金鎮鉉
金 鎭鉉(キム・ジンヒョン〈キム・ジニョンとの表記も〉、ハングル:김진현 、ラテン翻字: KIM Jin-hyeon, 1987年7月6日 - )は、大韓民国出身のサッカー選手。Jリーグ・セレッソ大阪所属。韓国代表。ポジションはゴールキーパー(GK)。
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名前 | ||||||
愛称 | キムラ | |||||
カタカナ | キム・ジンヒョン | |||||
ラテン文字 | KIM Jin-hyeon | |||||
ハングル | 김진현 | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
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生年月日 | 1987年7月6日(32歳) | |||||
出身地 | 京畿道水原市 | |||||
身長 | 194cm | |||||
体重 | 82kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム |
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ポジション | GK | |||||
背番号 | 21 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2009- |
![]() | 330 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2011-2019 |
![]() | 16 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2019年10月29日現在。 2. 2018年11月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴編集
クラブ編集
幼少時よりスポーツ好きで、さまざまなスポーツを経験していたが、小学5年次に「背が高く目立っていた」という理由で指導者に誘われて本格的にサッカーを始めた[1]。任されたポジションはGKであり、現在に至るまで一貫してこのポジションでプレーしているとのこと[1] だが、その間もドリブルの練習やボールを蹴る練習を続け、長じて「足元の技術やフィードに優れている印象」[1] との評価を受けるようになった。
マンス中学校、東国大学校師大高等学校を経て2006年に東国大学校に入学してサッカー部に入部した。在学中にU-20韓国代表に選出されてAFC U-19選手権2006および2007 FIFA U-20ワールドカップに出場した他、北京オリンピックの韓国代表候補にも選出されたが、大会前に怪我をした影響もあり、五輪代表には選出されなかった[1]。
練習生としての期間を経て、2008年12月29日、セレッソ大阪に入団する旨が発表された[2]。入団のきっかけは代理人の紹介によるものであった[1]。加入初年度より正GKとして試合に出るようになり、負傷離脱[3] 時を除き試合出場を続けている。
2014年、セレッソのJ2降格が決まった時は「状況が悪いからといって逃げるのは男としてするべきないと思った」「サッカーは私の人生で最も幸せなことだが、この程度のこと(降格)で逃げたくはなかった」と話しチームに残留[4]。2016年オフにも鹿島アントラーズやFCソウルからオファーが届くも残留した[5]。
2017年はルヴァンカップの優勝やJリーグ3位でACLの出場権獲得、天皇杯決勝では延長後半に横浜FMのウーゴ・ヴィエイラの決定的ヘディングシュートを防ぎ、天皇杯の43年ぶり優勝に貢献した。
代表編集
韓国代表には2011年から招集されていたが、2012年5月30日、スイスにて行われたスペイン代表との国際親善試合において、先発フル出場でA代表デビューを果たした。AFCアジアカップ2015では、韓国代表の正GKとして活躍し、韓国の準優勝に貢献、自身も大会最優秀GKにノミネートされた。2018年、ロシアワールドカップの韓国代表のメンバーに招集された。
AFCアジアカップ2019を最後に代表を引退する事を示唆している[6]。
エピソード編集
所属クラブ編集
- ユース経歴
- 1998年 - 1999年 グウン小学校
- 2000年 - 2002年 マンス中学校
- 2003年 - 2005年 東国大師大付属高校
- 2006年 - 2008年 東国大学校
- プロ経歴
- 2009年 - セレッソ大阪
個人成績編集
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2009 | C大阪 | 21 | J2 | 50 | 0 | - | 1 | 0 | 51 | 0 | |
2010 | J1 | 19 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 25 | 0 | ||
2011 | 34 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 38 | 0 | |||
2012 | 34 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | 39 | 0 | |||
2013 | 34 | 0 | 8 | 0 | 2 | 0 | 44 | 0 | |||
2014 | 31 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 35 | 0 | |||
2015 | J2 | 24 | 0 | - | 0 | 0 | 24 | 0 | |||
2016 | 39 | 0 | - | 1 | 0 | 40 | 0 | ||||
2017 | J1 | 31 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 37 | 0 | ||
2018 | 34 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 35 | 0 | |||
2019 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 217 | 0 | 23 | 0 | 13 | 0 | 253 | 0 | |
日本 | J2 | 113 | 0 | - | 2 | 0 | 115 | 0 | |||
総通算 | 330 | 0 | 23 | 0 | 15 | 0 | 368 | 0 |
その他の公式戦
- 2015年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
- 2016年
- J1昇格プレーオフ 2試合0得点
- 2018年
- FUJI XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際大会個人成績 | ||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2011 | C大阪 | 21 | 9 | 0 |
2014 | 8 | 0 | ||
2018 | 4 | 0 | ||
通算 | AFC | 21 | 0 |
代表歴編集
出場大会編集
- U-18韓国代表 (2005年)
- U-19韓国代表
- 釜山国際ユース出場(2006年)
- AFC U-19選手権(2006年)
- U-20韓国代表
- 水原国際ユース出場(2007年)
- 釜山国際ユース出場(2007年)
- 2007 FIFA U-20ワールドカップ(2007年)
- 韓国代表 (2011年 - )
- 2011年 - AFCアジアカップ2011
- 2014年 - 2014 FIFAワールドカップ 予備登録メンバー
- 2015年 - AFCアジアカップ2015
- 2018年 - 2018 FIFAワールドカップ
- 2019年 - AFCアジアカップ2019
試合数編集
- 国際Aマッチ 16試合 0得点 (2011年 -)
韓国代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2011 | 0 | 0 |
2012 | 1 | 0 |
2013 | 0 | 0 |
2014 | 3 | 0 |
2015 | 6 | 0 |
2016 | 2 | 0 |
2017 | 2 | 0 |
2018 | 2 | 0 |
通算 | 16 | 0 |
タイトル編集
- セレッソ大阪
- Jリーグカップ:1回(2017年)
- 天皇杯:1回(2017年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回(2018年)
個人タイトル編集
- 韓国代表
- AFCアジアカップ2015 : 大会最優秀GK
脚注編集
- ^ a b c d e 小田尚史 (インタヴュアー)「INTERVIEW GK21 キム・ジンヒョン ボクがココにいる理由」『エル・ゴラッソ関西版』No. 848、スクワッド、2010年12月、 p. 6。なお同記事中にて金本人は、当時の身長は157cmあったと述べている。
- ^ キム ジンヒョン選手 新加入のお知らせ セレッソ大阪公式サイト 2008.12.29付ニュースリリース
- ^ C大阪GKが全治2ヵ月の負傷
- ^ <Jリーグ>金鎮鉉「ブッフォンのように1年で再昇格する」 中央日報 2015年5月8日
- ^ GK金鎮鉉がC大阪に残留した理由…森島、西沢氏の道へ スポニチ 2017年1月19日
- ^ (단독) 김진현도 국대 은퇴 고민 “후배들에게 길 열어주겠다”スポーツ京郷 2019年2月24日
- ^ エル・ゴラッソJリーグプレーヤーズガイド2016(スクワッド、雑誌コード17970-04)182頁
関連項目編集
外部リンク編集
- プロフィール - セレッソ大阪公式サイト