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広島県立尾道商業高等学校(ひろしまけんりつ おのみちしょうぎょうこうとうがっこう)は、広島県尾道市古浜町にある県立商業高等学校。通称は、「尾商」(おのしょう)。

広島県立尾道商業高等学校
Onomichi commercial highschool.jpg
過去の名称 私立尾道商法講習所
公立尾道商業学校
尾道簡易商業学校
広島県商業学校
広島県立尾道商業学校
広島県尾道商業高等学校
広島県尾道西高等学校
国公私立の別 公立学校
設置者 広島県の旗 広島県
校訓 正義・努力・健康
設立年月日 1887年(明治20年)10月20日
共学・別学 男女共学
課程 全日制課程
設置学科 商業科
ビジネス会計科
情報管理科
学期 3学期制
高校コード 34133K
所在地 722-0002
外部リンク 公式ウェブサイト
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Project.svg ウィキプロジェクト 学校
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目次

概要編集

歴史
1887年明治20年)創立の「私立尾道商法講習所」を前身とする。商業学校を経て1948年昭和23年)の学制改革により新制の商業高等学校となる。現校名になったのは1968年(昭和43年)。2017年平成29年)に創立130周年を迎える。
設置課程・学科
全日制課程 3学科
  • 商業科
  • ビジネス会計科
  • 情報管理科
校訓
「正義・努力・健康」
校章・校歌
部活動
かつては野球の強豪校であり、春の選抜高校野球では1964年(第36回)と1968年(第40回)に準優勝しているが、1986年(第58回)を最後に出場していない。なお夏の甲子園には1958年(第40回)に1度だけ出場している。
近年は文系クラブの活躍が目立っており、簿記部(2005年・2006年・2013年)、情報処理部(2003年~2006年・2012年)、ワープロ部(2012年・2013年)、が全国大会に出場している。

沿革編集

  • 1887年(明治20年)10月20日 - 尾道町十四日町の艮神社境内に「私立尾道商法講習所」が開設される。所長に市邨芳樹が就任。
  • 1888年(明治21年)10月 - 久保町字米場町に「公立尾道商業学校」が開校。
    • 高等小学校2年修了者(12歳以上)を入学資格とする修業年限4年の
  • 1889年(明治22年)2月 - 修業年限を予科2年、本科3年、計5年に改正。
  • 1892年(明治25年)9月 - 尾道町長江町4丁目に校舎が完成し移転を完了。
  • 1895年(明治28年)4月 - 「尾道簡易商業学校」に改称。尋常小学校卒業(10歳)以上を入学資格とし、修業年限を4年とする。
  • 1898年(明治31年)8月1日 - 移管により「広島県商業学校」となる。高等小学校卒業以上を入学資格とし、修業年限を4年とする。
  • 1901年(明治34年)
    • 4月1日 - 「広島県尾道商業学校」と改称。
    • 6月12日 - 「広島県立尾道商業学校」と改称(県の後に「立」が付される)。
  • 1902年(明治35年)4月18日 - 長江町9丁目に校舎が完成し移転を完了。
  • 1907年(明治40年)2月19日 - 修業年限を予科1年、本科3年とする。予科は高等小学校3年修了以上を入学資格とする。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、予科の入学資格が高等小学校1年修了以上に変更となる。
    • それまで小学校は尋常小学校(義務教育)4年、高等小学校2~4年であったが、義務教育年限の延長により、尋常小学校(義務教育)6年、高等小学校2年となった。それまでの高等小学校1年が尋常小学校5年、高等小学校2年が尋常小学校6年、高等小学校3・4年がそれぞれ高等小学校1・2年となった。
  • 1915年大正4年)2月 - 予科の修業年限を2年とする。これにより、予科の入学資格を尋常小学校6年修了以上に変更。
  • 1922年(大正11年)4月 - 予科・本科の区別を廃止し、修業年限を5年とする。
  • 1939年(昭和14年)7月19日 - 吉和町に校舎が完成し移転を完了。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、入学資格が国民学校初等科修了以上に変更となる。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 中等学校令の施行により、この時の入学生から修業年限が4年となる。
  • 1944年(昭和19年)4月4日 - 教育ニ関スル戦時非常措置方策により、商業学校の募集を停止し、広島県立尾道工業学校を併設。
    • また同方策により、中等学校令施行前に入学した生徒にも修業年限4年が適用されるようになる。
  • 1945年(昭和20年)3月 - 1940年(昭和15年)入学の5年生と1941年(昭和16年)入学の4年生の合同卒業式を挙行。
  • 1946年(昭和21年)3月30日 - 広島県立尾道工業学校の併設を解消。
  • 1948年(昭和23年)5月3日 - 学制改革により商業学校が廃止され、新制高等学校広島県尾道商業高等学校」が発足。
  • 1949年(昭和24年)4月30日 - 高校三原則に基づく公立高等学校再編により、総合制の「広島県尾道西高等学校」が発足。
    • 通常制(全日制)の普通課程・生活課程・商業課程を設置。
  • 1953年(昭和28年)4月1日 - 商業課程が分離し、「広島県尾道商業高等学校」として独立。
  • 1958年(昭和33年)10月30日 - 創立70周年を記念して木造2階建ての商業科特別教室が完成。
  • 1959年(昭和34年)9月 - プールが完成。
  • 1968年(昭和43年)
    • 5月 - 体育館講堂が完成。
    • 10月1日 - 「広島県立尾道商業高等学校」(現校名)に改称(県の後に「立」が付される)。
  • 1969年(昭和44年)3月から1971年(昭和46年)3月 - 新館が完成。
  • 1974年(昭和49年)3月 - 商業科特別教室(3号館)が完成。
  • 1987年(昭和62年)3月 - 格技場が完成。
  • 1988年(昭和63年)10月 - 創立100周年記念式典を挙行。4号館が完成。
  • 1991年(平成3年)3月 - セミナーハウス「折鶴館」が完成。
  • 1993年(平成5年)4月1日 - ビジネス会計科・情報管理科を新設。
  • 2001年(平成13年)3月 - プールを撤去。
  • 2006年(平成18年)2月 - 新体育館兼講堂・テニスコートが完成。
  • 2006年(平成18年)3月から2007年(平成19年)12月 - 1・2・3号館大規模改修を実施。
  • 2007年(平成19年)4月1日 - 広島県立尾道工業高等学校の廃止に伴い、卒業証明書発行等の事務を継承。

エピソード編集

1953年(昭和28年)4月1日、尾道西高校時代にプロ野球公式戦、広島東洋カープ大洋松竹ロビンスが当校校庭で開催された。当時、公式戦を開催できる基準を満たす球場が広島県内には少なかったため、学校や企業のグラウンドを会場にした試合は珍しくなかったが、校庭にはフェンスがなく、客席とグラウンドはロープだけで仕切られた状態にあった。そのため、広島選手・白石勝巳の放った打球が右中間に飛び込む本塁打となったが、このプレーをめぐり大洋松竹監督の小西得郎が異を唱えた。これは観客がロープをわざと前に押し出したのではないかとの猛抗議をしたが受け入れられなかった(後にこの本塁打は「縄ホームラン」と呼ばれるようになった)[1]。この試合は観客のアシストにもかかわらず、ロビンスが2対1で勝利している[2]。なお、中沢啓治の漫画『広島カープ誕生物語』でもこの縄ホームランの件は描かれており、主人公の大地進がロープを押し出した事になっている。

著名な出身者編集

野球
スポーツ
学界
文芸
政界
  • 黒瀬隆志(公明党所属の福山市議会議員)
  • 松浦幸男(自由民主党所属の広島県議会議員)

交通編集

最寄りの鉄道駅
最寄りのバス停留所
最寄りの幹線道路
  • 国道2号 「尾道商業高校入口」交差点

周辺編集

  • 尾道税務署
  • 広島法務局尾道支局
  • 尾道市立吉和小学校
  • 尾道古浜郵便局
  • 尾道看護専門学校

脚注編集

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  1. ^ 後にこの本塁打の一件を機に、当時のセリーグ会長である鈴木龍二は全球団に規格外の球場で試合を開催する事を全面的に禁止するように警告を発した為、この試合が最後の校庭でのプロ野球開催試合となった。
  2. ^ なお、勝利投手は当時ルーキーの権藤正利で、この試合がプロ初勝利となった。逆に敗戦投手は当時プロ2年目の大田垣喜夫であり、彼はこの試合の開催地となった尾道西高校出身である。

関連項目編集

外部リンク編集