歩兵戦闘車
歩兵戦闘車(ほへいせんとうしゃ、IFV:Infantry Fighting Vehicle または ICV:Infantry Combat Vehicle)は、車内に歩兵を乗せることができる装甲戦闘車両(AFV)。装甲兵員輸送車(APC)のように歩兵を運ぶばかりではなく、積極的な戦闘参加を前提とし、強力な火砲を搭載している。さらに乗車歩兵の乗車戦闘ができるようになっている物が多い。
概要編集
APCより高価であるため財政的に豊かな国ほど多く配備されている。BMPシリーズ[注 1]に関しては冷戦期に東側諸国が供与したものが現在でも使用されていることが多い。
歩兵戦闘車は、下記のような要件を備えている。
- 兵員輸送能力
- 半個分隊ないし1個分隊の歩兵を車内に収容・輸送できる。これらの歩兵部隊は必要に応じて下車し、近接戦闘を展開する。
- 強力な火力
- 20mm口径以上の火砲により、歩兵部隊に対して直接火力支援を提供するとともに、敵の同種車両と交戦・撃破する。さらに対戦車ミサイル(もしくは大口径の機関砲・対戦車砲弾)によって、敵の主力戦車を撃破しうる。
- 一部の車両では、乗車した歩兵が車内から携行火器を射撃できるような工夫が施されている。
- 装甲防護力
- 近くで爆発した榴弾の破片や機関銃弾から乗員・乗車歩兵を守るため、IFVは装甲を備えている。多くの兵員と強力な火力を有することから、IFVは戦車に並んで強力な兵器となっており、大きな脅威にさらされる恐れがあるため、その装甲は強化される流れにある。
- 戦術機動力
- 歩兵戦闘車は、原則的に無限軌道で走行する車両(装軌車両)とされる。これは、機甲部隊の一員として行動するため、戦車に追随できるだけの機動力、とくに不整地走破能力を備える必要があるためである。
- 装軌式は接地面積が大きいため、機関砲の射撃を安定させ、十分な装甲防御を支える必要からも好まれている。ただし近年では、ライフサイクルコストの低い装輪装甲車に強力な武装を搭載した歩兵戦闘車を採用する国も現れている。
概歴編集
先駆者編集
近代の戦場における歩兵の移動には、半装軌車(ハーフトラック)や、トラックが使われてきたが、不整地(オフロード)における戦車の移動速度が向上したため、戦車と共に行動することが難しくなった。また、第二次世界大戦前の用兵思想の変化から兵員輸送車両も移動中に砲火を浴びたり、直接戦闘に参加する場合が多くなり、防御力の付加を必要とした。このため、装甲化された半装軌車や、無限軌道による装甲兵員輸送車が開発されたが、これらは武装として機関銃程度しか装備しておらず、歩兵支援には火力が足りない上に、戦場で敵の同種車両と遭遇した際に、軽戦車や歩兵戦車のような直協車両を伴わない限り、これを撃破できないという欠点もあった。
このことから、1950年代後半、フランス陸軍はAMX-VCI装甲兵員輸送車に7.5mm AA-52機関銃を取り付けていたが、12.7mm M2重機関銃を取り付けたもの(AMX-VCI 12.7)や最終的に20mm機関砲を搭載したもの(AMX-VCI M-56)が配備された。兵員室に10名の乗車が可能だった。26種類の派生車種合計で3,000輌程度が生産された。これは、歩兵戦闘車の嚆矢ということができる。
そして1950年代後半、西ドイツ陸軍は、アメリカ製のM113装甲兵員輸送車と共にフランスのオチキスが開発したSP1Aを基にしたクルツSPz 11-2装甲偵察車、スイスのイスパノ・スイザが開発したHS30を基にしたラングHS.30歩兵戦闘車を採用した(ラングは史上初の「歩兵戦闘車」の名称を冠した車両となった)。これらは当初より20mm機関砲を備え、兵員室にクルツは3名、ラングは5名を収容できる。また、ラングは乗車戦闘も可能だった。ラングは車両としての信頼性の問題から大改修が必要とされたが、クルツは7種合計2,374輌、ラングは6種合計4,472輌が生産された。この車両の実績はマルダーが開発される動機となった。
BMP-1の登場編集
独仏両国から10年ほど遅れた1966年、ソビエト連邦軍はBMP-1を発表した。BMP-1は、AMX-VCIやSpz HS.30よりも大口径な73mm低圧砲と対戦車ミサイルによる強力な攻撃力と、強化された装甲による防護能力を備えていた。また、兵員室には1個分隊をまるごと収容できるうえに、ここにはガンポートが設置され、密閉された兵員室から歩兵が射撃できるようにされた。これは、核戦争の際に歩兵を放射性降下物から守ることができ、非常に重要であると見なされた。
BMP-1は西側諸国に「BMPショック」と言うべき衝撃を与えることとなった。先駆者であったドイツは、Spz HS.30の運用実績を踏まえ、BMP-1と同様に乗車戦闘能力を備えた歩兵戦闘車としてマルダーを開発していたが、これの配備が急がれることとなった。また、もう一方の先駆者であったフランスでも、AMX-10Pの配備が急がれた。
しかし、BMP-1にもっとも大きな衝撃を受けたのがアメリカ陸軍であった。アメリカ陸軍の歩兵戦闘車は、MICVの名前のもとで1958年より計画されていたものの、まだ試作車すら完成していない状況にあったのである。このため、MICV計画は加速され、のちにM2ブラッドレーを生み出すことになる。なおこの間のベトナム戦争においては、現地部隊においてM113を改造した応急の歩兵戦闘車型が多用された。
一方で陸上自衛隊の73式装甲車のように、歩兵戦闘車としての能力付加を見送り、純粋な兵員輸送車として制式化された例もある。
ラーテルの登場編集
1976年に南アフリカで開発されたラーテルは装輪式の歩兵戦闘車であり、装輪式は装軌式と比べ不整地踏破能力・戦術機動力は劣るが、生産・運用コストの低さと戦略機動力が優れている。
代表的な装輪式歩兵戦闘車はカナダ陸軍のLAV III、フランス陸軍のVBCI、タイ王国陸軍のVN-1、中華民国陸軍のCM-34などがある。また、低強度紛争・戦争以外の軍事作戦の頻度増大と防衛予算の縮小を受けて採用されたアメリカ海兵隊のLAV-25もある。
現代の趨勢編集
西側の第1世代IFVの20mm口径機関砲は、貫徹力は高いが炸薬量不足で榴弾の威力が低く火力支援能力に不満があり、東側の第1世代IFVの73mm低圧砲は、弾道の安定性や砲自体の信頼性に問題があった。1981年に就役したアメリカ陸軍のM2ブラッドレーは高威力な25mm口径機関砲を装備し、更に高威力な30mm口径機関砲と共に現代まで歩兵戦闘車の代表的な武装として認識されている。35mm口径は89式装甲戦闘車と幾つかのCV90の輸出モデルが、40mm口径はK21とスウェーデン陸軍向けのStrf 9040が装備する。30mm機関砲に加え100mm低圧砲を装備する車両はBMP-3と04式歩兵戦闘車が該当する。さらに近年では空中炸裂弾を採用することで被害半径を広げる工夫が行われており、Strf 9040、プーマなどが装備している。
また、第1世代IFVの多くが兵員室に乗車した歩兵部隊が車体の穴から携行火器を外部へ射撃するためのガンポートを備えている。これは、車両の火力を増強するとともに、核戦争時などNBC兵器で汚染された環境下で車内にいながらの戦闘を可能にすることで、歩兵たちをこれらの脅威に曝すリスクを低減するために要求されたものであった。しかし装甲に穴を開けることで強度が低下するにもかかわらず、ガンポートから発揮できる火力は比較的限定的で、1986年に就役したイギリス陸軍のウォーリアはガンポートを廃止し、以降元からガンポートを備えない車両が増えた。装甲強化の要求も非対称戦争増加の時勢から高まる一方であり、既存の車両においても、装甲を追加するのに伴って、ガンポートが塞がれる例が増えている。並行して浮航性も失われていった。
これらの第1世代IFVは従来の装甲兵員輸送車の延長線上で設計されており車体は軽量なアルミ合金で作られていた。しかし、重武装化によってIFVが敵に与える脅威が増大したのに伴って、IFVに向けられる敵の脅威も増大しており、装甲はさらに強化される必要があった。このため、1989年に就役した陸上自衛隊の89式装甲戦闘車をはじめ、アルミ合金を完全に排除し鋼材のみで車両を製造するようになる。特に人命を重視する西側ではこの傾向が顕著であり、プーマが典型例である。
主な機種編集
脚注編集
注釈編集
出典編集
参考文献編集
- MAJ Rod A. Coffey, USA (2000年6月2日). “DOCTRINAL ORPHAN OR ACTIVE PARTNER: A HISTORY OF U.S. ARMY MECHANIZED INFANTRY DOCTRINE (PDF)” (英語). 2010年2月1日閲覧。