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地理編集

江東区西部に位置し、深川地域に属する。北で清澄、東で福住、南で永代、西で隅田川を跨いで中央区新川日本橋箱崎町、北西の河川上の一点で中央区日本橋中洲と接する。水利に恵まれており、住宅地倉庫とで大半を占める[4]。一丁目に雑穀商が多く、東京雑穀取引の中心地である[4]隅田川の東岸に当たり、南北を永代通り仙台堀川に挟まれ、東側には大島川西支川が流れる[4]

河川編集

かつて存在した河川
  • 油堀川 - 一丁目と二丁目の境を東西に流れ、かつては深川花街への水上交通路として使われたが、首都高速9号深川線建設のために埋め立てられた[4]

歴史編集

江戸時代には金肥の主力であった干鰯荷揚場が置かれていた[4]。また新撰組参謀伊東甲子太郎が道場主を務めた北辰一刀流剣術伊東道場も中川町に構えられていた[4]

江東区白河一丁目にある深川江戸資料館では、江戸時代末期、天保年間頃の深川佐賀町の町並みが想定復元され常設展示されている[5]

地名の由来編集

元禄8年の検地後この地形が肥前国佐賀湊に似ているために名付けられたと伝わる[6]

沿革編集

  • 1629年寛永6年):開発された深川猟師町八か町のうち藤左衛門町、次兵衛町と呼ばれた町が前身に当たる[6]
  • 1695年元禄8年):検地が行われた。この検地後、深川佐賀町の名が付けられたと伝えられる[6]
  • 1878年明治11年)11月2日郡区町村編制法施行により、深川区が成立、深川区深川佐賀町となる。
  • 1911年(明治44年):深川の冠称が外され、深川区佐賀町となる。
  • 1931年昭和5年):関東大震災後の区画整理で旧来の深川佐賀町が解体され、旧:深川佐賀町二丁目・深川松賀町の全部および深川小松町・深川富吉町の各一部から佐賀町一丁目が、旧:深川佐賀町一丁目・深川西永代町・深川堀川町・深川中川町・深川富田町・深川今川町の全部から佐賀町二丁目が設置された。
  • 1947年(昭和22年)3月15日:深川区・城東区合併による江東区成立により、「深川」の冠称が付けられ江東区深川佐賀町一丁目から二丁目となる。
  • 1969年(昭和44年)4月1日:新住居表示施行により佐賀一丁目から二丁目が深川佐賀町一丁目から二丁目より成立[4]

世帯数と人口編集

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目 世帯数 人口
佐賀一丁目 711世帯 1,106人
佐賀二丁目 536世帯 907人
1,247世帯 2,013人

小・中学校の学区編集

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[7][8]

丁目 番地 小学校 中学校
佐賀一丁目 全域 江東区立明治小学校 江東区立深川第二中学校
佐賀二丁目 全域

交通編集

鉄道編集

町域内の地下に東京メトロ半蔵門線が通るが駅は設置されていない。最寄駅は東京メトロ半蔵門線・都営地下鉄大江戸線清澄白河駅または水天宮前駅である。

バス編集

道路編集

一般道路
首都高速道路・出入口

施設編集

  • 東京都清澄排水機場 - 清澄との間に跨って設置されており、佐賀は南半分に当たる。
  • 永代橋地域安全センター - 旧:深川警察署永代橋交番
  • 佐賀町公園
  • 中之堀公園
  • 佐賀稲荷神社

現存しない施設編集

 
食糧ビルディング

脚注編集

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  1. ^ a b 世帯と人口(毎月1日)”. 江東区 (2017年12月1日). 2017年12月20日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 20197-08-30閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月20日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 13 東京都』、角川書店、1991年再版、p.843。
  5. ^ 江戸時代、深川の町
  6. ^ a b c 江東区の地名由来 江東区
  7. ^ 区立小学校の通学区域”. 江東区 (2019年4月4日). 2019年8月30日閲覧。
  8. ^ 区立中学校の通学区域”. 江東区 (2019年4月4日). 2019年8月30日閲覧。

外部リンク編集