名護岳
名護岳(なごだけ[1])は、沖縄本島北部に位置する、標高345.2メートルの山。
名護岳 | |
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北西から望む名護岳 | |
標高 | 345.2 m |
所在地 | 日本・沖縄県名護市 |
位置 | 北緯26度35分8秒 東経128度0分35秒 / 北緯26.58556度 東経128.00972度座標: 北緯26度35分8秒 東経128度0分35秒 / 北緯26.58556度 東経128.00972度 |
山系 | 国頭山地 |
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プロジェクト 山 |
沖縄県名護市にあり、市街地の背後にそびえる。一帯は沖縄海岸国定公園や鳥獣保護区に指定されている。中腹の名護城にカンヒザクラが植えられ、毎年1月下旬ごろに桜祭りが開催されている。
地理
編集標高は345.2メートル[2]、沖縄本島北部の国頭山地に属する[3]。沖縄県名護市の中央部に位置し[4]、同市市街地の東約3キロメートルにそびえる[2]。本部半島の嘉津宇岳と共に、名護市のシンボルとされる山である[5]。
全体的に名護岳の東側は西側よりも傾斜が大きく、小規模な谷が見受けられる[6]。名護岳周辺は、標高200メートル以上の山地と、それ以下では起伏の小さい丘陵地帯からなり、北東から南西方向に走る断層により分断されている[3]。地質は、主に千枚岩や粘板岩で構成される古第三紀の名護層であるが、山頂東部に南北へ延びる斑岩類の岩脈が存在し、この一帯ではやや急な斜面を形成している[7]。山頂に緑色岩がみられるが、風化が進行し、茶褐色に変色している[8]。
本山を源流とする水系に、山頂を境にして東に羽地大川、北に我部祖河川、南西部に幸地川が流れる[9]。南東麓から発し、羽地内海へ注ぐ羽地大川下流域の沖積地は、「羽地ターブックヮ」と呼ばれ、水田が広がっていた[10]。
自然
編集一帯は沖縄海岸国定公園に指定されている[11]。また、沖縄県により面積371ヘクタールの鳥獣保護区が設定されている[12]。名護市は、名護岳周辺における自然環境の保全を施策の一つに掲げている[13]。
植生はイタジイが主で[14]、イジュやリュウキュウマツの群落のほか、低地にはホルトノキ、ヤブニッケイなどが[15]、また北麓にはシマタゴ、ノシランがみられる[16]。ラン科のナゴランは、名護岳で発見されたことから名付けられたが、本州南部、四国、九州、伊豆諸島にも自生している[17]。
名護岳に鳥類・爬虫類・両生類・昆虫類を合わせて108科199属227種の動物が確認されている[18]。コノハチョウ、イボイモリ、クロイワトカゲモドキ、リュウキュウイノシシを観察できる[19]。2013年(平成25年)9月、ノグチゲラが名護岳で4年ぶりに発見された[20]。ヤンバルクイナは、かつて当地でも生息していたと思われる[21]。
歴史
編集方言で「ナグダキ」といい[3]、『中山伝信録』に「名護嶽」とある[7]。
西麓にある名護城(なごグスク)は、標高約100メートルの台地上に築かれている[22]。14世紀、今帰仁城主の弟が名護按司として築城したと伝えられ[23]、後に怕尼芝に滅ぼされたといわれる[24]。『球陽』(尚思紹王11年条)によれば、1416年(永楽14年)に今帰仁城攻略の際、名護按司は中山側の軍に加勢したとある[25]。明治20年代に城内で人骨と4つの鏡が[23]、また名護市教育委員会による発掘調査では、土器やカムィヤキ、中国製の陶磁器が出土した[24]。
1918年(大正7年)、沖縄師範学校の教諭であった稲垣国三郎は、中腹の名護城で煙を焚く老夫婦を見かけた。大阪へ出稼ぎに行く娘が乗っている船が黒煙を吹き、白い煙を上げて見送る両親を見た稲垣は、この出来事を自書の『沖縄小話』に記した。その後、早稲田大学の五十嵐力の目に留まり、中等学校の教科書に採用された。1959年(昭和34年)、名護城に「白い煙と黒い煙」の石碑が建立された[26]。
沖縄戦では宇土武彦大佐が率いる独立混成第44旅団第2歩兵隊(略称・球7071)の約3000人が戦死し、名護岳には部隊生存者によって1965年(昭和40年)6月に慰霊碑の「和球の碑」が建立されている[27][28]。
中腹に「沖縄県立名護青少年の家」がある[19]。アメリカ軍統治下の1965年(昭和40年)、日本政府の援助により、琉球政府は少年教育施設の建設を決定、沖縄初の青少年の家として、翌年12月に開所式が行われた[29]。1977年(昭和52年)、名護岳の登山道調査が行われ[30]、1987年(昭和62年)に登山道やハイキングコースの標識が設置された[31]。2014年(平成26年)、名護岳の「動植物観察ガイド」を作成した[32]。
観光
編集登山
編集登山初心者に適した山で[33]、頂上からは名護市街地のほかに、国頭山地や本部半島の連山、羽地内海、太平洋などを望むことができる[34]。中腹の「沖縄県立名護青少年の家」には、自然観察を行える遊歩道が設けられている[3][7]。
名護城公園
編集名護岳中腹の名護城を中心に整備された「名護城公園(名護中央公園・北緯26度35分21.3秒 東経127度59分39.4秒)[35]」は[36]、1963年(昭和38年)に広域公園として計画決定され、1990年(平成2年)に供用が開始された[37]。1928年(昭和3年)に地元の城(ぐすく)青年団が50本の桜を植えたのが始まりで、1963年(昭和38年)から毎年1月下旬に「名護さくら祭り」として開催される[38]。公園全体に約4,800本のカンヒザクラが植えられ[39]、名護城へ通じる階段の両側には約200本が植樹されている[40]。沖縄県内外から花見客が押しかけ[3]、約30万人が訪れる[41]。
出典
編集- ^ 「名護岳」、『三省堂日本山名事典 改訂版』(2011年)、p.767
- ^ a b 「名護岳」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.438下段
- ^ a b c d e 「名護岳」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.541
- ^ 原昭夫「名護岳」、『沖縄大百科事典 下巻』(1983年)、p.49
- ^ 千木良芳範「嘉津宇岳周辺の動植物調査総括」、『嘉津宇岳』(2009年)、p.1
- ^ a b 宮城勉「名護岳の地形と地質」、『名護岳』(2006年)、p.21
- ^ a b c 「名護岳」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.439上段
- ^ 宮城勉「名護岳の地形と地質」、『名護岳』(2006年)、p.26
- ^ 宮城勉「名護岳の地形と地質」、『名護岳』(2006年)、p.22
- ^ 「羽地大川」、『日本歴史地名大系』(2002年)、p.439中段・下段
- ^ 「沖縄海岸国定公園」、『環境白書 令和元年度報告』(2020年)、p.92
- ^ 「資料編 10.自然環境関係」、『環境白書 令和元年度報告』(2020年)、pp.218 - 219
- ^ 「8.地域別のみどりの方針 市街地地区」、名護市建設部建設計画課編(2013年)、p.78
- ^ 原昭夫「名護岳」、『沖縄大百科事典 下巻』(1983年)、p.50
- ^ 千木良芳範「名護岳周辺の動植物調査総括」、『名護岳』(2006年)、p.210
- ^ 比嘉寿、新里孝和「名護岳一帯の植生」、『名護岳』(2006年)、p.41
- ^ 花城良廣「ナゴラン」、『沖縄大百科事典 下巻』(1983年)、p.52
- ^ 千木良芳範「名護岳周辺の動植物調査総括」、『名護岳』(2006年)、p.214
- ^ a b 「2.名護青少年の家の概要」、沖縄県立名護青少年の家編(2019年)、p.3
- ^ 「名護岳にノグチゲラ」『琉球新報』第37615号2013年10月1日、日刊、32面。
- ^ 千木良芳範「名護岳周辺の動植物調査総括」、『名護岳』(2006年)、p.211
- ^ 宮城弘樹「名護グスク」、上里・山本編(2019年)、p.126
- ^ a b 嵩元政秀「名護グスク」、『沖縄大百科事典 下巻』(1983年)、p.47
- ^ a b 宮城弘樹「名護グスク」、上里・山本編(2019年)、p.128
- ^ 「名護城」、『角川日本地名大辞典』(1986年)、p.540
- ^ 「稲垣国三郎」、新里・大城(1969年)、pp.203 - 206
- ^ “慰霊塔(碑)一覧”. 沖縄県. 2022年7月18日閲覧。
- ^ “第32軍部隊一覧”. 内閣府. 2022年7月18日閲覧。
- ^ 「3.沿革」、沖縄県立名護青少年の家編(2019年)、p.4
- ^ 「3.沿革」、沖縄県立名護青少年の家編(2019年)、p.5
- ^ 「3.沿革」、沖縄県立名護青少年の家編(2019年)、p.7
- ^ 「3.沿革」、沖縄県立名護青少年の家編(2019年)、p.10
- ^ 「山の魅力知る好機 新祝日きょう「山の日」」『沖縄タイムス』第24247号2016年8月11日、日刊、31面。
- ^ 伊波卓也「51.名護岳」、川野ほか(2018年)、p.147
- ^ 「名護都市計画「都市計画区域の整備、開発及び保全の方針」」、名護市建設部建設計画課編(2013年)、p.30
- ^ 「花を愛でる旅 名護中央公園(名護市)」、『美ら島 2009年版』(2010年)、p.108
- ^ 「都市公園一覧表」、名護市建設部建設計画課編(2013年)、p.18
- ^ 「名護さくら祭り ピンチ」『沖縄タイムス』第25114号2019年1月15日、日刊、31面。
- ^ 「名護城公園」、主婦の友社編(2010年)、p.170
- ^ 「名護城跡」、『美ら島 2009年版』(2010年)、p.423
- ^ 「名護城跡の桜」、『美ら島 2009年版』(2010年)、p.433
参考文献
編集- 上里隆史、山本正昭編『沖縄の名城を歩く』吉川弘文館、2019年。ISBN 978-4-642-08344-7。
- 沖縄県環境部環境政策課編『環境白書 令和元年度報告』沖縄県環境部環境政策課、2020年。
- 沖縄県立名護青少年の家編『平成31年度 要覧』沖縄県立名護青少年の家、2019年。
- 沖縄大百科事典刊行事務局編『沖縄大百科事典』沖縄タイムス社、1983年。全国書誌番号:84009086
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 47.沖縄県』角川書店、1986年。ISBN 4-04-001470-7。
- 川野 秀也 ほか『鹿児島県・沖縄県の山』山と溪谷社〈分県登山ガイド 45〉、2018年。ISBN 978-4-635-02075-6。
- 財団法人沖縄観光コンベンションビューロー編『美ら島 2009年版』沖縄観光コンベンションビューロー、2010年。ISBN 4-903972-02-X。
- 主婦の友社 編『日本 桜の名所100選』主婦の友社〈主婦の友ベストBOOKS〉、2010年。ISBN 978-4-07-270194-2。
- 新里金福、大城立裕『沖縄の百年 第一巻 人物編 近代沖縄の人びと』琉球新報社、1969年。全国書誌番号:73001403
- 徳久球雄、石井光造、武内正 編『三省堂日本山名事典 改訂版』三省堂、2011年。ISBN 978-4-385-15428-2。
- 名護市教育委員会文化財係編『名護岳 名護市動植物総合調査報告書 2003 - 2005』名護市教育委員会〈名護市天然記念物シリーズ 6〉、2006年。
- 名護市教育委員会文化財係・名護博物館編『嘉津宇岳 名護市動植物総合調査報告書 2005 - 2008』名護市教育委員会〈名護市天然記念物調査シリーズ 7〉、2009年。
- 名護市建設部建設計画課編『名護市みどりの基本計画』名護市建設部建設計画課、2013年。
- 平凡社地方資料センター編『日本歴史地名大系第四八巻 沖縄県の地名』平凡社、2002年。ISBN 4-582-49048-4。
関連項目
編集外部リンク
編集- ハイキング登山コース - 沖縄県立名護青少年の家
- 名護中央公園の紹介 - 沖縄県
- 名護城公園
- 名護岳 - Yamakei Online / 山と溪谷社