1,590mm
全高 1,350mm
ホイールベース 2,265mm
車両重量 760kg
1999年末までの新車登録台数の累計。 27万2071台
(一部3代目の登録台数含む)[3]
-自動車のスペック表-
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  • 1988年(昭和63年)9月、フルモデルチェンジ実施ならびに製造開始。廉価な世界戦略車というコンセプトは先代から引き継がれたが、ゲタ代わりの初代に高級感が加わり価格帯も上昇したことから、しばらくの間、初代も並行して販売されている。日本国外市場では引き続き主に「スイフト」の名で販売されたが、北米ではGMの「キャプティバ・インポートモデル」として、意匠を変更したジオ・メトロポンティアック・ファイアーフライが販売された。
  • 日本国内向けは1.0Lがメトロ・コンバーチブルと同じフロントデザインでフロントグリルなし、1.3Lはフロントグリル付きでヘッドランプなどフロント回りが別意匠であった。両方に、3ドアと5ドアのハッチバックモデルがあり、1.3LDOHC 搭載モデルのホットモデル「GTi」は3ドアのみの設定で、純正エアロが標準で付いていた。キャッチコピーは「HIPコンシャス」で、前期のCM出演者はロブ・ロウ
  • 1989年平成元年)6月 スズキとしては、1965年から1969年まで販売されていたフロンテ800以来、20年ぶりのノッチバックセダン(3ボックススタイル)となる「エスティーム」を1.3Lと1.6Lの設定で販売開始[4]。フロントグリル付きで、特別仕様車では、「コシノヒロコリミテッド」(1.3L)があり、彼女がデザインしたシート表皮であった。マイナーチェンジで、1.6Lは自動車税の区分に合わせた1.5Lへ変更になった。
  • 1990年(平成2年)の後半からはインドマルチ・スズキでも「マルチ・1000」として製造・販売が開始された。
  • 1991年(平成3年)、マイナーチェンジで内外装の変更があり、リアコンビネーションランプが当時のアメリカ車によく見られたグリッドモールド(格子柄)から日本車風の上下2分割レンズの水平基調になり、リアナンバー位置もリア・ガーニッシュからバンパー下部に変更された。内装は一新され、アメリカ車風の独特のダッシュボードが、この当時の一般的な日本車風になった。後に限定車の『エレッセ』仕様が販売された。CM出演者は大江千里に変更。
  • コンバーチブルが設定され、北米市場ではコンバーチブルだけでも1万台を超える販売台数となる大ヒットとなった。日本国内向けは1992年(平成4年)2月に登場した。オートマチックはスズキ初のCVT(SCVT、湿式多板クラッチ+サイレントチェーン式CVT、ボルグワーナー製)が採用され、純正車体色は青メタリックと赤の2色のみの設定となる。
  • 1994年(平成6年)コンバーチブル生産中止。
  • 同年ホールデンは、OEMのバリーナをオペル・コルサ(B)に切り替えたため、スズキからの供給は中止した。
  • 1995年(平成7年)から欧州市場向けに2代目スバルジャスティとしてOEM供給が開始され、2003年(平成15年)まで続いた。
  • 1995年(平成7年)カルタス・クレセントの登場によりラインナップを縮小、セダンのエスティームが日本市場から廃止される。
  • この当時、世界で一番安い小型車として「カルタス1000F」が、パワーステアリングエアコン付き68万円で登場し、3代目にモデルチェンジ後も国内で継続、製造販売されていた。
  • 国外仕様車は、主にスイフトの名称で販売されていた。北米市場向けの最上級グレード、スイフトGTにはエンジン出力を100psに高めた4気筒エンジンが搭載されていた[5]。北米向けは1995年にジオ・メトロをベースとした新型に変更されたが、欧州市場向けは2003年までモデルチェンジされずに製造が続けられた。
  • 中華人民共和国では長安スズキがセダンを羚羊(リンヤン)の車名で2000年7月から2015年頃まで、パキスタンではパックスズキが5ドアハッチバックをカルタスの車名で2016年まで製造した。
  • 警視庁ではクレセント登場後に5ドアハッチバックをパトロールカーとして導入したため、2002年(平成14年)以降、他県でクレセントのパトカーの廃車が進む中(一部駐在所には2013年(平成25年)現在でも存在)、2007年(平成19年)時点でも旧型が残るという逆転現象が生じた。

3代目(1995年 - 2002年)編集

スズキ・カルタスクレセント
スズキ・カルタス(3代目)
GA11S型
セダン
ワゴン
販売期間 1995年 - 2002年
乗車定員 5名
ボディタイプ 3ドアハッチバック
4ドア セダン
5ドア ステーションワゴン
エンジン G13B 直4SOHC 1.3L 85PS/6,000rpm 10.8kgf·m/3,000rpm
G15A 直4SOHC 1.5L 97PS/6,000rpm 12.8kgf·m/3,200rpm
J18A 直4DOHC 1.8L 135PS/6,500rpm 16.0gf·m/3,000rpm
駆動方式 FF/4WD
変速機 5MT/4AT/3AT/CVT
サスペンション ストラット式
全長 3,870mm(3ドアハッチバック)
4,195mm(セダン)
4,345mm(ステーションワゴン)
全幅 1,690mm(3ドアハッチバック)
全高 1,395mm(3ドアハッチバック)
1,390mm(セダン)
1.460mm(ステーションワゴン)
ホイールベース 2,380mm(3ドアハッチバック)
2,480mm(セダン,ステーションワゴン)
車両重量 890kg
新車登録台数 累計12万2978台[6]
後継 ハッチバック:
スズキ・スイフト
セダン:
スズキ・エリオセダン
シボレー・オプトラ
ワゴン:
スズキ・エリオ
シボレー・オプトラワゴン
-自動車のスペック表-
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  • 1995年(平成7年)1月、カルタスの上位機種としてカルタス・クレセントの販売を開始。ボディタイプは当初3ドアハッチバック(1.3L、1.5L)と4ドアセダン(1.5L、1.6L)の2種。初期のCM出演者は五木ひろし和由布子
  • 1996年(平成8年)2月、ワゴン(1.5L、1.8L、4WD専用の1.6L)追加。ワゴンの目標月間販売は500台と発表された。3ドア1.5L 車廃止。3ドアハッチバック&4ドアセダン1.6L(4WD専用)追加。
日本国外の一部の地域(北米等)向けでの車名がスイフトから2代目セダンのサブネームである「エスティーム」に変更された。欧州では「バレーノ」の名称で販売され、3ドア、セダンにも1.8L搭載車が存在する。
上位機種ではない従来モデルは日本国内向けは1999年まで併売された。北米向けのスズキ・スイフトはジオ・メトロをベースとしたハッチバックのみがモデルチェンジされ、日本国外専売車種となった。
  • 1997年(平成9年)5月、マイナーチェンジ。内装変更。ワゴンに1.8Lエアロ設定。3ドア1.3Lに無段変速機専用グレード「G」設定。搭載のCVTは富士重工業ECVTである。
  • 1998年(平成10年)5月、マイナーチェンジ。同時に「カルタス・クレセント」を「カルタス」に、従来のカルタスを「カルタス Mシリーズ」に名称変更。この時一部グレードに標準装備だったエアバッグABSオプション設定となった。CM出演者は長瀬智也に変更。
  • 2000年(平成12年)3月、ハッチバック販売終了。同時に従来型(2代目)のカルタス(ハッチバック)も販売を終了している。後継車はスイフト
  • 2001年(平成13年)11月、エリオセダンの登場により、セダン販売終了。
  • 2002年8月、最後までラインアップに残されていたワゴンも販売終了。名実共に全てのモデルが製造・販売を終え、19年の歴史に幕を下ろした。後継車種はエリオ及び、GM大宇が製造し、スズキが輸入販売する、シボレー・オプトラである。

4代目(2017年 - )編集

詳細はスズキ・セレリオを参照

  • 2017年4月にパキスタンでセレリオの現地仕様車がカルタスの名称で発売。パキスタンでは2016年まで2代目カルタスが製造されており、その後継となる。

モータースポーツ編集

パイクスピーク編集

スズキスポーツ・ツインエンジン・カルタス TYPE2 SPEC,93(1993年)
乗車定員 1名
ボディタイプ ハッチバック
エンジン G16A型 水冷L型4気筒4バルブSOHC+TURBO 1,590cc×2
400PS/7,500rpm×2
46.15kgf·m/6,200rpm×2
駆動方式 4WD
変速機 5速MT
サスペンション 前:ダブルウィッシュボーン
後:ダブルウィッシュボーン
全長 4,180mm
全幅 1,750mm
全高 1,550mm
車両重量 873kg
後継 スズキスポーツ・ツインエンジン・エスクード SPEC,94(1994年)
-自動車のスペック表-
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アメリカコロラド州で毎年アメリカ独立記念日の前後に開催されるパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム1989年及び1991年 - 1993年までの間、2代目カルタスをベースとしたスペシャルマシン「スズキスポーツ・ツインエンジン・カルタス」が参戦している。ただし、ベースと言ってもそれは外観だけであり、軽量なパイプフレームシャシに400PSを発生する直列4気筒1.6Lエンジンを前後に搭載し、合計800PS/92.3kgf·mに達するというオリジナルとは似ても似つかぬモンスターマシンであった。この2基のエンジンは電子制御とEMCDと呼ばれる電磁クラッチ式センターデフで制御されていた。当時のスズキは大排気量エンジンを開発、製造しておらず、エンジン2基搭載という破天荒発想は適当なエンジンがない故の苦肉の策でもあった。また極端とも言える馬力設定も、パイクスピーク山頂付近では空気が薄く、高度が上がるにつれてエンジンパワーが低下していくため、予め高めの設定としたためである。

そして、一連のスズキ・パイクスピーク用マシンの外観的な特徴でもある巨大なウイングも、空気の薄くなる山頂付近においてもダウンフォースを得られるよう風洞実験を繰り返し作られたものである。

このマシンの開発した田嶋伸博は自らドライバーとして乗り込み、パイクスピークに挑んだ。初参加の1989年はリタイアであったが、改良を加えTYPE2となって2年越しの1991年に12分34秒51で完走を果たし、パイクスピークオープンクラスで3位という好成績を挙げた。1992年1993年共にアンリミテッドクラス(改造無制限)で完走、1993年は総合2位の成績であった。
スズキ及びスズキスポーツは、この経験を元に後のエスクードSX4等の数々のモンスターマシンを作り上げていくこととなる。
ちなみに1990年は2代目カルタスベースのスズキスポーツ・カルタスGT-iでオープンラリークラスで参戦。2000年には3代目ベースのスズキスポーツ・ツインエンジン・カルタスでパイクスピークオープンクラスに挑んだが、どちらも決勝でリタイアしている。

車名の由来編集

造語。「崇拝」を意味するラテン語が語源の英語CULT」(カルト)は、「CULTURE」(カルチャー = 文化) につながる接頭辞で、文化・教養に関係が深く「思想のあるクルマは文化だ」という主張と、「現代のクルマ文化に貢献したい」というスズキの願いを込めたもの[1][7]

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ a b 『昭和55年 写真生活』(2017年、ダイアプレス)p92
  2. ^ デアゴスティーニジャパン週刊日本の名車第21号21ページより。
  3. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車26号19ページより。
  4. ^ 厳密にいえばフロンテ800は2ドアのノッチバックセダンである。また、同社の4ドアセダンとしてはこのエスティームが初となる。
  5. ^ 低価格でDOHCエンジンを搭載していた1993年型スズキ「スイフト GT」(カルタス)を廃車置場で発見 Autoblog Japan Staff(2017年10月1日)2017年10月2日閲覧
  6. ^ デアゴスティーニジャパン 週刊日本の名車 第30号19ページより。
  7. ^ スズキ四輪車 車名の由来 - スズキ公式サイト