ウルリッヒスベルグ教会のマリア像

マリア崇敬(マリアすうけい、ラテン語: Hyperdulia, 英語: Mariolatry[1], ドイツ語: Mariolatrie[1], フランス語: Mariolâtrie[1])とは、聖母マリア三位一体の神[注釈 1]との仲介者 (Mediatrix)[注釈 2][注釈 3]として取り次ぎを願うことなどを中核としたカトリック教会教義における宗教概念[注釈 4]聖母崇敬(せいぼすうけい)ともいう。ラテン語 hyperdulia(ヒペルドゥリア、ヒュペルドゥリア、特別崇敬)の語義は「ほかのあらゆる崇敬にまさる崇敬」[2]で、トマス・アクィナスを始めとするスコラ哲学者が使い始めた用語[1][3][4][注釈 5]

マリア信心 (devotion to Mary)[注釈 6]または聖母信心とは、マリアを信じる心およびその表現などをいう[5]。日本語の信心はふつう仏教概念として説明されるが[6]、カトリック教会で言う信心[注釈 7]、聖母マリアを女神のように拝むことではなく、聖母マリアに「神に対し信者と共に祈ること」を願う形として表現する。

日本語として似た語形の「マリア崇拝」は、カトリック教会では異なる概念[7][8]として扱われる用語。

目次

概要編集

カトリック教会における公式なマリア崇敬の教えは、第2バチカン公会議の『典礼憲章英語版』および『教会憲章』などに記載されている[9]。『典礼憲章』では、第5章103において、カトリック教会が1年を通じて「神の母聖マリアを特別な愛情を込めて敬う」ものとしている。理由はイエス・キリストの救いの働きとマリアが、解くことが出来ない絆で結びついているためとしている[10]。『教会憲章』では、「神の恵みにより、キリストの諸神秘に関わった聖なる母として全ての天使と人間の上に高められたマリアが、特別な崇敬をもって教会から讃えられる事は当然である。」と記されている[11]

カトリック教会の司牧者である白浜満[12][注釈 8]によると、『教会憲章』に記されたカトリック教会におけるマリア崇敬の基本は、以下の3点である。

  • 第8章 - カトリック教会のマリアに関する教え
  • 第54条 - 神の救いの計画において「マリアが果たした役割」があること
  • 第62条 - 第54条の「役割」が現在も続いていること[9]

この3つの基本から、白浜は『教会憲章』における「マリア崇敬の意図」を次の3つの点に整理している。

  • 第55-59条 - マリアの生涯を通して示された神の恵みをたたえること
  • 第60-62条 - マリアの取り次ぎを願うこと
  • 第63-65条 - マリアの模範にならって生きること[9]

マリア崇敬は、聖母マリアの無原罪の御宿り聖母の被昇天と共に、唯一・聖・公・使徒承伝[注釈 9]を軸とするカトリック教会の特徴の一つに挙げられる[13]。カトリック教会では、聖母マリアを「祈りと神への取次ぎ」をもってキリスト者を助ける存在、神の母教会の母として、崇敬の念を持ち、神への取り成しを願う対象としている[14]。聖母マリアに対する崇敬は、三位一体の神に向けられる「礼拝」(Latrīa)よりは下位であるが、他の「天使や諸聖人に対する崇敬」(Dulia)と本質的に異なる唯一の高い崇敬「特別崇敬」(Hyperdulia)と扱われている[15]。この信心についてマリア像が教会にあることや[注釈 10]、聖母マリアへ祈ることから、しばしば偶像崇拝であるとの批判がある[14][16][17]。 それに対してカトリック教会は「礼拝を捧げているものではなく、神への取次ぎを願い祈る対象である」「崇拝ではなく崇敬であり、信仰の対象ではない」と主張している[14][16]

歴史的変遷編集

 
プリシアの共同墓地壁画 乙女マリアのフレスコ画と言われる。3世紀[18][注釈 11]

初期のマリア崇敬編集

ローマのプリシア共同墓地英語版には、3世紀頃のマリアのフレスコ画が描かれており、これは最も古いマリア絵画とされる[19][20]。この絵ではマリアが膝にイエスを乗せ、修道服を着た男性が左手に本を持ち、右手にはメシアの象徴である星をイエスに翳している姿が描かれている。プリシア共同墓地には受胎告知とされる描画もある[18]サン・ピエトロ大聖堂地下の発掘調査では、マリアと使徒ペトロが共に描かれているフレスコ画が発見されている[21]

313年ミラノ勅令により、キリスト教の礼拝が公けに認められると、これと共にマリア崇敬に関連する文学が発展し始めた[22][23]。その初期の例として、ローマのヒッポリュトスアンブロジウスが挙げられる。アンブロジウスはローマに住んでいたがミラノに移り、そこの司教となった人物で、キリスト者の生涯の手本としてマリアを崇敬しており、4世紀においてマリアの処女性を信じる先駆者として後世に伝えられる[24]

一般信徒のための司教座聖堂や教会が建てられると、サンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂サンタ・マリア・アンティカ聖堂英語版サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂など、ローマでマリアに奉献された教会群が5世紀から6世紀の間に建てられた[25]。 しかしながらマリアに奉献された教会が最も早く建てられたのは4世紀のシリアとされている。これはシリアの破壊された遺跡の欠片に、「生神女・神の母へ捧げる」とする碑が刻まれていたことから判明した[26]

431年エフェソス公会議では、神の母・乙女として賛美されることが認められた[11][27]。「テオトコス(神の母)」の称号は、すでに3世紀からキリスト信者の民の信心の中で述べられていたが、このエフェソス公会議で広範な議論の後、神の子の位格における神性と人間性という2つの本性の一致と、おとめマリアに「テオトコス(神の母)」という称号を与えることの正当性について、これらをこの会議で正式に確認したものである。

この公会議の後、マリア信心の真の意味での爆発的な広まりが見られるようになり、神の母マリアに関する教理は451年カルケドン公会議で改めて確認された。この公会議において、キリストが真の神であり、真の人間であること、そしてキリストが人類の救いのために、神の母マリアから生まれたことが宣言された[28]

787年の第2ニカイア公会議においては、神への崇拝(Latrīa)、マリアへの特別崇敬(Hyperdulia)、天使及び諸聖人への崇敬(Dulia)が定められ、崇拝と崇敬の違い、及びマリアに対する崇敬が他より高位となることなどが定められた[29]

マリア文化の成長編集

 
サンタ・マリア・マッジョーレ聖堂  ローマにおける最初のマリア教会 最初の建造は430年から440年の間とされる[30]

中世の初期、マリア崇敬は修道会において際立って見ることができ、特にベネディクト系列の会が突出していた。アヴェ・マリス・ステラサルヴェ・レジーナなどの聖歌が登場し、修道院の単旋律聖歌の中心となった[31]。8世紀になると、「聖母マリアの小聖務日課」(en:Little Office of Our Lady)などが、修道士らの時課における祈祷から発展していった。 フランク王国の王朝は、マリアの記念日を祝ったり、マリアの栄光を讃えて捧げる教会を設立してマリア崇敬を奨励した[32]。このマリア崇敬はエイレナイオスがさらに探求を進めた。ハーバート・サーストン英語版はエイレナイオスを「最初の乙女マリアに関する神学者」と呼んでいる[25]。 マリアを崇敬する祈祷はその数が伸びて行った。

ロマネスク建築に見られる主なカトリック教会でマリアに奉献された教会建造物は、ドイツシュパイアー大聖堂ベルギートゥルネーの大聖堂などが挙げられる。1000年からは、さらに多くの教会が建てられるようになり、ヨーロッパでは、巨大な司教座大聖堂がマリアに奉献して建設された。ノートル・ド・パリ大聖堂、同様にパリの近郊にあるシャルトル大聖堂のようなゴシック建築の司教座聖堂は当時の建造物の傑作である。イタリアシエナ大聖堂やルクセンブルグのノートルダム大聖堂(en:Notre-Dame Cathedral, Luxembourg)のような建築物がカトリックのマリア系教会に増えて行った。

12世紀と13世紀には、西ヨーロッパにおいてマリア崇敬が驚くほどの成長を遂げて行った。これは一つにクレルヴォーのベルナルドゥスのような神学者の影響を受けた部分が見られる。この傾向はパリのノートルダム大聖堂やフランスの司教座聖堂やバイユー大聖堂が、マリアに奉献されて建てられたことに顕著に現れている[33]

このように、12世紀から13世紀に掛けてマリア崇敬は高まり、「聖母マリアへの祈り」が普及するようになった[34]。この普及にはシトー会が関わっているといわれ、例として1202年には信徒修道士が暗記しておくべき祈りに聖母マリアへのそれを加えたことが挙げられている[34]。また聖母マリアへの祈りのルミナチオも唱えられるようになる、修道院で私的に唱えられていた詩編唱に影響を与えるなどした[34]

ウォルシンガムの聖母 の出現地やその他、マリアが出現したとされる箇所には、そこへ人々が巡礼するようになり、その数は大きく増えて行った。11世紀と12世紀には、マリアへの巡礼者の数が最高潮に達し,何百もの人々がその数をほぼ絶やさずに、マリア大聖堂から他のマリア大聖堂へと旅する状況だった[35]

14世紀では、マリアは憐れみ深い仲裁者、人類の保護者として大きな人気を得るようになった。ペストのような疫病が大流行している間、マリアの助けはまさに神の裁きから庇ってくれるかのように思われた[36]ルネサンス文化はマリア崇敬による芸術の劇的な成長を証言するものである[37]

16世紀に起きた宗教改革運動によって、ヨーロッパ各地でキリスト教派の対立が発生した[38]。政治、社会的に分裂した神聖ローマ帝国では1555年アウグスブルグの宗教平和にて事態の収拾が図られるとともに、領邦教会制として各領邦はカトリックかルター派を公認宗派とした[38]。これは領民の生活にも影響を及ぼし、領民の宗教生活の統制が強化された[38]プロテスタントによる宗教改革が、ヨーロッパにおけるマリア崇敬に反する勢力となる一方[39]、同時にグアダルーペの聖母など新しいマリアの信心がラテンアメリカで始まった。ここに出現したマリアへの巡礼は現在も続いており、出現地であるテペヤクの丘英語版に建てられたマリアへ奉献された大聖堂・グアダルーペ寺院は世界でもっとも来場者数の多いカトリック教会の大聖堂として残っている[40]。 17世紀と18世紀において聖人たちの著作は、ローマ教皇による激励文に結びつけられた。聖母への信心に関するものが増えて行き、それらの中で新しいマリアに対する教義が定義、発表された[41]

19世紀のフランスではマリアの出現報告が多発し、巡礼が盛んに行われたが、ローマで行われた典礼聖体を重視する宗教運動とともに、リグオーリの神学がフランスに浸透した結果、民間でのマリア崇敬が高まっていたことが背景にある[42]。例えば1820年以降に「ノートルダム」、「無原罪の宿り」などマリアの名を冠する女子修道会が400以上設立されている。また、1840年から50年にかけて生まれた女の子の名前は31パーセントが「マリ」だった。

フランスでのマリア崇敬の高まりを背景として、フランスの司教たちは1840年にフランス大司教が中心となり、ローマ教皇グレゴリウス16世に「無原罪の宿り」を教皇座によって正規の信仰として定義するように要求した。その後もイエズス会を中心に要求は継続され、ピウス9世は無原罪懐胎の教義化を世界の司教座に投票で問うた。賛成546票、反対57票という大差によって「無原罪の宿り」は1854年に正式に教義化された[42]

救いの歴史における聖母マリアの役割について編集

 
ラファエロ画・大公の聖母

あがないの協力者であるマリア編集

カトリック教会における旧約聖書及び新約聖書の解釈と聖伝は、救いの計画における救い主の母である女性の姿について記載しているとカトリックは主張している。例として旧約聖書では、キリストの到来が穏やかに準備されてゆく救いの歴史を挙げている。

「お前と女、お前の子孫と女の子孫の間に、わたしは敵意を置く。彼はお前の頭を砕き、お前は彼のかかとを砕く。」 — 日本聖書協会『聖書 新共同訳』、創世記 3章15節

この記載では罪に陥った人祖に与えられた約束、蛇に対する勝利の約束の中で、あがない主の母である女性の姿が予言的に示されているとしている。新しいアダムであるキリストの傍らで従順であるマリアは、新しいエバであり、その霊的な母性はキリストにおいてすべての人に広がるとされる[43]聖イレネオや古代の教父の中には、マリアをエバとを対比し、マリアは新しいエバ、「生きる人々の母(すべていのちあるものの母)」と呼び、「エバによって死が、マリアによって命が」もたらされたと述べている者もいる。時が満ち、シオンの娘[44]であるマリアの協力で、新しい救いの計画があらためて開始された[45]

「それゆえ、わたしの主が御自ら、あなたたちにしるしを与えられる。見よ、おとめが身ごもって、男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」 — 日本聖書協会『聖書 新共同訳』、イザヤ書 7章14節

この記載の中では、聖母マリアのキリストのあがないの業への協力は、懐胎の時から既に始まっているとされている。新約聖書では、聖母マリアを予言的に表現した幻(ヨハネの黙示録 12章 1-9節)についても記載されている。

「また、天に大きなしるしが現れた。一人の女が身に太陽をまとい、月を足の下にし、頭には十二の星の冠をかぶっていた。」 — 日本聖書協会『聖書 新共同訳』、ヨハネの黙示録 12章1節

マリアはイエスの宣教活動の間、イエスの言葉を受け入れ、信仰の旅路を進み、子との一致を十字架に至るまで忠実に保った。神の配慮によって十字架のもとに立たずみ、マリアは子とともに深く悲しみ、母の心をもってキリストのいけにえの奉献に自分を一致させたとされている。神は、この一致をマリアに求めたと主張されている。聖母マリアは、キリストのあがないの偉業に関わったとされている[46]

「イエスの十字架のそばには、その母と母の姉妹、クロパの妻マリアとマグダラのマリアとが立っていた。」 — 日本聖書協会『聖書 新共同訳』、ヨハネによる福音書 19章25節

仲介者であるマリア編集

『教会憲章』では、教父時代の終わり頃から聖母マリアを仲介者と呼ぶようになった。この「仲介者」という敬称には、弁護者、扶助者、援助者の3つの意味がある。

  • 弁護者 - 2世紀に聖イレネウスが用いたもので、最も古いものとされている。
  • 扶助者 - ギリシア教父たちの間で用いられていた。
  • 援助者 - 創世記2章19~25節で、エバについて書かれている助けのことを示す。

聖母マリアの「仲介者」という役割は、

「神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。」 — 日本聖書協会『聖書 新共同訳』、テモテへの手紙一 2章5-6節

という教えを傷つけるものではないとカトリック教会は解釈している。人間が恵みを受けるのは、直接キリストからであるとされている。聖母マリアは、「教会の母[47]であり、恵みの世界で人類の母であると考えられている。そのうえで聖母マリアの役割は、キリストのもとにあってこそ果たすことができるとされる。マリアの仲介は、キリストの仲介の力を弱めるものではなく、かえって強めるものであるとされる。キリストの唯一の仲介に参与し、従属するものであると扱われている。マリアを通じてキリストへ、三位一体の神へと昇るものである[48][47]と考えられている。

「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください。」 — 日本聖書協会『聖書 新共同訳』、ヨハネによる福音書 2章5節

ガリラヤのカナの婚宴の席で、キリストの最初の奇跡が行われたのは、あわれみの気持ちに動かされた聖母マリアの執り成しによるものであった(ヨハネによる福音書 2章1-11節)[49] [46]

教会の母であるマリア編集

聖母マリアの保護を願う祈りの歴史は古く、最古とされるものは、エジプトのパピルスの断片に書かれた祈りで、西暦200年代中期頃のものとされる[50]。『教会憲章』に述べられているように、マリアに執り成しを願うことは、神がマリアを特別に選んだという考えに基づいている。教会の頭であるキリストを生んだマリアは、恵みの領域において教会の母である[51]。マリアは天に上げられた後も、限りないキリストの功徳をもって、危険や困難に取り巻かれている人々が、無事に天国にたどりつけるように守り助ける役割を果たし続けているとされる[52][53]

16世紀の宗教改革以来、カトリック教会が持ち続けた聖母マリアに対する崇敬は、独自のものであり、神に捧げられる礼拝とは本質的に異なったものとして扱われている。『教会憲章』では、教会が認可する神の母に対する信心は、母マリアが讃えられる時、神である御子イエス・キリストが正しく知られ、愛され、讃えられ、その言葉が守られるためとされている[47] [11]

聖母マリアは、自分の受胎の最初の瞬間から、「あらゆる原罪の汚れから免れた者」であり(無原罪の聖マリア)[54]

「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」 — 日本聖書協会『聖書 新共同訳』、ルカによる福音書 1章28節

神の救いのみ心を受託し、自由な信仰と神への従順をもって人類の救いに協力したとされる。

「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」 — 日本聖書協会『聖書 新共同訳』、ルカによる福音書 1章38節 受胎告知

そして、十字架上で死に向かうキリストの言葉によって、マリアは母として弟子に示された[46][51]

「婦人よ、御覧なさい。あなたの子です。」 — 日本聖書協会『聖書 新共同訳』、ヨハネによる福音書 19章26-27節

神の恵みによってキリストの諸神秘に関わり、地上での生活を終えてのち、マリアは肉体、霊魂ともに天の栄光に引き上げられた(聖母の被昇天)[55]。 そして、子に次いですべての天使と人間の上に高められた(天の元后聖マリア)[56]

カトリック教会におけるマリア論の教義は、聖書聖伝との必要な相互補足、正しい関係を前提としている。マリア論は教父や神学者の著作や教会の公文書が根拠となっているが、その不可欠な土台は聖書にある[57]。 聖書と聖伝は、同じ神的起源に由来するものであり、どちらもキリストの神秘を教会の中に現存させ、豊かにするものである。互いに密接に通じ合い、結ばれている[58] [59]

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 神とキリストと聖霊のこと。
  2. ^ カトリック教会では、この仲介者(Mediatrix, マリアのこと)と、仲介者(mediator)を区別する。
  3. ^ キリスト教で仲介者(mediator)あるいは仲保者というと多くはイエス・キリストを指す(宮本久雄「仲保者」『岩波キリスト教辞典』岩波書店、第2刷、2008年、746頁参照)。
  4. ^ カトリック教会では、崇敬は人間である聖母マリアや聖人たちに対する概念であり、神に捧げられる礼拝とは本質的に異なる概念と考えて、この両者すなわち崇敬と礼拝を、伝統的に区別して別次元の概念として扱っている。
  5. ^ スコラ学の時代から(中略)このヒペルドゥリア(中略)という語が使用されるようになった.」(P. ネメシェギ「特別崇敬」『新カトリック大事典』3、研究社、2002年、1315頁)
  6. ^ P. ネメシェギと荒木関巧は、『新カトリック大事典』4の「マリア」の項で「【マリア崇敬・マリア信心】」として一括して説明している(813-815頁)。
  7. ^ カトリック教会では、人間である聖母マリアや聖人に対しては、尊敬や崇敬の語を使い、信仰とは言わずに信心と言う。
  8. ^ この執筆時点で白浜はまだ司教に叙階されていないが、近日中に司教となるので、あえて神父とはしなかった。
  9. ^ 唯一・聖・公・使徒承伝はカトリック教会の主張する最も大きな特徴である。「一:教会は一つ」「聖:教会は聖」「公:教会は公(普遍)」「使徒承伝:教会は使徒継承」を表す。
  10. ^ カトリック教会では「聖画像は、聖書が言葉によって伝えるのと同じよい訪れをのべ伝え、信者の信仰を目覚めさせ、養うのを助けるもの」とされる。
  11. ^ なお、この壁画が描かれた年代はen:Veneration of Mary in the Catholic Churchの"history-Early veneration"によると、2世紀となっているが、en:Catacomb of Priscillaや、BBCの調査[19]によると3世紀となっているため、ここでは3世紀と記述する。

出典編集

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  2. ^ P. ネメシェギ「特別崇敬」『新カトリック大事典』3、研究社、2002年、1315頁。
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参考文献編集

書籍編集

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  • 白取春彦 『この一冊で「キリスト教」がわかる!―誕生・発展の歴史から世界に与えた影響まで』 三笠書房1999年ISBN 978-4837970781
  • 日本カトリック司教協議会; 第2バチカン公会議文書公式訳改訂特別委員会 『教会憲章』 カトリック中央協議会〈第二バチカン公会議〉、2014年2月28日ISBN 978-4-87750-181-5NCID BB15338690 
  • P. ネメシェギ、荒木関巧【マリア崇敬・マリア信心】「マリア」『新カトリック大事典』 4、研究社、2009年、813-815頁。ISBN 9784767490144
  • ヴィットリオ・メッソーリ; 吉向キエ訳 『信仰について: ラッツィンガー枢機卿との対話』 ドンボスコ社、1993年4月1日ISBN 978-4886260956NCID BN09343147 
  • 日本カトリック司教協議会、常任司教委員会『カトリック教会のカテキズム要約』カトリック中央協議会、第8刷、2014年2月10日。350頁。ISBN 978-4-87750-153-2
  • 喜田哲也『あいしん 3号 聖母マリア特集』愛心館、初版発行、1993年6月1日。199頁。

 

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