新地町
新地町(しんちまち)は、福島県浜通りに位置し、相馬郡に属する町。
しんちまち 新地町 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 福島県 | ||||
郡 | 相馬郡 | ||||
市町村コード | 07561-2 | ||||
法人番号 | 5000020075612 | ||||
面積 |
46.70km2 | ||||
総人口 |
7,517人 [編集] (推計人口、2024年11月1日) | ||||
人口密度 | 161人/km2 | ||||
隣接自治体 |
相馬市 宮城県:亘理郡山元町、伊具郡丸森町 | ||||
町の木 | マツ | ||||
町の花 | サクラ | ||||
他のシンボル |
町の鳥:キジ 町の魚:カレイ | ||||
新地町役場 | |||||
町長 | 大堀武 | ||||
所在地 |
〒979-2792 福島県相馬郡新地町谷地小屋字樋掛田30 北緯37度52分35秒 東経140度55分11秒 / 北緯37.87631度 東経140.91961度座標: 北緯37度52分35秒 東経140度55分11秒 / 北緯37.87631度 東経140.91961度 新地町役場 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
地理
編集福島県浜通りの最北、かつ相馬郡の最北にあり、南北に貫く国道6号が町の主要な道路になっている。役場は町の北部の常磐線新地駅付近にあり図書館や郵便局などの町の機能のいくつかが点在する。
いくつかの河川が東流して町を横切り、東接する太平洋に注ぐ。南接する相馬市とは重要港湾相馬港を共有し、同港の北半分ほどにあたる埠頭部分が町域に含まれる。町の西端は400m程の丘陵で宮城県伊具郡丸森町と接する。北接する宮城県亘理郡とは距離も近く交流も深い。
藩政時代は、現在の福島県内において唯一仙台藩領であり、中村藩領であった相馬市とは文化・習俗(例えば相馬野馬追には参加しない)等の面で異なる点が多々ある。よって方言学において新地町は仙台弁地域に分類される。初代宇多・行方郡長を務めた大須賀次郎(筠軒)は、着任直後の明治12年(1879年)に宇多郡内を巡察した際の感想を「今日巡視する処、真弓組・谷地小屋組八村及び駒ヶ嶺村の如き、仙藩に属する処なり。習慣の風俗、自ら相馬の旧封の人民と異なるものあり。言語の如きも判然別あり」と記している。 総務省統計局による都市圏基準では相馬市と同様「仙台大都市圏」に含まれるため、仙台市のベッドタウンと見なされることがある。テレビ・ラジオともに福島の放送局だけでなく仙台の放送局の受信も可能。
人口
編集新地町(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
歴史
編集沿革
編集行政
編集首長
編集- 歴代村長
- 昭和の合併以前
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 大堀契治 | 明治22年(1889年)7月5日 | 明治26年(1893年)7月4日 | |
2 | 松谷昌平 | 明治26年(1893年)7月5日 | 明治34年(1901年)7月7日 | |
3 | 黒田豊 | 明治34年(1901年)7月8日 | 明治42年(1909年)7月7日 | |
4 | 清野雄 | 明治42年(1909年)7月8日 | 大正7年(1918年) | |
5 | 目黒平治 | 大正7年(1918年) | 大正15年(1926年) | |
6 | 水戸庄蔵 | 大正15年(1926年) | 昭和5年(1930年) | |
7 | 目黒親次 | 昭和5年(1930年) | 昭和9年(1934年) | |
8 | 黒沢秀造 | 昭和9年(1934年) | 昭和11年(1936年) | |
9 | 目黒平治 | 昭和11年(1936年) | 昭和14年(1939年) | 再任 |
10 | 水戸庄蔵 | 昭和14年(1939年) | 昭和17年(1942年) | 再任 |
11 | 清野敏 | 昭和17年(1942年) | 昭和20年(1945年) | |
12 | 加藤酉治 | 昭和20年(1945年) | 昭和21年(1946年) | |
13 | 伊藤広忠 | 昭和22年(1947年) | 昭和26年(1951年) | |
14 | 黒沢正造 | 昭和26年(1951年) | 昭和29年(1954年)8月19日 |
- 昭和の合併以後
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 佐藤清平 | 昭和29年(1954年)9月26日 | 昭和37年(1962年)9月25日 | 元・福田村長 |
2 | 黒沢正造 | 昭和37年(1962年)9月26日 | 昭和41年(1966年)9月25日 | |
3 | 橋本正一 | 昭和41年(1966年)9月26日 | 昭和46年(1971年)7月31日 |
- 歴代町長
代 | 氏名 | 就任 | 退任 | 備考 |
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1 | 橋本正一 | 昭和46年(1971年)8月1日 | 昭和57年(1982年)9月25日 | 村長より留任 |
2 | 荒和英 | 昭和57年(1982年)9月26日 | 平成14年(2002年)9月25日 | |
3 | 加藤憲郎 | 平成14年(2002年)9月26日 | 平成30年(2018年)9月25日 | |
4 | 大堀武 | 平成30年(2018年)9月26日 | 現職 | 出典[1] |
姉妹都市・提携都市
編集- ふるさと姉妹都市。1982年7月21日締結
町章
編集- 新地の「しん」を図案化して町の融和と団結を象徴したもの[2]
郵便
編集- 新地郵便局(集配局)
- 駒ヶ嶺郵便局
- 釣師浜郵便局 ※震災により流失(参考[3])
- 福田郵便局
- 新地菅谷簡易郵便局
地域
編集教育
編集小学校
編集中学校
編集交通
編集空港
編集鉄道路線
編集バス
編集仙台市方面と利用可能であった高速バスは、福島交通と宮城交通が運行する仙台 - 相馬線は2016年(平成28年)12月9日の運行をもって路線廃止、東北アクセス(旧・はらまち旅行)が運行する南相馬 - 仙台線は2017年(平成29年)1月31日の運行をもって停留所廃止となった[5][6][7]。
新地インターチェンジ付近では高速バスターミナルの整備が行われており、町は高速バス停車を要望している[8][9]。
道路
編集- 一般国道
- 主要地方道
- 一般県道
名所・旧跡・神社・仏閣・観光スポット・祭事・催事
編集名所・旧跡
編集- 釣師浜海水浴場
- 鹿狼山 - うつくしま百名山
- 観海堂 - 福島県初の共立学校。東日本大震災により流失。
- 右近清水 - 平成の名水百選
- 真弓清水
- いっぱい清水
- 新地貝塚
- 三貫地貝塚
- 谷地小屋城(新地要害)址
- 駒ヶ嶺城址
- 御殿岬・戊辰戦役跡
神社・仏閣
編集- 奥之相善宮子眉嶺神社
- 二羽渡神社
- あんこ地蔵尊
- 福田諏訪神社
観光スポット
編集祭事
編集- 福田十二神楽(福島県指定重要無形民俗文化財)
- 小川自治会あんこ地蔵尊盆踊り大会
催事
編集- 鹿狼山元朝登山・釣師浜から初日の出を見る会(1月1日)
遊海 しんち(8月上旬)- やるしかねぇべ祭り
- 新地町文化祭
- 新地町産業まつり
出身有名人
編集震災時の画像
編集-
津波の直撃を受けた常磐線新地駅
-
町内に立てられている復興フラッグ
脚注
編集- ^ “新地町長に新人・大堀武氏 鴇田氏との新人対決190票差で制す”. 福島民友新聞. (2018年8月27日) 2021年2月14日閲覧。
- ^ 『図典 日本の市町村章』51頁
- ^ “釣師浜郵便局 (つるしはまゆうびんきょく)”. 日本郵政グループ. 2021年6月15日閲覧。
- ^ 新地町 のりあいタクシー しんちゃんGO
- ^ “高速路線バス「相馬 - 仙台線」運行終了します”. 相馬市 (2016年9月8日). 2017年5月17日閲覧。
- ^ “高速バス「相馬〜仙台線」運行終了のお知らせ”. 福島交通. 2017年5月17日閲覧。
- ^ “「新地町役場」バス停の廃止について”. 東北アクセス. 2017年5月17日閲覧。
- ^ “新地町まち・ひと・しごと創生 総合戦略 平成28年3月” (PDF). 新地町. p. 16. 2017年5月17日閲覧。
- ^ “新地町の復旧・復興状況 2017年3月現在” (PDF). 新地町. p. 8. 2017年5月17日閲覧。
参考文献
編集- 『新地町史』(福島県相馬郡新地町)
- 資料編(1982年)
- 自然・民俗編(1993年)
- 歴史編(1999年)