星勝

1948-, 作曲家、ギタリスト、プロデューサー。

星 勝(ほし かつ、1948年8月19日 - ) は、作曲家アレンジャーギタリスト音楽プロデューサー歌手。英語表記はKatz Hoshi[1]。旧名 まさる。

星勝
別名 Katz Hoshi
生誕 (1948-08-19) 1948年8月19日(73歳)
出身地 日本の旗 日本埼玉県
ジャンル ロックソウル・ミュージックR&Bファンクサイケデリック・ロック
職業 作曲家
アレンジャー
ギタリスト
歌手
共同作業者 モップス
RCサクセション
安全地帯
井上陽水
小椋佳
浜田省吾

略歴編集

1966年鈴木ヒロミツらとグループ・サウンズのモップスを結成。ギタリスト・ボーカルとして活躍。初期のモップスは、日本のサイケデリック・ロックバンドとされた。ヒット曲は、「朝まで待てない」「月光仮面」「たどりついたらいつも雨ふり」等、多数ある。モップス解散後、音楽プロデューサー・アレンジャーとして活動。ザ・ピーナッツ情熱の砂漠」や井上陽水氷の世界」「夕立」等は、編曲作品として高く評価された。RCサクセション日暮しの楽曲制作に深く関わった。小椋佳安田裕美らとフライング・キティ・バンドに参加。モップス時代付き合いのあった井上のデビュー・アルバム『断絶』がアレンジ・プロデュース・デビュー作。そのため『断絶』は、殆んどモップスのメンバーの演奏による。この当時、ポリドールのプロデューサー、後のKitty Records社長の多賀英典、ミキサーの大野進と知り合い、以後多賀の手がける作品をサウンド面で支える[2]。当時、編曲といえば正式な音楽教育を受けた者が携わることが大半だったが、星の場合ほぼ独学だった。当初「譜面が読めなかった」と後に告白している。

エピソード編集

編曲はクニ河内に助言をもらいながら独学[3]

歌謡曲のアレンジといえばコードだけ書いて演奏家に任せることが多かった当時、『断絶』の制作に関して星は、殆んどの楽器の譜面を緻密に書き込んだと言われている。

井上4作目のアルバム『氷の世界』でサウンド・プロデュースを手がけた。アナログ・レコード総生産数第1位のアルバムとなった。第2位は小椋佳の『彷徨』。井上の「二色の独楽」で日本レコード大賞の編曲賞を受賞している。

『「多賀さん、他に何やってるんですか?」と訊いて渡されたのが小椋佳の「青春」。当時小椋のアレンジャーは小野崎孝輔でクラシック出身。ロック絶対主義だったので、軽いサウンドだなぁ程度の感想を持って全く別世界の人だと思っていたら、多賀さんに「小椋佳やってみない?」と言われて「何でオレが…」と思った。そうしたら「陽水や安田裕美に好きに曲を書いていいよ」と多賀さんが言うのでその気になりました』と述懐。

多賀に唆されて小椋の「残された憧憬」に着手。「多賀さんと大野さんの、小椋さんのアルバムにかける尋常ではない執念に圧倒されて、すぐ一緒になってのめり込んだ。最高傑作だと思う」「小椋のナイーブな部分をどうサウンドにしていくかに全力投球した。クラシカルでナイーブなロックサウンドがあるということを思い出しました」と語っている。

小椋が譜面も読めずギターも弾けないため、曲を付けにくい詞は星が作曲を手掛けることが多かった。世間で小椋の曲と認知されている曲が、実は星の曲であるという例は数多い。井上と共作の「白い一日」や「坂道」も小椋ヴァージョンは星が全面的にサウンドプロデュースをしている。本人達はお互いの音楽性に疑問符を持っていた様だが、多賀曰く「小椋と星はサウンド的に切っても切れない関係」。

多賀に小椋の「シクラメンのかほり」と「めまい」のアレンジを依頼され、この時、小野崎孝輔と一緒に作る様と指示を受ける。「星君にこんな感じってスケッチアレンジを渡したら、全部ロックに書き換えられてもどってきた。結局一小節ごと相談しながら作りました。大変な作業だったがロックを全く脈絡も根拠もなく全面に押し出すパワーにはすごいヤツが現れたと舌を巻きました」(小野崎談)。実際「シクラメンのかほり」と「めまい」のオリジナルを聞くと世間のクラシカルなイメージとは裏腹に、リズムセクションが非常にハードに仕上がっている。高中正義大村憲司椎名和夫の怪しいフレーズが随所にちりばめられている。これに懲りたのか、「道草」以降、リズム・アレンジとストリングス・アレンジという分担作業が一般的になる。

キティレーベル第1号アルバム「道草」の制作にサウンド・プロデューサーとして参加。

この頃、RCサクセションシングル・マン」に着手。タワー・オブ・パワーミッキー吉野が参加したが全く売れずすぐに廃盤となった。忌野清志郎は「モップスは好きだったからあの感じやヴァニラ・ファッジみたいなものを期待したのに、井上のアルバムみたいにされそうになった」と語っている。

「シクラメンのかほり」「俺たちの旅」などで小椋ブーム到来。NHKコンサートで生まれて初めてタクトを振る。小椋と二人「スタンド・スティル」を歌唱。

1977年、当時殆んど無名だった浜田省吾のシングル「木枯しの季節」の編曲をしている。これは浜田のプロデューサーである鈴木幹治とのモップス時代からの繋がりによるもの。現在も数多くの浜田作品の編曲・プロデュースを手掛けている。浜田は当時の星の印象を「今と全然変わらない。凄く穏やかで、あの時も20年以上たった今も全然変わらない。頼りになる凄く良い人だなあと思った」と述べている。

主な作曲作品編集

主な編曲作品編集

主なプロデュースアルバム編集

※主にサウンド・プロデュース

音楽担当作品編集

テレビ編集

劇場映画編集

関連項目編集

脚注編集

  1. ^ 浜田省吾のベストアルバム『The History of Shogo Hamada "Since1975"』などにおけるクレジットより。
  2. ^ のちに「多賀さんと大野さんと出会ったとき、どうせ歌謡畑の人なんだろうなと思っていたら音に対する執念が本当にものすごくて、すぐ信頼関係ができた」と語っている
  3. ^ 【昭和歌謡の職人たち 伝説のヒットメーカー列伝】編曲家・星勝“ニューミュージック時代の革命家” 井上陽水「心もよう」「断絶」など手掛けるzakzak 2019年10月16日

外部リンク編集