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圓城寺 次郎(えんじょうじ じろう、1907年4月3日 - 1994年3月14日)は日本のジャーナリスト、元日本経済新聞社社長

えんじょうじ じろう
圓城寺 次郎
生誕 1907年4月3日
千葉県
死没 (1994-03-14) 1994年3月14日(86歳没)
東京都三鷹市
出身校 早稲田大学政治経済学部
職業 ジャーナリスト

人物・来歴編集

千葉県出身。私立成田中学校第二早稲田高等学院文科、早稲田大学政治経済学部を卒業[1]

1933年5月中外商業新報社(日本経済新聞社の前身)に入社。1938年3月経済部次長、1940年6月海外特派員として欧米を訪問、1941年5月経済部長、1942年11月日本産業経済新聞社への改称とともに政経部長、1945年1月編集局次長を兼務、1946年3月日本経済新聞社へ改称とともに編集局長・理事、1947年10月取締役1954年2月常務取締役・編集局長、1956年2月常務取締役・主幹、1965年10月専務取締役・主幹を経て、1968年2月代表取締役社長[1]1976年3月代表取締役会長1980年3月顧問。

1994年3月14日、呼吸不全のため杏林大学医学部付属病院で没。86歳[1]

社長在任時に「経済に関する総合情報機関」を提唱し、日経流通新聞日経産業新聞を創刊。また、IBMの協力の下にコンピュータを導入した新聞制作の自動化と世界初の鉛を使わない印刷システムを稼働させた[2]。さらに日本経済研究センターを創設し経済学と経済政策の連携に尽力した。ほかに美術界の発展にも貢献し、1968年には「日本名陶百選展」の企画や美術書刊行などの功績から芸術選奨文部大臣賞を受けた[1]

公職では経済・産業政策の立案などに参画。50を超える審議会・調査会に名を連ね、石油審議会、経済審議会、中央社会保険医療協議会の会長を歴任した[1]

2006年、日経と日本経済研究センターが共催で中堅・若手エコノミストを顕彰することを目的に名を冠した「円城寺次郎記念賞」を創設している[3]

安宅英一との関わり編集

安宅英一安宅産業会長、相談役社賓)が主導して蒐集した東洋陶磁コレクション(安宅コレクション)が、安宅産業破綻で散逸が懸念されたが、住友グループからの支援で散逸を免れ、大阪市に寄贈の上で大阪市立東洋陶磁美術館が開館してしばらく経った頃、英一がすべてが落着した記念にとコレクションの形成で世話になった圓城寺に、李朝の小品を贈呈したいと申し出た。

代理で英一に仕えた伊藤郁太郎(同館初代館長)が出向き、英一の意思を伝えたところ、圓城寺は「会社の仕事としてやってきたことで、ご好意は身に沁みるほど有り難いがこれは頂戴できない。安宅さんのことだからきっと魅力のあるものに違いない。開けて見れば、気の迷いも出るかも知れないから、このままお返しする」といって固辞した。伊藤はそれまでに何度も圓城寺の「借りは、作らない」という人生哲学を見てきたが、改めて、圓城寺の毅然とした爽快な対処の仕方に敬意と共感を覚え、意気揚々と英一のもとに小品を持ち帰った[4]

脚注編集

  1. ^ a b c d e 「円城寺次郎本社顧問元社長死去」『日本経済新聞』夕刊 1994年3月14日
  2. ^ 経済情報を制した日経”圓城寺モデル”の秘密”. 東洋経済オンライン (2008年4月10日). 2018年12月1日閲覧。
  3. ^ 円城寺次郎記念賞”. 日本経済研究センター. 2018年12月1日閲覧。
  4. ^ 『美の猟犬 安宅コレクション余聞』p.134 - 135

著書編集

編著編集

  • 『美の美百選』日本経済新聞社、1976年。
  • 『美の美百選 2 』日本経済新聞社、1977年。
  • 『敦煌の美百選』 日本経済新聞社、1978年。
  • 『美の美百華』日本経済新聞社 1990年。ISBN 4532041228
  • 『美の美百粋』日本経済新聞社 1991年。 ISBN 4532122031

共編著編集

参考文献編集