多田大介
多田 大介(ただ だいすけ、1982年8月11日 - )は、岡山県出身の元プロサッカー選手、サッカー指導者。ポジションはゴールキーパー。
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名前 | ||||||
愛称 | ダイスケ、王子 | |||||
カタカナ | タダ ダイスケ | |||||
ラテン文字 | TADA Daisuke | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1982年8月11日(42歳) | |||||
出身地 | 岡山県 | |||||
身長 | 185cm | |||||
体重 | 75kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | GK | |||||
利き足 | 両足 | |||||
ユース | ||||||
1998-2000 | 東海大第五高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2007 | セレッソ大阪 | 21 | (0) | |||
2008-2009 | 愛媛FC | 21 | (0) | |||
2009 | → セレッソ大阪 (loan) | 2 | (0) | |||
2010 | セレッソ大阪 | 0 | (0) | |||
2010 | → 大宮アルディージャ (loan) | 0 | (0) | |||
2011-2012 | ガイナーレ鳥取 | 0 | (0) | |||
2012 | → FC岐阜 (loan) | 15 | (0) | |||
2013 | セレッソ大阪 | 0 | (0) | |||
2014 | チョンブリーFC | |||||
2014 | → シーラーチャーFC(loan) | |||||
パタヤ・シティFC | ||||||
通算 | 59 | (0) | ||||
代表歴 | ||||||
日本U-16 | ||||||
日本U-22 | ||||||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
編集東海大学付属第五高校3年次に全国高等学校サッカー選手権大会出場経験がある。2001年にセレッソ大阪へ入団[1]。2003年の途中から下川誠吾に代わってレギュラーの座に就いた。しかし、2004年は伊藤友彦、2005年は吉田宗弘が正GKに据えられたため出場機会は得られなかった。
C大阪には2007年まで在籍したが、出場機会には恵まれず2008年に愛媛FCへ完全移籍[2]。川北裕介と正GKを争い、自己最多の21試合に出場したが2009年に愛媛からの期限付き移籍で古巣C大阪へ復帰し[3]、シーズン終了後完全移籍。だがC大阪では背番号1を貰いながらもキム・ジンヒョンの前に出場機会に恵まれず、チームのJ1昇格を見届けて2010年は大宮アルディージャへ期限付き移籍[4]。しかし、北野貴之と江角浩司の後塵を拝し、出場機会は1度もなかった。
2011年はJ2に昇格したガイナーレ鳥取へ完全移籍[5]。鳥取でも小針清允が正GKとして起用されたため出場機会に恵まれず、2012年はFC岐阜へ期限付き移籍[6]。長く正GKを務めてきた野田恭平から定位置を奪い、第3節のホームザスパ草津戦では大雨で非常に滑りやすいピッチコンディションの中で無失点に抑えた。だが、中盤戦以降は同じく新加入の時久省吾にポジションを奪われた。シーズン終了後、期限付き移籍期間満了で岐阜を退団[7]。11月24日、所属元の鳥取から契約満了に伴い契約更新しないと発表された[8]。
2013年4月9日に武田洋平が練習中に右膝内側側副靭帯によって全治5週間と診断され、4月11日にC大阪のオファーを受け4年ぶりに復帰した[9]。しかし、公式戦出場の機会は無かった。
2014年1月16日、契約満了により退団[10]。2月18日、タイ・プレミアリーグのチョンブリーFCへ移籍し、すぐにタイ・ディヴィジョン1リーグのシーラーチャーFCへ選手兼GKコーチとして期限付き移籍した[11]。
人物
編集所属クラブ
編集- ユース経歴
- 1998年 - 2000年 東海大学付属第五高等学校
- プロ経歴
個人成績
編集国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | C大阪 | 23 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2002 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2003 | 21 | J1 | 19 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 20 | 0 | |
2004 | 1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | ||
2005 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
2006 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | ||
2007 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2008 | 愛媛 | 21 | 21 | 0 | - | 0 | 0 | 21 | 0 | ||
2009 | C大阪 | 1 | 2 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | ||
2010 | 大宮 | 20 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2011 | 鳥取 | 21 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2012 | 岐阜 | 22 | 15 | 0 | - | 0 | 0 | 15 | 0 | ||
2013 | C大阪 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
タイ | リーグ戦 | リーグ杯 | FA杯 | 期間通算 | |||||||
2014 | シーラーチャー | Div1 | |||||||||
通算 | 日本 | J1 | 21 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 24 | 0 | |
日本 | J2 | 38 | 0 | - | 0 | 0 | 38 | 0 | |||
タイ | Div1 | ||||||||||
総通算 | 59 | 0 | 2 | 0 | 1 | 0 | 62 | 0 |
代表歴
編集脚注
編集- ^ 新加入選手についてのお知らせ セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2001年1月19日
- ^ 多田 大介選手 愛媛FCへ完全移籍のお知らせ セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2007年12月24日
- ^ 愛媛FCより多田大介選手 期限付き移籍加入のお知らせ セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2009年1月10日
- ^ 多田 大介選手 大宮アルディージャへ期限付き移籍のお知らせ セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2009年12月27日
- ^ 多田 大介選手(セレッソ大阪) 新加入のお知らせ ガイナーレ鳥取、2011年1月10日
- ^ 多田 大介選手 FC岐阜へ期限付き移籍のお知らせ ガイナーレ鳥取、2012年1月11日
- ^ 多田大介選手、期限付き移籍期間満了のお知らせ FC岐阜、2012年11月23日
- ^ 契約満了選手のお知らせ ガイナーレ鳥取、2012年11月24日
- ^ 多田大介選手 加入のお知らせ セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2013年4月11日
- ^ [1] セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2014年1月16日
- ^ 多田大介選手 シーラーチャーFCへ移籍のお知らせ セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2014年2月18日
- ^ “タイ・シラチャで活動するサッカースクール|シリエ|Cilie”. 2018年6月30日閲覧。
- ^ 多田 大介選手入籍のお知らせ セレッソ大阪 CEREZO OSAKA OFFICIAL SITE、2005年8月12日
- ^ U-22日本代表チーム 韓国遠征について(03.09.11) 財団法人日本サッカー協会 公式サイト、2003年9月11日
- ^ U-23日本代表候補〔メディカルチェック・国内トレーニングキャンプ・オーストラリアキャンプ〕メンバーについて(04.01.09) 財団法人日本サッカー協会 公式サイト、2004年1月9日
関連項目
編集外部リンク
編集- 多田大介 - Soccerway.com
- 多田大介 - FootballDatabase.eu
- 多田大介 - WorldFootball.net
- 多田大介 - Transfermarkt.comによる選手データ
- 多田大介 - J.League Data Siteによる選手データ
- 多田大介 (@tada_daisuke) - X(旧Twitter)
- 多田大介 (@daisuke_tada) - Instagram
- 多田大介オフィシャルブログ