ASDレッジョ・カラブリア
ウルブス・レッジーナ1914(Urbs Reggina 1914 S.r.l.)は、イタリア・レッジョ・ディ・カラブリアを本拠地とするサッカークラブである。主にレッジーナと呼ばれる。2018-19シーズンはセリエCに所属している。
ウルブス・レッジーナ1914 | ||||
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原語表記 | Urbs Reggina 1914 S.r.l. | |||
愛称 | Amaranto(深紅、臙脂) | |||
クラブカラー |
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創設年 | 1914年 | |||
所属リーグ | セリエC | |||
所属ディビジョン | 3部 | |||
ホームタウン | レッジョ・ディ・カラブリア | |||
ホームスタジアム | スタディオ・オレステ・グラニッロ | |||
収容人数 | 27,543 | |||
代表者 |
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監督 |
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公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
概要編集
レッジョ・ディ・カラブリアはメッシーナ海峡を挟んでメッシーナと向き合っており、ACRメッシーナとの一戦は海峡ダービーとして盛り上がりを見せる。
日本人選手では、2002年より2005年まで中村俊輔が所属していた。1991年より会長を務めるパスクアーレ・フォーティは、弱小クラブであったレッジーナをセリエC1からセリエAまで昇格・残留させるなど、優れた手腕を発揮している。特に躍進を見せたのは2006-07シーズンであり、スキャンダル絡みのペナルティーで勝点15減(その後勝点11減に短縮)からのスタートで毎年のようにセリエA残留争いしていたクラブにとっては誰もが残留が絶望的かと思えた。しかし就任3年目のワルテル・マッツァーリ監督の適材適所の采配が光り、勝点減の影響もあり、最終的には残留ラインギリギリの14位に終わってしまったものの、勝点減がなければ、UEFAカップ(現・UEFAヨーロッパリーグ)出場権まであと一歩のところまでの成績でシーズンを終えていた。2008-09シーズン、7年ぶりの降格が決定した。2015年7月15日、レガ・プロへの登録基準を満たせず破産[1]。同年8月7日にレッジーナ・カルチョ(Reggina Calcio S.p.A.)からASDレッジョ・カラブリア(Associazione Sportiva Dilettantistica Reggio Calabria)へと改称して再建された[2]。
タイトル編集
国内タイトル編集
* セリエC : 1回
- 1964-65
* セリエC1 : 1回
- 1994-95
* セリエC2 : 1回
- 1983-84
- ユース
* トルネオ・インテルナツィオナーレ・マッジョーニ=リーギ : 1回
- 1991
* トルネオ・インテルナツィオナーレ・カーリンズ・ボーイズ : 回
- 2009
国際タイトル編集
なし
過去の成績編集
- 2000-01 セリエA 15位 降格
- 2001-02 セリエB 3位 昇格
- 2002-03 セリエA 14位
- 2003-04 セリエA 13位
- 2004-05 セリエA 10位
- 2005-06 セリエA 14位
- 2006-07 セリエA 14位
- 2007-08 セリエA 16位
- 2008-09 セリエA 19位 降格
- 2009-10 セリエB 12位
- 2010-11 セリエB 6位 昇格プレーオフ敗退により残留
- 2011-12 セリエB 10位
- 2012-13 セリエB 17位
- 2013-14 セリエB 21位 降格
- 2014-15 レガ・プロ・ジローネC 19位 破産によりセリエD降格
- 2015-16 セリエD・ジローネI
現所属メンバー編集
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歴代監督編集
- ネヴィオ・スカラ 1987-1989
- フランコ・コロンバ 1997-1998
- フランコ・コロンバ 1999-2002
- ボルトロ・ムッティ 2002.6-2002.11
- ルイジ・デ・カーニオ 2002.11-2003.6
- フランコ・コロンバ 2003.6-2003.11
- ジャンカルロ・カモレーゼ 2003.12-2004
- ワルテル・マッツァーリ 2004-2007
- マッシモ・フィッカデンティ 2007.7-2007.11
- レンツォ・ウリヴィエリ 2007.11-2008.3
- ネヴィオ・オルランディ 2008.3-2008.12
- ジュゼッペ・ピッロン 2008.12-2009.1
- ネヴィオ・オルランディ 2009.1-2009.5
- ワルテル・ノヴェッリーノ 2009.6-2009.10
- イーヴォ・イアコーニ 2009.10-2010.2
- ロベルト・ブレダ 2010.2-2010.6
- ジャンルカ・アッツォーリ 2010.6-2011
- ロベルト・ブレダ 2011 - 2012.1
- アンジェロ・グレグッチ 2012.1-2012.4
- ロベルト・ブレダ 2012.4 - 2012.6
- ダヴィデ・ディオニージ 2012.6-2013.3
- ジュゼッペ・ピッロン 2013.3-2013.6
- ジャンルカ・アッツォーリ 2013.6-2013.10
- ファブリツィオ・カストーリ 2013.10-2013.12
- ジャンルカ・アッツォーリ 2013.12-
歴代所属選手編集
GK編集
- フランチェスコ・アントニオーリ 1994-1995
- パオロ・オルランドーニ 1998-1999
- マッシモ・タイービ 2000-2001
- ヴィンチェンツォ・フィオリッロ 2010
DF編集
- フランコ・カウジオ 1968-1969
- ルイジ・デ・アゴスティーニ 1993-1995
- ホルヘ・バルガス 1999-2003
- マルコ・カネイラ 2000-2001
- マルティン・イラーネク 2001-2004
- ブルーノ・チリッロ 1994-2000, 2005, 2008-2009
- カルロス・アドリアン・バルデス 2007-2010
- ジャンドメニコ・メスト 1998-2000, 2002-2007
- フランチェスコ・モデスト 2005-2008
MF編集
- シモーネ・ペッロッタ 1995-1998
- ロベルト・バローニオ 1999-2000
- アンドレア・ピルロ 1999-2000
- フランチェスコ・コッツァ 1999-2004, 2005-2006, 2007-2009
- カルロス・パレデス 2002-2006
- 中村俊輔 2002-2005
- エドガル・バレット 2007-2009
- カルロス・カルモナ 2008-2010
FW編集
- モハメド・カロン 1999-2000
- ダビド・ディ・ミケーレ 2002-2004, 2013-
- マルコ・ボリエッロ(2004-2005
- ニコラ・アモルーゾ (2005-2008
- ロランド・ビアンキ(2005-2007
- パスクアーレ・フォッジャ 2007
- スティーヴン・マキンワ 2008
- フランコ・ブリエンツァ 2008-2010
- エミリアーノ・ボナッツォーリ 2009-2012
- ドミニク・アディアー 2010
脚注編集
- ^ “レッジーナ、ベネツィア…かつて日本人選手が所属したクラブたちが破産”. フットボールチャンネル (2015年7月15日). 2016年2月11日閲覧。
- ^ “L’ASD Reggio Calabria ammessa in Serie D. Il Varese Calcio, in Eccellenza”. FIGC (2015年8月7日). 2016年2月11日閲覧。
- ^ “Asd Reggio Calabria - Detailed squad 2015/16”. Transfermarkt. 2016年2月11日閲覧。