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山交百貨店(やまこうひゃっかてん、英称Yamako Department Store Co.,Ltd.)は、山梨県甲府市丸の内にある国際興業グループの日本の百貨店[注 1]である。

山交百貨店
yamako
Yamako-dept.JPG
地図
店舗概要
所在地 400-0031
山梨県甲府市丸の内1丁目3-3
開業日 1954年
正式名称 山交百貨店
施設所有者 株式会社山交百貨店
施設管理者 株式会社山交百貨店
延床面積 39,363 m²
商業施設面積 15,774 m²
営業時間 10:30~19:30(一部除く)
前身 甲府松菱
外部リンク http://www.yamako-dept.jp
国際興業

ここでは創立時の甲府松菱および前運営会社の山交についても説明する。

目次

歴史編集

山交百貨店の所在する甲府市丸の内一丁目は甲府城の内堀に囲郭された内城区域にあたり、山交百貨店の所在地は舞鶴陸橋から中央線敷地付近までの周辺区域とともに本丸の所在する城域中央から北西側の屋形曲輪に相当し、北側には清水曲輪、南には楽屋曲輪が広がる。西側には南北に内堀が通りニの堀で囲郭された武家地に通じる柳門があり、曲輪内には甲府藩主柳沢氏時代には書院番所城門などの施設が存在していたと考えられている。

明治初期には内城区域の一部を残して内堀・ニの堀は埋め立てられ官公庁用地として開発され、旧清水曲輪地点には甲府駅が開業し景観は変貌する。

甲府松菱編集

甲府市では山梨県内初となる百貨店として1937年(昭和12年)に松林軒デパートが甲府市中央一丁目の甲府会館(現存せず)で営業を開始していたが、8年後の1945年(昭和20年)に起きた甲府空襲により内部が損傷したため百貨店としての事業を中止していた。

終戦後も岡島百貨店が早々と再開し、1948年(昭和23年)には中込呉服店が百貨店事業に転換し中込百貨店として営業を始めたのに対し、松林軒デパートは再開の目途が立たなかったため、浜松市に拠点を置いていた松菱の創業者である谷氏[注 2]に百貨店の設立を嘆願。谷氏は了承し、松菱の資本参加[注 3]を受けて1954年(昭和29年)に甲府松菱として営業を開始した。

なお、山交百貨店の創業は甲府松菱が設立された1954年となっており、松林軒デパートの部分に関しては含まれていない[注 4]

譲渡・移転編集

甲府松菱開店後は岡島、中込と3店舗が競い合う状態であったが、この頃地元山梨県出身の小佐野賢治が社主だった国際興業も当時経営危機だった山梨交通の買収とともに百貨店事業に進出しようとしていた。

しかし当時の人口が16万人程度であった甲府市に4つ目の百貨店を開業するのはオーバーストアになってしまうため既存店舗の買収に乗り出し、3店舗の中で一番規模の小さかった甲府松菱に注目。まず1961年(昭和36年)に山梨交通とともに譲渡され、国際興業傘下山梨交通系列に編入された。また甲府会館が手狭で増床も困難であったことから買収の翌年に廃止された山梨交通電車線甲府駅前駅跡地を活用しようとバスターミナルを併設したビルを建設。

1963年(昭和38年)に完成し、運営会社を株式会社山交(以下、山交)、百貨店名称を甲府松菱から山交百貨店(以下、山交百貨店)に商号変更のうえ移転した。

改築編集

移転後は3店舗の中で一番甲府駅に近いという好条件であったが、1975年(昭和50年)に倒産した中込百貨店を西武流通グループが買収し、新ビルを建てた上で西友中込店(その後甲府西武に改名)として営業を開始。さらに岡島百貨店の増床計画も持ち上がったため、山交百貨店も対抗して改築することになった。

まず1985年(昭和60年)に甲府駅ビル「エクラン」(現在は「セレオ甲府」)の完成とともに甲府駅バスターミナルを現在の位置に移転して改築用のスペースを作り、翌1986年(昭和61年)に開催されたかいじ国体の終了を待って営業を休止。建物は旧バスターミナルとともに取り壊され、それから3年後の1989年(平成元年)に現在の新しいビルが完成し、営業を再開した。

総合スーパー事業進出編集

新しいビルは内部に世界初の楕円形エスカレーター時計台が設置されるなど買い物客の目を引いていたが、この頃から郊外にショッピングセンター(SC)が建てられたため、百貨店事業は苦戦を強いられることになる。これに対し運営会社の山交はダイエーと提携して、GMS事業に進出。まず1990年(平成2年)11月に湯村温泉の場所へ湯村ショッピングセンター(以下、湯村SC)をオープン。1997年(平成9年)1月には山梨交通貢川営業所跡地に貢川ショッピングセンター(以下、貢川SC)がオープンした。

しかし貢川SCの場所が県内大手GMSのオギノ本店の向かい側であったため、危機感を持ったオギノの反撃に遭い、当初90億円を目指していた年間売上高は約20億円に留まるなど売上げは低迷。またこの頃からダイエーが阪神・淡路大震災の影響やバブル崩壊およびアジア通貨危機などに代表される不況から経営難に陥り、合理化のためまず1999年(平成11年)8月末に貢川SCがわずか1年9ヶ月で閉店。その後湯村SCは残っていたが2003年(平成15年)9月にダイエーとの提携解消と同時に閉鎖した。GMS事業に失敗した山交は多額の負債を抱えることになり、本来の百貨店事業にも影響を及ぼす事態に陥ってしまった[注 5]

運営会社変更編集

百貨店事業の売り上げが落ち込んでいたうえ上述のGMS事業の失敗による負債が重くのしかかったことから、親会社の国際興業は経営健全化を目的に運営会社の新旧分離を実施した。まず2007年(平成19年)2月に株式会社山交百貨店を設立して山交百貨店のみを移譲。負債だけとなった山交は同年3月に株式会社甲州管財と商号変更したうえで臨時株主総会で解散を決議し、同年7月に東京地裁より特別清算手続の決定を受け、清算業務を行なっている[1]

経営が新会社に移った山交百貨店は2008年(平成20年)の改装工事で1階にあった時計台の撤去を行なった[注 6]2015年(平成27年)12月17日より甲府駅バスターミナルにあったバスセンターを当百貨店地下1階、バス案内所を百貨店前に移転。2017年(平成29年)8月9日の新案内所竣工まで営業を行っていた。

閉店へ編集

新会社移行後も郊外大型店舗や東京への買い物客流出、さらにネットショッピングへの台頭などにより売上高は1997年2月期の約121億7700万円から2018年3月期約28億4300万円まで大きく落ち込んでいた[2]。さらに全盛期は100店舗だったのが67店舗まで減少し、駅前通行量の減少によりテナントの出店を躊躇されるなど先行きが見通せなくなったことから2019年(平成31年)3月1日に同年9月30日を以て閉店することを決定した[3]。閉店後も法人としての山交百貨店は存続し、不動産賃貸や保険販売事業は継続する[4]

施設概要編集

  • 住所:山梨県甲府市丸の内一丁目3番3号
  • 売場面積:15,774 m2

フロア案内編集

フロア概要 主な専門店
5F ギフトサロン、催事場 100円ショップ シルクカーブス
4F 紳士服 ミズノ東京西川メイコー化粧品
3F 婦人服、子供服 トドラーショップミキハウスさが美
2F 婦人服 組曲SIS・Jプレスラ・コレクション
1F 雑貨 コムサイズムスターバックスコーヒー
B1F 食品街、甲府駅バスセンター マツモトキヨシ
B2F 駐車場三井のリパーク
B3F
B4F
その他 山梨中央銀行ATM

商品券編集

日本百貨店協会に加盟していないため全国共通百貨店商品券が使用できないが、代わりに東急百貨店系列の商品券が利用可能である。山交百貨店の商品券も東急百貨店で利用できる[注 7]

交通編集

脚注編集

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  1. ^ 百貨店を名乗っているが、日本百貨店協会に加盟していないため、百貨店として扱われない場合がある。これは沼津市にある富士急百貨店にもあてはまる。
  2. ^ 京都・丸物(現近鉄百貨店)の創業者の一人でもある。
  3. ^ 但し、設立以降は松菱および三重県にある津松菱との関係は一切なかった。
  4. ^ 松林軒デパートの創業者で和菓子メーカーでもある松林軒とは建物賃借の関係のみであり、甲府松菱の経営に関与していなかったため。
  5. ^ なお、2店舗とも建物は現存しており、湯村SCはオギノ湯村ショッピングセンターとして、貢川SCはコジマNEW甲府店として営業を再開している。
  6. ^ 撤去された時計台は同市にある大里幼稚園に譲渡された。
  7. ^ 国際興業社長だった小佐野賢治が東急グループ総帥だった五島慶太と親交が深く、それがきっかけで相互利用が可能となり現在も受け継がれている。

出典編集

関連項目編集

外部リンク編集