123系電車(123けいでんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)およびJR旅客3社(東日本、東海、西日本)が手荷物郵便輸送の廃止・縮小に伴って余剰になった荷物電車などを改造し、電化ローカル線向けに投入した直流近郊形電車である。1986年から1988年にかけて投入された。

123系電車
JRWest EMU kumoha123-3.jpg
JR西日本のクモハ123-3(2006年)
基本情報
運用者 日本国有鉄道
東日本旅客鉄道
東海旅客鉄道
西日本旅客鉄道
種車 143系145系・147系
改造年 1986年 - 1988年
改造数 13両
主要諸元
軌間 1,067 mm
電気方式 直流1500V
最高速度 100 km/h
車両定員 600番台:118人
自重 600番台:44.0 t
全長 20,000 mm
全幅 2,870 mm
全高 3,654 mm
台車 DT21
主電動機 MT57A、MT46A→MT54
主電動機出力 100 kW または 120kW × 4
駆動方式 中空軸平行カルダン駆動方式
歯車比 4.82
600番台は5.60
制御方式 抵抗制御
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概要編集

基本的に、国鉄の新性能電車は「電動車」を2両1組にしているため、最小編成単位は2両であるが、本系列は車両の前後両端に運転台を有した1両単位で使用できる車両を元に改造されており、利用者が少ないローカル線で単行運転に充てることができる。路線によっては、2両以上を連結して運行されたこともあった。2017年4月現在では単行運転または105系に併結する運用のみである。

形式クモハ123形のみが存在する。国鉄により11両、JR東海により2両の合計13両が改造されたが、改造元となった車両(種車)や改造手法の違いから、車両ごとの特徴は異なる。いずれも、車内の座席はロングシートとされた。

1987年国鉄分割民営化では、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東海旅客鉄道(JR東海)・西日本旅客鉄道(JR西日本)の3社に継承されたが、2007年にJR東海所属車が、2013年にJR東日本所属車が、それぞれ全廃されたため2017年4月1日現在ではJR西日本所属のクモハ123-2 - 6の5両のみが車籍を有する。

車両概説編集

クモニ143形から改造された0番台、クモユニ147形から改造された40番台、クモヤ145形から改造された600番台の区分に大別される[1]

0番台編集

クモハ123-1は、1986年に中央本線辰野支線向けとしてクモニ143-1から改造された[2]。クモハ123-2 - 4の3両は、可部線向けとして1987年にクモニ143-2・3・6から、クモハ123-5・6の2両は阪和線羽衣支線向けとして1987年にクモニ143-7・8からそれぞれ改造された[2]。番号も続番となっているが、外観は投入線区によって大きく異なる[2]

クモハ123-1編集

画像提供依頼:改造直後(白地に緑帯の塗装)の車両の写真の画像提供をお願いします。2018年3月
 
クモハ123-1
(2008年5月5日、塩尻駅)

中央本線塩嶺トンネル完成に伴い支線化した辰野 - 塩尻間(中央本線辰野支線)の輸送力適正化を目的として、1986年(昭和61年)に国鉄長野工場(現・長野総合車両センター)でクモニ143-1から改造された車両である[3]。松本運転所(現・松本車両センター)に配置され、同年11月のダイヤ改正に合わせて使用開始された。車両愛称は「ミニエコー」と名付けられた[2]

走行関係の機器は種車のものを流用しており、主電動機はMT57で、直並列制御を行う(後述の2 - 6も同様)。将来のワンマン運転を考慮し、側面両端部に幅1,000 mmの片開扉を設けた。側面窓は幅674 mmのユニット窓となっており、一部の窓は種車のものをそのまま流用している。

ワンマン運転の設備は1990年に設置された。改造当初は冷房装置が搭載されていなかったが、1995年集約分散式冷房装置(AU712形2基)が搭載された。

改造当初は白地(クリーム10号)に緑帯(緑14号)の塗装であったが、その後ローズピンクと白色のツートーンカラーに変更されている。

2013年3月のダイヤ改正で運用を終了し、E127系に置き換えられて消滅した[4]

クモハ123-2 - 4編集

 
クモハ123-4(登場時)
(1987年3月31日、広島駅)

可部線向けとして、国鉄分割民営化直前の1987年に3両が改造された。クモハ123-1や40番台と同様両端2か所に片開扉を配置しているが、側面窓の形状は上部3分の1が室内側に倒れる大形窓となった[5]。座席はキハ54形などで採用されたバケットタイプとなっている。また、前面に排障器(スカート)が装着されている。塗装は地色が白3号で、車体下部に青20号の帯が2本入っている。

改造時に第2パンタグラフを撤去し、改造当初から集中式冷房装置(AU75系列)を搭載している。冷房電源用として、電動発電機(MG)は70 kVAのものに交換された[5]。このMGは485系などの食堂車の廃車発生品を再利用した。ジャンパ連結器は105系に合わせたものに交換された。前面は種車のままの非貫通構造であったが、1993年度に貫通扉が設置された[5]

1993年に下関運転所(現・下関総合車両所運用検修センター)に転属。

検査のため下関総合車両所に入場していたクモハ123-4が濃黄色一色となり、2010年5月17日に構内試運転が行われた[6]。次いでクモハ123-2が2014年、クモハ123-3が2015年6月に濃黄色となった。なお、クモハ123-3はクモハ123-5と同じく塗装変更時に運賃表示器液晶画面に換装されている。

クモハ123-5・6編集

 
クモハ123-5(阪和線時代)
(1987年8月、鳳駅)
 
クモハ123-6(扉移設改造後)
(2006年10月10日/長門本山駅)

1987年に改造された阪和線羽衣支線向けの2両は、201系と類似した2段式側窓となっており、改造当初から前面に貫通扉が設置されている[7]。2か所に両開扉を設けたが、種車の荷物用扉の位置を踏襲したため、変則的な位置にあった[7]。改造時に第1パンタグラフを撤去し、改造当初から集中式冷房装置(AU75系列)を搭載している。

ラッシュ時は103系制御車クハ103-194を併結した3両編成という特異な運用をするため、ジャンパ連結器は103系に合わせたものに交換され、クハに冷房電源の三相交流を供給するためのジャンパ連結器も設けられた。日中は単行または2両で運行された[7]。1989年にワンマン運転設備を追設している。塗装は阪和線の103系に合わせた青22号だが、運転台部分は黒く塗られていた[7]

1995年にクモハ84形を置き換えるために岡山電車区に転属し、宇野線茶屋町 - 宇野間で使用された。塗装は地色はそのままだが運転台部分の黒い部分がなくなり、カモメが描かれた。その後、宇野線のワンマン化時に105系と混用されることになり、運賃の車内収受に対応していない本形式は105系用のジャンパ連結器を追設し、福塩線・山陽本線岡山 - 福山間・赤穂線で105系2両と併結の4両編成で使用され、宇野線は105系に置き換えられた。

2002年には宇部線・小野田線用として下関地域鉄道部(現:下関総合車両所運用検修センター)に転属し、2003年に最後の営業用旧形国電クモハ42形を置き換えた。その際に塗装は2 - 4と同様のものに変更された。2002年度に扉位置を運転台直後に移設する改造を受けたため、外観が大きく変わっている。ただし、車内のつり革の配置は変わっておらず、元々ドアが設置されていたところにあたるつり革はやや高い位置に設置されているので、つり革を見れば移設前のドアの位置がわかる。また運賃の車内収受に対応するため整理券発行機・運賃箱・デジタル式運賃表が取り付けられた。

2015年3月にクモハ123-5が、同年8月にクモハ123-6がそれぞれ濃黄色に塗り替えられ、その際に運賃表が液晶画面に換装されている。

このグループはドアの半自動機能を持っていなかったが、近年になってドアボタンを設置する改造が行われた。

40番台(5040番台・5140番台)編集

 
クモハ123-42
(1989年5月5日、甲斐上野駅)

身延線富士 - 西富士宮間と鰍沢口 - 甲府間の区間輸送(愛称「富士ポニー」[8])用として、国鉄時代の1987年1月に40番台5両(41 - 45)が投入された[8]。改造種車は飯田線で使用されていた郵便荷物合造車のクモユニ147形である[9][10]

運転台直後に片開扉を設けた2扉車で、外観・車内ともクモハ123-1に準じているが、側面窓がやや大きくなり、戸袋窓が廃止された。またドア下部の張り出しが前位側(集電装置と逆側)にあった。改造当初はクモハ123-45と珍しい並びの車両番号も存在した[8]

1989年に集約分散式冷房装置(DC-DCコンバータ電源によるインバータ式のC-AU711D形2基)を搭載して5040番台(5041 - 5045)に改番された[10]。翌1990年(平成2年)のワンマン化改造に際しては5045のみ前面に貫通扉が設置され、5145に再改番された[10]

2006年9月に5041、翌2007年1月に5044・5145が廃車[11]。同年3月のダイヤ改正後、5月に5043、6月に5042が廃車され[12]、本番台は区分消滅となった。

600番台編集

 
クモハ123-601・602
(2006年2月11日、身延駅)

JR東海により、1988年3月に牽引車クモヤ145-601・602から改造された。同時期登場の愛知環状鉄道100形に類似した両端部と中央部に扉を設けた3扉構造となっており、種車の前面にあった貫通扉は2両連結した時にで貫通路が構成できるように改造された。

改造当初は非冷房であったが、1988年12月に集約分散式冷房装置(C-AU711A形2基)が搭載された。冷房電源は既存の電動発電機 (MG) からの供給とされたため、改番はされていない[10]。1990年にワンマン運転設備が設置された。

2007年5月に601、同年6月に602が廃車され[12]、区分消滅している。

各社の概況編集

国鉄時代編集

123系の投入は1986年の中央本線辰野駅 - 塩尻駅間が最初となり、国鉄最末期の1987年には身延線可部線阪和線羽衣支線にも投入された[1]。1987年の国鉄分割民営化では、JR東日本、JR東海、JR西日本の各社に継承された。

JR東日本編集

JR東日本には、クモハ123-1の1両が継承された。終日辰野 - 塩尻間で運行され、朝晩には松本車両センターの入出庫を兼ねて辰野 - 松本間にも1往復運行された。同車の検査時や多客期には長野総合車両センター所属の115系が代走した。

2012年12月15日16日には、塩尻→辰野→岡谷みどり湖→塩尻とその逆回りで運行された臨時列車(名称はそれぞれ「ぐるっと善知鳥・塩嶺号」「ぐるっと塩嶺・善知鳥号」)が運転され、通常入線のないみどり湖経由の運転が実施された。2013年3月9日にも同じ経路で「ありがとう123系 ぐるっと善知鳥号」「ありがとう123系 ぐるっと塩嶺号」として運転された。3月の運行は乗車整理券制で地元の乗客を対象にしての設定となり、JR東日本長野支社などのホームページでは公開されず、塩尻市辰野町でのみ情報が発信された。

2013年3月16日ダイヤ改正でE127系に代替されることになり[13]、最終運行日となった同年3月15日は、最終列車の発車に合わせ、小野駅でセレモニーが実施された。また、同日は混雑対応のため車掌乗務が行われ、通常表示されない塩尻行のサボも表示された。定期運行最終列車となった塩尻始発の下り松本行では塩尻駅の電光掲示板で「123ミニエコー・ラストラン」と表示された。同車は松本到着後定期運用が終了し、23時3分に松本を発車して長野総合車両センターへ回送された。その後、同年4月15日付けで除籍され[14]、JR東日本の123系は消滅した。

JR東海編集

 
クモハ123-5041
(2003年5月28日、源道寺駅)

JR東海には、40番台の5両が継承された。1988年3月には600番台2両(601・602)が投入されており、身延線用として静岡車両区(旧・静岡運転所)に7両が在籍していた。いずれも101系の改造車である145系・147系を再改造したものであった。

当初は白地(クリーム10号)に赤帯(赤2号)と前面に富士山と身延の頭文字「M」を図案化した模様の塗装であった[8]が、のちにJR東海に承継された119系キハ40系と同じく白地にオレンジと緑の帯の塗装に変更された。40・600番台とも2001年に前面に電気連結器が装備され、主電動機はMT46形からMT54形に換装された。

2007年3月18日ダイヤ改正で全車が313系に置き換えられて運用離脱し、全車が廃車された。

JR西日本編集

 
クモハ123-4(黄色単色塗装)

JR西日本には、クモハ123-2 - 6の5両が継承された。可部線に投入された2 - 4は、1991年に宇部線小野田線へ転用された[5]。阪和線羽衣支線の5・6は1995年には宇野線へ転用され、2001年に宇野線から福塩線へ転用されたが、2002年には宇部線・小野田線用として貸し出され、2003年に同線へ転属した[10]

2013年からキハ120形気動車とほぼ同一構造のトイレが設置され、2014年に全車両の取り付けが完了した。2010年5月17日から始まった本系列の塗色変更は、2015年8月17日のクモハ123-6出場で終了した。

主な運用は小野田線宇部線(閑散時のみ)での単独運用だが、ラッシュ時は105系に併結されて宇部線や宇部線の山陽本線直通列車宇部 - 下関間などで運用されている。

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 柴田東吾「141・143系とクモハ123形」『鉄道ピクトリアル』2012年4月号、p.16。
  2. ^ a b c d 柴田東吾「141・143系とクモハ123形」『鉄道ピクトリアル』2012年4月号、p.17。
  3. ^ 鉄道ジャーナル』第21巻第1号、鉄道ジャーナル社、1987年1月、 58頁。
  4. ^ クモハ123-1 随時アップ:消えた車輌写真館(鉄道ホビダス)、2013年4月1日
  5. ^ a b c d 柴田東吾「141・143系とクモハ123形」『鉄道ピクトリアル』2012年4月号、p.18。
  6. ^ クモハ123-4が黄色に - 交友社『鉄道ファン』 railf.jp鉄道ニュース、2010年5月18日。
  7. ^ a b c d 鉄道ジャーナル』第21巻第11号、鉄道ジャーナル社、1987年9月、 124頁。
  8. ^ a b c d 鉄道ジャーナル』第21巻第12号、鉄道ジャーナル社、1987年10月、 34-35頁。
  9. ^ 鉄道ジャーナル』第21巻第5号、鉄道ジャーナル社、1987年4月、 86-87頁。
  10. ^ a b c d e 柴田東吾「141・143系とクモハ123形」『鉄道ピクトリアル』2012年4月号、p.19。
  11. ^ 「JRグループ 車両のデータバンク2006/2007」『鉄道ファン』通巻555号(2007年7月号)、交友社、2007年
  12. ^ a b 「JRグループ 車両のデータバンク2007/2008」『鉄道ファン』通巻567号(2008年7月号)、交友社、2008年
  13. ^ 2013年3月ダイヤ改正について - 2012年12月21日、JR東日本長野支社。2013年1月1日13時52分閲覧。
  14. ^ 鉄道ダイヤ情報2013年9月号p.127

参考文献編集

  • 柴田東吾「141・143系とクモハ123形」『鉄道ピクトリアル』2012年4月号(通巻861号)、電気車研究会。pp.15-19。