アンドレア・ピルロ
アンドレア・ピルロ(Andrea Pirlo, 1979年5月19日 - )は、イタリア・ブレシア県フレーロ出身の元サッカー選手。元イタリア代表。ポジションはミッドフィールダー。動きもさることながら、その正確なパスと高度な戦術眼を武器とし、希代のレジスタとして活躍した[1][2]。フリーキックの名手としても知られる[2]。子供のころはアニメ『キャプテン翼』(イタリア名「Holly e Benji」)に夢中で、特に三杉淳に憧れていたことを語っている[3]。
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ニューヨーク・シティでのピルロ (2016年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | Il ピル口 | |||||
ラテン文字 | Andrea PIRLO | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
![]() | |||||
生年月日 | 1979年5月19日(40歳) | |||||
出身地 | フレーロ | |||||
身長 | 177cm | |||||
体重 | 68kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1994-1995 |
![]() | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1995-1998 |
![]() | 47 | (6) | |||
1998-2001 |
![]() | 22 | (0) | |||
1999-2000 |
→![]() | 28 | (6) | |||
2001 |
→![]() | 10 | (0) | |||
2001-2011 |
![]() | 284 | (32) | |||
2011-2015 |
![]() | 119 | (16) | |||
2015-2017 |
![]() | 60 | (1) | |||
通算 | 570 | (61) | ||||
代表歴 | ||||||
2002-2015 |
![]() | 116 | (13) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年11月14日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴編集
クラブ編集
ブレシア編集
当初は地元のチームといっても過言ではない「フレーロ」や「ボルンタス・ブレシア」というチームに所属していた。そのまま地元で活躍し、1995年にブレシアに引き抜かれ、そこでセリエAデビューを果たす[4]。翌年、クラブはセリエBに降格したが、1年で昇格。この時にロベルト・バッジョと出会い、「自らの後継者」として指名された。
インテル編集
セリエBでのプレーが目に留まり、1998年7月1日に自身の憧れのチームでもあったインテルに移籍した。
しかし、トップ下と言うマークの集中するポジションを担う選手としては、彼のフィジカルの脆弱さは致命的であった。選手層の厚いインテルではまともな出場機会も与えられぬまま1999年にはレッジーナ、2001年には古巣のブレシアにレンタルに出される。ブレシアではカルロ・マッツォーネ監督の下、バッジョがいることもあり中盤の底でのプレーを経験した。
ミラン編集
2001年7月1日、インテルのライバルであるACミランに完全移籍する。しかし、トップ下にはマヌエル・ルイ・コスタがいたためファティ・テリム監督の構想外であり、出場機会はほとんどなかった。2001-02シーズン途中にカルロ・アンチェロッティが新監督に就任。アンチェロッティもトップ下にはルイ・コスタを起用し続け、試合出場を願うピルロは、通常のトップ下のポジションではなくアンカーとしての起用を直訴した。ピルロのブレシアでの経験を知っていたアンチェロッティはこれを承諾した。トップ下ほどフィジカルの当たりが激しくない中盤の底で、クラレンス・セードルフ、ジェンナーロ・ガットゥーゾといった強力なハードワーカーや、マッシモ・アンブロジーニのような守備能力に秀でたディフェンシブミッドフィルダーといったチームメイトにも恵まれ、ピルロは攻撃の指揮を司る存在として、長短織り交ぜたパスを供給し続けレジスタ(regista)としてのポジションを確立した。UEFAチャンピオンズリーグ優勝にも貢献した。そして2007年のバロンドール投票でカカ、クリスティアーノ・ロナウド、リオネル・メッシに次ぐ4位の票数を獲得した。
2009年、恩師であるアンチェロッティがチェルシーFCの監督に就任したことにより、チェルシーへの移籍が噂されていたが残留した。その後は故障が相次ぎ、本来の出来には程遠い状態が続いた。
ユヴェントス編集
2011年5月18日、6月30日で満了となる契約を延長せずに10年間在籍したミランを退団する事を発表[5]。5月24日、移籍金なしの3年契約でユヴェントスFCへ移籍した[6]。背番号はミラン時代と同じ21番でズデニェク・グリゲラから譲られた。過去にはジネディーヌ・ジダンやリリアン・テュラムが着用していた番号でもある。
ライバルからの移籍であることや前年の不振から獲得には疑問の声が上がったが、ミラン時代を思わせるような正確無比なパスで一躍不可欠な存在となった。加入前は2年連続7位だったが、チームはアントニオ・コンテ新監督の下で快進撃を続け2002-03シーズン以来(※2005-06シーズンのタイトルはカルチョポリにより剥奪)のスクデット獲得・ならびに1991-92シーズンのミラン以来20季ぶり2チーム目となる無敗優勝に貢献した。また、この活躍によって、UEFA.comのシーズンレビューで年間最優秀選手に選ばれた[7]。 2014-15シーズン、ミラン時代に不仲が噂されたマッシミリアーノ・アッレグリが監督に就任するものの、双方とも不仲を否定。W杯の疲労からか欠場や途中出場が多かったものの、ユヴェントスの二冠とチャンピオンズリーグ準優勝に貢献した。
ニューヨーク・シティ編集
2015年7月6日、MLSのニューヨーク・シティFCに移籍が決定した[8]。2017年11月6日、自身のtwitterで引退することを発表した[2]。
代表編集
A代表初出場は2002年9月7日のアゼルバイジャン戦。その後は代表に定着し、UEFA EURO 2004にも出場を果たしている。アテネオリンピックにはオーバーエイジとして出場し銅メダル獲得に貢献した。2006 FIFAワールドカップでは準決勝ドイツ戦で見せたファビオ・グロッソへのノールックパスなど、大会を通じて好プレーを披露。初戦のガーナ戦、準決勝のドイツ戦、決勝のフランス戦で3度のマンオブザマッチに輝き、ブロンズボール賞を受賞。イタリアのワールドカップ優勝に貢献した。
2010 FIFAワールドカップにメンバー入りするも、負傷により初戦・第2戦を欠場した。グループリーグ突破には勝利が必要となった第3戦には、1点ビハインドになったため後半途中から強行出場したが、スロバキアに2-3で破れグループリーグで姿を消した。
UEFA EURO 2012ではハイプレスとポゼッションを基本としたチームの新戦術の中心として活躍。準々決勝のイングランド戦ではPK戦にまでもつれ込み、1人失敗したあとの3人目のキッカーとして登場すると相手GKジョー・ハートをあざ笑うかのようなチップキックを陥れPK戦の流れを変えた。結果、イタリアはPK戦を制し最終的には決勝に進出。決勝ではスペインに0-4のスコアで敗れ準優勝という結果に終わったが、準々決勝で見せたプレッシャーの掛かる場面でのチップキックに関しては、評価を受けた[9]。
2013年5月に2014 FIFAワールドカップを最後に代表から引退する意向を明かした[10]。同年6月16日のFIFAコンフェデレーションズカップ2013、メキシコ戦でイタリア代表史上5人目となる、通算100試合出場を達成[11]。この試合では直接フリーキックから先制ゴールを挙げ、大会選定のマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた[11]。
2014年9月7日、代表復帰を表明した[12]。
その後代表に復帰しユーロ2016予選では4試合でプレーした、しかしユーロ2016では候補者30人のリスト入りをするも、コンテは最終メンバーにピルロを選ばなかった[13]。
引退後編集
人物編集
監督のおかげで成長できたという経験から、若い選手たちには「監督の話はちゃんと聞くように」と忠告している[16]。
個人成績編集
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
イタリア | リーグ戦 | イタリア杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
1994-95 | ブレシア | セリエA | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | |
1995-96 | セリエB | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1996-97 | 17 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 18 | 2 | |||
1997-98 | 21 | セリエA | 29 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 30 | 4 | |
1998-99 | インテル | 18 | 0 | 7 | 0 | 7 | 0 | 32 | 0 | ||
1999-00 | レッジーナ | 30 | 28 | 6 | 2 | 0 | 0 | 0 | 30 | 6 | |
2000-01 | インテル | 11 | 4 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 8 | 0 | |
2000-01 | ブレシア | 5 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 0 | |
2001-02 | ミラン | 21 | 18 | 2 | 2 | 0 | 9 | 0 | 29 | 2 | |
2002-03 | 27 | 9 | 2 | 0 | 13 | 0 | 42 | 9 | |||
2003-04 | 32 | 6 | 0 | 0 | 10 | 1 | 42 | 7 | |||
2004-05 | 30 | 4 | 1 | 0 | 12 | 1 | 43 | 5 | |||
2005-06 | 33 | 4 | 4 | 0 | 12 | 1 | 49 | 5 | |||
2006-07 | 34 | 2 | 4 | 0 | 14 | 1 | 52 | 3 | |||
2007-08 | 33 | 3 | 1 | 0 | 9 | 2 | 43 | 5 | |||
2008-09 | 26 | 1 | 0 | 0 | 3 | 1 | 29 | 2 | |||
2009-10 | 34 | 0 | 1 | 0 | 8 | 1 | 43 | 1 | |||
2010-11 | 17 | 1 | 3 | 0 | 5 | 0 | 25 | 1 | |||
2011-12 | ユヴェントス | 37 | 3 | 4 | 0 | 0 | 0 | 41 | 3 | ||
2012-13 | 32 | 5 | 2 | 0 | 10 | 0 | 44 | 5 | |||
2013-14 | 30 | 4 | 1 | 0 | 13 | 2 | 44 | 6 | |||
2014-15 | 20 | 4 | 2 | 0 | 10 | 1 | 32 | 5 | |||
アメリカ | リーグ戦 | リーグ杯 | USオープン杯 | 期間通算 | |||||||
2015 | ニューヨーク・シティ | 21 | MLS | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 13 | 0 |
2016 | 32 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 32 | 1 | |||
2017 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 15 | 0 | |||
通算 | イタリア | セリエA | 493 | 58 | 38 | 0 | 138 | 11 | 669 | 69 | |
イタリア | セリエB | 17 | 2 | 1 | 0 | 0 | 0 | 18 | 2 | ||
アメリカ | MLS | 60 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 60 | 1 | ||
総通算 | 570 | 61 | 39 | 0 | 138 | 11 | 747 | 72 |
代表歴編集
イタリア代表 | 国際Aマッチ | |
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2002 | 4 | 0 |
2003 | 1 | 0 |
2004 | 7 | 1 |
2005 | 9 | 3 |
2006 | 14 | 1 |
2007 | 8 | 1 |
2008 | 9 | 1 |
2009 | 12 | 1 |
2010 | 8 | 1 |
2011 | 9 | 0 |
2012 | 13 | 2 |
2013 | 13 | 2 |
2014 | 6 | 0 |
2015 | 3 | 0 |
通算 | 116 | 13 |
ゴール編集
# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦国 | スコア | 結果 | 試合概要 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 2004年5月30日 | ラデス | チュニジア | 0–3 | 0–4 | 親善試合 |
2. | 2005年3月26日 | ミラノ | スコットランド | 1–0 | 2–0 | 2006 FIFAワールドカップ予選 |
3. | 2–0 | |||||
4. | 2005年8月17日 | ダブリン | アイルランド | 0–1 | 1–2 | 親善試合 |
5. | 2006年6月12日 | ハノーファー | ガーナ | 1–0 | 2–0 | 2006 FIFAワールドカップ |
6. | 2007年10月13日 | ジェノヴァ | ジョージア | 1–0 | 2–0 | UEFA EURO 2008予選 |
7. | 2008年6月17日 | チューリッヒ | フランス | 0–1 | 0–2 | UEFA EURO 2008 |
8. | 2009年3月28日 | ポドゴリツァ | モンテネグロ | 0–1 | 0–2 | 2010 FIFAワールドカップ予選 |
9. | 2010年9月7日 | フィレンツェ | フェロー諸島 | 5–0 | 5–0 | UEFA EURO 2012予選 |
10. | 2012年6月14日 | ポズナン | クロアチア | 1–0 | 1–1 | UEFA EURO 2012 |
11. | 2012年10月12日 | エレバン | アルメニア | 0–1 | 0–3 | 2014 FIFAワールドカップ予選 |
12. | 2013年5月31日 | ボローニャ | サンマリノ | 3–0 | 4–0 | 親善試合 |
13. | 2013年6月16日 | リオデジャネイロ | メキシコ | 0–1 | 1–2 | FIFAコンフェデレーションズカップ2013 |
タイトル編集
クラブ編集
- ACミラン
- セリエA 2003-04, 2010-11
- コッパ・イタリア 2002-03
- スーペルコッパ・イタリアーナ 2004
- UEFAチャンピオンズリーグ 2002-03, 2006-07
- UEFAスーパーカップ 2003, 2007
- FIFAクラブワールドカップ 2007
- ユヴェントス
代表編集
個人編集
- セリエA最優秀選手 2012, 2013, 2014
- UEFAチャンピオンズリーグベストチーム:1回 (2014-15[17])
著書編集
- 『我思う、ゆえに我蹴る。アンドレア・ピルロ自伝』(東邦出版、2014年、ISBN 978-4809412059)
脚注編集
- ^ 選手名鑑 【イタリア】アンドレア・ピルロ jiji.com
- ^ a b c 「サッカー選手としての終わりを迎えた…」“稀代のレジスタ”ピルロがSNSで現役引退を正式発表 ゲキサカ 2017年11月7日
- ^ 「キャプテン翼 ファイト!日本増刊」『増刊ヤングジャンプ』2006年7月15日増刊号、集英社、71頁。
- ^ 河上清、澤田優子『サッカースターの少年時代 プロになった16人の成長物語』株式会社学研マーケティング、2013年、190-191ページ、ISBN 9784058001042
- ^ ピルロ、ミラン退団を認めるGoal.com 2011年5月19日
- ^ “ピルロがユベントスに移籍”. UEFA.com (2011年5月24日). 2011年5月24日閲覧。
- ^ “シーズンレビュー:イタリア ”. UEFA.com (2012年5月21日). 2012年5月22日閲覧。
- ^ ユーヴェMFピルロのニューヨーク移籍が決定…ランパードらの同僚にsoccerking 2015年7月6日
- ^ “ピルロの超絶PKにトップ選手たちが驚嘆の声「すごすぎる、怪物だ」”. サッカーキング (2012年6月26日). 2012年9月11日閲覧。
- ^ “ピルロ、14年W杯でイタリア代表引退”. Goal.com (2013年5月3日). 2013年5月8日閲覧。
- ^ a b “イタリア代表MFピルロが代表通算100試合出場を達成”. サッカーキング (2013年6月16日). 2013年6月18日閲覧。
- ^ “ピルロ、イタリア代表復帰 「コンテに聞かれて…」”. Goal (2014年9月8日). 2014年9月8日閲覧。
- ^ “MLS play cost Andrea Pirlo, Sebastian Giovinco their Italy chance – Conte”. ESPN FC (2016年5月24日). 2016年5月27日閲覧。
- ^ “ピルロ氏の引退試合開催、名だたるスターが世界中から大集結”. フランス通信社 (2018年5月22日). 2018年5月26日閲覧。
- ^ “豪華メンバー集結のピルロ引退試合、インザーギのハットなど計14ゴールで記憶に残る一戦に”. ゲキサカ (2018年5月22日). 2018年5月26日閲覧。
- ^ 河上清、澤田優子『サッカスターの少年時代 プロになった16人の成長物語』株式会社学研マーケティング、2013年、197ページ、ISBN 978-4-05-800104-2
- ^ “UEFA Champions League squad of the season”. UEFA.com. Union of European Football Associations (2015年6月9日). 2015年6月9日閲覧。
関連項目編集
外部リンク編集
- Andrea Pirlo Profile, Stats and Analysis at footbalistic
- FootballDatabase.com provides Pirlo's profile and stats
- Andrea Pirlo (@Pirlo_official) - Twitter
- Andrea Pirlo - Facebook
- Andrea Pirlo (andreapirlo21) - Instagram